43-(6) 大災の産声
総会二日目は、各国王器の警備強化に関しては一致をみた。
だがそれだけである。具体的な警戒策を含め、程なくして議場は三度喧々諤々とした政争
の場へと変わっていった。
「──よくよく考えてくれ。テロに屈することで得られる安全と、屈しないことで得られる
ものの大きさを。前者などごく限定的なものでしかないんだ。アドバンテージは常に敵側に
あるだろう? 彼らにとってはローコストでより大きな利益を──我々にとっての脅威を、
テロによって得られると学ばせてしまう。ならば長期的にみれば、毅然とした態度でそんな
暴力的要求を跳ね除け続ける方が、ずっと社会にとってはプラスになる筈だ」
「──やはりここは順当に国別の経済力を目安として配分すべきでしょう。応分負担という
表現にも近似していますし、領民達にも理解が容易い」
「──いや、それだけでは不十分なのでは? 対象は兵力な訳ですから、それらに占める軍
事費率も勘案して決めるべきです」
「──駄目だ駄目だ、それでは到底納得できない。いざ発効すれば等しく“結社”から狙わ
れることになる。自力復旧の難しい加盟国にはもっと補償を手厚くするよう明文化して貰わ
なければ」
それでもシノが想いを込めた諌言と、何より今回の議長であるハウゼン王がこの状況に対
し柔軟に対応したことは大きかった。
一日目と同じ轍を踏む訳にはいかない──たとえ相も変わらず互いの利害がぶつかり合っ
ていても、そうした現況認識、危機感に関してはどの国の代表らにも共通するものがある。
故に今度は会議それ自体の形態を変えることにした。
両院の総意をいきなり作るのではなく、先ずは一旦個々各国の間での合意を模索、その積
み重ねで以って声明の完成という目標へ到達しようとしたのだ。
そうなると正義の冠と正義の秤、両者の垣根はむしろ邪魔になりうる。
個別の折衝が議場内のあちこちで始まった時、代表団と議員がその母国単位でスクラムを
組んだことは、やはり必然の成り行きであったと言えるのだろう。
「はい。私どもも乗り掛かった船ですし、多少割り増しとなっても構いません。具体的な追
加数値は本国に持ち帰ってからの確定となりますが……」
勿論、シノらトナン皇国代表団もそんな折衝の中にあった。
“結社”絡みで一層名が広まったこともあってか、個別に話し合おうとしてくる先方は次
から次へと後を絶たないような気がする。
それらを、まだ不慣れながらも、彼女はイヨら臣下の官吏らに手伝って貰いながら懸命に
こなしていく。
「ふむふむ……。なるほど、相分かり申した」
「では一旦我々はこれで。今度は連邦に掛け合ってみますゆえ」
そうしてまた一国、王とその取り巻き達が、表面上こそ丁寧に一礼するとシノ達の陣取る
席を去っていった。
「……ふぅ」
「お疲れ様です。陛下」
「おい、誰か飲み物を持ってきてくれ」
議場内は尚もあちこちで忙しなく折衝が続いていたが、どうやら自分達の方は人心地つけ
るらしい。イヨが同じく疲労の色を滲ませながらも主君を労わり、他の官吏がシノ、そして
アルスへとほどよく温かいお茶を出させる。
「……これ、今日中に終わるのかな?」
「どうでしょうね。一応日程的にはもう一日あるけれど……」
(ぶっちゃけ無理くさくない? 全部纏めるにしたって時間掛かりそうだしさぁ……)
とりあえず湯飲みに口をつけて束の間の休憩を。補佐──実際のところほぼ書類などを出
したりするだけで見ているだけに近かった──をしていたアルスでさえもそう気が重そうに
訊ねると、シノは静かに苦笑するだけだった。顕現こそ解いたままだが、エトナも先刻から
の喧々諤々ぶりにはやはりげんなりしているようである。
「ま、揉めること自体は想定していたさ。必死にはなるだろうよ。何せ頓挫すりゃあ間違い
なく“結社”にも領民達にも舐められるしな」
「あっ」
「ファルケン王……」
そうしていると、今度はヴァルドーの代表団──ファルケン王とその取り巻き達がやって
