49-(2) 一条の光
「退け退け、退いてくれぇッ!」
「おい誰か! 誰か、冥魔導が得意な奴はいねぇかっ!?」
結界の外、第三隔壁の周辺は、シフォン達が必死の思いで逃がした大都の市民達でごった
返していた。
何せ顕界最大の都市、その人口をほぼ丸々である。随時用意され、忙しなく離発着を繰り
返す飛行艇群でも、その輸送は中々間に合わない。
なのにまた新たに、風穴から転がり込むように飛び出してくる一団があった。
一見する限りでは……傭兵。
そんな如何にもといった身なりの数人が、何か両手で大事そうに抱えながら、そうごった
返す人ごみの中で叫び始めている。
「ちょ……ちょっと、押さないでよ!」
「おい、次の便はまだか!? いつになったら俺達は運んで貰えるんだ!?」
「急いでくれぇ! ばっ、化け物に、化け物どもに殺されるぅ……!」
だから当然の反応ではあったのだろう。最初、救助を待つ市民らはこの傭兵達の乱入を明
らかに快く思っていないように見えた。上空を飛んでいく飛行艇を見上げ、行列を捌く兵士
に詰め寄り、或いは傭兵達を直接、邪険に弾き飛ばそうとする者達すらもいた。
「ちょっとそこ、割り込みは止めてください! 順番に、順番にお願いします!」
「現在、住民の皆さんの保護を最優先にしています。冒険者の方でしたら、避難よりも先ず
周辺の警護に加勢を──」
「そんな場合じゃないんだよ! いいから早く魔導師を呼んでくれ!」
「ここにいるんだ、王達がいるんだよ! 急いで出してやらねぇと……!」
故に傭兵達──ブルートバードの団員らがそう必死の形相で叫び、差し出してきた四つの
黒球を見て、彼らを制止しに来た守備隊員数人がピシリと固まっていた。
限界までまん丸に見開かれた目。油が切れたようにゆっくりと持ち上げられた視線。
それは……本当か? 彼らの眼がそう確認している。団員達は頷いた。一ミリとて冗談を
言っている場合などではないのだ。
そんなあまりの気迫にサァッと青褪め、守備隊員らは互いに顔を見合わせていた。
次の瞬間、ぐるんと身を捻り、彼らは人ごみの中の仲間達に向かって叫び出す。
「おい! 魔導兵を、大至急魔導兵を寄越してくれッ!」
「冥魔導だ! 冥魔導の使い手をっ!」
辺りが別の意味で騒ぎ始めていた。ややあって魔導兵が数人駆けつけ、市民達も何事かと
あちこちから覗き見の視線を遣ってくる。
「……無明の闇沼か。この中に、王達が?」
「ああ。アルス──皇子が機転を利かせたんだとよ」
「俺達じゃ分からん。開けてくれ。……できるか?」
「ま、任せておけ」
ごくりと息を呑んで、魔導兵らは受け取った黒球を地面に置いてそっと掌を被せた。その
表情は大役からの緊張で引き攣っている。
『──解放!』
ぐっと手にマナを込める。紫色の魔法陣が逆向きに出現した。四つ、底なしの闇色が場に
巨大な柱となって噴き出していく。
団員達が兵達が、市民達がそのさまを見上げていた。
濛々。まるで粘り気を帯びた沼のよう。そんな闇が暫く辺りに霧散し、皆が皆、此処に逃
がされたという当人らの姿を探す。
「…………。んぅ?」
そして、彼らは見つけることが出来たのだった。
徐々に晴れていく闇色のぬめり。その中でぼんやりと、眩しそうに目を開けるシノ達──
結社に囚われていた筈の王達の姿がそこに現れていたのだった。
「シノさん!」
「ばっか、今は女皇様だろ」
「よかった……。無事に戻せた……」
団員達を皮切りにして、兵らがぱぁっと安堵と喜色の表情を浮かべる。
シノはそんな彼らを──ざわざわとこちらを見てくる大都の市民達を見て、ようやく状況
を理解したようだった。
「……脱出、できたらしいな」
「ふ、ははは! やってくれた。あの若き皇子も、中々の切れ者ということか……」
「嗚呼、皆さん! よかった。助かったのですね?」
「空が青い……。大都の隔壁がある……」
「じ、自由だー!!」
