47-(4) 止まらぬ狂気
迷宮内の無機質な上空に、まるで鴉の大軍のような黒い筋が飛んでいる。
それらは石の摩天楼の最上層から飛び出してきた。先刻、にわかに溢れて消えてしまった
濃い黒と何か関係があるのだろうか? 少なくとも今はぐわんぐわんと大きく蛇行し、その
周囲に爆発や焔、一条の光線などを撒き散らしながら下へ下へと降りて行っているようにみ
える。
「急げ! 早く視認できる位置へ!」
そんな上層の異変を目撃していたダグラス達は、彼の指示の下、その降下していく先を追
いかけて進路を変更していた。
石廊をぐんと折れる。途中現れる“結社”の雑兵らを蹴散らす。
エレンツァ以下、正義の盾の兵達もこれに続いている。
「長官。あれは一体何なんでしょうか?」
「あの爆発やら何やらは交戦……ですよね?」
「だと思う。私にもはっきりとは分からん。だが、あれは例の最上層から降りて来ている。
直前の異変からしても、王達に何かあったことは間違いない。……確認せねば」
自ら先頭に立ち、ダグラスは応えていた。その槍捌きで立ち塞がる敵兵を薙ぎ倒す。
みれば遠く他の方面の石廊からも、何組かあの黒筋を目指して走っている一団を見つける
ことができた。自分達と同じく、何かが在ると、駆けつけようとしている友軍なのだろう。
ダグラスはちらっと石塔群の最上層をみた。その頂上は今や蓋をするようにドーム状の石
壁に覆われてしまっている。
……何かが起きている。
募る焦りは、この一向に近付いている気がしない距離感が徒に煽ってくるかのようだ。
「長官!」
「? どうした?」
「後方の技師班から吉報が。回線が一部復旧したようです!」
その最上層、石のドームに閉ざされた天辺の中で、また咆哮が上がった。
黒騎士。狂化霊装──“戦鬼”。
彼の者は獣のような声を上げ、両腕の波打つ装甲を刃に変えた二刀流でアルス達を激しく
攻め立てている。
「ちぃ……!」「おぉぉぉッ!」
ファルケンがサウルが、鎧戦斧と銀律錬装の長槍で彼を左右から狙おうとする。
行かせない──。二人は必死になってこの黒騎士を阻もうとするが、そんな同時攻撃すら
も当のヴェルセークは両腕一本ずつで防御、弾き返し、また咆哮して刃を振るってくる。
「サウルさん、ファルケン王!」
「無茶はすんなよ! 肝心なのは奥の鬼族だ!」
そんなドームの奥、五人の向こう側では“教主”とルギス、そして結界の維持を続けてい
るリュウゼンが控えている。
“教主”は相変わらず中空で漂う巨大な光球だし、制御に集中しているのかリュウゼンは
目を細めたまま心ここにあらず。ルギスはそんな自分達へ近付かせまいと暴れるヴェルセー
クを不敵な笑みで眺めつつ、手甲型の端末を操作し、随時オートマタ兵らをこの場に呼び出
している。
アルスとエトナが強化したマナの束でそれらを殴り飛ばしている。それでも尚、オートマタ
兵達は懲りずに纏わりつき、サウルとファルケンの邪魔に向かおうとするが、そうはさせない。
持ち霊・エトナによる樹木のコーティング。
しかしそれらが高い再生力を付与していても、彼ら二人のような攻撃力は望めない。
「分かっている! だが……こいつは、彼は……!」
魔力ある銀、それらを練って甲冑とした姿のサウルが唇を噛んでいた。
黒騎士に組み付く、その分厚い衣を剥がそうとして弾かれる度、槍から大剣へ、斧へ、
様々な武器へと変えてみながら彼は自身の焦りを隠せないでいる。
「どっちにしろ、こいつを止めないと届かねぇよ! その辺の人形どもとは訳が違う。それ
にこいつなんだろ? トナン王宮で大暴れした奴ってのはよ!」
ファルケンもまた、聖浄器の斧を振い続ける。
その性質上、一撃の破壊力は彼が一番だった。それでもヴェルセークを行動不能にするま
でには至らない。何度か部分的に鎧を砕くことはできていたが、それも束の間、すぐに彼の
自己修復機能がこれを元通りに塞いでしまう。
「ぐっ……!?」
サウルの突撃槍を片手で受け止め、弾いて、黒騎士がもう片方──腕ごと装甲を大きな刃
に作り変えた刃をファルケンに叩き付けた。足元の床が大きく陥没し、ひび割れる程のその
威力を、彼は頭上に持ち上げたヴァシリコフで必死に防御する。
(──俺の《覇》が効いてねぇ。やっぱ元から正気じゃねえ相手には効果が薄いのか……)
(──挿し込む隙が無いな……。これでは《銀》で狂気を解毒しようにも……)
サウルがもう一度脇腹に突きを入れる。防御され、微妙に軸がズレたのを見計らって重心
を移し、ファルケンが頭上からの断撃から逃れる。
「見えた──!」
次の瞬間だった。ぐらりと自分達の正面からズレたヴェルセーク、その向こう側にリュウ
ゼンの姿を確認して、セドが文様を縫い込んだ手袋越しに指を鳴らす。
紅い奔流が真っ直ぐ、リュウゼンに向かう筈だった。
“灼雷”。セドが駆使するオリジナルの魔導。
だが……届いていなかった。
直後の爆発。あがる黒煙。しかしそれは奥のリュウゼン達からではなく、寸前で彼らを庇
うように飛び出してきたヴェルセークからのもの。
「──」
「くっ……。何やってんだよ、コーダス! 俺は、親友を撃ちたか──」
まだ黒煙を上げる身体に鞭打ちながら、戦鬼は反撃をしてきた。
