47-(3) いち、傭兵なり
「凍てつけッ!」
飛翔態──冷気の衣と翼を纏ったイセルナが、滾る力を再三と放った。
羽ばたかせるのは持ち霊を象徴する大きな蒼い翼、吹き付ける強烈な冷気。その渦の前に、
彼女達に迫ってくる多数の蟲型魔獣らは、氷漬けになる。
『──せいっ!』
次いでそんな隙間に、リンファやサジらが躍り出る。
多種多彩な蟲とはいえ、凍らされてしまえばただの動かない的だ。太刀や槍、剣、ブルー
トバードや皇国近衛隊の面々が続き、一斉にこれを叩き砕く。
現状、これが一番確実であろう手だった。
何せ相手は“結社”の魔人──アヴリルとヘイト。腕など、あちこちに包帯を巻いた彼女
の身体から無尽蔵に産まれてくるこの蟲型魔獣の増殖を抑えるには、こうして肉片ごと固め
てしまう他なかったのだ。
「~~♪」
なのに、届かない。
どれだけ迫り来る蟲達を氷漬けにし、打ち破っても、その間に彼女の傷口からぽたぽたと
垂らす血の溜まりから、次々にまた新たな蟲達が狂気の泣き声と共に産まれてくる。
故にこちらが迫り返そうとしても、やはりこの蟲達の群れが、文字通りの肉壁が縦横無尽
に目の前にまで蠢いて、剣の一撃すら彼女当人にまで届かせない。
「がっ!?」
「しまっ──」
なのに、相手はもっていく。
踏ん張りかわすタイミングを少しでも計りあぐねた味方が、一人また一人とこの群れの食
指に引きずり込まれ、バキバキメキメキッと即座に目の前で喰い散らかされるのだ。
……叫びかけて、でも助けに飛び込むことすらできない。
もっていかれた仲間は、悲鳴すら羽音や軋む甲殻の音に掻き消され、今度は自分が肉塊以
外の何物にでもなくさせられる。
イセルナ達は、ただその繰り返しに唇を噛むしかなかった。
攻め過ぎれば仲間が蟲に呑まれる。だが攻めなければ間違いなく数に押し潰される。
気付けば辺りには、凍り付いた蟲達の残骸と、生々しく赤黒い肉片が散らばっていた。
二人だけ──最初そう思ってしまったのが失策だったのだ。
この女は、自身の血肉から無限に蟲型の魔獣達を作り出せる。それが彼女の能力であり、
戦い方なのだと知った。
もし逸早く数の不利を悟り、飛翔態に為ってイセルナとブルートがアシストに回っていな
ければ、とうに自分達は全滅していただろう。……以前何度か対峙したあの大男とは、また
違ったタイプの魔獣人であるらしい。
「粘るねぇ……」
尚も蟲型魔獣らと終わりの見えない攻防を繰り返すイセルナ達に、アヴリルの隣で突っ立
つヘイトは気だるげに呟いた。
最初こそレノヴィン一派をヤれると意気込んでいたが、いざぶつかってみれば何のことは
ない。彼女一人でも全然届かないイセルナ達に、今はすっかり興味を失い始めている。
「くそっ。一撃、一撃さえ入れば……」
「……」
そんな中で、更にこの魔人な少年は相方に告げる。
必死に交戦する、その中で槍に巻いていたゴテゴテの布を取ろうとしていたサジを見遣っ
て目を細めると、彼はサーッと手にしてた自身の携帯端末を操作したのである。
「気を付けろ、アヴリル。そいつの槍、印導の槍だ。一回傷付けた相手の所へ二発目が必ず
飛んでいく。必中性能のある魔導具だ」
「へぇ……?」
サジが、そしてリンファと近衛隊側の面々が目を丸くする。
何故知っている? いや……あの端末でこの槍を調べたのか。だとしたら、どれだけ彼は
端末という物を使い慣れている……?