ハウゼン王にウォルター議長、イヨに各国の王。彼らもまた、めいめいにこの周囲の様子
を見て様々に安堵の表明を吐き出していた。
団員らと再会し「助かりました。私達助かりましたよ!」と涙目になっているイヨ。
だがシノは苦笑いをしつつも、次の瞬間にはその質問を忘れることをしなかった。
「皆さん、ジークはアルスは? 戦いはどうなったんですか?」
「まだ……続いてます。二人とも、まだ中に……」
「で、でも団長達がいます! ジークのお陰で風穴も空きました! 後は結社を追っ払う
だけです。大丈夫……。とにかくシノさん達は、飛行艇に」
それはこの団員数名も忘れていた訳ではなかっただろう。
彼らはそんなシノの、母親の訴えかけてくる眼差しに苦々しい表情をしつつも、信じよう
と言った。何より彼女達をしっかりと安全な所まで逃がしてやること。それが達成できなけ
れば、ジークに仲間達に何と申し開きをすればいいのか……。
「おーい! そこ、少し空けてくれ!」
「怪我人なんだ! 治療する!」
そんな時だった。また新たに風穴からこちらに脱出してきた一団が来たようだ。
シノらを促そうとしつつ、団員達は何となしにその方向へ眼を遣っていた。そして……彼
ら魔導師風の面々が、大慌てで寝かせようとしているその人物を見、思わず目を見開く。
「“黒姫”ロミリア……」
「まさか、さっき庇ってくれた時に……?」
ロミリアは既に意識が朦朧としているようだった。そのローブの左肩にはざっくりと斬ら
れた跡と大量の出血があり、更にそこにジュクジュクと煮え立つような黒い染みが広がろう
としている。
「盟約の下、我に示せ──」
『浄化の祈り!』
数人掛かりで、部下の魔導師達がその傷口に治癒魔導を施していた。
黒い染み──彼女がセシルから受けた瘴気が、その金色の光の粒子に吸着されて消滅して
ゆく。更に続けざまに、今度は大癒の祈り。その出血と刻まれたダメージの回復に取り掛かる。
「ロミリア!」
そして、そんな彼女の下へ駆けつけてくる人影があった。現在の雇い主・ロゼである。
彼女は一緒に生還したスタッフらの制止も効かずに飛び出し、荒く息をつくこの用心棒の
眠る顔を覗き込む。
「……一体何があったの? 容態は?」
「団長は、自ら身を挺して守られたのです」
「貴女がた王をです。そこの──クラン・ブルートバードの団員達に貴女がたを封入した球
をこの外まで運ぶ、それまでの時間を稼ぐ為に、団長は“結社”の魔人と……」
気丈に振る舞っていたロゼの表情が、みるみる青褪めていくのが分かった。
目を見開いて口元に手を。ガタガタと震える身体。それでも彼女は、がばっとロミリアの
両肩を取り、必死にその沈んだ意識に呼び掛ける。
「ロミリア! ロミリア! しっかりして! こんなやり方……私は許さないわよ!」
「お、落ち着いてください」
「今し方、皆でありったけの治癒魔導を施しました。瘴気も傷も、これ以上深くなることは
ない筈です。後は団長の回復力を信じるしか……」
一気にまくし立てたからか、何も言えず、ロゼはただ息を弾ませながら黙して彼らを見返
すことしかできなかった。
大統領! 側近達がこちらに向かって呼び掛け続けている。飛行艇が一機また一機、その
後方で着陸しようとしている。
「──」
ゆっくり。そんな凛と気を張る彼女の横顔を、密かに薄目を開けたロミリアは見ていた。
薄っすらとぼやける視界。揺れる世界。それでも彼女の姿は、ちゃんと視えている。
嗚呼、よかった。
この子は、王達は……無事出られたのね……。
「──おいおい。こりゃあまたデカい動きが出てきたぞ……」
「映像機回せ! 局にも急いで連絡を!」
そしてこの一部始終を、現場に留まり続ける取材クルー達が捉えていた。
各メディアの記者らが叫ぶ。レンズが第三隔壁周辺の様子を目一杯ズームして捉える。
世界中に、戦いの経過が流され続ける。