6-(3) 黒き傀儡
「……誰だ。てめぇら」
緊張と焦りを見せる青年の先手を打つように、ジークは現れた一団に問うていた。
眉根を寄せて睨む眼差し。そこには遠慮などは微塵もない。
あからさまに正体を隠すようないでたち。上から目線。何よりも……か弱い少女を躊躇い
もなく人質にしているらしいその姿に、ジークの正義感は告げていた。
──こいつらは、敵だと。
「失敗シタナ。不履行ダ」
だが黒衣の一団はそんなジークには目もくれない。
淡々として、だが纏わり付くような声で彼らは青年を向き指弾しているようだった。彼ら
の手によって捕らえられている桃色の髪の少女が一層もがいている。
「ま、待て……。まだだ。まだ、やれる……」
「戯言ヲ。敗者ニ用ハナイ」
「ソレニ……貴様ハ要ラヌ事ヲシテクレタ」
必死に何かを止めようとしている青年。だが黒衣の面々の口振りは、そんな彼を今まさに
切り捨てようとしている。
(要らぬ事? それって……)
まだ満足に動いてくれない身体に鞭打ちながら、ジークは思った。
そう言えばこの金髪も、狙いは俺の刀だった。
あいつらは俺の、父さんと母さんの刀の何を知ってるってんだ……?
「ま、マスター!」
するとそれまでもがいていた少女が、羽交い絞めにされていた黒衣の者から僅かだけ抜け
出し叫んでいた。
マスター? ジークはその言い方に違和感を覚えたが、
「私の事は構いません。早くこいつらを──ぐっ!?」
「……ジットシテイロ」
「人質ハ黙ッテオケ」
それも束の間、すぐに鳩尾を殴られて封じられ、再びがっしりと捕らえられてしまう。
「お前ら……よくもマルタに!」
そんな黒衣の一団の仕打ちに、青年は弾かれたようにその名を──おそらくはこの少女の
名を叫んでいた。それでもジークから受けたダメージが尾を引いており、身体はろくに動か
す事ができないでいる。
「ダガ……モウ用済ミダ」
「貴様達モ、ジーク・レノヴィンモ、諸共ニ処分スル」
そして黒衣の一団は、確かにそうジーク達に言ったのだった。
「待て、話が違う! こいつから刀を回収すればいいんじゃなかったのか!?」
青年は再び叫んでいた。先程よりももっと大きく、強い口調で。
(……こいつ、まさか)
事態が混線している。しかし何となくだが、彼の事情は呑み込めたように思う。
やはりあの黒ずくめは敵だ。それも、こんな卑劣な手段を用いるような……。
しかしそう頭では分かっていても、青年との戦いでお互いに消耗しているという事実に変
わりはなかった。
一斉に自分達に向き直り、黒衣の袖口からガチャリと鉤爪を迫り出す一団。
その前衛に守られるようにして、桃髪の少女・マルタを捕捉する後衛らが控えている。
(マズイな……)
既に普段の姿に戻っていた二刀を構えながらも、ジークは内心で焦っていた。
自分も、あの青年も今満足に戦えない。怪我をして倒れている──同じように緊張した様
子でこちらを見ているリンさんに任せるなんてもっとできない。
どうする?
