42-(6) 歯車を廻せ
昔の記憶は無い。厳密に言うと、親や家族との思い出といったものが自分の中ですっぽり
と消えてしまっている。
原因は、きっと戦火だ。
あの暴力の赤が、僕の中から失った者達のことを抹消したのではないかと考えている。
遡れる限りの過去を手繰り寄せてみれば……傷跡だった。
かつてあった集落は真っ黒に焼け落ち、動かなくなった人型の肉塊があちこちで転がって
いる。手足も見えた。酷く煤けて、地面から生えているかのようだった。
──僕らが何をしたのだろう? 同じ子供達が泣きじゃくる中で、僕はそんなことを思っ
ていたように思う。
戦争。国と国が武力で以って相手を屈服させる行為。
人の営みは破壊される。月並な表現だが、今に至るにつれ、それ以上にもそれ以下にも、
この事実を誇張したり軽んじたりするべきではないと僕は思うようになった。
さてどう生きる? 親は死んだ。同胞は死んだ。縁は何処にある?
そうして途方に暮れていた僕達を拾ってくれた人物、それがファルケン王だった。
周辺、ないし自国内で起きた戦いに責任を感じていたのだろうか。いや、多分それでも尚
冷静にその先を観ていたか。とにかく彼は、各地を回って孤児となった子供達を引き取り、
次代を担う人材として育てようと考えていたらしい。
実際、衣食住・教育などが存分に与えられた。
ただそこに在ったのは、生存の可能性に縋り付く者と、それを利用し“精鋭”を作らんと
する思惑であった。
始めは等しく穏やかに。
だが望んだ者は、この国に仕えると答えた者は、レールの上に乗せられていった。
僕はその一人として、そこで多くのことを学んだ。
政治、経済、哲学、歴史──何よりも軍事、他人を斃す術を学んだ。
気付けば脱落していく者も現れてきた。だが王はそれを殊更に詰りはしない。ただ届かな
かっただけだ、そう言って彼らのその後を斡旋してやると、再び僕らの前に立つ。
そうして僕は、ヴァルドー空軍に所属することなった。
操縦が一番の取り柄だった。気付けば戦闘艇のエースパイロット“空帝”などと呼ばれ、
持てはやされていた。
……だが、そんな名前などどうでもいい。
どれだけ大仰に呼ばれても、あの頃の僕はただの十八歳だった。それでも身体に似つかわ
ぬ勲章ばかりが増えた、階級ばかりが上がっていった。
心を殺す。ただ引き金をひき、機体を己の身体のように。
だけど……本当は分かっていたんだ。僕らがやっていることは、あの日の繰り返しだって
ことを。どれだけ壊しても壊して、殺しても殺しても、何も終わらない。
『──だから~、違うってば』
そんな中で、僕は彼女に出会ったのだ。
当時はまだ機巧師協会の理事の一人で、国軍のメンテに自ら加わらせて貰えるほどで。
それでいて……その力に驕らない。
若さもあったろう。だが何より彼女の魂がそうだったんだと思う。
何て、眩しいんだろう。
何で、こんなに楽しそうなんだろう?
とても同年代には思えない。それが、僕の方が死んだような目をしているからだと気付け
たのは、もう少し後になってからのことだけど。
『……違う?』
『そうだよ。さっきから君の言ってることは、全部“お国の為”じゃん』
あの頃も今も、彼女は笑う。問いかけてくる。
『──君は、君っていう人間は、何をしたいの?』
「も、元大尉!?」
「どっ、どうかなさいましたか?」
エリウッドが部屋の前に来ると、見張りをしていた兵士三人がびしっと敬礼をして迎えて
くれた。彼はそっと線目の下でこの“後輩”達を見る。歳月を経ても、誤解・誇大というも
のは中々消えてくれないらしい。
「……何、ジークく──皇子の様子を見に来ただけだよ。下で飲み物も買ってきた。通して
くれるかい?」
「は、はい」「どうぞ……」
やはりどうにも、向けられる彼らの目が輝いているように思う。
あの時加勢するのは拙かっただろうか……。だがすぐに仕方ないと思い直し、エリウッド
は軽く手を振って礼としながら、彼らが退いてくれた部屋の扉に手を掛ける。
「……?」
その、すぐ後のことだった。
扉を開けて半身を入れた時点で足が止まる。眉間に皺を寄せて室内を見渡している。
「おい。彼がいないぞ」
『えっ?』
兵士達は、そう肩越しに振り向いたエリウッドの言葉でにわかに驚き、青ざめていた。
皇子が……いない?
