44-(3) 迷宮の(へだたれた)中
「おっ……らぁッ!」
丸太のような両腕に力を込めて、ダンは戦斧を振り抜いた。
襲い掛かろうとしていたオートマタ兵や覆面の戦士達がその一撃で叩き伏せられていた。
同じくシフォンは軽やかなステップを踏んで距離を保ち、次々とその矢をオートマタ兵らに
命中させていき、一方でリンファは迫る覆面達をすれ違いざまに霞むような抜刀、その一閃
の下に斬り捨ててしまう。
「す、凄いな……」
「ああ。伊達に国を一つ救った者達では、ないよっ」
そんな奮闘ぶりに、キサラギ父娘ら期せずして場に居合わせた味方達は驚きと心強さを
同居させながらこれに続いていた。
ユイは不可視の剣を、サジは必中の技を秘める槍をそれぞれ振るい、突如大挙して襲って
きたこの“結社”の兵達を捌いてゆく。
そう、サジが槍でオートマタ兵らを薙いだ頃合だった。
「戻ってきたか」
ダンが皆がちらと振り返る。そこにはイセルナが立っていた。
足元には、霜が降りたように凍り付いて動かなくなった“結社”の兵達がごろごろ。
そんな中で、彼女は剣を片手にもう片方の手をそっと空に向けると、遠くからこちらへ帰
還してくるブルートをその甲に留まらせた。
「どうだった? ブルート」
「駄目だな。どれだけ飛んでも上層に辿り着けぬ。おそらくこの結界の術者がこちらの動き
を感知して距離を弄っているのだろう」
「……そう」
蒼い光を纏って、梟型の持ち霊・ブルートは応えた。
そう簡単にはいかないか……。イセルナは言葉少なく呟き、じっと思案顔になる。
「最短距離で飛んでいくみたいな真似は無理そうか」
ややあって、場の敵兵を片付けたダン達も集まってきた。
然り。イセルナとブルートは頷く。ここに顔を揃えているのは自分達ブルートバードと、
リンファ及びキサラギ父娘を始めとしたトナン皇国近衛隊の面々である。
一同は、誰からともなく空を仰いだ。
殺風景な灰色の空、空間。そこに無秩序に建つ無数の高き石塔。
……あの時、藍と紺の魔導の光によって自分達は分断された。眩しさから回復して目を開
けるとそこには議場もシノ達の姿もなく、代わりにさっきの“結社”の兵らが取り囲んでい
たのだ。
空間結界を張られた──その事は程なくして理解した。
それは即ち緊急事態でもある。
シノやアルスを含めた王や議員、各国要人らが同じくこの摩天楼の何処かにいる。奴らは
大胆不敵極まりない方法でまんまと自分達を人質に取ったのだ。
「となると、歩いていくしかないね」
「歩くって……ここを地味にか? ただでさえごちゃごちゃしてるし、相当時間掛かるぞ」
「だが現状それしか方法がないのも事実だろう? ブルートに実証して貰った通り、術者が
直行を阻んでくる以上、向こうの術中の上を滑ってでも救出に向かうしかない」
「……んだな」
石の摩天楼を見上げるシフォン、じっと焦燥を堪えているリンファ。ダンはぼりぼりと髪
を掻き、大きくため息をつく。
この場所──仮に中層とでも呼ぼうか──までなら、石塔同士は回廊で繋がっている。
但しその道のりは遠目で確認する限りでも煩雑そうだった。くねくねと何度も左右に曲が
り、あちこちへと分岐している。結社に捕らわれているとすればここよりもずっと上──
最上層辺りにシノ達はいると考えられるが、そこへ至るまでには相当骨が折れることが予想
される。
おそらく、これも連中にとっては時間稼ぎの一つなのだろう。
勿論王達を簡単に手放さない、邪魔者を排除するという意味合いもあるのだろうが、これ
までの犯行とその目的を振り返るに今回は……。
「だけど、もう一つ何とかしないけないことがあるわね」
敢えて皆は語らない。何となく脳裏を過ぎってもそれらはまだ推測の域を出ない。
そんな中でイセルナがぽつと言った。その視線は自分達の立つ回廊の眼下──この摩天楼
の下層へと向けられている。
人の波があった。自分達のような傭兵でも軍人でもない、雑多な多くの人々が“結社”の