ジークがぎゅっと柄を握り締める。一歩また一歩と黒衣の集団が迫ってくる。
だが、次の瞬間だった。
「目を瞑れ!」
闇をつんざくように聞こえたのは、聞き覚えのある──シフォンの叫び声だった。
仲間だ。反射的にジークもリンファも言われるがままに目を瞑る。
するとそれとほぼ同時に黒衣の一団へと飛んできたのは、一本の矢だった。
何のこれしきと思ったのだろう。内の一人がサッと鉤爪の片手を振るい、その矢を叩き落
とそうとする。
それが火蓋を切る事になった。
『──ッ!?』
その瞬間、突如として弾けた鏃が強烈な光となって辺りに放出される。
閃光弾ならぬ閃光矢だった。
不意を衝かれた黒衣の一味はバラバラに眩しさで立ち眩んで動きを止めた。
「──……」
そんな中に、一人の人影が飛び込んできた。
猫耳に尻尾。そして閃光対策らしいサングラス。
「あ、貴方は……?」
「大丈夫。多分、あなたの味方」
それは他ならぬミアだった。
まだ閃光矢の威力が効いている中、彼女はマルタを捕らえていた黒衣を錬氣で強化した飛
び蹴りで吹き飛ばすと、薄らと目を開けて何とか自分の姿を確認しようとするこの桃色髪の
少女にそれだけを告げて。
「ひゃっ……!?」
お姫様抱っこ、そしてぐっと地面を蹴って跳ぶ。
「……ミアか?」
着地したのは黒衣の一団から距離があるジークとリンファのすぐ傍。ミアは閃光の中心を
背後にして、サングラスをその場に投げ捨てていた。
二人は徐々に慣れてきた、収束する閃光の中でゆっくりと目を開いて仲間の姿を、助け出
されたマルタの姿を確認する。
「ヌ……。何ガ、起キ」
そしてその向こうでは大きな隙ができた黒衣の一団に次々と攻撃が叩き込まれていた。
片言の不気味な声、悲鳴。それらが夜闇を揺るがすように重なり、こだまする。
「お待ちどうさま。リン、ジーク」
「何とか間に合ったみたいだな」
黒衣の一団とジーク達。
収まった閃光の後、その間に割って入るように陣取っていたのは、イセルナやダンを始め
としたクラン・ブルートバードの面々。ざっと見てもクランの総戦力に近い。
「団長、皆……」
「……ああ。ちょっと遅いくらいだけど……ね」
ジークとリンファはそれぞれに苦笑し、安堵した。
助けが来た。これで何とかなる。
ミアがお姫様抱っこからマルタを降ろし、同時にクランの仲間達の中からレナとハロルド
ら支援隊の一部がこちらに駆けてくる。
「大丈夫ですか。ジークさん、リンファさん!」
「……リンファの方が重症かな。レナ、ジークの方は頼んだよ」
「はいっ」
ジークにはレナ達、倒れているリンファにはハロルド達が手当ての任に就いた。
「慈しみ育む緑霊よ。汝、我が隣人の心氣の磨耗を補い給え。我は彼の者に豊かなる源を授
けんことを望む者……」
「慈しみ育む金霊よ。汝、我が隣人の病苦を除き治し給え。我は彼の者の健やかなる躯たる
ことを望む者……」
同時に詠唱を始め、そっと相手の胸元へ傷口へ、その緑と金の魔法陣を展開しながらかざ
される二人の掌。
「盟約の下、我に示せ──精神の枝葉」
「盟約の下、我に示せ──快癒の祈り」
ホウッとジークの胸元を、リンファの傷口を二人の回復魔導が癒していった。
それまで疲弊してろくに動かなかった身体に活力が戻る感覚と。
槍に突かれてできた大きな傷口とそこからの出血が、止まり塞がっていく光景。
暫しその経過を見つめながら術の展開に集中するエルリッシュ親子。
「はい……。おしまいです」
「うん。これで一応塞がった」
そしてその治療が一段落するのを見て、傍らに控えた数人の支援隊の仲間らが回復剤を渡
してくれたり、傷口を清潔なガーゼと包帯で覆い始める。
「皆。その……」
「ああ、分かってるよ」
「気にすんな。要はこの黒ずくめをぶっ飛ばせばいいんだろ?」
ジークは若干の後ろめたさと共に告げようとしたが、既に仲間達は戦闘体勢の真っ只中で
あった。
「大丈夫。後は僕らが引き受けるよ」
矢を番え直し、シフォンがフッと微笑んでくれてからゆっくりと構える。
黒衣の一団もようやく自分達が奇襲されたと、人質も奪還されたと分かったようで、鉤爪
を構えて今にも飛び掛ろうとしている。
「──皆」「やっちまいな!!」
そして次の瞬間、クランの長二人の声を合図に、仲間達は一斉に黒衣の一団へと襲い掛か
っていった。激突する両者。激しくお互いの武器がぶつかり合う。
「チッ……! こいつらも錬氣を」
「躊躇うな。数じゃ上なんだ。押せ、押せ!」
戦闘経験が豊富な筈の自分達傭兵畑の冒険者の群れ。
しかし黒衣の一味も負けてはいなかった。全身、鉤爪を備えた両腕にマナを滾らせ、彼ら
の攻撃を防ぎ、或いは反撃に転じようとする。
「皆、気をつけて! そいつら被造人だよ!」
「それもこのマナ回路の構造……間違いなく戦闘特化型です!」
するとそう皆から一歩離れて叫んでいたのは、エトナとアルスだった。
「お、お前ら。何ついて来て……」
「そっちこそ何襲われてるのさ? 皆心配したんだからね!」
「……大丈夫だよ。僕だって、仲間だもん」
「お前ら……」
ジークは思わず視線を逸らして頭を掻いていた。
レナや、ゆっくりと起き上がらせて貰っていたリンファが静かに微笑んでいる。
やっぱり。まだまだ俺には力が足りない……。
仲間達の力添えを心強く思いながらも、ジークの胸中にはそんな思いがざわめき立つ。
「オートマタか。って事は、何処ぞの使い魔連中ってことだな」
「だろうね。それもよほど性質の悪いらしい主を持つ……」
「今はそれよりも撃退よ。あまり深追いはしないで!」
ダンが錬氣を込めた戦斧を振るって黒衣のオートマタ達を叩き伏せたかと思えば、間髪入
れずにイセルナの剣さばきやシフォンの矢が飛んでくる。
形成は、逆転していると見て間違いなかった。
「……マルタ」
ぽつりと、切実な心配の声。
ジーク達が振り返ると、そこには大きく肩で息をした青年がこちらに向かって歩いてきて
いた。ボロボロになった服。それでもそんな外見など気にせず、彼はただ桃色髪の少女の身
を案じているようだった。
「マスター……。すみません、こんな事に」
「いや、いいんだ。全て僕の油断が招いた事態だ」
ジーク達はそんな二人のやり取りを、少々ポカンとした目で見つめていた。
やはり彼女はこいつの事をマスターと呼んでいる。一体この二人は何者なんだ……?
