49-(6) 接続開始
「らぁッ!!」
両腕を魔獣化させたバトナスの拳が、また何度目かジークに襲い掛かった。
突き立てた鋭い両手の爪。咄嗟にかざした二刀が激しく火花を散らしながら辛うじてこれ
をいなす。ふらつき、弾かれる。
“スイッチ”の入ったバトナスからの猛攻が続いていた。
それはある意味で狙った上での事だ。だが広々として続き、上り坂らで繋がる石廊上で、
彼の攻撃はあまりにも強烈だった。空を切り裂くような左右両腕からの一閃、無数の軌跡。
ジークはじりじりっと下がりながら、これを受け止めるのが精一杯になっている。
「おらおらッ、どうした? さっきの威勢は何処いったよ? 所詮は口だけかァ? ああま
で大口叩いたんだ。もっともっと、俺を愉しませろッ!!」
霞むような速さに反応するのがやっと。それでもジークは歯を食い縛り、反撃に出ようと
した。爪撃と爪撃の合間、その僅かなラグに目を凝らし、くわっと二刀を振る。しかし当の
バトナスには読まれていたようで、刃の軌道ギリギリに身体を逸らして空振りに。逆にお返
しと言わんばかりの一閃を入れられてしまう。
「ジーク……」
頬に、言うほど軽症ではない掠り傷を。ジークは顔面こそ避けれど、痛みに顔を顰めなが
らこの魔人と撃ち合い続けた。そんな二人をリュカが見ている。遠く間合いを取って安全圏
に──他ならぬジークに遣られて佇み、彼らの戦いを心配そうに見つめている。
「ははッ、やっぱりこっちに残っておいて正解だったぜ! リュウゼンが下に集まれって言
ってきたが、俺は雑魚には用はねぇ。どうせお前らは登ってくるんだ。だったら待ち伏せた
方が確実だろうがよ!」
一閃、また一閃。バトナスが吼えるようにして叫んでいた。
激しい撃ち合い。しかし両腕に胸元、首全体から両頬にまで魔獣化を行き渡らせた彼の身
体は、ジークと六華の刃ですら容易には傷すら付けられない。
「俺はな……お前を見てると無性にムカつくんだよ。殺らせねぇ……。他の奴らなんかには
肉片一つでも殺らせてやるもんかよ!」
交差するように左右から爪撃が向かってきた。ジークはこれを真正面から受け止める。
魔獣の腕、紅と蒼の二刀。暫し鍔迫り合いをし、内ジークは半ば強引に弾き押した直後、
蒼桜を横薙いだ。その特性である飛ぶ斬撃が放たれる。蒼い軌跡が直進していく。
だがバトナスは、瞬時にこの攻撃ベクトルを嗅ぎ取っていた。
後ろではなく、上へ。まだ手元すぐにあった紅梅の刃を支点に彼は腕を張ってぐるんと宙
返りをすると、空中で視線を追いつかせてくるジークを捕捉、魔獣化させた両脚と落下速で
以って真下への蹴りを放つ。
ジークは咄嗟に身を捻って転がり、これをかわしていた。つい数秒前に立っていた石の地
面が鋭く重い蹴りで撃ち抜かれている。
すぐ飛び起き、バトナスに向かって斬撃を放った。
すくい上げるように、やや相手の視野の下から。だが彼は左腕と脚、一直線に魔獣化させ
た部分のラインを追いつかせてこれを防御、軽く飛び上がりながら右の蹴りを皮切りに再び
爪の連撃を。そして両者はまた撃ち合う格好になり、ややあってジークが彼の右ストレート
によって弾き飛ばされる。
「ぐぅ……ッ」
「ジーク!」
大きく退けられ、石廊の上を滑る。ジークは二刀を交差させて防御の構えを取ったまま、
荒く肩で息をついていた。
悲痛な面持ちで声色でリュカが叫んでいた。それでもジークは微々たりとも彼女に振り向
こうとはしない。ただ激戦で荒くなった呼吸を整え、敵を見据え、身体や服のあちこちに削
り傷を負ったまま気丈に立ち続けている。
「……。やっぱてめぇらは、強いな」
そうして、彼は言った。
再認識するように、ふぅっと溜め込んでいた息を吐き出すようにして呟く。
「当然だ。導力が違う。パワーも防御もスピードも、魔人は常人を遙かに超える存在だ」
