43-(4) 点在包囲の不安の眼
『──このように大都は現在、非常に緊迫した空気に包まれております。以上、現場から
中継でした』
画面の向こう、大都の様子を伝えるレポーターの締めを受け、映像器には再びスタジオの
アナウンサー達の姿が映し出されていた。
伝えられるのはサミット初日の成果、そして二日目の様子。
酒場『蒼染の鳥』の映像器を囲み、ハロルドら留守番組は食い入るようにこのメディアら
が報じる情報を見つめている。
映し出されていた統務院本部の高く大きな建物、厳戒態勢が敷かれ多くの警備兵が目を光
らせる街中、或いはサミットに反対する各種デモ隊の姿。
スタジオに戻った後、アナウンサーは神妙な表情を作った上でコメンテーターらと何度か
やり取りを交わしていた。
曰く、初日は結局統務院としての団結が示せず、対立ばかりが目立ったこと。
曰く、番記者らの報告によれば、その火種の一つに声明草案が先行して作られたことへの
諸国の反発があったらしいこと。
曰く、その草案を主導したのがヴァルドー王国──ジーク達が消息を絶った地を中心とし
た大国プラスアルファであったようだということ。
アナウンサーは、コメンテーターらは、さも訳知り顔で語っていた。
それみたことか。力ずくの政治は何も生まない。
今こそ調和が必要だ。統務院による一極支配も限界が来ている。
「……何ともまぁ、無責任っつーか上から目線っつーか……」
テーブルに片肘をつき、最初に口を開いてぼやいたのはグノーシュだった。
その呟きに他の団員らも少なからず同意の反応を示す。メディアの“正義感”は何も今に
始まったことではないが、まるで足を引っ張るばかりなその態度は、ひいてはアルス達をも
嘲笑っているような気がしてしまうのだ。
「大体、この期に及んで喧嘩してる場合じゃないだろうに」
「お偉いさんの思考なんだかねぇ」
「……まぁ、政治なんてのはそういうものさ。厳密にはあれは政局なんだろうけど」
そんな中でも、ハロルドは変わらず冷静のようだ。
だが彼も本当は思うところはあり、されど例の如く多くを語らないのかもしれない。眼鏡
の奥で細められた瞳が、妙に怖いような気がする。
「声明さえ纏まれば、一応は成功ってことはなるんだろうけどな。ただ問題は国同士の折衝
の中で“結社”への制裁がどれほど現実的な有効打になるかだが……」
加えて同席していたリカルドと、部下の神官騎士らもそう気難しい表情をして画面を眺め
ている。
それが一番拙い。団結──イコール誰もが“結社”に敵意を向けられうる状況になるのを
恐れ、一抜けたが繰り返されれば、このサミットも過去何度のそれと同様、骨抜きになる。
「……。ジークさん達、本当に死んでしまったんでしょうか……?」
辛気臭くなる場の空気。
やがて今度は耐えかねて、そうレナが既に泣き出しそうな表情で呟いた。
『……』
押し黙る面々。
犠牲、犬死に──不吉な言い回しがどうしても脳裏を掠める。
むしろ自分達としては、そちらの方が一大事であり、大きな心配事であった。
サミットが始まる少し前、アルス達を送り出した後で、自分達は導信網上に突如として公開
された“結社”の犯行声明を知った。新聞の号外を読んだ。
まさか、ジークが……?
信じたくない気持ちと、急速に伝播していく情報の荒波が持つ強さにさらわれそうになる
感覚。すぐにアルス達やルフグラン・カンパニーに連絡を取ったが、返ってきたのは先ずこ
の政局を優先するという旨と、何も知らない分からないと同じく動揺している社員らの声。
「レナ、気をしっかり。イセルナさんも言っていたでしょ。現状連中の犯行声明しかジーク
達が死んだっていう証言は取れてない。揺さぶり目的の可能性もある」
不安に震える親友の肩を、ミアはぽんと優しく叩く。
「でも……」
「大体、調査中ですの一点張りは無茶でしょう?」
「シノさんも抗議すりゃいいのに。実の息子の一大事だろ?」
「……それを含めて、政局優先なんだよ。真に受ければ結社の思う壺なんだと彼女達もよく
分かっているのさ。内心辛い選択な筈だけどね」
「ただでさえ“結社”とぶつかる事になるのを、あちこちの国が怯えてる。今表に出しちま
えばそこに燃料をぶちまけるようなもんだからな。まぁあれだけ大事になれば公表されるの
も時間の問題だろうが……。何より、ヴァルドーとトナンの外交問題になる可能性が高い。
……あの王相手じゃ、分が悪ぃだろ」
尚拭いきれぬ不安に覆い被さるように、何度目かの団員らの義憤が漏れていた。それでも
ハロルド・リカルド兄弟はそれぞれに言う。
淡々と嘆息と。もどかしい気持ちは自分達だって分かっている、同じだ。
だがこちらからはどうすることもできない。立ち回る、その世界が違い過ぎるのだ。
「信じるしかないよ。ううん、私達が信じなくてどうするの? 絶対ジーク達は生きてる。
そう簡単にやられてたりしないよ」
「……。そうだな」
「ああ……。そうだとも」
ぼりぼりと手持ち無沙汰に髪を搔いたり、そっと目を瞑って雑念を追い払おうとしたり。
