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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-1.廣きセカイの片隅で
3/434

1-(2) 蒼染の鳥

 ブルートバードが拠点ホームを置く街・アウルベルツは北方の大国アトス連邦朝の北東内陸部に

位置している。四方に延びる国内の幹線街道にも近く、この辺り一帯における人や物の行き

来の要衝ともなっている街だ。

 ジーク達のホームは、そんな街の一角にあった。

「──皆、お疲れさま」

 酒場『蒼染の鳥』バー・ブルートバード

 イセルナはホームの敷地内にあるその店内で、任務から帰って来た一同を見渡して言う。

「今回も皆のおかげで魔獣討伐を成功させる事ができたわ。ギルドへの報告はさっきダンと

ミアちゃんに頼んだから、今日はゆっくりと休んで。明日からも頑張りましょう」

『うぃ~っす!』

 締めの一言。団長のその言葉を以って今日は解散となった。

 団員の大半はそのまま店の裏手にあるクランの宿舎へと向かっていき、残った面々も思い

思いに仲間との雑談を始めている。

(……ふぅ)

 そしてジークもまた、そんな仲間達の緊張が解けリラックスした雰囲気の中に身を委ねる

ようにしてテーブル席の一角で静かに一息をついていた。

「やぁ。お疲れさま」

「お疲れ様です、ジークさん」

「ん? おう。お疲れ~」

 そうしていると、シフォンと盆にカップを載せたレナが歩み寄ってきた。

 シフォンが対面するように席に着き、レナが二人分の珈琲を出してくれる。

 ジークは「ありがとよ」と微笑む彼女に返すと、シフォンとかちんとカップを合わせて一

先ず一口。熱過ぎず温過ぎず、且つしつこくない味わいがじわりと喉を潤してくれる。

 それから暫く、二人は他の団員達のそれと同じように雑談に興じていた。

 シフォンはクランの創立メンバーの一人ではあるが、ジークとは年齢が近い(といっても

あくまで人族ヒューネス換算であり、実年齢では彼の方が遥かに上ではあるのだが)事もあり、二人は

普段からこうして少なくないプライベートの付き合いがある。

 彼はジークがこのクランに所属するようになってからの、一番の友と言っても差し支えが

なく、また同時に冒険者としても良き先輩でもあった。

「……しかし、ジークも随分と腕を上げたよね。以前よりも魔獣を討つ効率が上がっている

ように僕には思えるよ」

「そ、そうか? ま、まぁ一応これでも日頃の鍛錬は欠かしてねぇし」

「ダンには突っ込み過ぎだと注意されていたけどね」

「うぐっ……。それは、確かに言われたけどさぁ……」

 褒めてくれたり、かと思えば手痛い所を撫でてからかってみたり。

 シフォンは、物腰が落ち着いている割には思いの外茶目っ気がある性格をしている。

 そもそも、一般的にエルフは保守的・排他的な気質が強い種族と言われている。

 なのに彼というエルフは、自分達多くの人々と積極的に交わっているように見える。それ

は前々からジーク少なからず引っ掛かっている疑問点でもあった。

『──僕はね。妖精族ぼくらはもっと……ヒトと共存するべきだと思っているんだ』

 ふと脳裏に、以前シフォン本人が漏らしていた言葉が過ぎる。

 苦笑と疑問符。二つの異なる思考と感情が混線するのを感じながらも、ジークは目の前で

温厚な微笑をみせるこの友に話を合わせて相槌を打つ他なかった。

「何。ジークに向こう見ずな所があるのは昔からだろう? これでもまだ、うちに来て日の

浅かった頃に比べれば大人しいものだよ」

 すると今度は、近くの席で愛刀の手入れをしていたリンファが口を開いた。

 芸術品にしてもいい程のその刃を、打ち粉で優しくポンポンと撫でつつ、フッと凛とした

容貌を緩めて何処か遠い日を見るような眼でそう微笑む。

「あ、あの頃は……。も、もうその話はいいじゃないですか。昔の事くらい……」

 ジークは思わず口篭もった。

