50-(1) 瓶の中の灯
斬り飛ばされた右手の断面から、切り裂かれた胸元や口の中から血が溢れてくる。
だがそんな肉体的ダメージよりもジークに一撃を入れられたという事実、精神的ダメージ
に当のバトナスは只々唖然としていた。
(接続開始……? こいつ、何を──)
だがのんびりと思案している暇は無い。
次の瞬間には二刀を引っさげ、常人には明らかに不釣合いな量のオーラを纏って突撃して
くるジークの姿がある。
「くっ……!」
受けてはいけない。今し方の結果からして、バトナスはそう半ば本能的に思った。踏み出
すのではなく一旦迎え、一撃目の突きを身を返してかわす。続く斬撃は先程の──すぐに向
かい直ってきたジークの右側に重心を移して身体を傾け、即座にその横へと割り込むように
しながら回避する。
まだ残っている左の拳を放っていた。
先程よりも強く、より魔獣化させて力を込めた一発。だがジークは眼前に迫るそれを寸前
の所で仰向けになってかわし、拳の下を身を反転させながら跳ぶ。
全身を回転させながらの二刀だった。
対するバトナスはそれに対して左の背を向けている格好。彼は咄嗟に左脚を滑らせ、腕と
共に防御のラインを作る。
ガキィンッ! 最初とは比べ物にならないほどの衝撃が左の腕と脚から伝わった。
押されている。俺と……競り合っている。バトナスは深く顔を顰めた。全身にざわっと悪
寒が走るのが分かった。
受けちゃ駄目だ。耐え切れない。
事実、防御に回した手足は悲鳴を上げ始めていた。びちびち。二刀の刃、纏うオーラに触
れた箇所が次々と裂傷をきたしていく。
聖浄器──! バトナスはすぐに気付き、侮っていた自分を殴り殺してやりたかった。
そうだ。こいつの得物は聖浄器だった。
護皇六華。告紫斬華と対をなす業物。
これまでは当人の力量がずっと格下だからと高を括っていたが……今は違う。一体どんな
細工をしたのかは知らないが、今目の前のこいつは魔人のパワーにスピードについて来ている。
聖浄器本来の、対魔用武具としての真価が発揮され始めている──。
「ぐ、おぉぉぉぉぉーッ!!」
右脚で全身で踏ん張り、バトナスは多数の裂傷を抱えながらもジークを弾き飛ばした。腕
に脚に、押し付けられた傷が血を吐き出す。治癒が遅い。聖浄器の力が魔人の再生能力を
阻害しているのだ。
ジークはすぐにまた突っ込んで来た。だんっと着地し地面を蹴り、素早い斬撃や刺突を繰
り出してくる。
バトナスはかわした。受ければ無駄に傷を増やすだけだ。
オーラの練りも魔獣化も、半端なものでは意味を成さないだろう。
左右上下。紙一重でジークの連撃をかわし、少しずつ後退しながら、彼は頬までの全身を
隈なく魔獣化、オーラを一気に練り込んで反撃の機会を窺う。
「っ、らぁッ!」
バトナスの左拳と、ジークの横薙ぎの刃が激しくぶつかった。
ぎちぎち。互いの力が相手を押し返そうとし、小刻みに震えている。
やはり片腕だけじゃあ厳しいか……。そうバトナスは眉を潜めて──ふと視界、ジークの
背後遠くに立ち、不安げにこちらを見つめているリュカの姿を認める。
(……あいつは確か、竜族の魔導師。ん? 待てよ……)
そしてバトナスは気付いた。視線をすぐさま眼前のジークに戻し、その仮説が正しいこと
を確認する。
ストリームが在ったのだ。よく目を凝らせば、ジークの背中にストリームが一本、挿し込
まれている。だが本来こんな現象は起きない。魔流とはありとあらゆる空間に存在するマナ
の気流のようなものだ。呼吸するようにそこからマナを拝借──取り込む事はしても、こう
も直に、物理的に刺さるなんてことは先ず自然には起こらない。
(そういうことか……!)
