42-(3) 権力(ちから)の衆
何件目かの会談が終わり、先方の王とその取り巻き達が部屋を後にしていく。
時は前後し、サムトリア共和国代表団の滞在先。
ようやく訪れた小休止に、同国の若き大統領・ロゼッタは椅子の背に体重を乗せぐぐっと
伸びをすると、その身体に溜まった凝りを解きだす。
「お疲れさまです。大統領」
「よろしければお茶にしませんか? 用意はしてあります」
「……ええ、ありがとう。お願いするわ」
程なくして隣室からスタッフ達が顔を見せ、労をねぎらってくれた。
本国の政務官もいるにはいる。だがここにいる大半は、彼女の統務院議員時代から苦楽を
共にしてきた仲間達だ。
ぱたぱたと動き回る彼女達。
そんな信頼のおける後ろ姿を横顔を、ロゼは静かに微笑ましく眺めている。
「大統領。首尾はどうでした?」
そして横から聞こえてくる声。振り向けば、そこには“黒姫”ロミリアの姿があった。
大統領就任の少し後、その星詠みと傘下の魔導兵団の力を買い、非公式ながらこの国の用
心棒とした七星の一人である。
「……可もなく不可もなく、といった所です。隣で聞いていたのでしょう? 今の所、どの
先方ともミクロな部分の外交ばかりです」
ロゼは膝の上で手を組み、そう小さく息を吐きながら答えた。
どうぞ──。ちょうどスタッフが紅茶を淹れてきてくれたので、彼女は「ありがとう」と
サイドテーブルに置かせた上でカップを手に取り、一口二口と喉を潤しながら続ける。
「無理もありませんね。今回のサミット──実質トナン内乱と対“結社”の対応において、
我が国は蚊帳の外といって差し支えありません。風都の一件で態度を示してみせたとはいえ、
こちらはレノヴィン一家とのコネクションが皆無ですから」
本音を言えば、不安だった。
議員時代には毎日のように詰めていたこの街だが、サムトリア大統領になってからは初め
ての総会だ。同じようで、あの頃と今ではその目に映る景色はまるで違う。
「仕方ありませんわ。先ずは国内の地盤固めが大事。その点では自国内の“結社”で手一杯
だったヴァルドーも同じでしょう?」
「ええ……」
ロミリアが言った。
だが、向こうにはジーク皇子滞在というカードがある。いや、あった、のか。
確かな情報源がまだ“結社”の犯行声明だけというのが怪しい。
ヴァルドーにトナン。既に調べさせてはいるが、開催期間中には揃わないだろう。
(トナン皇国……)
加えて、個人的にはあの国には応援と心配、半々二つの思いが入り混じっている。
新女皇シノは、自身の戴冠式で自国を将来的に共和制に移行したいと語っていた。
それは、構わない。元より他国の内政だ。王政──今日も尚主流の形態である諸国は内心
おもしろくはないだろうが、カテゴリーという括りで捉えれば“仲間”が増えるかもしれな
いし、歓迎したい。
しかし……果たしてそんなに上手く、綺麗にいくだろうか? 自分は同時にそう気持ちが
塗り替えられる心地がしてならないのだ。
一人より皆で決める。それは確かに力の分散を防ぐのかもしれない。
だが、結局“暴力”には違いないのである。王の暴力か、数の暴力か。
議員時代も散々搔き回された。そして大統領となった今も。
十人の人間がいれば、十人の考えがある。思いがある。
では、それが百万・千万と膨らんでいった先は……? 制度として彼らから代表が選ばれ
委任されるとはいえ、やはりぶつかり合う思惑、諍いというものは避けられないものだ。
そこを、シノ皇は美化し過ぎてはいないだろうか……?