 それはまだ、今よりも幾分か若かったが故の無茶を繰り返していた日々。

 がむしゃらさに身を任せ、同時にそれを自覚できていなかった日々。

「……そうだね。今はもう立派な僕達クランの一員だよ」

 シフォンがそう言って微笑んでいる。リンファが静かに頷き、刀身を拭い紙に通す。

 創立メンバーにして、冒険者としての先輩二人。

 シフォンとリンファにからかわれるような格好になり、ジークは返す言葉もなくただ照れ

隠しに残りの珈琲をくいっと飲み干しに掛かる。

「…………」

 そんなジーク達を含めた団員達の団欒の様を、イセルナはカウンター席から穏やかな眼差

しで眺めていた。

 団長として、一人のヒトとして自分がこのような居場所を作り出せた事に喜びを覚えて。

「嬉しそうだな」

 そして次の瞬間、渋い男性の声色がしたと同時に彼女の肩の上に突如として現れたのは、

静かに揺らめく青いオーラを纏った、一体の半透明な全身青色の梟。

「ふふっ、そうね。一仕事終えて一息つけているというのもあるのかしら」

「……今回はあまり力を貸してやれなかった気がするが。辛くはなかったか?」

「そんな事はないわよ、ブルート」

 ブルート。それがこの青梟、イセルナの「持ち霊」の名だ。

「貴方のおかげで魔導をスムーズに使えるもの。私達だけが必死にならなくてもいいのは、

それだけクランの皆の実力がついてきているからでしょう?」

 持ち霊。それは簡単に言えば、特定の人物と専属契約を結んだ精霊のことである。

 本来、精霊族スピリットはその姿形すら千差万別で、このブルートのようにヒトのような力と自我を

備え、且つ自身の意思で顕現している個体は決して大多数とは言えない。

 それ故“持ち霊付き”であることは世界中の奇蹟を司る彼らに認められたという魔導を扱

う者──とりわけ魔導師にとって大きなステータスであり、また魔導の実務上もおいても、

細かい詠唱を省略できるといったメリットを示すものでもある。

「それに……貴方は知性の精霊。元々戦いを好む者ではないでしょう? だったら皆の成長

には感謝しなくっちゃ」

「……否めぬな。だがイセルナ、我は汝の持ち霊だ。……汝が生まれる前から、我はその魂

の音色に惹かれて契約を結ぶことを選んだのだ。必要とあらば多少の力は貸すつもりだぞ」

 もっとも、イセルナが伴霊族ルソナという“生まれながらに持ち霊を宿す民”の出身である為、

そのままそうした一般論が通用する訳ではないのだが。

「その辺りの思考が堅いのは流石知性の精霊といった所だね。はい、どうぞ。ミルクたっぷ

りのブレンド珈琲」

 その会話に混ざるようにカウンターから出てきたのは、黒スーツにエプロン姿という格好

に身を包んだハロルドだった。

 ソーサーに載せたカップをイセルナの前に置き、ちらとブルートのそんな堅苦しさと主へ

の忠義に微笑ましい視線を向ける。イセルナは「ありがと」と小さく返すと、そっと甘い味

に包まれた珈琲を一口、また一口と堪能し始める。

「それは我を褒めているのかけなしているのか……」

「褒めているに決まっているじゃないか。何せクランの名前も、この店の名前も君から取ら

せて貰っているのだからね」

 そうしれっと言ってみせる、ホームの食堂兼副業としての酒場の店主。

 ブルートは若干胡散臭そうに目を細めていたが、特にそれ以上文句を言うつもりはないよ

うだった。

 団長たるイセルナと、自分の名を冠したこの冒険者集団とその拠点。

 その店内には、気付けば少なからぬ兵力にまで成長したこのクランの団員達のくつろぎの

姿が点在している。

 語らう者、軽食を摂る者、或いはテーブルに突っ伏してくてんと寝てしまっている者。

 そんな仲間達の中をレナはとてとてと立ち回って給仕役を務めていた。

 イセルナもハロルドも、そしてブルートも。

 暫しの間、三人は何処か達成感にも似た静かな感慨に浸っていた。

「ん……?」

 ちょうど、そんな折だった。

 カウンター内の壁に取り付けられた導話器(マナを用いた通信装置。電話のようなもの)