兵に追い立てられ逃げ惑っていた。そんな彼らを守ろうと守備隊や諸国の傭兵達がこれに立
ち向かい、奮戦しているさまが窺がえる。
「大都の市民……だろうか」
「あの大人数からしておそらくは。多分だけど、もしかしてこの結界は大都を丸々閉じ込め
たものなんじゃないかしら」
「丸ごと……!?」
「あり得なくはねぇな。市民も一緒くたに人質にしちまえば、少数切り捨てなんて言い草も
通じなくなる」
ブルートとイセルナ、そしてダンの思案顔を横目にしてユイらが顔を引き攣らせていた。
どこまで卑劣なのだろう。ここまで多くの人々を巻き込んでまで、奴らは一体何をしよう
というのか。
「二手に分かれましょう。一方は上へ、もう一方は下へ。他にも動いている人達がいるだろ
うから、彼らと協力してこの状況を打破するの」
「分かった。じゃあ……」
手早く話し合い、班分けを決める。
上層へと登る──シノやアルス達の救出にはイセルナ、リンファ、サジを中心とした面々
が、下層へと向かう──市民らの保護及び結界からの脱出方法の模索にはダン、シフォン、
ユイを中心とした面々がそれぞれ担うことになった。
「アルス達を頼むぜ」
「ええ。そっちもしっかね」
「もしそちら側にイヨがいたら、私達が陛下やアルス様の救出に向かったと伝えてくれ。私
達がここに飛ばされたように、彼女も何処かに厄介払いされているかもしれない」
「分かった。伝えておくよ」
「……父さん」
「分かっている。そっちもマーフィ殿らを全力でサポートして差し上げろ」
そうして一同は二手に分かれた。
くねくねと登っていく石回廊と下っていく石回廊。その道に沿って駆け出し、彼らはそれ
ぞれの目的の為に動き始める。
(……ジーク。もし君なら、こんな時どうする……?)
「せいっ!」
ダグラスの突き出した槍先が、オートマタ兵をその手甲の防御ごと貫いた。
ぐらり。この人形兵は大穴を空けられて目に光を失い、崩れ落ちる。
石塔の摩天楼中層。イセルナ達とはまた別なそこで“結社”の兵と交戦していた、彼以下
正義の盾の面々は、少数ながらややあってこの襲い掛かってきた敵を一先ず全滅させるに至る。
「お怪我はありませんか、長官」
「ああ、大丈夫だ。問題ない」
ふぅっと深く一呼吸。すると副官であるエレンツァが近寄ってきた。纏うローブは静かに
はためき、その周りには薄っすらと紫がかった雲が渦巻いている。
「長官。これからどうしましょう?」
「先程の魔導で、隊の大半が散り散りになってしまいました。これでは……」
あの藍と紺の光──自分達を分かつ空間結界のエネルギーの後、気付けばここにいた。
僅かに残った部下達が眉を顰めながら言う。不安と闘っているのは明白だ。ダグラスは槍
を払って石突から地面に置き、肩越しに彼らを見遣りながら訊ねた。
「連絡は取れそうか? 王達でも部下達でもいい。まだまだ情報が足りない」
「いえ……。回線は先程から軒並みダウンしています」
「この空間結界によってストリームが歪められた所為だと思われます。一応、一本一本を解
析して復旧させることもできなくはないですが……」
「……そうか」
ダグラスは眉間により皺を寄せ、短く呟くと口元に手を当て思案顔をした。
復旧させることは可能だが、それにはかなりの時間が掛かる。ただ漫然と待つ訳にはいか
なかった。エレンツァの見立てではこの結界は相当大規模なもの──それこそ大都全体を呑
み込みかねない規格外の魔力だという。
つまり自分達を含め、そうであれば王達と六百万の人民が一挙に“結社”の人質になって
しまったことになる。では何の為に? ……十中八九、サミットの妨害と各国政府への脅し
だろう。トナン内乱での暗躍を振り返るに、今度は世界規模で聖浄器を奪わんとしているの
かもしれない。
「できるだけ急いでくれ、その間に精霊伝令も試してみよう。結界主が黙って見過ごすとは
思えんがな……。だがもし、このふざけた石塔群の中で部下達を見つけることができれば、
