6-(2) 灰色幻景
日没間近の河川敷が戦場になっていた。
断続的に聞こえてくるのは、刃が地面を抉りながら何度も立てる轟音。
次々と薄闇の中に舞い上がる土埃と、一見すると暴れ狂う蛇にも思える伸縮自在の槍。
ジークとリンファは、青年からの猛攻の中にあった。
「くぅ……っ!」
何度目か分からない槍先の突進がジークを襲う。
ジークはそれをすんでの所で飛び退いてかわし、次いで間髪入れずに抉った地面から起き
上がり再度突っ込んでくるそれを二刀を防ぐ。
それでも勢いは殺せず、ジークの身体は彼の意思とは正反対に槍先がうねる度に後ろへ後
ろへと追い遣られてしまう。
「破ッ!」
その間に割って入ったのはリンファだった。
錬氣を込めた斬撃で槍を叩き伏せると、ジークが距離を置き体勢を整える時間を稼ぐ。
それでも青年は一繋ぎの槍を止める事はなかった。
手元からぐいっと引っ張り上げ、鞭のようにしならせて起こすとリンファを弾き飛ばそう
とする。振られる槍先。それをリンファは太刀でいなしながら体勢を変え、身体を反転させ
ると、今度は攻勢に出るべく地面を蹴った。
「邪魔をするな!」
「そっちこそ、ジークには指一歩触れさせない!」
二人の叫びが交わる。
飛び掛かって来るリンファに、青年は自分自身を中心に渦を描くようにして槍を引き寄せ
ながらこれを防いだ。
回転する度に槍先が彼女の長太刀とぶつかり火花を上げる。
そしてその対処に足止めをされている隙に青年は槍を元の長さに縮め直すと、最後の一身
捻りと共にその切っ先を突き出した。
突き、薙ぎ、そして払い合う。
長太刀と槍の、入れ代わり立ち代わりの攻防が展開されていく。
(……どうする?)
そんな二人の後方で、ジークは二刀を構えながらも内心戸惑っていた。
相手は、人間だ。魔獣でもなければ人に害を及ぼしている魔人でもない。素性こそしれな
いが人間に間違いなかった。
確かに相手は明確に自分を狙っている。それでも。
(そう易々と、人は殺れねぇ……)
ジークの中にはそうはっきりと躊躇いが芽生えていた。錬氣を、本気を出して戦う事に迷
いを抱いていた。
だがそんな中、その眉間に皺を寄せる目に青年の姿が映った。
槍と長太刀がぶつかる中で、彼がリンファに向けて片手をスッと──魔導具らしき指輪を
嵌めた掌を向けようとしているのが映ったのである。
「リンさん、危ない!」
「ッ!?」
次の瞬間、青年の片手を中心に黄色の魔法陣が展開され、そこからリンファに向けて一条
の電撃が放たれた。
それを、彼女はジークが叫んだその声のお陰で辛うじてかわせていた。
ジリッと雷の威力が彼女の右袖を掠めて服を散らす。薄闇の中に電撃が吸い込まれるよう
に消えていった。
「外したか」
「てめぇ、魔導を至近距離で……!」
片腕を押さえて大きく飛び退くリンファ。
だが今度はジークがその傍らを猛然と駆けていた。
「──迸る雷波!」
青年はもう一度、その魔導具を行使してきた。
飛んでくる直線型の電撃。だがジークはそれらに臆する様子もなく、大きく迂回するよう
にして──後方のリンファが巻き添えを食わないように──駆け続けて交わしていく。
散発的に連発される電撃。
ジークは二刀と平行に身体を低くして駆けていった。
(躊躇っちゃ、失っちまう……)
相手は魔獣ではなく人だ。だが少なくとも自分達を傷付けようとする者だ。
戸惑いを頭の中から追い払うように、ジークは二刀を瞬時に逆刃になるように持ち替えて
いた。錬氣を、両腕と両脚に集中させていた。
「おぉぉぉっ!!」
これなら、少なくとも即死はしない。
ただこの場を何とか収める。ジークは叫びながら地面を蹴った。
青年に向かって振り下ろされる二刀。だが……。
「──楯なる外衣」
彼は冷静だった。
中空から落ちてくる斬撃が二つ。それをしっかりと目に映しながらも、青年はそっと首に
巻いたスカーフのピンに指先を当てながら静かにマナを込める。
するとどうだろう。突如としてそれまでただの装飾品だとばかり思っていた彼のスカーフ
がひとりでに巨大な布になって広がり、ジークの攻撃を受け止めたのだ。
「何っ!?」
「……僕の魔導具がこれだけだとは言ってないぞ?」
それはまるでクッションに押し返されるように。
驚くジークを、その二刀ごと振り払うようにして、青年は巨大化したスカーフ──防御の
魔導具を翻して弾き飛ばす。
ジークは中空に投げ出された。体勢も崩れたままだった。
「平静を失った、君の負けだ」
スカーフと共に身体を一回転させ、青年は槍先をジークに向けていた。
それが何を意図するのか、ジークにも分かった。
「しまっ──」
着地して受身を。いや、それも間に合わない。
そして地面に叩きつけられそうになるその身を狙って、射出された槍が迫り──。
(……?)