がはたとベルを鳴らし始めたのである。

「はい、もしもし。酒場『蒼染の鳥』です」

 一度布巾でサッと手を拭い、ハロルドはゆたりと導話器に近付くと、その本体から伸びる

筒状の部位を耳元に当ててこの掛かって来た通信に応対していた。

 カウンター席のイセルナが、刀の手入れを終えようとしていたリンファが、談笑を続けて

いたジーク達、この場の面々がおもむろに彼へと視線を遣る。

 導話器の前でハロルドは何度かこくこくと頷いていた。

「ジーク君」

「あ、はい。何すか?」

 それからややあって、受話筒を胸元に遣って振り返ると、

「君に導話だよ。例の弟くんから」

 思わず姿勢を伸ばし気味にしかけていたジークに、彼はそう告げた。


「もしもし。僕、アルス・レノヴィンといいます。兄さ……ジーク・レノヴィンの弟です。

今そちらに兄はいますか? お話は伝え聞いていると思うのですが」

 所変わってアウルベルツ駅の構内。

 その導話器がいくつも設置されてたスペースの一角で、アルスはこれからお世話になる下

宿先へと一報を入れていた。

『ああ、君がそうなのかい? 初めまして、話はジーク君から聞いているよ。今度こっちの

魔導学司校アカデミーに入学するんだってね』

 兄が所属しているクラン・ブルートバードの連絡先をダイヤルすると、応対してきたのは

紳士然とした声色の男性だった。

 以前聞かされていた面々の情報を記憶から辿る。確か下宿先は酒場も兼務していた筈だ。

 という事は、この声の主がその店主も兼ねている……ハロルドさんなのだろう。

『でも、確か彼の話だと入学式まではまだ日がある筈じゃなかったかな?』

「え……?」

 しかし次に導話の向こうのハロルドが紡いだ一言。

 アルスはその言葉を聞いて、思わずため息と共にくしゃっと頭を抱えた。

「兄さん、伝え忘れてたんですね……。実は学院から連絡がありまして。大事な伝達事項が

あるので僕には早めに手続きに来て欲しいと……」

「あぁ……。なるほど」

 アルスが改めてそう事情を説明すると、ハロルドも納得と嘆息を漏らしたようだった。

『じゃあ、ジーク君に代わった方がいいね。彼なら今テーブル席にいるから』

「あ、はい。お願いします」

 言われて応えると、ガサゴソと雑音が混じった。遠巻きに兄が呼ばれているのが聞こえて

くる。アルスが暫くそのまま待っていると、ややあって兄が導話に出てきた。

『おう。どうした、アルス?』

「どうしたじゃないよ……。兄さん、伝え忘れてたでしょ? 学院から早めに手続きに来て

くれって言われたから出発の予定を繰り上げるって。この前導話したじゃない」

『えっ、そうだったっけ……? じゃあお前、まさか今こっちにいるのか?』

「いるよぉ。今さっき駅に着いた所。……ホント、念の為に連絡を入れてみてよかったよ」

 ぷくっと頬を膨らませてアルスは言う。

 導話の向こうで兄は慌てているようだった。やはり完全に頭から抜けていたらしい。

 こんな事なら、あの時クランの団長さんなりに繋いで貰っておけばよかったなぁ……。

 アルスは受話筒を耳元に当てたまま、今更ながらにそんな事を思う。

『わ、悪ぃ。すぐに迎えに行く』

「いいよ別に。住所も分かってるし、ここには前にも受験で来て多少の地理なら調べてある

から。それよりも兄さんは今度こそクランの皆さんにちゃんと伝えておいて? このままだ

と僕が勝手に押しかけるみたいになっちゃうよ」

『ぬぅ……。わ、分かった。すまん……』

「うん。じゃあ少しゆっくりめに時間を潰しながらそっちに向かうね」

 バツの悪そうな兄に今度こそ伝達をと念を押して、アルスは受話筒を置いた。

 途端に意識を一斉に刺激するのは、ざわつく構内の雑音達。

 目を遣った改札の向こう側では、大陸の各地を結び、多くの人々を運ぶ列車が何台も鎮座

しており、再び走り出すその時をじっと待っている。

 機巧技術。それは魔導と並ぶ今日の文明の要、二大技術体系の片輪だ。

 歴史の長さでは魔導に及ばぬものの、かつての「大帝国」時代に大成されたこの機械を自

在に作り出す技術は、鉄道や飛行艇、鋼車こうしゃ(自動車のようなもの)といった、各地で開拓の

進む今日の世界に不可欠な技術となっている。

 魔導が人的要素の強い技術だとすれば、機巧技術は物的要素の強い技術。

 今日の活発な人や物の行き来と豊かな暮らしは、この両者が上手く相互に活用される事に

よって成り立っていると言ってもいい。

「ジーク、忘れてたんだ?」

 するとぼうっと構内に目を遣っていたアルスの少し上から声が降ってきた。

 アルスが視線を移すと、そこには中空にふよふよと浮かんでいる、翠色のオーラを纏わせ

た一見して踊り子風な衣装の少女の姿。

 彼女の名はエトゥルリーナ、通称エトナ。アルスの持ち霊である。

「うん。だから兄さんがクランの皆に話している間、僕らは遠回りで向かおう?」

「それはいいけど……大丈夫? 迷わない?」

「大丈夫だよ。地図も持って来てるし、いざとなれば人に聞けばいいしね」

 アルスは苦笑いをして言った。

 心配し過ぎなんだよ。兄さんも、エトナも。

(兄さんだって忙しいんだ。僕らの為に一生懸命働いてくれている。なのに、僕は……)