私の言葉を伝えて欲しい」
頷き、魔導兵やエレンツァがぽぅっと掌に光を──精霊に呼び掛けた。それらを確認する
とダグラスは遥か上空、石の摩天楼の上層を見上げながら言う。
「総員、柔軟に自身の周りにある危険から人々を守れ。私はエレンツァとこの場にいる者達
を連れて上層へ──おそらく王達が捕らわれているであろう方面へ救出に向かう。各自眼前
の防衛が済み次第、我々に続け」
数体の精霊が淡い光を纏いながら空へと飛んでいった。
だが……おそらく彼らは、散り散りになった部下達には届かないだろう。先ずここは通常
の空間ですらない。結界主に感知され消されるか、再転送されるのが関の山だろう。
「……行くぞ。何としても王達をお守りする。おそらくはこの結界の中心におられる筈だ」
それでも、自分達がただ立ち尽くす理由にはならない。
自分達は「盾」なのである。こんな時にこそ王達を守れずして、何が正義か。
私の部下達は優秀だ。きっと各々に応じた最善を尽くしてくれると信じている……。
好戦的な掛け声と共に、大振りの大剣が“結社”の覆面を真っ二つにした。
生が断ち切られる。鮮血が溢れ出す。だが彼らは一度「敵」とした者らに容赦はしない。
「一丁あがり……っと」
身の丈近くある大剣を片手で軽々と払って血を拭い、グレンは不敵に笑った。
積み重なるオートマタ兵や覆面、或いは信徒の亡骸。同じく兄ヒュウガや妹ライナも、
長剣で結社達を刺し貫いたり魔導の雷球で上半身ごと撃ち抜いたりして、その数をどんどん
積み上げていく。
「まったく、統務院も舐められたもんだよね。こりゃあ一息ついたら大騒ぎだよ?」
「結界外では既に大騒ぎになっていると思うけどね。“結社”も随分と派手な手を打ってきた
ものだよ。まぁ、お陰で退屈せずには済みそうだけど……」
長剣を斃した信徒の身体から引き抜き、暫し刀身に伝う血をじっと見つめる。
ヒュウガがそうして剣を払い、一旦その刃を鞘に収めると、グレンが鍛え上げられた半裸
の腹筋を掻きながら言った。
「んで? これからどうするよ、兄貴。上に下に、捕まった連中はわんさかいるが……」
「そうだね……」
殺戮の跡に平然と立ち、ヒュウガは少し思案した。
統務院直属軍の片輪・正義の剣。
魔人の三兄妹を頭目とした、世界秩序の敵討伐に特化した懲罰部隊──。
「俺は上に行ってみるよ。グレン、ライナ。お前達はこいつらを連れて下にいけ。遠目にだ
があっちには大都の市民が逃げ回ってるっぽいしな」
「みてぇだな。んでも」
「一人で大丈夫? 相手はあたし達と同類でしょ?」
「負ける為に行く訳じゃないさ。それに正義の盾──ダグラス達なら真っ先に王達の救出へ
向かっているだろうからな。こっちが民草を守ってちょうどいいバランスじゃないかと思っ
てさ」
ついでにはぐれた連中も回収しといてくれ──。
あくまでヒュウガの語り口は飄々と、そして辛口だった。
実は言うと彼自身、王達を優先して守ろうとはあまり考えていなかった。
口にしたようにそうした任務はあくまで正義の盾の本分だ。自分達は基本、敵を斃すこと
に専念すればいい。
王といえど、たかが数百人で六百万の市民の命と恨みを贖える──同等な訳もなかろう。
それに同胞のおいたに灸を据えるのも……統務院では自分達が適任だ。
「グレン、ライナ、お前達」
ヒュウガは一人こつこつと石回廊を歩き出し、一度立ち止まってから弟妹達に命じる。
「連中の駒はわんさかといる。……殺せ」
部下達が、特にグレンが食事を前にした犬のように高笑いし、吠えた。彼らは嬉々として
大挙し、自分とは逆方向──摩天楼の下層に向けて出発していく。
元より息の掛かったメンバーの多くは荒くれあがりの猛者達なのだだ。普段が“お利口”
を強いられている分、こうした事態であっても戦いを存分に愉しむ精神がある。
(さて……どう転ぶかな)
軍服を翻し、再び前へ。
皆とは逆向きに背を向けて、ヒュウガは一人歩き出す。