ステラが皆を励ますように、自身に言い聞かせるようにそう言い放った言葉を、団員ら
は静かに搔き抱いてただ佇む。遠く大都で続く会議に思いを馳せる。
「──すみませ~ん!」
「あの。今よろしいでしょうか」
ちょうどそんな時だった。ふと酒場の出入り口の向こうから、聞き慣れた少年達の声が飛
び込んできたのだ。
「あ。フィデロ君とルイス君、だったよね?」
「いらっしゃい。……店は開けてはいないけれど」
レナとミアが立ち上がり、一方がまだ不安に呑まれている友を支えてやりながら扉を開け
ていた。案の定、姿をみせたのはフィデロとルイス──アルスの学友達だ。
「あ、いえ。こちらには確か映像器があったと記憶していたので」
「俺達の下宿にはないッスからね。アルス達の様子、知りたくても見れないし」
「……ですので、宜しければご一緒させていただければと」
一度打ち上げ会の際訪問したことで気安く、一方あくまで外部の人間として丁寧に、二人
はそう言ってきた。
なるほど。レナとミアはちらと後ろの皆に振り向いていた。
心なしか辛気臭い空気が和らいだ気がする。
それはフィデロの屈託のなさか、それとも扉を開けたという物理的な影響か。
「そういう事なら勿論。どうぞ? 何か飲み物でも用意しようか」
ここにきてようやくハロルドが微笑んだような気がした。
程なくして返す快諾。二人が「お邪魔しま~す」と入ってくるのを見ながら、彼はスッと
立ち上がると厨房の方へと歩いていく。
「……そういえばシンシア・エイルフィードは? 一緒ではない?」
「ええ。今日は俺達、下宿から直で来ましたからね」
「それに彼女なら、確か帰省している筈ですよ」
『──以上、現場から中継でした』
所変わって、打金の街執政館。エイルフィード伯爵家本邸。
華美さこそ抑えてあるものの、値打ち物で固められた調度品に囲まれたそのリビングに備
え付けられたソファで、二人の女性が壁掛けの映像器を眺めていた。
忙しくなく切り替わるのは、大都の様子を伝える映像達だ。
統務院本部前、武装した警備兵、デモ隊。それらの後にリポーターが締めの一言を発し、
映像は再度スタジオへと返されていく。
「……うーん。どこも似たり寄ったりばかりねえ」
一方はシンシアだった。
その横で、もう一人の女性が軽くため息をつきながらぐぐっと伸びをする。
腰に淡い緑の帯を巻いたオフホワイトのローブ。胸元にはさりげなく小振りな金のネック
レスをアクセントに添え、肩ほどまで伸ばしたその淡い金髪の毛先はふんわりとウェーブを
描いている。
シルビア・エイルフィード。
シンシアの母親であり、即ちセドの妻──エイルフィード伯爵夫人だ。
「まぁ、仕方ないでしょう」
「基本的に総会それ自体が非公開ですからねぇ。メディアも結局はあれこれ推測を並べて
それっぽくするのが限界なんじゃないでしょうか」
ソファの気持ち後ろ斜めで控えていたゲドとキースが、それぞれにそう宥めるような言葉
を掛けていた。
だが、肩越しに振り向いたシルビアの表情は「つまんない」といったものだった。
気品さと並立するように、負けん気の強さが垣間見えるのは流石母娘といった感じだが、
彼女の場合はより良い意味でも悪い意味でも活発な面が滲み出ている。
「でしょうねえ。喧嘩を買う相手が相手だしクローズドになるのは分かるけど……」
言って、彼女は再び前に向き直っていた。
だけど内輪揉めしてちゃあ世話ないわよ──。
それは批判なのか愚痴なのか。本心は分からないが、大よそこの場にいる面々が抱いてい
るであろう感慨と符合するものであることは間違いない。
「……」
その間も、シンシアはじっと前を見たまま黙っていた。
画面の向こうでは相変わらず大差のない報道が延々と繰り返されている。母の言うように
サミットが非公開であるのだから情報が限られるのは仕方ないが、そこをまるで開き直って
いるかのような彼らのさまはあまり観ていて気分のいいものではない。
(まったく……。これじゃあ何の為に戻ってきたのか分からないじゃありませんの)
そもそも自分達がこうして帰省してきたのは、サミット出席に伴い主──父不在となる状
況を心配してのことだ。本心を言うと二浪の手前あまり帰りたくはなかったが、事前にアラ
ドルンからこっそりと懇願されてしまい、結局こうして久々の我が家な訳である。
それも向こうの父──達のことが、こちらにいれば政府経由で届いてくるかもしれないと
思ったからだ。
しかし、結果的にはそう変わらないらしい。
流石にその一点だけでとんぼ返りする訳にもいかないが、実家だというのに自分はもう帰
省して一週間と経たずに居た堪れなくなっている。
「……」
そうして黙していると、ちらりと母が視線を遣ってきているのに気付いた。
まるで舐め回されているかのよう。今に始まった事ではないが、どうにもこの母は娘の思
うことを見据えた上で色々と愉しむような所がある。……愛情が故と、シンシアも一応理解
しているつもりではいるが。
「ねぇ、シンシア」
気持ち口角を吊り上げて、シルビアがそうシンシアに訊ねていた。
い、一体何を訊かれるのだろう……?