哂っていた。
とうに分かり切っていた事だろうに……。そうとでも言いたげに片手を腰に当てて、バト
ナスは彼を見下ろすような眼差しを遣っている。
「……そうだな。なら、そこに俺が追いついたら……どうなる?」
「あ?」
明らかに押されていた筈だった。なのにジークの心は瞳の強さは折れることなく、カツン
と歩み出していた。
数歩。ちょうどリュカとバトナスを結ぶ直線上、彼女のすぐ前に立つような位置。
バトナスが怪訝に片眉を上げていた。叩かれ過ぎてトチ狂ったか? この時彼はぼやっと
そんな程度の思考しかしなかった。
「リュカ姉。あれを使う。やってくれ」
「ッ!? 本気? 無茶よ。いくら理論上可能でも──」
「早くしろッ! ここで勝てなきゃ……何も変わらねぇっ!!」
背中でジークは語っていた。その言葉に合図に、リュカは最初明らかに躊躇いをみせる。
それでもジークは叫んでいた。頼み込んだ。ようやく肩越しに彼女を見、勝利にギラつい
た眼を顔を向ける。半ば気圧されるように、リュカは不安な表情のままごくりと息を呑む。
「何を……」
バトナスの側からはよく見えなかった。他ならぬジークが後ろの彼女を隠す格好になって
いからだ。
だがどうでもよかった。相手は威勢だけだ。実力が伴っていない。
勝てる。殺れる。今後こそ、次の一撃で──。
「ッ!?」
その刹那の出来事だったのだ。地面を蹴って飛び出したバトナス。大きく振りかぶって力
を込めた右手。なのに気付いた時には、ジークがそんな自分のすぐ懐へと潜り込んでいたの
だから。
『──』
世界が遅延する。空気が震えてセピア色になる。
バトナスは確かに見た。一瞬でこの間合いを詰め、至近距離に入ったジークが、今まさに
二刀を振り抜こうとしているさまを。
そこからは相互、ほぼ反射的な本能的な交錯だった。
打ち込もうとした拳は急遽防御へと変更、ほぼ真下からすくい上げられる斬撃を受け止め
ようとする。
だがバトナスのその行動は実を結ばなかった。むしろ逆にその右手はこの一閃によって斬
り飛ばされ、更に殺し切れぬ勢いは彼の身体にバッサリと切り裂く跡を残していたからだ。
驚愕していた。自分の手の感覚がぷつと途切れ、視界の隅で飛んでいくのが見えた。
それでも尚この反応だったのか。バトナスは引き攣った顔ながらダメージを受けたという
事実を悟ると、次の二撃目、身体を一周ぐわんと回転させて放ってきたジークの次の斬撃を
咄嗟の蹴りで──刀身部分ではなく握る手を蹴り飛ばすことで未然に防ぎ、中空へ弾き飛ば
していた。
相手の攻撃で大きく吹き飛ばされる両者。
それでもジークは二刀を手放すことなく着地をし、バトナスもぼとっと右手が少し離れた
地面に落ちるのを視界の端に捉えながら、切り裂かれた胸に手を当てつつ、ぐんっと両脚を
踏ん張って押し留まる。
(な……何だ? 何が起こった!? 斬られた? 俺の、魔人の身体を……!?)
口から胸元から、斬り落とされた手首からぼたぼたと血が噴き出し、激しく零れている。
バトナスは突然の事態にぐらぐらと両の瞳を揺らしていた。
激しくつく息。彼はこの攻撃を仕掛けてきた張本人──いつの間にか大量のマナを纏って
そこに立つジークを見遣っていた。
「てめぇ……一体、何をしやがった!?」
嗤っていた。但し今度はバトナスではなく、ジークが。
それまでには見られなかった、膨大な量のオーラ。それらを纏ったままで彼は言う。
「……見せてやるよ。人間の底力って奴を」
ガキリ。ゆっくりと二刀を構え、むせ返るほどに力が滾っていた。
そんな彼の背中を、幼き頃より知る少年の横顔を、今にも泣き出してしまいそうな程に哀
しげな表情でリュカは見つめている。
「──“接続、開始”」
告げる。
されどジークは、もう解き放ったその力を止められない。