 ぐっと胸の中を撫でる心苦しさ。

 アルスはそんな感覚を払い除けるようにざっと周囲を見渡してみた。

 案の定、ちらちらと往来の視線が自分達に向いているようだ。

 精霊の存在自体は一般の人々の間でも常識のことだ。しかし実際にその姿を知覚できる者

は限られている。魔導を修め、しっかりとしたマナの制御を身につけている者であるか、或

いは精霊自身が人前で顕現してみせているかのどちらかでない限り。

 それが常識。だけど──自分がその事に気付くのは、もっと後になってからだった。

「……アルス」

 そんなぼんやりとした思考に気付いたのか、エトナが控えめな声を掛けてきた。

 自分を見る表情は心配の色を映し、外見の可憐な少女らしい優しさを宿している。

「……。大丈夫だよ、行こっか」

 分かっているからこそ、アルスは彼女に微笑で応えていた。

 そして足元に置いていた大きめのキャリーバッグの取っ手を握り締めると、アルスは彼女

という持ち霊を伴い、その紺色のローブを翻してその場を後にする。


 世の冒険者たちはその活動を保障されるべくとある組織に加盟している。

 それが七星連合レギオン。世界中の冒険者を統括し、彼らと依頼主達との仲介などをこなす、民間

最大の武の勢力である。

 元々は魔獣の脅威から人々を守るべく創設された組織だが、今日ではそうした「傭兵畑」

だけでなく広く一般の人々からの依頼とそれらを主力とする「便利屋畑」の冒険者も多く抱

えており、世界各地にその支部ギルドを構えている。

「次の方どうぞ~」

 それは此処アウルベルツも──というよりも、ある程度の規模の街ならすべからく──例

外ではない。窓口職員の女性に促され、窓口に延びる行列の一つで待機していたダンとミア

の父娘はようやく自分達の順番を迎えていた。

「依頼完了の報告に来たんだが」

「はい~。ではカードと報告書類を提出して頂けますでしょうか」

 言われて、ダンは懐に手を伸ばした。

 取り出したのは一枚の薄い金属製のカード。

 七星連合加盟証──通称レギオンカード。レギオンに加盟登録した者一人一人に交付され

ている、冒険者としての身分を証明するIDカードである。

 ダンがカードを、ミアが抱えていた今回の依頼書類を窓口に提出すると職員はそれらを受

け取り、先ずはカードを手元の専用機器のリーダ部分に通した。

 ピコッという機械音と共に、魔導の力で手元の空間に出力されている画面に次の瞬間、多

数のデータが映され始めた。

 彼女はそれらとミアが渡した書類を見比べてから、

「はい。クラン『ブルートバード』副代表ダン・マーフィさんですね。少々お待ち下さい」

 そうデータ照会が通ったことを告げると、そのままの流れで慣れた様子で手続き業務を進