そんな筈は。
彼はまだ怪我をしていて、入り口はずっと自分達が交代で見張っていて……。
「散歩に出た訳ではないんだな?」
開けた扉、エリウッドの後ろから、三人は視界に広がる室内を確認していた。
確かに、ジークの姿は忽然と消えていた。ベッドの上も空っぽだ。念の為といった感じで
尋ねてきたエリウッドに、兵士らは三人とも、コクコクと動揺のままに首肯する。
「拙いぞ……まだ彼は怪我人なのに……。君達、急いで捜すんだ! 僕はリュカさん達に伝
えてくる!」
「は、はいっ」「了解しました!」
くわっと、緊迫した表情のエリウッド。その呼び掛けに、三人は弾かれるようにして飛び
出していった。にわかにしんとする部屋の周辺。すると彼は、まるでこの瞬間を待っていた
かのようにフッと落ち着きを取り戻すと、その足で今度こそ部屋の中に入る。
「……芝居上手いんだな、エリウッドさん」
「そうでもないよ。僕はただ、彼らの憧憬を利用したに過ぎない」
ジークはいた。具体的に言うと、開けた扉の裏、その壁際に隠れるようにして。
そんな彼の褒め言葉にエリウッドはあくまで自嘲的である。
そうっすか……。
ジークはさりとてそれ以上フォローするつもりはないらしく、随分包帯の減った身体、懐
に差した金菫をザラッと抜くと、躊躇なく発動。自身に突き刺してもう何度目かも分からな
くなった治癒行為をする。
「……乱発して大丈夫かい? いくら動けるようにコンディションを持っていく為でも」
「そこは、まぁ。リュカ姉やサフレにも口酸っぱく言われてるんで。加減やら頻度は守って
やってきてますよ。それに一発の消耗は太刀の方に比べればまだ小さいですしね」
発動を止め、金の光を収束させながら鞘に収めて深呼吸を一つ。
壁にもたれかかっていたジークは立ち上がり、肩に引っ掛けていたいつものコートを上か
ら羽織った。次いで立て掛けていた残りの六華もいつもの位置に差し、準備を整える。
「始めるかい?」
「ええ、リュカ姉達を呼んで来てください。……もう、あまり長居はできませんし」
合流したジーク達五人はにわかに慌てている基地内を潜り抜け、その外、敷地内のとある
倉庫の前へとやって来ていた。
そこには既に、一台の貨物用鋼車。
運転席には、一見いかつい男の運転手がハンドルに腕を乗せている。
「待ってたよ。こっちは準備完了」
だが彼から発せられた声は、明らかに女性──レジーナのものだった。
そして彼、いや彼女が見遣るその一団も、一見すればジーク達ではない、駐屯地関係者の
ように見える作業員や兵士の五人組であった。
「……無茶に付き合ってくれてすみません。すぐに出発しましょう」
からくりはこうだ。
先ず、エリウッドが自身のかつての威光を利用し、ジークを見張る兵士らを遠ざける。
その一方で、リュカは並行し、レジーナを含む仲間達に幻視の魔霧の魔導を掛けておく。
後は基地内の混乱を逆手に取り、皆で脱出する……という寸法だ。
各々に魔導で化けた六人は早速この鋼車に乗り込んだ。
ちなみに付け加えておくと、拝借ではない。一応エリウッドとレジーナが、袖の下で以っ
て買い付けておいたものだ。
「……あのぅ。この山盛りの箱って」
「あ、うん。鋼材とか色々。言っておくけどちゃんと買ったものだからね? オズ君の件も
あるし、手ぶらで帰る訳にはいかないもの」
「まぁ調達自体は、フォーザリアを出る前も試みていたんだけどね。この鋼車も輸送に必要
