46-(6) 闇を出んとす、入らんとす
ぐねぐねと、しつこく左右に折れ曲がることを繰り返す石廊を上る。
シフォン達やサーディス兄妹と別れたジークら四人は、この果ての見えぬ迷宮の道をひた
すら走っていた。
「くそっ……全然近付いてる気がしねえ。あいつら、趣味の悪いモン作りやがって」
「飛んで行ければ、直線距離で行けそうなものなんだが……」
「仕方ないですよぉ。さっきだって駄目だったじゃないですか」
最初こそ、四人は王達がいるという迷宮の頂上へ真っ直ぐに向かおうと考えていた。
しかしリュカに風紡の靴を掛けて貰い空を飛んでみても、その頂は一向に近付いてくれ
ない。どうやら結界の主が監視しているらしい……そう気付いた時にはすっかり出端をくじか
れていた。
ただ、落ち着いて考えれば当然の反応なのだろう。向こうはこの空間を作り出した張本人
で、且つこちらの到達を望まない。リュカが推察するに、ある程度の飛来物を感知すれば半
ば自動的に空間を引き延ばすようにしているのではないかという。結局ジーク達はこの灰色
の空を諦め、地道に長い長い石廊を往くしかなかったのだ。
「対策が張られていることは間違いないわね。でも、そのメカニズムや反応させる際の程度
までは分からないわ。結界主が空間を操作し終わる、それよりも速く向こう岸に到着すること
ができれば、或いは……」
それでも、まだリュカは時折そう呟いている。
ジーク達はそんな彼女を肩越しに、傍らより見遣っていた。もしそれが出来ればもっと早
く確実に近づける訳だが……。ともあれ知略の類は現状、この面子では彼女に頼るのが一番
よいと思われる。
「レノヴィン……発見……」
「見つけたぞ! 掛かれぇっ!」
道中、四人の前には何度となく“結社”の兵達が現れては邪魔をしに襲い掛かってきた。
オートマタ兵、覆面の戦士、或いは魔獣。どれだけ沸くのかというほどごちゃ混ぜに。
「雑魚は」
「どけぇ──ッ!!」
しかし彼らを、主にジークとサフレは片っ端から薙ぎ倒していった。
二刀、紅と蒼の軌跡。槍、一瞬で縮み射出される突き。
まだ幸いなのは、魔人達が打って出て来ない──出くわしていないことか。
何度も分岐する石廊。もしかしたら罠なのかもしれない。だがジーク達は、その度に立ち
はだかって来た彼らのいた方向に舵を切り、迷宮の頂を目指して上へ上へと傾斜するその道
を登っていく。
「数だけは多いわね」
「ええ。……しかしジーク、本当にシフォンさんにカードキーを渡してしまって良かったの
か? これだけ方々に敵が出るということは、向こうはある程度自由にこの内部を転移して
いる可能性が高い。ルートを聞き出してカードキーを使っていれば、或いは……」
「かもな。だが仕方ねえ、俺達よりも先ず大都の人達やお偉いさんらを助け出すのが先だ。
手形ならまたこっちで探せばいい。外を守ってたような、ああいう輩がいればそこからぶん
捕れるだろうよ」
振り返ることもなくジークはそう答え、ひたすら前を向いていた。
訊ねたサフレも「そうだな」と呟き頷いて彼に倣う。灰色の空、無機質な石の摩天楼ばか
りの遠景。何か別のことに意識を向けていなければおかしくなりそうだ。
「そもそも、この結界さえ無くせば済む話なんだ。一緒に天辺にいるんだろ? ならさっさ
と向かってぶっ飛ばしてやるだけだ」
前へ前へ向かうのは、それだけ強く心を正義感を燃やしているから。
改めて仲間達は頷いていた。同時にそれが如何に難しく、しかし自分達がやり遂げなけれ
ばならないことであるのを知っていた。
殺風景な灰色の空。
そこへじっと延びるあの頂を、自分達は──。
「み、皆さん! あれ!」
そんな時だった。逸早く異変に気付いたマルタが慌ててそんな空を指差し、ジーク達もつ
られて見上げ、思わず立ち止まる。
「な、何だぁ!?」
「黒い……雲? いや、もっと濃い……」
目指していた迷宮の頂、最上層。
そこに突如として、巨大な黒い粘り気のようなものが現れていたのである。
「その中に──飛び込んでください!」
ミザリーが石塔の際に撃ったその闇を見て、アルスは一同に叫んでいた。
向かいの頂に立つ“結社”達、そして何よりそんな指示をされた王達が驚き戸惑い、お互
いの顔を見合わせてその一歩を躊躇してしまっている。
「いいから早くしなさい! ここから逃げるのよ!」
少なからず苛立って、ミザリーが続けて叫んでいた。
王達だけはない。ウル、セキエイ、リリザベート、残りの四魔長らもまだ完全にその真意
を量りあぐねているようだ。