めてゆく。

「ミア」「……何?」

 そうして待っていると、ふとダンが隣に立っているミアに呼び掛けた。

「先に帰ってていいぞ。今日は疲れたろ? 後は俺がやっとくから。ついでに次の依頼の目

星をつけてから帰るからさ」

「……分かった」

 こくりと小さく頷いて、ミアはその場から離れた。

 窓口の周囲にはたくさんのテーブルや依頼書が張り出してある掲示板が設置されており、

そしてそれらを吟味したり雑談を交わしている冒険者どうぎょうしゃ達がわんさかと屯している。

 そんなある種当然ながらにむさ苦しい空間を横切り、ミアはギルドの玄関を出た。

 街の大通りに面した、賑わいのある区画の中という立地条件。

 それだけでもこの組織が持つ力の大きさが垣間見えてくる。

「おっ? 可愛いネコちゃん発見」

 ちょうどそんな時だった。

 ふとミアに向かって掛けられた声。その方向を見遣ってみると、ギルドの敷地の傍で二人

組の若者がこちらに近付いて来るのが見えた。

 細身のキザな風体と、小柄だが気の強そうな面構え。

 二人はミアの左右を囲むようにして立つと、ヘラヘラと笑いながらこう声を掛けてくる。

「ねぇねぇ、ギルドから出て来たって事は君も冒険者?」

「実はさ、俺らもこう見えて冒険者やってんだ~。よかったら組まない? 俺らが色々教え

てあげるからさ」

 そんな口実を作ったナンパ。

 ミアは寡黙なまま眉間に皺を寄せ、じっとこの二人を睨み返した。

 だがそんな彼女の元々の口数の少なさを、彼らは別の──それも手前勝手な意味で──解

釈で以って捉えたらしかった。

 初対面なのに馴れ馴れしく、そして下心が透けて見えて。

 小柄な方の若者がそっと手を伸ばして──。

「……ボクに、触るな」

 バシッと、次の瞬間ミアはその手を少々乱暴に振り払っていた。

 加減はしたつもりだった。しかし父譲りの、獣人族という種としての身体能力の高さは殺

し切れず、その軽い一発ですら彼は大きくよろめき、弾き飛ばされていた。

「なっ……!?」

 驚く当人とその相棒。

「この、尼ぁっ!」

 だが驕りに覆われたこの若者達に、自身と彼女の力量差を見出すことはなかった。

 代わりにむしろ二人は一気に怒りの沸点を越え、うち細身の若者は腰元に下げていた小剣

を抜き放つといきなりミアにその刃を振り上げてきたのである。

 反射的に身体を反らしてその斬撃をかわしたミア。

 しかし僅かにだが、その頬には赤い一筋が走っていた。

「……」

 身勝手に逆上した若気の冒険者二人。突然始まった刃傷沙汰に悲鳴や驚きの声を漏らして

視線を向け始めた往来の人々。

(面倒な事になった……)