来た。短く声を漏らし、アルスがつい身を硬くしてしまう。一方その傍らでシノは一国の王
としてあくまで毅然とした、内心を押し殺した身構えようだ。
「ああ、そう硬くなるなって。無理もねぇけどさ……。ちいっと今の進捗を確認しておきた
くってよ。どうだ? 他の王達から賛成は得られそうか?」
「初日に比べればだいぶ。ですが皆さん、やはり警戒心は相当なものですね。一旦“結社”
との戦いに名を連ねてしまえば、国力に不安材料があればあるほど、いざリスクを被った際
のダメージは大きいですし」
改めて口にすることでもない。だがそれだけ、これらの懸念が今回のサミットを──団結
を阻害しているとも言える。
草案ありき、というのが予想以上に反発を生んでいるらしかった。
シノとファルケンは、そう互いにこれまで重ねてきた折衝の成果を報告し始める。
「……」
何となく間に入れなくて、アルスは手持ち無沙汰に場内を見渡していた。
相変わらずあちこちで意見をぶつけあっている王や官吏、議員達。
それでも同じく話し込んでいる連邦と都市連合──ハウゼン王の傍らのセドとウォルター
議長の傍らのサウルが、こちらの視線に気付いてフッと微笑み掛けてくれた時は、心なし
気が楽になった。
共和国のロゼ大統領も懸命そのものだった。
こんな事を思ってしまっては申し訳ないが、母と同じくまだ日の浅い元首が奮闘している
のをみると、不思議と励まされる気持ちになる。
「ではやはり、直属軍を拡張する形で?」
「ああ。最低のボーダーは加盟国全部が参加することだ。実際的にドンパチやらずともいい
んだと示せば、多少は他の王達も折れるかと思ったんだが……」
されど、そうぼんやりしている訳にもいかない。
アルスが再びシノとファルケンの方に向き直ると、二人はちょうど軍──草案に記されて
いた国際軍(仮)について話している所のようだった。
聞き耳を立て二人に眼を遣りながら、ぱらぱら、隣席の官吏達と資料を捲る。
文面によるとこうだ。
“国際軍(仮称)は、現在の正義の剣及び正義の盾をその母体とした特務部隊として組織
するものとする──”
「テロをする側にとっては実際にどうかよりも、どれだけ外部へパフォーマンスが期待でき
るかですからね……。完全に懸念の払拭にはなりませんか」
「実際、一から正規軍をこしらえるよりも早いし、いい案だと思ったんだがなあ。まぁこれ
も半分はハウゼンの爺さんの提案なんだが」
そう、難航する協議にファルケン王が後ろ髪を搔いた……そんな時だった。
ただでさえ騒々しい場内に一際大きな口論の声が響いたのである。
「いいや、認められん! 結局割を食うのは我々ばかりではないか!」
「何故解らない!? 負担と覚悟を分かち合う為だ。そうして自分達だけ抜け出そうとする
ことがどれだけ大きなダメージを生むか、分かっているのか!?」
アルス達は勿論、一帯の出席者らが一斉にそのさまを凝視していた。
決裂。不満の爆発。それだけは確かに分かった。……だが、それを表に出してはいけない
のだと自分達はずっとずっと言い聞かせてきている。それが政治というもので、それが現在
直面している“結社”絡みの政局であると信じようとしている……。
「──やれやれ……。これで世界の秩序を気取っているのだから、笑わせる」
すると不意に、今度は議場の一角からそんな明らかな嘲笑の言葉が響いてきた。
この口論を目の当たりにして喉元まで迫ってきた憤り。
それらを抱え、王や議員、官吏達がぎろりとその発言の主を見遣る。
「……リファス王」
「発言を撤回しろっ! それでも統務院加盟国の一員か!?」
彼の名はリファス王といった。確か南方の小国の一つを治めていると記憶している。
これまでの諸々の不満を吐き出すように、他の王達が次々に糾弾を始めていた。だがハウ
ゼン王以下、四大国や幾つかの国々の王はむしろ怪訝の表情を浮かべている。
彼は、こんな男だったか?