『無明の闇沼を唱えてください。できるだけ大きく。そこへ皆さんを下ろして包み込みます。
人数の多ささえ克服すれば、僕らの力だけでも逃走することは可能な筈です。さっき兄さん
達が下層で風穴を開けました。そこまで辿り着ければ、きっと──』
冥魔導の使い手かと訊かれ、手を挙げた自分にこの皇子が耳打ちしたのは、そんな考えも
しなかった逆転への布石だった。
驚き、そして思わず心の中で膝を打ったものだ。
そうか──王達を“梱包”してしまえばいいのか。
彼の言うように逃げられずにいたのはこの大所帯が故である。もっと言えば自分達のよう
に戦う力のない者が大勢いるからだ。我先に……という利己心を発揮してもそれはそれで逃
げられたかもしれないが、遅かれ早かれ非道の謗りは免れないだろう。元よりそんな不名誉
など、この妖魔の首長たる自分が許さない。
「そういうこと……。でも、やらせない!」
そうして王達が戸惑っている間に、魔人達も勘付き始めたようだ。
フェニリアがきゅっと唇を噛み、グノアが眉間に皺を寄せ、炎と掌からのレーザーをそれ
ぞれ放ってくる。
「なんの!」
だがミザリーはすぐに対処を命じた。……そう、この“闇”にである。
本来この魔導は底なしの闇。全てを呑み込み吐き出し返す、攻守一体の高位呪文だ。
炎の使い魔達とレーザーが喰われるように吸い込まれていった。そしてすぐに、まるで生
命を持っているかのようにこの“闇”はうねうねと蠢くと、この攻撃をそのままそっくり彼
女達へと放ち返す。
「ぬわっ!?」
「ば、馬鹿野郎! 天地創造が壊れたらどうすんだ!?」
「何とかしなさい! それより早く! 奴ら、逃げるわよ!」
“結社”達のいる石塔は一時的に土埃でこちらから見えなくなった。
時間がない。ようやく皆も、この吸収と放出を見、アルス達が何をしようとしているのか
思考が追いついてきたようだった。
「さぁ、ぐずぐずしてないで、急いで!」
「し、しかしだな……」
「飛び込むのか? あれに? だ、大丈夫なんだろうな……!?」
「ええ。きっと」
それでも多くはまだ戸惑っていた。無理もなかろう、何せ自分達の命を預けようとするそ
の代物が底なし沼のような闇なのだから。
しかし、そんな面々の声をサァッと浄化するように優しい声色が割り込んだ。
シノだった。彼女はイヨや他の官吏らの心配そうな様子を余所に、そうとても穏やかな微
笑みで皆を諭すのである。
「大丈夫ですよ。アルスの──息子の考えてくれた手です。信じましょう」
にこり。そして「信頼」の一言を残し、彼女は一番にこの闇の中へと飛び込んでいった。
イヨたち官吏が半ば悲鳴に近い声を上げる。だが主君のそれで覚悟を決めたのだろう。彼
女達は互いに顔を見合わせると、まるで他の王達を促すように自分達も闇の中へと跳躍して
ゆく。
「ぬぅ……。行くしか、ないのか?」
「ええい、ままよ! どうせ他に道はないのだ。ならば……っ!」
それが合図に──皆を吹っ切らせる切欠となった。
王達は不安を残してこそいたが、それでもただ助かりたい一心でこの闇へと飛び込んだ。
その中にはハウゼン王やロゼ大統領、ウォルター議長なども交じる。
ファルケンはそんな同じ四大国の王達を横目に見送り、向かいの塔の土埃を睨んでいた。
セドやサウル、アルスとエトナもそれに倣っている。リュウゼンが土埃の中で急ぎ周囲の足
場を閉鎖しに掛かっていたが、遅かった。
「セキエイ、首領、リリ!」
自分達以外の全員が“無明の闇沼”の中へと飛び込んだのを確認し、ミザリーは素早くその
手を大きく振るった。するとどうだろう、巨大な闇の沼地はまるで竜巻に巻き上げられるよう
に収束し、彼女とセキエイ、ウル、リリザベートの手にそれぞれ掌大の真っ黒な球となって
落ちてきたのだ。
「皇子、先に行くわ! 本当にいいのね!?」
それは──託されたということ。
ミザリー以下、四魔長が驚きと覚悟の表情で彼を見遣ると、その当のアルスと仲間達は言
葉少ないながらも力強く頷き、笑っていた。リュウゼンが上層一帯の地形を組み替え始めて
いる。
ミザリーはその背に、黒い大きな蝙蝠のような翼を出現させると、次の瞬間これを自ら爆
ぜさせていた。
飛び散ったのは……小さなまん丸の蝙蝠達。
妖魔族が操る眷族、その大群だ。
それらは主の意思に従順だった。眷属達は一斉に飛び立つと、この迷宮の最下層へ向けて
自身の身体を結び合わせて文字通りの道を作ったのである。
「掴まっておれ!」
ウルが言い、その両足にローラーブレードのような装備を出現させた。