 ミアは相手とは違い、冷静に周囲の様子を窺いながらそう思っていた。

 この程度で平静を失うような雑魚なら、軽く一撃を叩き込めば終いだろう。だが強い力で

あればある程、その行使には慎重でなければならない。

「こんのぉ!」

 それでも対する細身の冒険者は再び小剣を振りかぶって地面を蹴っていた。

 やれやれ……。仕方ない。

 半ば嘆きに近いため息と共に、ミアは静かに拳を握った。

 あまり気乗りしないまま、大上段で飛び込んでくる彼の土手っ腹に一撃を──。

「盟約の下、我に示せ──風紡の矢ウィンドダート

「ごふッ!?」

 だがミアの拳が振るわれる事はなかった。

 代わりに聞こえてきたのは、驚愕の混じった細身の冒険者の短い声ならぬ声。

 一瞬、スローモーションのように見えた。

 彼が斬りかかって来る、まさにその瞬間に螺旋状の風の塊がその横っ腹に命中し、彼をそ

のまま思いっ切り吹き飛ばしたのである。

 ズザーッと通りの石畳に転がり、気絶した若者。何が起こったのか分からず目を丸くして

いるもう一人と、同じく往来の野次馬達。

「……?」

 そしてミアはゆっくりと視線を移して、見た。

 風の塊が飛んできたその先に、一人の少年が立っていたのを。

 紺色のローブに身を包み、紺の混じった黒髪をしたヒューネスの少年。

 小柄な体格をしているせいもあるのかもしれなかったが、自分よりは二つ、三つは年下に

見える。

 何よりも目に強烈に目に映ったのは、こちらに向かってかざされた掌を中心に展開され、

今まさにそっと消えようとしている白色の魔法陣。そして、彼に付き従うように中空に浮い

ている碧色の──十中八九精霊の少女。

 それは他ならぬアルスとエトナの姿で……。

「……もしかして、魔導?」

 普段あまり感情を表に出さないミアも、流石に驚きの気色を漏らしていた。

「オラァッ! てめぇら、俺の娘に何してやがる!」

 だがそんな驚きも束の間、気付くとギルドへの報告と軽い下見を終えたダンが泣く子も黙

るような怒声を上げて姿を見せる。

 その様はまさに怒れる獣そのもので……。

 思わずビクッと身を振るわせる野次馬達と、そして残されたもう一人の若気の冒険者。

「げっ……。親父同伴だったのかよ」

 すると流石にこの状況はマズいと踏んだらしい彼は、

「お、おい。逃げるぞ!」

「うぁ……? ちょ、無理……身体が、動か」

「待てやゴラァッ!」

「ひいぃっ!?」

 一度は相棒を揺り起こそうとしつつもダンの二度目の怒声に完全に怯え、そのまま彼を路

上に放置したまま一人猛ダッシュで逃げていってしまう。

「あ! このッ……!」

「もういい、お父さん。ボクなら大丈夫」

「ぬぅ? まぁ、お前がそう言うなら……」

 すかさず追いかけようとしたダンだったが、それは他ならぬミア自身が止めていた。

 これ以上状況をややこしくしても意味は無い。それよりも……。

「……あ、えっと。大丈夫でしたか?」

 マーフィ父娘が振り返ると、おずおずとアルスが近寄って来ていた。

 ふわふわとその後ろをついて来るエトナも、自分達に向けられている周囲の往来の眼に若

干の気まずさにも似た思いを感じているらしくその表情は繕った苦笑いのそれ。

「うん。平気」

「もしかして、さっきのは坊主が撃ったのか?」

「はい……。歩いていたらそちらの娘さんが暴漢に襲われそうになっていまして、つい」

 驚く二人に、アルスは謙遜を通り越した苦笑で弁明していた。

 こんな少年が魔導とは。

 十中八九同じ感想を抱いて互いの顔を見る二人だったが、

「あ。そこ、ほっぺ怪我してます」

「? うん……大丈夫。これくらい放っておいても」