だが、切っ先はジークを貫かなかった。
どさりと地面に倒れたその身体。覚悟した痛みと違い、ジークは思わず瞑ってしまってい
た目をゆっくりと開けてみる。
「──ッ!?」
するとそこには。
「…………大丈夫か、ジーク」
襲い掛かってきた槍先からジークを身を挺して守って、両者の間に割り込むように立って
いたリンファの姿があって。
しかし利き腕をやられていた故にその威力を殺し切れず、脇腹にその刺突が直撃し真っ赤
な血を滲ませていたリンファの姿があって。
「リン、さん……?」
「……よかった。怪我は、無」
脂汗をかきながら肩越しにジークを見遣ってフッと笑い、そしてぐらりと血を飛び散らせ
て崩れ落ちたリンファの姿があって。
(えっ……?)
血飛沫が目に焼き付いた。
彼女の身体から引き抜かれる槍先と、そこにこびり付いた血の赤が目に焼き付いた。
どうっと、目の前で彼女が仰向けに倒れ込んでいた。
苦痛を浮かべた、でも自分を庇えたことに安堵したかのような表情で。
「……」
守れなかった。傷付けた。また、自分の所為で。
同族を、自分をクランに迎え入れてくれた張本人を、頼れる姉貴分を。
「ア……ァァ──」
全身を駆け巡る懐かしくも忌々しい狂気と共に。
ジークの目の前が次の瞬間、真っ白に弾けた。
──気付いた時には、灰色の世界だった。
少し気味が悪いくらいに静かで殺風景。
ジークはややあって自分が丸腰で、且つ浅い水面の上に立っているらしいと分かる。
「……ここは」
辺りを見渡してみる。
透き通った水面は見渡す限り延々と広がっていた。そして灰色の空の中に溶けるように、
点々と無機質な搭にような、中小様々なサイズの構造体が建っているのが見えた。
記憶を辿り直してみる。
途端にズキリと痛んだ脳裏。一気に再生される映像。
そうだ。リンさんが俺を庇って、倒れて……。
「あらあら。こっちに来ちゃったんだ?」
だがそんなジークの思考も沸騰するように駆け巡ろうとした焦りも、次の瞬間に聞こえて
きた声に掻き消されてしまっていた。
思わずバッとその声のした方向へ振り返ってみる。
するとジークの背後、少し離れた所に先程の構造体によく似た複数のオブジェの上に乗り
掛かるようにして、自分を見ている者達がいた。
「……何だお前ら? つーかここは何処なんだ?」
ジークは怪訝を隠さなかった。それはきっと内心の動揺もあったのだろう。
振り返ってみた先のオブジェの上。
そこには何故か“ぼやけた霞”のような文字通りの人影がいた。ざっとその数、六体。
あくまで表面の強気を崩さずに言うジークに、先程の──やんわりとした女性の声が先ず
応えていた。
「何って……いつも一緒にいるのにつれないわねぇ」
「おい。あまり余計な事を喋るな。我らは眠るように申し付けられているのだぞ?」
「……でも、こいつはボクらの側に入ってきた」
「緊急事態ですね」
「う、うむ。そうだな」
声色は六人共違っていた。だが、あくまで聞いた感じだが、全員が女性のようにジークに
は聞こえた。
中央に陣取るやや大きめの影。その隣一段下で小首を傾げているような影。その反対側で
更に一段下には淡々とした声色と真面目そうな声色の二つの影。
ジークは頭に疑問符を浮かべていた。
一緒にいる? 何を一体……?
「でも、外は今大変みたいですよ?」
「そーだぜ? このままじゃあコイツやられちまうんじゃねぇの?」
だがその間も影達の会議(?)は続いていた。
中央の影の左右に座っていた、手持ち無沙汰に立っていた残り二体の影が言う。
「そうだな……。そうなると確かに困る」
そしてそのやり取りの末、六体の視線(そもそも目があるかも分からないので、感覚的な
判断だが)が一斉にジークに向けられる。
「な、何だよ……? と、取って喰ったって美味かねぇぞ」
思わずジークは心持ち後退りをしていた。
半ば無意識的、反射的に腰へと手を伸ばす。だがそこには一本の刀も下がっていない。
更に脳裏に疑問符が掠めていった。
もしかして、俺はこいつらに刀を取られたりしたんじゃ……?
