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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-45.振り上げられた、その腕は
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45-(5) あの時の迷い

 ──あの時、私は彼にとどめを刺すことができなかった。

 殺すことができなかった。握った自分の拳に、間違いなく迷いという名のストッパーが掛

かっていたのを今でも私は覚えている。


『……決めてるんじゃねぇよ。人の生き死にを、てめぇが勝手に決めんじゃねぇ!』


 何故だろう?

 最初は怨みであった筈だ。憎しみであった筈だ。私達の成す正義がテロであると言い、彼

らへの弔いと報復の為に刃を向けていた筈だ。加え戦鬼ヴェルセークとの私的な因縁もある。私達は互い

に“敵”だった筈だ。

 だから今までのその他大勢と同じく、相容れぬならば倒す──それだけの筈だった。


『てめぇの勝手で、他人を殺すまきこむんじゃねぇッ!!』


 なのに、気付いた時には変貌していた。

 私の硬化能力すら破り始めていたその激情。込められた力。あれは最初のそれとは明らか

に異質のものであったように思う。

 だが、あの時私が驚愕した、その本質はもっと別の所にある気がする。

 ……泣いていた。

 見間違えではなかったと思う。あの時あの少年は、激情と共に剣を振るいながら、その影

が差した表情かおからつぅっと涙を零していたのだ。

 あれがきっと、目に見えた形でのこの迷いの原因ではないか? あの時同じく、ぎゅっと

握ったこの手を見つめながら考える。

 違っていったようにみえた。

 名もなき、或いは見知った少なからぬ人々への哀悼、私に倒された仲間達への弔い戦。

 だが本当にそうだったのだろうか? 少なくとも私が「変貌した」と感じたあの時、あの

滾る力は何というか、もっと別な道を奔り始めた故のものでないかと考えてしまったのだ。

 ……憎しみを越えた、何か。

 彼とて知っていた筈ではないのか?

 全ての“他者”が自身にとって好意的であるとは限らない。私たち組織の差し金、という

場面もあったろう。だがそれ以外でも、彼は状況次第で容易に掌を返すヒトの性をその出自

柄、厭というほど目の当たりにしている筈なのである。

 気付いていなかったのだろうか?

 坑道内に降りた時、私は既に彼らを滅することに躊躇いがあった。

 灯継の町ヴルクスの外れに在る“嘆きの端”で、彼らは手を合わせてくれた。世界に絶望し、自ら

霊海へ──それが逃避にも救済にもならぬことをおそらく知らず──身を投げた者達の為に

哀しんでくれていた。あの押し殺した身体の震えも、憤りの類だったと思う。

 だからできれば、足止めで済めばいいと私は思っていた。そう……対峙した瞬間から。

 魔導師は詠唱を妨げた。魔導具使いは寸前で即死を免れた。オートマタは自己修復を始め

ていた。

 思えば、もうあの時から迷っていたのだ。

 組織と個人の間に揺れながら「勝ち」だけを示し、引き上げて欲しいと願ってしまった。

 ……なのに彼は戦い続けた。立ちはだかり続けようとした。涙してまで。

 あの涙は、何がの為の涙だったのだろう?

 倒れた仲間達へ捧げた決意か? いや、途中でフォンティン公子が目を覚まし、呼び掛け

やり取りを交わしていた事実を考えればその可能性は無い。


『止めるよ……あんたを。止めなきゃ、駄目だろ……』


 だからこそ、当の一戦を終えた後だからこそ、私にはこう思えて仕方ない。

 あれは──私に向けられていたものだったのではないか? あの涙は悔しさだ。だがそれ

は仲間を守り切れない以上に、私を「変える」ことができない自身を嘆いたのではないか。

 ……自惚れだ。

 私は何度も自分で自分を哂った。今更、何を惚けている? 私は世界を敵を回したのに。

 なのに……嬉しかったと思っている自分がいる。久しぶりの経験だった。魔人メアだという

だけで迫害される訳でもなく、結社の一員として忌み嫌われるでもない。ただ一人の人間と

して向き合われ、そして叱られたかのような……。

 ──世界は、巨大な檻に似ている。

 魂は器は、生じるも滅するもこの枠組みストリームぐんから逃れることはできず拘束され、再び半ば強制的

に生み落とされる。世界の要素として、世界そのものとして生産され続ける。

 故にこの世界に“救い”などない。

 姿形は違っても誰もが輪廻から外れることはできす、魂に記録ログが残るために罪は蓄積し続

ける。可能だとすればそれは消滅すること以外に無い。……魂を巡る、事実だ。


『ん~……? よく分かんねぇよ。俺は今で精一杯だし。大体、意味って元からあるもんな

のか? 色々やってる内に作るもんじゃねぇのかよ? まぁそれだとバラバラなものになっ

て、坊さんみたいな人間には“答え”にはならないのかもしれねぇけど……』


 彼は知っているのだろうか? 私達の生きるこの九つの世界について学べば、自ずと突き

付けられてくることではあるのだが。

 嘘をついている表情かおではなかった。実際、それは「間違い」であるとも言えないのだろう。

時に従順であり、抗い、そして争う。今この結界の内側でも外側でも、そうして人は争い

続けている。

 止まらない。何度も何度も。皆が皆、報われること無きそれを。


 ──絶望してくれるな。


 そう、彼は言いたかったのかもしれない。言葉と出来ず、泣いていたのかもしれない。

 だから私は躊躇った。かつて胸奥にあった筈のそれを、はたと掴まれた気がしたのだ。

 ……救いとは、誰かから“与えられる”ものなのだろうか? むしろ己の力で“見出す”

ものではなかったか? そしてそれら苦楽──求道の助けとして信仰というものが生まれ、

必要とされてきたのではなかったのか?

