47-(2) 蝙蝠路(バットロード)
延々と続く石の摩天楼を、さも滑空するように跳ぶ四つの人影があった。
大きく跳躍して空中を舞い、ようやく石塔に着地したかと思うと次の瞬間には地面を蹴っ
てまた大きく前へ前へと跳んでいく。
フェニリア、セシル、ヘルゼルにグノア。四人の使徒だった。彼らはそれぞれに無機質な
迷宮内の空を跳び、遠く前方を駆け抜けていく王達──を閉じ込めた黒球を持つ四魔長らを
追っている。
「──」
空間転移からの、繰り返した跳躍。
確実に迫っていく互いの距離を見据えて、サッとグノアがその機械の義手──掌から黄色
い光線のエネルギーを溜め、放つ。
それは加速の具現装で逃げ続けるウル達、四人の進行方向を爆破していた。
飛び散る足場、もといミザリーの眷属達がキィキィと鳴きながら吹き飛ばされる。
つまりレールの先を失ったトロッコのようなものである。にわかに空中に投げ出された四
魔長らは、後方から迫ってくるフェニリア達をその目で確認しつつ、フォローするように再
び集まって足場を形成しだす蝙蝠らの上に着地する。
「ちぃ……ッ」
「来るぞ!」
第二波が来た。今度は連続して放たれた光線が、広げられた蝙蝠達の黒い足場を蜂の巣の
ように穿ち、フェニリアが放つ焔の使い魔らがこれに続く。
ウルが前面に立ち、両手に巨大な腕状の盾──防御の具現装を展開させた。
弾かれいなされる光線、自我を持つ焔。それら取りこぼしを、セキエイがその錬氣を込め
た豪腕で一つ一つで殴り潰す。
「我々からは逃げられんぞ!」
真っ先にグノアが飛び込んできた。
ボロのマントから覗く、仕込み刃を迫り出して襲い掛かってくるそのさま。セキエイは逸
早くこの接近に反応し、その一閃を円を描くようにいなすと、彼の顔面に拳を打ち込もうと
する。
だが寸前でそれは防がれていた。もう片方の腕、やはり義手の装甲で庇われ、セキエイの
拳は堅い金属質とぶつかる。
「っ……!? なんだ、この装甲……?」
「ふふ、無駄だ。この義肢は狂化霊装と同じ素材。そう簡単には砕けぬ」
間違いなく一撃必殺のパワーが、仕留められなかった。
「てめぇは呼んでねぇんだがな……。何でだ? 何でリュウゼンさんがお前らといる!?」
「“虚牢”殿か……。知らんな。なにぶん、私は新参者なのでね」
数秒押し合った後、二人はバキンッ! と、互いに弾かれたように飛び退く。
(あまり迎撃しているような暇は無いんだが……)
巨腕盾の具現装を片方、砲撃のそれに換え、ウルは葉巻を噛んだまま追ってくる魔人達に
向けて撃った。飛んでいく砲弾。だがそれは──はたしてあの傭兵風の彼らによって落とさ
れる。
「侵将、か……。宿現族とはどうも相性が悪いらしい」
歩く瘴気発生装置、セシル。
如何にも傭兵風の、傷跡と隆々とした筋肉を持つこの使徒は、背中から抜いた剣を片手に
ぐんとウルの方へと迫ってくる。その背後には化百足の姿をした女性の持ち霊、もとい魔獣
・ヒルダも続く。
「ぬんっ!」
一瞬で両手の装備を解き、ウルは右腕に巨大な鉈状の具現装を出現させた。
相手の剣が振るわれる寸前。そこへその刃を振り出し、空中に吐き出される衝撃。しかし
当のセシルはヒルダはそれを分かっていたようで、すぐに込めたオーラを変質、瘴気そのも
のへと変えると急速にこれを溶かしに掛かる。
顔を顰めて、ウルは装備を解いた。でろでろに解けて朽ちた装備の欠片が無惨にも地上へ
と落ちていってしまう。
そこからの二人の追撃。されど既にウルは加速の装備で一気に蝙蝠らの足場を滑って後退
しており、続けざまに放った砲弾らで彼らを引き離し、至近距離に詰められることだけは何
としてでも回避し続ける。
「……化け物が」
「あら、酷いわねぇ」
「だよなぁ。あんた達だって、そんな能力を持ってる時点で“普通”じゃないと思うけど」
「……おい。あれ何だ?」
「誰か戦ってる。……四魔長?」
「え? 何で王達のオブザーバーが? 一緒に捕まってる筈じゃあ」
「俺に聞くなよ。でも、味方した方がいいのは確かだぜ」
「よ、よし! 総員、援護するんだ!」
そう空中で派手にドンパチを続けていたからだろう。中層を往く幾つかの兵らのグループ
が、こちらの交戦と状況に気付き、銃口を向け始めているのが見えた。