両腕の装甲、波打つ突起を投擲用の刃にして投げ付ける。左右二本。それらは悲痛な叫び
を上げるセドへと真っ直ぐに迫ったが、すぐに割って入ったアルスとエトナの岩盾によって
相殺されて崩れていく。
「セドさん!」
「気持ちは私達も一緒だけど……手加減は禁物だよ。こっちが、ヤられる」
「……」
顰めっ面の難しい表情をして、セドはまたパチンと片腕を払いながら“灼雷”を放った。
空気を読まずにわらわらと寄って来るオートマタ兵が一網打尽に吹き飛ばされる。濛々と立
ち込める黒煙。その中で、佇みながら尚も自己修復しているヴェルセーク──いやコーダス
・レノヴィンの正気でない横顔が姿が、その損壊した鎧越しに見える。
(父さん……)
ややあって黒騎士の鎧は再び彼を覆い隠し、また獣のような咆哮を上げさせていた。
アルスもまた、唇を噛む。振り払われ弾き飛ばされるサウルやファルケンをその視界に入
れながら、サッと二本重ねた指先をこの父へと向ける。
「領域選定!」
捕捉できないかと思った。自分達の力で、救い出せないかと思った。
「オ、オォォォォォ──ッ!!」
「ぐっ!?」
「きゃっ……!?」
だが中和結界すらもままならない。重ね掛けした障壁のドームすらも彼は豪腕一つで砕い
てしまう。ビリビリッと、その反動がかざした手に腕に、全身に伝わって激しく痛む。
アルスはそんな痛みと──何より哀しみでくしゃっと顔を歪めていた。
……どうして? トナンの内乱はもう終わったのに、貴方が直接恨んでいたかもしれない
アズサ皇は死んだのに、どうしてまだそうやって暴れているの?
哀しかった。悔しかった。
あの黒い鎧が何をどうしている代物かは分からない。だが少なくとも、あれは人の過去を
薄暗い心を、無遠慮に塗り広げるようなものではないかとアルスには思えた。
閉じ込められているのではないか? 過去の、母を皇国に帰還させてやれなかった悔しさ
に。父が母と結ばれて自分達が生まれて、その間何を思っていたかは知る術はないけれど、
セドさんもサウルさんも、その思いでずっと頑張ってくれていた。裏を返せばそれだけ「念」
は強い……ということになるのかもしれない。
「……」
ルギスを見た。中空の“教主”を見た。魔導具を装備したままのリュウゼンを見た。
哂っている。あの痩せぎすの男は、僕らの、この哀しさと痛みを観て哂っている。
ギチギチと、軋むほどに拳を握っていた。
どうすれば父を取り戻せる? この街を取り返せる?
倒さなければ駄目だ。あの男を魔人を、倒して剥いで、何もかも──。
「落ち着け。アルス」
なのに彼はそう言って、ぽふんと自分の頭に手を乗せてきたのだった。
セドさん。見据えるのは真っ直ぐ向こう側、必死に黒騎士を押さえようとしているサウル
さんとファルケン王。
彼だって焦っている筈なのに、憤っている筈なのに……その横顔は落ち着いている。
「そう怖い顔すんな。父子揃って怪物にでもなる気か」
だからアルスはその言葉にハッとなった。我に返った。
怖い顔。自分の頬に──自分でもはたと寒気がするほど張り詰めていた頬に手を当てる。
傍らではエトナも唖然としていた。……それだけ、瞬間自分は殺気に満ちていたのか。
「……落ち着け。目標を見失うな。最大の目的はこの結界を解く──皆を合流させてこの馬
鹿げた仕掛けを終わらせる事だ。奴らを、あの白衣野郎をぶっ飛ばせば、確かにコーダスの
呪縛は解けるかもしれねぇが……」
そっと頭に乗せていた手を除ける。彼も、自分の感情と闘っているのだろうか。
サウルとファルケンが大きくこちらに下がってきていた。戦鬼がその黒い鎧から禍々しい
気配を立ち込めさせ、でんとこのドームのど真ん中で通せんぼしている。
「サウルさん、ファルケン王。どうです? 突破、できそうですか?」
「……厳しいね。ヴァリシコフ──聖浄器の力がなければ、とうに潰されているよ」
「つーか、この得物ですら倒れねぇってのがオカシイんだよ。纏ってる気配は間違いなく魔
の類だ。それは鎧戦斧が告げてる。なのに……イマイチ効いてる感じがしねぇんだよなあ。
やっぱあいつは、他の連中とは成り立ちが違うのか」
「……だと思います。トナンの時でもそうでしたけど、あれはあの魔人──ルギスが操って
いる手下、みたいな感じでした」
「だよねぇ。あのガリ眼鏡がオートマタ達を呼び出してるってことは、あの鎧自体“結社”
が作ったものっぽいし……」
五人は互いに顔を見合わせて、そして横並びになった。
立ちはだかる戦鬼──盟友コーダス・レノヴィン。その背後で次々に召喚されているオート
マタ兵の群れ。
「……ま、やるしかねぇわな」
手袋の裾をぎゅっと引っ張り直しながらセドが言った。
斧、騎士鎧、マナの糸。アルス達もそれぞれに得物を構え、この二重三重のミッションと
対峙する。
「鬼族もガリガリも“教主”も、全部とっ捕まえてコーダスを正気に戻す。このふざけた戦い
も、終わらせる」
ルギスが口元に弧を描いて哂っていた。相変わらず“教主”は黙して中空からこの様子を
見下ろしており、リュウゼンは細めた瞳を、スッと一瞬だけこちらに向ける。
五人は一斉に駆け出した。オートマタ兵の群れと黒騎士も走り出す。
此処は迷宮の最上層。
そしてこの災いの源泉でもある。