「駄目ですよぉ。女の子なんだから顔の傷にそんな無頓着でいちゃ」

 次の瞬間、ミアの頬の赤筋に気付いたアルスにずいっと詰め寄られる。

 そっと彼から差し伸ばされる手。

「今治しますね。ちょっとじっとしていて下さい?」

 言って、アルスは軽くその傷口に掌を当てると静かに呪文を唱え始めた。

「生けとし生ける者を支え見守る黒霊よ。汝、我が朋の抱えたる傷を癒し給え。我はかの者

の痛みを、傷を治せしむことを望む者……」

 するとその詠唱と共にアルスの掌から淡い光が漏れ始めた。

 どっしりと落ち着いた、包容する鮮やかな黒土色の光と彼の足元に展開される魔法陣。

「盟約の下、我に示せ──地脈の癒キュアライト

 つむぎ終わったその瞬間、光がゆっくりとミアの頬の傷に集まっていった。

 ほんのりと温かな熱を伴う感覚。だがそれもほんの数十秒のこと。

「……はい。終わりました」

 そう言ってアルスが魔法陣を消去して一歩後退した時には、そんな感覚は静かに消え失せ

ミアの頬にできていた筈の赤い筋は跡形も無くなくなっていた。

「…………」

 ぼ~っと頬に手を当てて目を瞬かせているミア。にこっと優しく微笑んでいるアルス。

 暫くミアはまるで何かに取り憑かれたようにそんな彼の見上げる顔を見ていた。

 そんな彼女に、小さく疑問符を浮かべて小首を傾げるアルス。すると暫しそんな様子を娘

の傍らで見ていたダンが、

「あ~……。その、なんだ。すまんな。娘を助けてくれたみたいで」

 照れと訝しさ半分の苦笑でぼそっとようやく口を挟んでくる。

「いえいえ。僕の方こそ余計なお節介ではありませんでしたか?」

「そんな事はねぇさ、ありがとよ。ほらミア、お前も礼ぐらい言えって」

「あ。うん……。あ、ありがとう……」

「はい。どういたしまして」

 ダンに促されてぼそっと礼を述べるミア。

 しかしその視線は何故か定まらず、何処か頬もほんのり赤く上気しているように見える。

「むぅ……」

 そんな彼女の表情を認めてエトナはアルスの背後で小さくむくれ始めていたが、当のアル

ス本人は全くそんな事には気付く様子もなく、にこにこと微笑んでいる。

(──ん? ミア? 猫の獣人さんの親子……。これって兄さんの言ってたクランの……)

 その代わりにアルスはふとそのやり取りの中で飛んでいたフレーズに、はたと思い当たっ

ていた。ぶつぶつと呟きながら一度眉間に皺を寄せる。そしてややあって、アルスは思い切

ったように二人に訊ねたのだった。

「あ、あの……。もしかしてですけど、お二人ともブルートバードっていう冒険者クランを

ご存知ですか?」

「あん? 知ってるも何も、俺らのクランだよ」

「……お父さんが副団長」

「あぁ……やっぱり!」

 予想的中と言わんばかりにアルスは破顔した。傍らのエトナも「おぉ?」と驚いている。

「そうだったんですね。えっと自己紹介が遅れました。初めまして、僕アルス・レノヴィン

といいます。ジーク・レノヴィンの弟です」

「ジークの……弟?」

「おぉ! そうだったのか。お前さんがあいつの……。話なら聞いてるぜ」

 その言葉を聞いて、ミアもダンも差異はあるがパッと驚きと歓迎の気色を見せた。

 ぺこりと頭を下げてお辞儀をする彼にミアは目を瞬かせ、ダンは陽気に豪快に笑う。

「ちょうどいいや。これから俺達もホームに帰る所だ。一緒に来るか?」

 くいっと立てた親指でホームのある方角を差しながら訊ねてくるダン。そしてコクコクと

小さく何度も頷いているミア。

「……はいっ。勿論です」

 アルスはエトナと一度顔を見合わせると、満面の笑みでそう答えたのだった。

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