アヴリルが、相変わらずマイペースな悠々さながら、明らかにサジに警戒の眼差しを向け
ているのが分かった。リンファが、近衛隊の面々が、さも彼を庇うように前に出て一斉に得
物を構えている。
「もう一人、面倒な子がいたのね」
「僕も加勢するよ。ああいう武器は、誤射させられると困るタイプの代物だから」
言って、邪悪な笑み。
ヘイトはアヴリルの横に並び、スッとその端末をイセルナ達に向け始めた。
するとどうだろう。それまで一緒になって凍った蟲達を叩き除けていた仲間達が、急に瞳
に力を失って立ち止まったのである。
「? 皆?」
「おい、どうし──ぬぅっ!?」
いや……刹那、襲い掛かって来たのだった。
百八十度方向転換し、一斉に得物を振り下ろしてくる近衛隊や傭兵仲間達。リンファやサ
ジらはただ驚きつつもその攻撃を防ぎ、戸惑いの表情を浮かべるしかない。
「お、おい。どうしちまったんだよ!?」
「駄目だ……! 何か、目がイカれちまってる……!」
状況はにわかに蟲型魔獣プラス仲間割れのような様相。そんな様を、端末を片手にヘイト
が意地汚く笑っている。
「……ブルート、これは」
『うむ。周りのストリームが変わった。彼らに直接流れて始めている』
「ストリームが? まさか、じゃああの少年の方が、以前ジークがアルス君に導話で話して
たっていう、洗脳能力を持つ魔人……?」
皆が慌てている、隊伍が乱されている。
飛翔態のままのイセルナは、そう融合している相棒と言葉を交わした。彼が目を凝らすよ
うに、彼女もまた魔導使いの端くれとして、じっと周囲のマナを見極める。
間違いなさそうだった。無数の氣の流れ──ストリーム。それらの一部がヘイトの端末を
経由し、暴走し出した仲間達の首根っこや背中に挿さっている。
「そいつの洗脳術よ! 背後に回ってストリームを斬って!」
『奴の端末を壊せ! 制御元はそこだ!』
イセルナがブルートが駆け出しながら叫ぶ。当のヘイトがチッと小さく舌打ちをし、アヴ
リルがさせまいと片腕に蟲達を集めて放とうとする。
リンファ達も、何とか反応しようとした。操られた仲間達を振り解いて、その原因を絶と
うとする。
それでも……間違いなく戦況は押される一方になっていて。
アヴリルの蟲が、ヘイトの変質したストリームが、彼女達へと襲い掛かる。
「──させるかよぉ!」
だが、ちょうどそんな時だったのだ。
はたとイセルナ達の背後から聞き覚えのある声がしたかと思うと、ぎゅんと彼女達の頭上
を飛び越え、何かが両者の間に着地したのだ。
「白菊っ!」
ジークだった。
驚きで目を見開く両者。半々に入り混じる驚愕と嬉々。だが当の本人は突然の介入で棒立
ちになった被洗脳者な面々の合間を潜り抜けるように駆けると、既に握っていたらしい白刃
の六華を滑るように走らせる。
どさどさ。彼らがさも、糸が切れたようにその場に倒れ出していた。
それでも遅れて襲ってくる仲間だった筈の面々。ジークは続けざまに彼らの攻撃をかわす
と、同じく白菊の一閃を──彼らの首根っこや背中をしつこくねらって空を斬る。
「まさか……反魔導?」
「なるほど。対策は立ててきたってこと、ねっ!」
驚き、苦々しい表情になるヘイト。その横でアヴリルが陰険な笑みを零して腕の蟲達を
けしかける。
だが……ジークは動じなかった。
彼は敢えてイセルナ達の正面に滑り込み、二本目の短刀──緑柳を抜き放つと、即座に全
員を包む大きな結界を形成、この魔性の群れを徹底的に弾き返してみせる。
「……。そう何度も、負けっ放しじゃいられないんでね」
少し前を置いて呟くジーク。その後ろで、更に後方からリュカとサフレ・マルタがようや
く追いついて来ていた。
合流し、歓喜する仲間達。
その中で既にサフレが一繋ぎの槍を握っているのをみるに、どうやら彼がジークを先に、
砲丸投げの要領でこちらに投げ遣ったらしい。
「生きていたのね……ジーク」
「嗚呼、よかった。これで」「ええ。陛下やアルス様も安堵されることでしょう」
「は、はは……」
「……で、でも。何で?」
「そうだよなぁ……。あの爆破の中でどうやって生き残ってたんだ? そもそもどうやって