「人の子よ」
だがそんなジークの思案は、再び明後日の方向に飛ばされてしまった。
中央に陣取る影が、ややあって何かを決心したようにそう重々しい声で語り掛けてくる。
「お前は、力が欲しいか?」
「え?」
唐突な質問だった。思わず間抜けに聞き返してしまう。
「……力が欲しいのだろう? もう二度と、自分の所為で誰かを失わない為の」
「ッ!? お前……!」
何故その事を。
問い詰めようとしたジークだったが、結局それ以上の言葉が出なかった。
実際に目に見えたわけではない。だが……何故かこの影達が、フッと微笑んだように見え
たのだ。
すると虚を衝かれたようになったジークのすぐ傍らへと、左右に控えていた二人の影がス
トンと降りてくる。
「……?」
気のせいだろうか。
間近になったからなのかは分からないが、彼女達(?)二人の輪郭がより人らしい、少女
のようなそれになっているように見えた。
二人を見比べ、眉根を寄せるジーク。
「力、欲しいんですよね?」
「特例だ。ちょっとの間、貸してやるよ」
すると彼女達の言葉と共に。
二人は蒼と紅の光となってジークの左右で輝き始める。
(……一体、何が起こっている?)
青年は手繰り寄せた槍を握ったまま唖然としていた。
対するは二人。一人は先程突き刺し戦闘不能にした女剣士。
そしてもう一人は。
「……」
両手にする二刀から膨大な蒼と紅の光を──マナを滾らせている青年。
彼の標的たるジーク・レノヴィンその者だった。
何が起こったのか分からなかった。
ただ青年の目から映ったのは、自分が割って入った女剣士を倒した直後、彼が言葉になら
ない悲鳴のような、叫びのような狂った声色で仰け反り、次の瞬間その二刀から突如として
大量のマナが溢れて刀身を蒼と紅の光に染めたという事だけ。
「ジーク……。まさ、か……」
リンファは地面に倒れ、血に塗れた脇腹を押さえたまま何事か呟いていた。
だがジークはその言葉に反応がない。
ただぶらりとマナの光を滾らせる二刀を手に下げたまま、俯き加減な前髪でその表情を隠
して立っている。
間違いなく、異変。青年は眉間に皺を寄せて内心の動揺と戦っていた。
(マナの強さが跳ね上がった? それにこの感じ……魔導具? いや、だがさっきまでの戦
い方からして錬氣以外でマナを扱えるようには──)
しかしそんな青年の困惑を余所に、ジークの逆転攻勢が始まっていた。
同じく驚いて、倒れたまま見上げてくるリンファの横をジークはゆっくりと通り過ぎ、そ
して一気に地面を蹴る。
「くっ……!」
青年は半ば反射的に槍を放っていた。
だがジークは避けようともしなかった。ただゆらりと右手に握った紅い刀身を持ち上げ、
振り下ろした勢いのまま、襲い掛かってきた槍を一撃の下に地面にめり込ませたのだ。
「なっ……!?」
驚いたのはリンファも、そして青年も同じだった。
あれだけ苦戦していた筈の自分の得物をいとも容易く叩きのめす。
青年は焦った。その間にも、ジークは再び地面を蹴って爆発的な速さで突撃してくる。
急いで威力を殺され伏せた槍を手繰り寄せ、次の瞬間大振りに放たれたジークの斬撃を防
御する。
「ぐぅ……っ!?」
ズシリと響く衝突音と重量感。
明らかに重い。防いだ筈なのにビリビリと周りの空気が、両脚が悲鳴を上げていた。
大きく弾かれ後退する青年。それでもジークの猛攻は止まらない。
半ば獣じみた荒々しい叫びと共に、次々と襲い掛かってくる紅と蒼の軌跡。青年はそれら
を槍で後退しながら防ぐだけで精一杯になっていた。
(駄目だ。よく分からないが、今直接ぶつかったら押し負ける……!)