「……そうか。じゃあ君が、その被造人の主なんだね?」
だがその疑問は、同じくじっと様子を見ていたハロルドが解決してくれた。
驚くジークやリンファ。
本当に? あんな不気味な黒ずくめとこの女の子が同じオートマタだと?
ハロルドと自分達を見比べるジークに、青年と桃色髪の少女・マルタは言った。
「はい。私はマスターの従者として、そのお世話をさせて貰っています。マルタです」
「……自己紹介が遅れた。僕はサフレ。フリーランスだが、一応君達と同じ冒険者だ」
二人、金髪の青年・サフレとマルタはそのまま深々と頭を下げていた。
巻き込んでしまって申し訳ないと。
「あ~……いいって。いい加減、大体の事情は把握できたし。リンさんも幸い命に別状は無
いみたいだから、半殺しにするのは許しておいてやる」
「そ、そうか」
サフレは苦笑いを見せていた。先刻の戦闘もあり冗談も冗談に聞こえなかったのかもしれ
ない。すると彼はゆっくりと踵を返すと、未だ交戦を続けている面々の方へと向き直った。
「君達は休んでいてくれ。……落とし前は、自分で取る」
「落とし前って……。お前ボロボロだろ」
「大丈夫だ。マルタがいれば、まだまだ戦える」
「……?」
ジーク達が頭に疑問符を浮かべる中、サフレはそう肩越しに微笑んで、マルタに目配せを
してみせた。すると彼女は心得たと言わんばかりに、嵌めていた指輪からハープ型の魔導具
を取り出してみせて。
「~~~♪」
音色を、歌声を奏で始めた。
「綺麗……」
「ああ。本当にな……」
マルタの奏でるハープの音色と歌声は、すぐにジーク達周りの皆を魅了していた。
天使の歌声。そう形容しても憚られないような澄んだ優しい音色だった。
だが、それらはただ聴く者を感心させるものではなく、
「何だ……この綺麗な声?」
「それに何だろう、よく分かんねぇけど……力が溢れてくる」
実戦的な意味でも面々を大いにサポートしているらしかった。
それなりに押し合い圧し合いを続けていた筈のクランの仲間達が、まるで回復魔導を受け
たかのように活気付き、どうっと黒衣の一団を押し遣り始める。
「何なんだ……?」
「これが、マルタの得意技さ」
自身もまた身体中に力が沸き上がってくるのが分かる。
ジークがその変化に疑問を示していると、サフレが地面に突き刺さったままの槍を回収し
て、その傷物になった全体にマナを注ぎ直し新品に再構築ながら言った。
「確かにマルタは戦闘用に作られたオートマタじゃない。だが、彼女の奏でる音色は周囲の
マナを、精霊を味方に付けて加護を引き出してくれる」
「……なるほど。一種の“古式詠唱”ですか」
魔導に心得のあるハロルドやレナはそれで納得していたようだが、ジークやリンファには
まるでちんぷんかんぷんだった。
それでも、彼女の音色が自分達の力になってくれるらしいという事は分かる。
「俺も、出るぜ」
「しかし……」
「いいんだよ。俺もこのままあいつらに好き勝手されたままいられやしねぇ」
「……。すまない」
ジークが二刀を、サフレが槍を構えた。
再び身体中に溢れるマナを錬氣に換えて、二人は地面を蹴って交戦する仲間達の下へと合
流する。
「貫けっ! 一繋ぎの槍!」
「うらぁッ!!」
高速で伸びた槍の突きが一直線に敵を捉え、ジークの斬撃が彼らを一挙に薙いだ。
「復活したか。よし、お前ら。一気に叩きのめすぞ!」
『応ッ!!』
状況は完全にこちらに傾いていた。
力を得たブルートバートの面々とサフレが黒衣の一団を次々と突き崩す。そのずっと後方