 迷いではない。これはそうだと、勇気を持ち切れない確信ではなかろうか。

 私は……拠り立つ場所を間違い続けていたのではないか? 与えるのではなく、寄り添う

者としてこの身を捧げるべきだったのではないかと。かつて味わった苦しみを、他人が皆辿

るものだと決め付けていたのではないかと。

 ……だから泣いたのか。彼は、語りもしない私を想像し、泣いたのか。

 戦慄した。心がざわつき、躍った。

 だがさりとて、それはエゴなのだと私は思う。それは私達と同様、世界が自身の願う姿で

ないことを深く嘆き、膨大なエネルギーを湧き上がらせる源泉となるものなのだから。

 ……だから、ギリギリまで倒そうとした。あの場でその足を止めなければとも思った。

 しかし、本当にそうなのだろうか?

 同時に私は、彼に──。


「──お前ら、大丈夫かーッ!?」

 そんな叫び声が耳に届き、クロムは現在進行形の現実リアルに意識を戻した。

 迷宮中層、下層へと延びる石廊のど真ん中。彼はそこで多数の兵士・冒険者達に取り囲ま

れていたのである。

 しかし状況は切迫とは程遠い。周りを囲む彼らは、皆大きく肩で息をして苦しげな表情を

浮かべている。足元に転がるのは数え切れない程の砕けた刃やへしゃげた弾丸。全てクロム

がその硬化能力で以って防いだ攻撃だ。

「……」

 クロムはゆっくりと、声のした方向を振り向いていた。

 両腕は勿論、身体の隅々が巌のようにゴツゴツと強化された状態。そのさまを見て、こち

らへ向かってくる一団のリーダー格──猫系獣人の男は呟く。

鉱人ミネルの坊主……もしかしなくてもジークの言ってたっていう魔人メアか」

 一団の正体はダン達だった。

 この迷宮によって分断された多くの戦力達。その中にあって団長イセルナと二手に別れ、

下層に集中している大都の市民らを救出すべく駆け出していた彼の班の面々であった。

「お前ら、そいつと下手にやり合うな!」

 クロムを取り囲む、しかし明らかに疲弊した同業者達に叫びながら駆けながらダンは戦斧

を大きく振りかぶっていた。全身に滾るほどの錬氣を纏わせ、仲間達より数歩飛び出しなが

ら宣言する。

「どいてろ! 俺がやる!」

 クロムが目を細めたのとほぼ同時のことだった。

 飛び込んできたのは、全身に燃え盛る炎を纏ったダンの一撃。その刃が全身を硬化させた

クロムの腕と激しくぶつかり合い、火花を散らす。

「あわわ……っ!」

「熱っ!? 危ねぇッ!」

「あ、“紅猫あかねこ”のダンか? ブルートバードの……」

 団長が氷なら彼は炎。全身のマナを猛火に変える彼の必殺技だった。

 じゅわりと足元に転がる攻撃の欠片も溶けていく。それまでクロムを包囲していた兵らが

一斉に慌てて飛び退いていた。中にはダンの顔を見てその異名を呟いた者も少なくなかった

が、当の本人はもう目の前の魔人メアと始まった鍔迫り合いに意識を集中させている。

「ダン!」「マーフィ殿!」

「シフォン、近衛の嬢ちゃん、先に行け! こいつは俺が食い止める!」

 続いて弓や剣──得物を向けようとしたシフォンやユイ、同行していた面々に、ダンは制

するように言った。

 ざわつき互いの顔をみる一同。なし崩し的に交ざっているこの冒険者達。

 その間もダンとクロム両者は鍔迫り合いをしていた。燃え盛る炎の斧、それをぎりぎりっ

と受け止めている、先程よりも黒鉄色に変色しているように見えるクロムの硬化。だがそん

仲間ともの意思を汲み取ったのか、ややあってシフォンが頷く。

「……分かった。死ぬなよ」

「おい、あんたら! このまま俺達について来てくれないか? 下の皆を助けたい!」

「お、おう……」

「いいぜ。こっちも元より助けに行くそのつもりだ」

 言いながらも尚後ろ髪は引かれつつ、シフォン達はこの彼らを新たに加えて再び駆け出し

ていった。長く下へ下へと延びている石廊。ダンはそんな遠退く後ろ姿を確認するように改

めて力を込めると、一度大きく得物を薙いでから跳躍する。

「……レノヴィンの仲間か。“色持ち”がいたとはな」

「色? 何の話っ、だよッ!」

 互いに飛び退いて取り直した距離。されどそれはすぐに両者がぶつかってゆくことでゼロ

になる。クロムが呟く。だが当のダンはその意味することが分からず、再び炎と化した錬氣

と共に断撃を振り下ろすだけだ。

「……っ!」

 そんな反応に目を細め、続けざまに硬化した両腕でその一撃をガードする。

 辺りに炎と硬質の破片が飛び散った。互いに一歩も譲らない。激しい戦いがその幕を開け

ようとしている。

「今まで結社の魔人てめぇらには散々苦い思いをさせられてきたからなあ……。出し惜しみはしねぇ、

最初っからフルスロットだ!」

「……」 

 牙を向き、吼えるように彼は叫んでいた。その闘志に比例するように炎は熱く燃え滾る。

 クロムはじっと耐えていた。黒鉄色を被ったその全身で、彼の威力を受け止めている。


 分かっている。こんなことをしても、どのみち自分が罰を受けることくらいは。

 だが……夢見ておもってしまったのだ。

 ジーク・レノヴィン。

 彼が、あくまでヒトを信じようとする彼の切り拓く世界がどんなものか、自分は見てみた

いと思ってしまったのだ。

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