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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-47.崩れぬが如きその魔宮
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47-(1) 闇沼がみせる

 それはきっと、切り離そうとしても切り離せない記憶の断片達だ。

 始め炎があった。私はまだ幼くて今以上に非力だった。燃え盛る王宮せいかと逃げ惑う人々が確

かにそこには在ったのに、私はリン達に連れられ逃げ出すしかなかった。

 穏やかだった筈の日々。

 お母様やお父様、王宮の皆とゆったりとした時間を過ごした日々。

 だけどそれは一方で“偽物”だったのかもしれない。貴族と庶民の差、と言ってしまえば

それまでかもしれないけれど、まだ幼かったからと言い訳もあったんだろうけれど、平穏と

豊かさの真下では、それらとはまるで正反対な澱みが蠢いていたんだから。

 伯母様──アズサ皇。

 彼女は言った。祖国を「豊か」にするのだと。この国を、他国に負けない国に鍛え直して

みせると。

 実際、伯母様は有言実行の人だった。かつては傭兵など出稼ぎ頼みだった人々の暮らしを

国内産業と交易の強化によって底上げし、確かに皇国そこくは豊かになっていった。

 いや……なっていったと、自分に言い聞かせていた。

 私は、何度も「仕方なかった」と自身を弁護しながら、あそこから逃げたんだ。北へ北へ

と逃げ続けてアトスのいち地方へ。当時は中々慣れなかった寒冷な気候と、良くも悪くも生

真面目な人が多い土地柄。

 リン達と一緒に私は逃げた。その間にも伯母様からの追っ手はひっきりなしで、一人また

一人と見知った顔が脱落していく。その度に彼らは口を揃えて言う。


“殿下は……どうか生きてください”と。


 疑ってしまっては彼らが報われないことくらい解っている。だけど長い間、私はそうした

言葉がある種の呪いにように為ってはいなかったかと思う。

 なのに、幸せになってはいけないのに、私は出会ってしまった。

 リンは勿論のこと、セド君、サウルさん、ハルト君、サラさん、アイナちゃん、クラウス

さん──そしてコーダス。

 皆いい人達だった。良き友になってくれた。私の身分と経緯を知ったのに、それでも尚私

の地位と名誉を回復させようと奔走してくれた人達だ。結果的にそれは叶わなかった──他

ならぬ私が諦めてしまったからだけど、それでもあの人は許してくれた。一緒にいようと言

ってくれた。


『僕は難しいことはよく分かんないけどさ……。それでもシノが全部背負い込むこと、ない

んじゃないかな?』


 だって、その為の“仲間”じゃない──コーダスはそう言って微笑わらっていた。私の名誉を

回復しようとしてくれる皆とは少し違って、何処かマイペースで、だけどもそっと芯に染み

入るような優しさで。

 だからか私は甘えたんだと思う。彼と結ばれて、私は皇女よりも一人の妻としてその後を

生きることにした。息子達──ジークとアルスが生まれて、私のこんな臆病な選択を皆は受

け入れてくれて、また幸せを平穏を、手にすることができた。

 ……自身の臆病。争いたくないという体のよい逃げ。

 事実伯母様が権力を握り終えたことでクーデターは“成功”していたし、そこで私が舞い

戻った所で皆を混乱させるだけだと思ったから。言い聞かせたから。ただ私は、コーダスや

村の皆さんと一緒に静かな時間を過ごして……皇国そこくが「豊か」であれるのなら誰が治めるか

はそう大きな問題ではないと、そう時折遠く眺めるだけになって……。


『断固、拒否する』

『やはりお前は、あの時一緒に消えてしまえばよかった……!』


 だけど、伯母様かのじょには赦して貰えなかった。

 イメージが過ぎる。平穏を取り戻した私達の生活。その写し絵に先ずコーダスの姿が焼け

落ちる。それから次は全体にだ。黒く濃い炎が、私達のそれに迫ってくる。


『……。これで、満足?』

『私は……何処で、間違っ──』


 結局私は、二十年越しに祖国に舞い戻って──王都を戦火に巻き込んで──伯母様の中の

憎しみを何一つ、すくい上げてやれずに……死なせてしまった。

 だから私は。

 たとえ望まれてその後釜に就いたって。

 血塗られた玉座いすの上に、座っている──。


「……」