ではマルタが演奏を続け、レナやハロルドの支援隊、アルスとエトナがそんな戦況を見守っ
ている。
「皆、下がれ!」
サフレがジーク達に言って、また新たな魔導具を展開した。
手首に嵌めた緩めのブレスレッド。そこに刻まれた呪文が彼自身のマナによって起動し、
その指差した中空に赤い魔法陣を出現させる。
何かする気だ。ジーク達は黒衣の一団がそれを見上げ出すよりも早く、大きく飛び退いて
十分な距離を開けていた。
「弾けし灼火!」
次の瞬間、魔法陣から巨大な炎球が出現し、弾けた。
それはそのまま真下へと降り注ぐ無数の炎弾となって黒衣の一団を飲み込んでいく。
上がる悲鳴。焼き尽くされ倒れ動けなくなる者。
そして術式が終了した時、黒衣の一団はその兵力の大多数を失っていた。
「よぉし! とどめを──」
だが威勢よく追撃を加えようとするジーク達を、
「ッ!? 止せ、退け!」
「皆、危ない!」
ブルートとエトナの声を押し留めていた。
思わず急停止する面々。
するとどうだろう。黒衣の一人がその叫びとほぼ同時に、袖口から何か丸い球を地面に投
げ付けてきたのだった。
次の瞬間、辺りに舞い上がるどす黒いオーラ。
「なっ!? これは……」
「やべぇ、瘴気だ!」
それは魔導の素人ですら知覚できるほどの高濃度の瘴気。
ジーク達、最前線の面々を中心に皆は大きく後退せざるを得なかった。
濛々とその場で立ちこめる瘴気。その直撃から、
「大丈夫か!?」
「あ、あぁ……サンキュ。助かった」
サフレが捕獲ロープよろしく伸ばしてきた槍の柄によって、ジーク達はごっそりと引き寄
せられて助け出される。
暫し遠くに離れて目を凝らすジーク達。
だがその瘴気の靄が視覚に薄れ始めた頃には、もう黒衣の一団の姿は綺麗さっぱり消えて
しまっていた。
「……チッ。逃げられたか」
「仕方ないわよ。一応、撃退するという目的は達成できたのだし」
「後味が残る結果だけどね……」
「──皆、下がるんだ。急いで浄化作業をするよ!」
その後の時間はハロルドらにより浄化の魔導による後始末と、ややあって騒ぎを聞きつけ
駆けつけて来た守備隊からの事情聴取に費やす羽目になった。
立て続けの襲撃騒動の現場となった河川敷。
辺りはあちこちが破壊の跡に埋め尽くされていた。
今は夜の暗がりで誤魔化せているが、陽が昇った後には人々は大いに驚くに違いない。
「……ふぅ。一段落、だな」
「えぇ。やっと」
クランの代表として一番しつこく事情を聞かれていたイセルナとダンが、待機していた皆
の下に戻って来た。
そこには兄らが心配でついて来てしまったアルスとエトナ。
そして、少し離れた位置に今回の一端を担いだサフレとマルタがぽつねんと立っている。
「……だがまぁ、まだ俺達にとっちゃ終わってねぇわけで」
ダンが、皆が二人を見ていた。
覚悟の上だったのだろう。サフレは心持ちマルタを庇うように前に立ち、唇を真横に結ん
でジーク達一団を見つめ返している。
「これだけの事があったんだ。ジーク、リン。お前らはもういいのかもしれねぇが」
「ええ。分かってます」
「ああ……。だが、あまり酷な真似はしないでくれよ」
当事者二人に一言入れ、ダンは「分かってるよ」と心なしかの嘆息をついた。
そして団長であり友であるイセルナと、互いに顔を見合わせて頷くと、
「サフレ君にマルタちゃん……だったわね」
「悪ぃが少し、うちに顔貸して貰うぜ?」
クランを統べる二人はそう彼らに言ったのだった。