かの国の力を考えれば、こんな挑発的な発言などあり得ない──。
「必要ないね。だって俺は……“この男じゃない”んだから」
『──ッ!?』
それが始まりだった。
にたり。片肘をついたリファス王の不敵な笑み。
だが違ったのだ。彼の発した言葉の通り“彼は彼ではなかった”のだ。
刹那、その背中から大きく身を起こしたのは黒い翼。それが包み込むように彼を覆うと、
そこにはあっという間に別人──鴉系の鳥翼人が現れる。
「……」
まさか、偽者? そう悟った時には遅かった。
彼の双眸が血色の赤に染まって輝くのがみえた。
魔人──統務院、世界に挑戦的な物言い──。
「さぁ、ショータイムだ」
パチンと指を鳴らし、今度は彼の周りに立っていた官吏達の輪郭が急速に歪む。
程なくして現れたのは、正体を明らかにしたのは、黒衣のオートマタ兵達だった。
更にこの傀儡兵達は、まるで事前にそう命令されていたかのように両腕を──各々にびっ
しりと文様を描いた両腕でお互いに輪を作ると、自分達自身をその文様を介した魔法陣として
展開、そこから大量の人影を空間転移させてくる。
「くっ……」
「け、結社!?」
「ほっ、本当に殴り込んできやがった!」
アルスが、慌てて顕現してきたエトナが、リンファやキサラギ父娘が反射的にシノを守ろ
うとその前に立ち塞がった。
だが……先手を打つことなどできるのか?
これだけいる。これだけ、世界の要人達が一同に会している……。
『──』
転移の黒い靄から現れたのは、魔人と追加のオートマタ兵達。
目算、十数人と多数。
そして更に拙いことになったのは、着流しの鬼族──リュウゼンが発動した、鎖で繋がれた
頭と両手の輪からなる魔導具を介した術だった。
「天地──創造ッ!」
藍と紺の眩い光が幾つもの曲線を作り、辺り一帯を駆け抜けていった。
それら迫ってくる何かを、皆は殆ど反射的によけようとしてしまう。即ち互いに離れてし
まう格好になる。
奔る光達は議場の外、大都全体にも及び、待機していたイセルナ達もまた同様にその唐突
な異変に巻き込まれてしまう。
『……??』
ものの数分ほどの事だった筈だ。
なのに眩い光が収まり、皆が思わず瞑っていた目を開くと、そこには議場とは大都の街並
みとはまるで似ても似つかない、殺風景な石柱の摩天楼が広がっていたのである。
「お、おい」
「何だ……これ……」
「ちょ、ちょっと待て! ここ滅茶苦茶高いじゃないか! 落ちたら死ぬぞ!?」
状況の把握は完璧ではないが、存外迅速だった。
王や官吏、議員、辛うじて残った護衛役などが辺りを見渡している。
追い遣られていた。王達はいくつかの高い石柱、その頂上のスペースの上で、身を寄せ合
うようにしていつの間にか立っていたのである。
「おいおい……。こいつあ……」
「空間結界? いや、これは異相結界も混ざってる……?」
「拙いよ拙いよ! これって、私達があいつの所為でばらばらに飛ばされちゃったってこと
じゃない?」
エトナの、そんな相棒へ掛けた言葉が決定打だった。
わぁっとにわかに狂ったように混乱する面々。それでもファルケンやハウゼン王はじっと
前を見据えより高い場所を見上げているし、シノもリンファやキサラギ父娘というこんな時
こそ傍にいて欲しい武人らと分断され、代わりに居残ってしまったイヨを、そのあまりの事
に気絶しそうな彼女を支えながら黙してさえいる。
アルス達は、もう一度周りを見渡した。
無機質──淡い藍の石柱と灰色の空で統一された空間。そこはあたかも複雑に入り組んだ
迷宮のようで、結社達による分断の意思の強固さを感じ取れる。
肝心の魔人達は上にいた。
少しアルス達一同よりも高い石柱──というより広さ的には屋上のようなそこで、彼らは
それぞれにこちらを見下ろしている。
『──ごきげんよう。邁進者諸君』
そして、虚空からそう老人のような声が聞こえた。
ハッと見遣ってみれば、突如としてその中空から大量の電流のようなエネルギーが迸り、
次の瞬間、巨大な淡い紫の光球が現れる。
魔人達が一度、その光球に対して低頭しているのがみえた。
戸惑い、恐れる面々の中で、アルスはそのさまをじっと見据えて確信する。
(……もしかして。あれが、前にハロルドさん達が言っていた“教主”……?)
心の中で呟いた言葉。
だがアルスの胸の鼓動を強く早めるには、それだけでも十分だった。
心が身体が、戦慄いている。突きつけられている。
敵が、その中核らが──遂にその本性を露わにしたのだと。