 ゆっくりと意識が浮上してくるのが分かった。シノはそれまで見ていたものが悪夢、自分

の中の記憶だとややあって悟り、ぼうっと瞼を開きだす。

 闇だった。辺りは真っ暗で、何もない。

 ただ在るのは、自分がそんな闇の中へ静かに静かに沈んでいるという体感。粘つくという

よりも深い海の底を連想させた。

 四肢に全身、五感は思ったよりも利いている。

 ただ無性に気分が重い。身体を動かすのが気だるい。……嗚呼、そうか。先程までみてい

記憶ゆめは、こうした闇の重さが刺激して思い起こさせていたのか……。

「っ、ん……」

 それでも重苦しい身体に鞭を打ち、シノは“落ちる”がままだった身を起こした。

 ずぬぬっと。どうやら案外此処は立てるらしい。相変わらず前後左右が暗く不覚がちでは

あるが、彼女は目を凝らして辺りを見回す。

「皆さん、ご無事ですか!? どなたか、いらっしゃいませんか!?」

 しんと、呼び掛けた声が全方位の闇の中に溶けていく。しんと、それが自身を孤独ではな

いかという疑心に掻きたてる。

「──その声は、シノ皇か」

 それでも応える声はあった。こちらよりも先に目覚めていたのか、少し遠くからこの足場

すら定かではない闇の中を歩いて、ハウゼンと何人かの王達が近付いてきたのだ。

 その片掌には魔導で照らした灯り。だがそれはとても不確かで、すぐにでもこの大量の闇

に呑まれ消されてしまいそうだ。

「ハウゼン王……皆さん……。よくぞご無事で……」

「うむ。何とかな。私もちょうど、他に誰かおらぬか探し回っていた所だよ」

 シノもその灯りに加勢し、王達は少しばかり明るくなったそこを中心に集まった。

 ハウゼンが静かに、あくまで冷静に語っている。

 見上げる視界、その限りはどこまでも深く同じ闇。ただ単に見つめていれば気がおかしく

なってしまいそうな程だ。

「ここは……何なのでしょう?」

「……おそらくだが、此処は無明の闇沼ブラックホールの中ではないかな。直前、我々はアルス皇子と“夜

殿主”によってあの中に飛び込んだ。状況からするに、それが一番合理的な見解だと思う」

 シノがハッとなって唇を結ぶ。王達も、既に彼に問い詰めたりして聞き及んでいたのか、

ざわざわと互いに顔を見合わせて不安を隠せない。

 ──そうだった。あの子は、私達を逃がそうとしたんだ。

 なのに当人達は残っていた。エトナちゃんにセド君、サウルさん、ファルケン王も。

 きっと取り戻す気なんだ。あの人を。コーダスを──黒騎士ヴェルセークを。

「無茶よ……。まともにぶつかって敵うなんて」

「かもしれんな。だが、少なくとも私達が傍にいないことでやり易くはなった筈だ」

「やり……易く?」

「あの後どうなったかは此方から知ることはできんが……皇子の目論見は予測できる。問題

なのは私達という非戦力、結社達れんちゅうにとっての人質の群れをどう逃がすかにあった筈だ。そこ

無明の闇沼ブラックホールだ。いわば我々は、一まとめに梱包されたと考えればいい。おそらく今は、他の

誰かに下層まで運ばれているのだろう。ジーク皇子が突入してきたということは、つまり何か

しら脱出口でいりぐちを作る手段が彼らによって見出されたということでもあるからな」

 なるほど……。王達がそんな淡々としたハウゼンの言葉に頷いていた。

「ん? ちょっと待ってください。ということは、我々は邪魔者てにもつ扱いですか」

「そう言っている」

「……何という。いや、状況が状況だから仕方ないとはいえ……」

 ガシガシと頭を抱える。ようやく、アルスの講じた策が奇策だと彼らは理解したらしい。

 尤も無理はないのだろう。根っからの皇族や忠義の人物であれば、その主たる者達を手荷

物扱いしようなどという発想は、先ず出てこないだろうから。

「……」

 しかしそんな中で、シノだけは別な意味で顔を顰めている。不安や無力感で、胸が強く締

め付けられてならない。

 まただ。また息子達に危険な正義を任せてしまった。こんな苦難を、どうしてこう何度も

あの子達に皆に与えなければならないのだろう。

(ジーク、アルス、あなた……)

 平穏無事な世界は、もう帰って来ないのだろうか? いや、もうとうに、逃げ出したあの

日に置いてきてしまったのだろうか?

 想って仰ぐ天。

 しかし其処は此処は、変わらず変化の乏しい闇一色に塗りたくられている。

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