セシル・ヒルダと撃ち合った時のそれと同様の、彼ら宿現族の固有能力──“具現装”の
一種、加速のそれである。
ミザリーら残り三人を自身に掴まらせたウルは、その脚部武装による猛烈な加速で眷属ら
の作る道を駆け抜けていった。リュウゼンの“天地創造”がそれを追う。遥か下層より何本
もの石塔が生まれては迫り出し、疎らだった上層を埋めていく。だがその追撃、捕縛、破壊
よりも速く、ウル達は眷属らと協力して臨機応変にルートを変え、あっという間に遠く姿を
見えなくしてしまう。
「……クソッ!」
「逃げられた、のだガネ……」
『追え。逃がすな』
激しく舌打ちをするリュウゼン、珍しく驚きを隠せないルギス。
それでも“教主”は淡々としていた。いや、本当は誰よりも焦り、抗う者達に憤ったから
こそ、そう短い言葉だけで使徒達に命じたのか。
フェニリア、セシル、グノア、ヘルゼルの四人が黒い靄と共に空間転移していった。
既に場はリュウゼンによって閉ざされていた。何本もの石塔が迫り出して寄り集まった事
で足場は格段に広くなったが、その空は三百六十度全てが分厚い石のドームで覆われてしま
っている。
『──』
場に残った者は一気に少なくなった。
アルスとエトナ、セドにサウル、斧形態に戻したヴァシリコフを肩に担ぐファルケン王。
対する“結社”側は“教主”とルギス、ヴェルセークにリュウゼン。
暫し両者は黙し、睨み合っていた。そこに友好の類は微塵もない。敵(仇)と認識して久
しい相手方だけがそこにいる。
「いいのかネ? 逃げなくテ」
「これでいいんだ。父さんを……取り戻す」
アルスが迷いのない声で言った。エトナら仲間達もそれぞれに構え、この白衣の魔人と傍
らに立っている狂気の黒騎士をみる。
「ふ、ふふふ……。私達も、随分と舐められたものだがネ……!」
かねてより飄々とした言動を続けていたルギスが、遂にキレていた。
痩せぎすの身体には合わない大量のオーラ。少なからず揺れ始める空気。
戦鬼はそんな創造主の変化に呼応してか、身体に纏う黒き靄をより多く濃く漂わせ、ドーム
天井付近の“教主”は黙して点滅、リュウゼンは尚も『天地創造』を装着したその格好のまま
じっと目を細めている。
「……」
アルスはぎりっと、強くその拳を握り締めた。
皆は、きっと兄さん達が何とかしてくれる。
だから、それまで僕らは、何とかして父さんを──。
「──?」
この再びの変化は、すぐさま迷宮内にいる全ての者達の知る所となった。
それはイセルナとリンファ、サジ率いるブルートバード及びトナン近衛隊の一団も例に漏
れなかった。
既に飛翔態に変じ、何度も襲い掛かってくる“結社”の兵達を凍えさせ倒していた処。
その途中で偶然見つけた金属質のカードを彼女が拾い上げた所で、一同はこの遠く上層で
起きた変化に気付き、唖然と空を見上げていた。
「形、変わってしまいましたね」
「ドーム状になったな……。王達を閉じ込めたのだろうか?」
「多分、ね」
「……それよりも先程の黒いモノが気になる。遠過ぎて判然としないが、おそらく魔導によ
るものだろう。どうやら下層の方へと延びていったようだが……」
氷の翼と衣と化していたブルートが言う。イセルナ達が互いに顔を見合わせ、さてどうし
たものかと思案していた。
あの黒いモノを追って降り直すか? それとも引き続きこの石廊を登るか?
「……先を急ぎましょう。どうあれ頂上で何かあったのは間違いないわ。確かめないと」
少し考えてからのイセルナの判断に、一同は頷いた。
ならば足を止めている暇はない。
そう彼女達は改めて、急ぎ最上層へと向かおうとしたのだが。
「──ふふっ。み~つけた♪」
「レノヴィンじゃない、か……。まぁいい。お前らが死ねばあいつも苦しむだろう」
その刹那、背後から黒い靄と共に二人の魔人が現れたのだった。
一人は蟲使いの女・アヴリル。
もう一人は洗脳の技を使う少年・ヘイト。
イセルナ達は深く眉根を寄せて振り向いた。
剣を槍を。彼女達はこの現れた強敵に、それぞれの得物を構え直して対峙する。
しかし彼らは未だ知らなかった。一度大きな痛手を被り、ジーク達より諌められ、人々が
近付かなくなっていた結界の外、大都南城門の前にその人物が訪れんとしていたことを。
黒騎士達がいた。東西南、投入されていた三体の量産型狂装兵が、まるでこの人物を手厚く
出迎えるかのようにずらりと並び立っていたのだ。
『……』
彼の者は目深に芥子色のフードを被り、全身を同じ色のマントで覆い隠している。
世界最大級の都市で巻き起こる大事件。
静かに、しかし確実に、その真なる恐怖は迫っていた。