突如として躊躇いのなくなった──いや、そんな意識すら見受けられない猛攻。
青年は堪らず槍でジークを払い、僅かにできた隙を見て数度、槍の伸縮も利用して大きく
飛び退って距離を取り直す。
「迸る雷波!」
遠距離からの雷撃。
しかし変貌したジークにはそんな戦略など無意味だった。
猛烈な速さで駆け、その結果虚空を過ぎる無数の雷撃。
そして更に、左手に握った蒼く光る刀身を振るった瞬間、何とその蒼い斬撃がこちらに向
かって文字通り“飛んできた”のである。
「何……っ!?」
飛ぶ斬撃。そんなフレーズが頭に過ぎりながらも、青年はすんでの所で身をかわしてそれ
を何とか回避した。直後地面に直撃し大きく爆ぜる地面と土煙。思わず青年は片目を瞑って
その余波の前に動きを止めてしまう。
しかしジークは迫っていた。
ぐらつき動きを鈍らせたその一瞬の隙を狙うように、彼は叫び声を上げながら、立ち上る
土煙の中から二刀を振り上げて襲い掛かってきたのだった。
「……ッ!!」
その力任せながら絶え間のない斬撃の嵐に、青年は堪らず槍で防御する。
だがやはりそのパワーは圧倒的だった。
少なくともただの錬氣ではない──自分と同じ、魔導具のそれだ。青年は何度も弾かれ、
押されながらも確信していた。
隠し玉? いや、しかしこいつの今の状態はむしろ……。
「ぬんッ!!」
「ぐっ!?」
だが青年の防御はいつまでも続かなかった。
やがてその大量のマナで強化された紅と蒼の斬撃が、青年の槍を弾き飛ばしたのである。
大きくぐらつき、体勢を崩す。あらぬ方向へ弾かれた槍が孤を描いて中空を飛んでいくの
が見える。
ジークが、二刀を振り上げる姿が見えた。
(くっ……! 防御を……!)
咄嗟に青年は再度スカーフの楯を展開していた。
魔導の力で巨大化した布が、紅と蒼、二色の軌跡を残して振り下ろされる斬撃を受け止め
ようとする。
だがしかし……今度は同じようにはいかなかった。
バチバチと迸る火花。だが感触は間違いなく相手に押され続けているもので。
「そん、な。カーフでも防ぎ切れな──」
そして次の瞬間、青年はクッション効果の限界を超えたスカーフと共にジークの二刀の直
撃を受けていた。
最早防御する手立てはなかった。
ただその狂気にも似たパワーを乗せた一撃を受け、青年は大きく後方へと吹き飛ばされる
しかなかった。
ダメージが身体中に駆け巡って悲鳴を上げる。中空を低空飛行する空気の抵抗を感じる。
「がは……ッ!!」
その間、実質十数秒。
それでも青年へのダメージは決定的だった。
吹き飛ばされてゴロゴロとボロ雑巾のように地面に転がったその身。次いで遠くへ弾き飛
ばされてた槍が何度も回転した末に地面に突き刺さる。
「…………」
ジークは大きく肩で息をついていた。
振り降ろした二刀。その蒼と紅の刀身が戦いの決着を見届けたかのように輝きを失い、元
の金属な太刀へと収まっていく。
そしてガクリと。ジークは崩れ落ちるようにその場に肩膝を突いて倒れ込んだのだった。
「が……ぁ? 何だ? か、身体が……重く……」
大きく息を荒げながら戸惑う。
ジークは突然身体中を襲ってきたダメージに苦痛の表情を隠せなかった。
それでもジークは荒く息をつきながら、後方のリンファを──地面に伏したまま、驚愕の
表情で自分を見ている彼女を見遣っていた。
「当たり、前だ。素人がいきなり……そんなにマナを使ったんだ。反動が、来るのは当然の
事だろ……」
そんな彼に、青年もまた別の意味でのダメージに喘ぎながら、途切れ途切れに口を開いて
いた。地面に何度も打ち付けられて汚れ、傷付いた身体。そこには最早ジークと交戦しよう
という余力は残されていなかった。
「……知らねぇよ。気付いたら、もう必死で……」
ぼんやりとする意識の中で、ジークはつっけんどんに応える。
俺は、リンさんを守れたのか? こいつに、勝ったのか?
疲労が身体に警告を送る中、それでもジークはどうやら場を凌げたらしいとようやく理解
していた。よかった。これで後はリンさんを──。
「失敗カ」
だが、それは本当の終わりではなかった。
突然聞こえてきたのは、不気味な片言の声色。
青年がそのダメージを受けた身体にも拘わらず辺りを見渡し、心なし狼狽し始めている。
ジークと、そしてリンファも彼に倣うようにしてその声がした方向に目を遣る。
「ヤハリ直々ニ遂行スベキダッタカ」
「使エナカッタナ」
するとそこには、夜闇に溶けるような黒衣と仮面に全身を包んだ一団と、
「~っ! ~~っ!!」
彼らに羽交い絞めにされてもがいている、一人の桃色の髪の少女が立っていた。