この結界の中に……?」
「ま、色々積もる話は後回しだ。それより」
「ええ」
ひゅんと、空中で一回転させた短刀の六華二本を腰に収め直し、ジークは肩越しにリュカ
を見遣って言った。彼女は頷く。そして三人はイセルナ達に、これまでの概略──結界の内
外を繋ぐ通行手形の存在と下層で始まっている一連の避難誘導をざっと語り伝えた。
「そうだったの……。貴方達が、文字通り救世主になった訳ね」
『だが、まだ安心はできんな。王達が、アルスやシノ殿らがまだだ。尚の事、奴らを止めて
奴らを越えなければならん』
幸い、イセルナ以下合流した仲間達はすぐに状況を呑み込んでくれたようだ。加えて皆を
引き締めるように、ブルートが反響するような声色を放って言う。
「ダン達に負けないよう、私達も頑張らなくちゃね。ジーク、貴方達も加勢してくれる?」
「そりゃあ勿論。……でも俺ら、副団長とは会ってないッスよ? シフォンとかはいました
けど」
『えっ?』「え?」
数拍、妙な齟齬があった気がする。だがこの時、面々はそれを特に深くは考えなかった。
味方を増やし、ずらりと並ぶ。気を失った、操られていた味方達をあせあせと回収する。
対するのは相変わらず気色の悪い蟲だらけのアヴリルと、またぶすっと不機嫌面になって
こちらを睨んでいるヘイト。
膠着があった。だがそれは必ずしも状況の好転を意味してはいない。
(やり合うのは避けられない、か。此処で“あれ”を使うか……?)
ジークも二刀を抜き放って構えつつ、そう内心で思案しながらそっと目配せをする。
その相手はリュカ。しかし当の彼女は何を思っているのか、彼のそのアイコンタクトに眉
を曇らせているように見える。
それでも、ジークは繰り返し眼で促していた。
何をやってる? 早く! まるでそんな感じの……。
『──ッ!?』
そんな時だった。不意に面々が五感に迫るものを感じた次の瞬間、空から一斉に赤い何か
が降り注いできたのである。
「な……っ!?」
「しまった、端末が──」
両陣営がどちらからともなく逃げ惑う。だが結果を思えば、それらは間違いなく魔人二人
の方を狙っていたように思う。
身を庇いながら逃げ、必死にかわすジーク達。
その一方で蟲達は次々に撃ち抜かれ、ヘイトに至っては自身の端末まで破壊されてしまう
という痛手を被る。
「これは驚いたな……。“結社”の魔人にブルートバード、皇国の戦士達に加え、ジーク・レノ
ヴィンまで一緒とは」
そう言って悠々と歩いてきたのは、一人の軍服姿の男だった。
ヒュウガ・サーディス。“正義の剣”長官を務める元・七星。
誰かがたっぷり驚きの後の間を置き、その名を呟いていた。血塗れになった蟲達の残骸か
らむくりと姿を出し、或いは完全にお釈迦になった端末を一瞥して睨み返して、アヴリルと
ヘイトもこの魔人を見る。
「……君達は、先を行くといいよ。こいつらは──俺が始末する」
ヒュン。何者か達の血を滴らせた長剣を片手に、彼はジーク達のただ中を歩いていた。
二人が顔を顰めているのが分かる。だが彼のその申し出を断る理由も、敢えて食らいつく
ような胆力も一同には湧いてこなかった。
「あ、ああ……。助かる。弟と妹だっけ? さっきも下層で助けられた」
「そうか。まぁあいつらなら殺しても死なないよ」
「あ、あの。宜しければどうぞ。味方さん達に、配ってるんです」
「うん? 霊石か。ああ。ありがたく受け取っておくよ」
ジーク達からの追認とぎこちない礼、そして完全にビビりながらも“味方”への施しを忘
れなかったマルタからの補給物資を受け取って。
ヒュウガは一同を行かせた。勿論アヴリルとヘイトはこれを邪魔しようと動くが、彼が再
び高速で降る赤──支配下に置いた血の弾丸の雨霰が、彼女らを無理やりに押し留める。
「ああ……。行っちゃった」
「ちっ。余計な真似しやがって……。権力に魂を売った、魔人の恥晒しが」
「おいおい。心外だなあ」
ジーク達が石廊の向こうを登っていく。それを見送りながら、ヒュウガはあくまで飄々と
嗤い、殺気立って対峙する彼ら二人をその刀身の中に映す。
「今も昔も、俺達は傭兵さ。その武力を売り買いして……何が悪い?」