ジークを弾き飛ばし、バトナスは犬歯を剥き出しにして嗤った。
好戦的な狂気が戻ってきた。からくりさえ判ってしまえば何てことはない。
再度地面を蹴ってくるジーク。だがバトナスは、その太々と魔獣化させた左腕を彼にでは
なく、すぐ目の前の地面に向かって打ち込んでいた。
一瞬にして石畳が割れる。土埃と岩石が飛び散って両者の視界を寸断する。
ジークは慌てて突撃に急ブレーキを掛け、立ち止まっていた。
奇襲を掛けるつもりか? だが当のバトナスから攻撃が飛んでくる様子はない。二刀を構
えていつでも防御できるようにしたまま、彼はじりっじりっと注意深く回り込み始める。
「……」
そんな相手の様子を、バトナスはしっかり気配で感じ取っていた。
案の定、あまり時間は取れない。だが充分だ。
乱れた息を整えながら、バトナスはくわっと目を見開いて力を込めた。
次の瞬間、起こったのは変化。ジークに斬り落とされた右手、その断面が急速に盛り上が
ってはボコボコと沸騰し、骨格から肉、真皮と瞬く間に失われた右手が再生していく。
この為の煙幕だった。いくら魔人とはいえ、腕の欠損を治すには相応に持てる力を集中さ
せねばならない。そして現状、ジークがあの豹変を経た状態では、彼からの攻撃を捌きつつ
これを併行するのは難しかったのだ。
さながら人体模型な右手。しかし形と感覚が戻れば充分。左腕と同様、バトナスは右腕も
一挙に魔獣化──強化させてコキコキと骨を鳴らした。
ややあって濛々としていた土埃が晴れてくる。ジークはすぐには突っ込んで来なかった。
散っていく煙幕の隙間から、再生を果たした右手を確認したのだろう。ぎゅっと眉間の皺が
更に深くなったのが距離を取っていても分かる。
「……要するに、ドーピングみたいなもんだろ?」
ぴくん。ジークが無言のまま身体を強張らせるのがみえた。間違いない、バトナスは全身
に改めてオーラを纏わせながら嗤う。
つまり、この少年はストリームを自身の身体に直挿ししたのだ。奴は魔導の心得がある
ようではないし、あの時のやり取りから後ろの竜族が近場に流れていたストリームを掴み、
彼に挿し込んだのだろう。
確かに可能だ。ストリームとは流れゆくマナの束。その流れの先を自分自身にねじ込ませ
れば、抱え込めるマナの量は爆発的に増大する。奴が急に魔人のレベルに追いついてきた
ようにみえたのはそのためだろう。
だが……それは所詮、付け焼刃だ。一時的な強化でしかない。そもそも──何度も何度も
使い倒した後ならいざ知らず──それで導力が上がる訳ではなく、常人の身体ではその前に
器がもたなくなるだろう。乱発は、おいそれとできない筈だ。
(それに──)
看破を振り切るようにジークが突撃してくる。確かに速い。しかしもうバトナスには最初
のような驚きはなかった。冷静に、ならば同格に迫らんとする敵として相対すればいい。
半身を返して一撃目をかわし、次ぐ攻撃もかわし受け止めいなす。
全くの無傷という訳にはいかなかったが、魔獣化を行き渡らせて生身より硬くなった身体
は支障が出るような大きなダメージを防いでくれている。小さな裂傷ばかりだ。だがそれで
も相手は聖浄器。一発目に受けた胸元の傷は勿論、こうした掠り傷はいつもよりずっと再生
速度が遅い。
何度も立ち位置を変え、二人は激しく撃ち合っていた。
ジークが尚も怒号のような叫びを上げ、その二刀を振るっている。
バトナスは凌いでいた。いや、待っていたと言うべきだろう。繰り出す拳は蹴りは、常人
ならばその時点で即死級だが、あくまで牽制。この“接続”とやらがこちらの理解の通りで
あれば、きっとその瞬間は来る。
「……っ」
はたして、それは訪れた。それまで目まぐるしく撃ち合っていたジークの動きがふと鈍り
始めたようにみえたのだ。
振り下ろしの斬撃をかわして脚で半円を描き、バトナスはその瞬間を見逃さなかった。即
座に地面を蹴って彼の真横へと回り込み、右手にぐっとオーラを込める。
所詮は付け焼刃なのだ。強化の理由が抱え込んだ“だけ”のマナならば、いずれそれらは
剥がれていく。使い手の導力を超える量のマナは、基本的に保持することはできないのだから。
故に待っておけばいい。凌げばいい。後は勝手に時間切れに──この技は本来力を失う。
「貰った──!」
繰り出されるバトナスの拳。反応し切れず咄嗟に防御しようとしているジーク。ゆっくり
と悲鳴の表情になっていく遠巻きのリュカ。
一撃が入っていた。バトナスの拳が、二刀を交差したジークの正面に打ち込まれていた。
殴り飛ばされる。ジークはそのまま吹き飛び、点在する石柱の一つに吸い込まれいく。
「……ふん」
破壊。轟音の後の土埃。
バトナスは、拳を振り抜いた格好のまま、嗤う。