全弾が届いている訳ではない。だがその銃声と存在は、フェニリアやヘルゼルの注意を彼
らに向けさせるには充分であった。
「……邪魔ね」「……五月蝿いな」
無数の焔の小鬼が、黒い翼を広げたヘルゼルが、彼らを襲っていた。
牙に刃のような腕に切り裂かれ、焼かれる兵達。
そこへ追い討ちをかけるように、巨大な合成獣へと変身して突っ込んでいくヘルゼル。
頑丈な石廊がいとも容易く崩れていた。炎が昇り、大きく齧られて壊れた足場から少なか
らぬ、名も知れぬ兵達が滑落していくのが見える。
「ッ! あいつら……!」
「止めなきゃ!」
ミザリーが眷属達を再生産している傍で、リリザベートが飛んで行っていた。
彼女は止めようとしたが、良くも悪くも純粋なこの夢幻の姫は繋ぎ止められない。
「──!?」
振り返ったフェニリア。その瞬間、リリザベートはまるで空気に溶けるようにその姿を薄
くし、文字通り彼女の中へと飛び込んでしまう。
冷静沈着なこの赤髪の魔導師が、珍しく表情を歪めた。
くゆん。程なくしてしなを作るようにリリザベートが彼女からにゅるりと現れ、螺旋を描
くように彼女に纏わりついて囁く。
「ふぅん……。貴女達にそんな過去がねぇ……」
「……ッ、勝手に覗かないで頂戴。この夢魔がっ!」
そんなリリザベートに向かって、フェニリアはぱちんと烈火を放つ。
だが彼女は、明らかに直撃したにも拘わらず、まるで効いていないようだった。
「無駄無駄。私は幻夢族だよ? 精神に溶けている時はそんな攻撃なんて通じない。この
まま、内側から犯して──」
しかしそんな余裕も束の間のことだった。彼女が口上していたその時、ズンッと怪物化し
たヘルゼルの前足が彼女をフェニリアごと掴もうとしたからだ。
「わっ!? あっぶなーい! ……なんだ、そっちの“幻”も結構やるじゃん」
「ふふ。そりゃあどうも」
「……とにかくその腕をどけなさいよ。気持ち悪い」
空中で顕現を元に戻したリリザベートとフェニリア、そしてヘルゼルの三者が向き合う格
好になっていた。
ジト目で彼女に言われ、ずるりとその身体から前足を引き抜くヘルゼル。
相手は幻夢族──夢と現を行き来する住人。始めから隠し通す気は更々なかったらしい。
(あの状態のリリに一撃を入れかけたってことは……あいつの変身も幻? なるほど。そう
いう魔導じゃなくて、幻術系の“色持ち”か……)
そんなさまを見遣って、ミザリーは内心で納得を持ち出していた。
ちらりと三者を見る。セキエイとグノア、ウルとセシル・ヒルダ、そして彼女達。元より
あのままそっくり逃げ遂せられるとは思っていなかったにせよ、こうやって足止めを喰らっ
ているのは拙い。
「リリ、首領、セキエイ! 構ってちゃ駄目! 早く降りるのよ!」
叫んでいた。
そうだ。今自分達がやるべきなのは、託されたのは……こんなことじゃない。
「早く! こっちに!」
残り三人の四魔長がこちらに戻ってくる、魔人達を一旦引き離すのを確認すると
同時に、ミザリーは背中の黒羽を大きくはばたかせた。
巨大な蝙蝠の羽。それは同じくまん丸の、蝙蝠達の群れであって塊で。
フェニリア四人と自分達を分断するように、この黒い帯は空中を駆け抜けた。縦・横・高
さを縦横無尽に延びていく路。進みと阻みを両立させるもの。思わず彼女達が避けたのを視
界の端で捉えると、彼女は再びウルに促し、四人一緒に加速の具現装でまた下層へ下層へと
駆けて行く。
「ちっ……」
「逃がしは、しない!」
当然、魔人達は追ってくる。それでも迎撃よりも先へ。ミザリー達は懐に抱えた
それぞれの黒球と共に脱出を図る。
(急がなきゃ……)
自分にだって、解っている。アルス皇子達があの場に残った、やろうとしていることが、
どれだけ無茶なことなのかぐらい。
だから彼女は、内心ずっと己を急かしていた。
ここで捕まったら──自分達の“反撃”は終わる。少なくとも王達は用済み・反抗的とし
て始末され、戦略的にも政治的にも多大なダメージが残ってしまうだろう。
援護しなければならなかった。せめて結社達のアドバンテージである人質こと王達を解放
する。そのことで情勢は大きくこちらに傾いてくれる筈。
(──ん?)
そうした最中、彼女が蝙蝠達の路を滑りながらみたのは。
ずっと眼下、石廊の一角から向けられる、遠いけれど確かに感じた殺気で。