気後れから街を飛び出していったが故、彼女の脳裏にはそう色んな想像が去来する。
「向こうの学院では、上手くやってる?」
だが、存外普通だった。
目を瞬き、見返す。確かににやつく表情だった気がするが、今はれっきとした母のそれで
ある。
シンシアは内心己を恥じた。
そうよ。お母様にだって迷惑を掛けて今があるんだもの。自分のプライドばかり守ろうと
したって、何も……。
「え、ええ。問題ありませんわ」
「そう……ならいいんだけど。貴女はセドに似て気難しい所があるから、溶け込めるかどう
か心配だったのよねえ」
ブフッ。するとはたと後ろで、キースが必死に笑いを堪えていた。
シンシアは横目でそんな従者を睨みながら、敢えて努めて自身の言の葉も堪える。
(ん? どうした?)
(いえ……。何も……)
ひそひそ二人が言っているが、しっかり聞こえている。
大方『お嬢そっくりなのは奥方もでしょ。自覚ないんスか?』とでも言いたいのだろう。
……具体的に推測できてしまう自分も、何だか悔しいが。
「やっぱりあの子のおかげかしら? シノさんの息子さん──アルス君」
「ッ!?」
なのに、いやだから不意を突かれる格好になったのか、次の瞬間母から出されたその名前
に、シンシアはつい大きく反応してしまっていた。
にやにや。見れば案の定、彼女はこちらを見て笑っている。無駄に嬉しそうにしている。
「か、彼は関係ありませんわ。確かに才能もあって、好敵手として不足はありませんけど……」
こほんとわざとらしいほど咳払いを一つ。
お、落ち着くのよ。確かに彼は優秀で、自分とは魔導を志した理由もまるで別次元だった
けれど……。
「ふふ、そう恥ずかしがらなくてもいいじゃない。いい事だと思うわよ? 何も勉強は机の
上でやるものだけではないもの。折角の学生身分だものね。存分に学びなさい? ついでに
彼のハートも」
「~~ッ!? ……!?」
なのに母は、微笑ましく要らぬお節介をすぐには打ち切らなかった。
ねっ? そう彼女は言って、ソファの後ろの従者二人に同意を求めている。
まさか、お母様達にも……? シンシアは茹蛸のように顔を真っ赤にしながらも不機嫌に
眉を顰め彼らを睨んだが、当の彼らはわざとらしく目を逸らして冷や汗を垂らし、軽く口笛
なんかも吹いてみたりしている。……あと、いつの間にかカルヴィンまで交ざっている。
「……口が軽過ぎよ。限度を弁えなさい」
ジト目で思いっきり凄みを利かせると、三人は『はい』と短く真顔で答えていた。
まったくもう……。シンシアは嘆息をつくと、テーブルの上の紅茶に手を伸ばす。
「……ねえ。せっかく帰って来たんだし、こっちの学院に編入したっていいのよ?」
だからか、今度こそ母の声色はとても真面目で、嘘偽りのないものだった。
「そのつもりはありませんわ。さっきも言ったように、アルス・レノヴィンがいますもの。
少なくとも彼を並び越す魔導師になれないようでは、お母様達にも顔向けができません」
「……。そう」
しかしシルビアにとってそれは、完全に予想範囲内の返答だった。
負けず嫌いだものね。そして有爵位家の人間としての誇りを、既にセド以上に大切に抱い
て生きている──。
口にこそ出さなかったが、母として、シルビアは正直嬉しく思った。
昔はもっとプライドが邪魔をして癇癪を起こすような娘だったけれど、気付けばその悪癖
を自覚し恋もして、本当に自分が求めているものは何なのか? 大切なものは何なのか?
今は不器用ながらも模索しようとしている。いずれはそれらの為に身を賭すことを覚えてい
くのだろう。
「……」
だからこそ、守らねば。
精一杯、そうでなくとも手探りするこの子達のためにも“結社”なんていうラディカルで
独り善がりな連中を、自分達大人は少しでも早く確実に刈り取らなければ。
「……サミット、無事に終わるかしらね」
ぼそっとシルビアは言った。
ちらと娘がこちらを見て、されど特に何も言い返すこともなくメイドから紅茶のおかわり
を注いで貰っている。
(セド。こっちも気張ってるから、あんたもしっかり守ってやりなさいよ……?)
そして心の中で遠くの幼馴染にエールを送り、自身もまた紅茶のカップにそっと口をつける。
この街にせよ、輝凪の街にせよ皇国にせよ。
何処もかしこも、今はサミット出席で、多くの主が出払っている状況なのだから。