だということで調達したんだ。先ずはこっちへの足代わりとなったんだけれど」
車内に詰まれた頑丈な荷箱の山を見て、童顔兵士の姿なマルタが言った。
エンジンを再稼動させながら、レジーナが笑う。エリウッドが補足をする。
こんな状況になっても元々の目的、仕事を忘れない辺りは流石だ。作業員の姿なジークと
士官の姿なサフレは互いに顔を見合わせ、苦笑していた。
「ジーク」
「……ああ、行こう。一度、鋼都に戻る」
女性将校な姿のリュカに促されて、ジークが言った。
アイアイサー。レジーナが笑ってぐっとアクセルを踏み込む。
「しっかり掴まっててね? かっ飛ばすよー!」
急発進する鋼車。
混乱に紛れ、六人を乗せた車体はヤーウェイ駐屯地より飛び出していく。
「ば、馬鹿者ッ!」
基地内の混乱が収まるのは、それからもう少し時間が経ってからのことになる。
報告を受けた司令室の将校の一人が、そう焦ったように目の前の兵達に怒鳴っていた。
「ハルトマンは“元”大尉だ、今は軍属ではない! むしろ今は、レノヴィン達の味方では
ないか!」
兵士達がはっとなって互いに顔を見合わせていた。
“空帝”エリウッド・L・ハルトマン。
自分達はその歩く伝説に浮かれてしまっていたということか。
「と、とにかく捜せ、連れ戻すんだ! このままでは──」
「構わん。好きにさせておけ。陛下もこうした事態は既に想定されておる」
しかしそんな現場の彼らを宥め、落ち着きを取り戻させたのは、他ならぬマルコ将軍──
ジーク達を追ってこの駐屯地の一時責任者となり、王都から派遣されたフォーザリア救助部
隊の指揮官を務めている人物だった。
「…………。りょ、了解しました……」
「うむ。だが後は尾けさせろ、こっそりとな。随時王都──陛下の御耳に入れるように」
数度目を瞬き、この将校は拝承の意を。
再びぱたぱたと動き回っていく部下達を眺めながら、マルコ将軍は「ふぅ……」と静かに
息をつくと、ゆっくりと座るその椅子の背に体重を預け直す。
「──ほう? あいつらが飛び出して行ったか」
「はい。どうやら鋼都に向かっているようです。ルフグラン女史が行動を共にしているので、
おそらく社に戻るのではと」
「……そうか。引き続き情報収集と報告を続けさせろ。精霊伝令でな」
「はっ」
そうして時も場所も離れ、ジーク一行出奔の報は、ヴァルドー王・ファルケンの耳にも入
っていた。
大都の一角、会談の為にとある石畳の渡り廊下を歩いている王一行。
そんな彼の下へ、官吏が一人そうひそっとやって来ると耳打ちをしてきたのだ。
ファルケンの口元にはにやりと弧。それでも返すのは小声で、官吏はその指示を受けると
サッとまるで霧にむけるように一行の人ごみの中へと消えていく。
(ふふ、やっぱり動き出したか。そうこなくっちゃな……)
カツンカツン。何人分もの靴音が石畳を叩く音が聞こえる。
ファルケンは内心でほくそ笑んでいた。だが表情はあくまでも神妙だった。
ちらと側方中空を見上げる。渡り廊下の屋根が多少邪魔をするが、その視界には高々とそ
びえる大都の城壁と、それらの間に詰め込まれた街の姿が遠巻きに見える。
これで勝ったなんて言わせない。
俺達は負けちゃいけないんだ……。
空仰ぐ西方の破天王と、黙々と往くその取り巻き達。
一見して彼らは真面目で厳粛だが、既にそこには多くの思惑が交錯している。
──“祭り”が、始まるのだ。