そう、お節介だとは承知だが、個人的に思ってしまうことはある。
「……」
更に今回のサミットでは、我が国を含めた四大国──六大陣営の残り二つ、教団は政治的
場面では中立を装うし、保守同盟はそもそも匿名の保守派有志の集まりで、形ある勢力で
すらなく除かれる──が、各々にトナンへの影響力を増そうとするだろう。
「リモコンを」
私情を押し込めるように深呼吸をして、ロゼはスタッフを見遣って言った。
すぐにデスクの上に置いてあったそれが差し出され、彼女は壁際の映像器に向けてスイッ
チをオンにする。
画面には、今回のサミットを特集・中継する番組が映し出されていた。
何度か局番を回しながら、同じような構図が続くのを一同で観る。録画されているものも
あるのだろう。そこにはメディアも似た思考なのか、大都に訪れている大国の王らの姿を
捉えた映像も少なくない。
──今回の議長国、北方の盟主・アトス連邦朝。
国主は老練の王・ハウゼン。ロゼも議員時代から見かけている御仁であり、あまり口数は
多くないが、思慮深い人物だと記憶している。
トナン内乱の際にはレスズと合同で介入してその戦いを終結させた。現在は、シノ皇が亡
命していた場所を領内に抱えていることもあり、事実上の後ろ盾ともなっている。そのため
既にかなりのアドバンテージを持っているといえる。
だが注視すべきはハウゼン──基本的に穏健な王よりも、彼にトナンへの介入を進言した
というエイルフィード伯であろう。
またの名を“灼雷”の魔導師。かつては冒険者だった経歴もあり、シノ皇とは二十年来の
仲間であるとも報告を受けている。内乱後、対トナンの特命大使に任じられていることも
踏まえ、今後も注意が必要だ。
──トナン皇国の位置する、東方の盟主・レスズ都市同盟。
他三国とは違い、各地の領主が手を結んだ広域連合。そのトップがウォルター議長だ。
ただああいう彼らの商魂と独立独歩の態度は、正直個人的には付き合いたくないタイプで
はある。アトスと共同して介入したものの、主導権を彼らに取られた格好でおもしろくない
というのが同盟内の多くの意見であるらしい。
調べさせた内では、既に持ち前の財力で周辺勢力の取り込みを図っているそうだ。何とも
彼ららしい攻め口ではあるが……やはり相性は悪そうだ。我が国も、乗せられないよう再度
厳命する必要があるかもしれない。
ただ、こちらから立ち回るとなれば……先のエイルフィード伯と盟友であるフォンテイン
侯がキーマンとなろうか。報告では、トナン介入を実現させた、アズサ皇と“結社”内通の
証拠を握っていた人物であり、現在同盟内の諸侯らとは関係が冷え込んでいるとも聞く。
──そして、西方の盟主・ヴァルドー王国。
言わずとも知れた機巧技術先進国で軍事大国。そのアトスすら凌ぐ広さの領土を、強権と
カリスマが同居するファルケン王が治める。
この国に、今回のサミットにおいて、見逃す訳にはいかないのは、やはりジーク皇子一行
の消息とこれまでの“結社”に対する強硬姿勢への変化の如何か。
後者は、おそらくあの王の性格からして引け腰になるとは考え難い。むしろ件のフォーザ
リア爆破テロが、彼の闘争心に火を点けたのではないかと自分は踏んでいる。
どのみち“結社”への強いメッセージを集約せんとする今回の流れは変えられまい。我が
国も、特にそこへ異は挟まないつもりだ。ただ少しでもローリスク・ハイリターンをもぎ取
れる可能性があれば、しっかりと手を伸ばす……それだけだ。それが政治であり、外交だ。
「……それにしても、一体ファルケン王は何を考えているのかしら。ジーク皇子が自国領内
で消息不明──“結社”自身の声明によれば、殺害されたというのに」
ロゼにはそれが一番引っ掛かっていた。
映像器の画面には、バベルロートの某所を往くファルケン王の一行が映されている。
まさか無配慮という訳ではなかろう。更に被害者たるトナンまで尚、この件に関して沈黙
しているということは……やはり両国とも、サミットへの悪影響を懸念しているのか。
「大丈夫。まだ彼に死兆の星は出ていませんわ」
ぽつっと、ロミリアが呟いていた。
見てみれば、また腕を組んだ指に数枚の占札を挟み、そう軽く目を細めた妖艶な笑みを
浮かべている。
「……」
正直言って、対するロゼは半信半疑だった。
自分で、彼女の星詠みは信用することにするとは言った。だが鉱山一つを瓦礫の山に変え
たほどの爆発の中、彼らが生き残っているものなのだろうか……?
「……少なくとも、ファルケン王は何か隠しているでしょうね。もっと言えば、この状況を
利用したカードを何枚も携えてきている」
「ええ……。きっと」
ロミリアの静かな同意。
ロゼは小さく首を横に振って、推測だらけのその疑念を掃った。
先ずは政務だ。サミットの成功だ。政治経験なら自分だって負けていない。故郷の人々の
為にも、世界の人々の為にも、自分は頑張るんだ……。
(? ファルケン王、耳打ちをされてる……?)
スタッフの一人が「あっ」と短い声を漏らしたのは、ちょうどそんな時だった。
一瞬、映像器の向こうのファルケン王に目を凝らしていたロゼ。だがすぐにこのスタッフ
の声と物音に気付くと、彼女は意識を切り替え、何事だと視線を遣る。
「どうかした?」
「あ、はい。その、こちらでも携行端末で報道をチェックしていたのですが……」
その彼女が恐縮しつつ、手にしたそれをこちらに持ってきた。
ロゼ達が観ていたのとは別の映像。
そこには何処かの広場を行く、見覚えのある四人とその大勢の取り巻きの姿が映し出され
ている。
「──ほほう。暫く見ねぇ内に地上も随分でかくなったなあ」
一つは額に角を持ち、着流しや和服に身を包んだ、鬼族の集団だった。
「眩しいわねぇ……。あ~、やっぱり爺達に任せとくべきだったかしら……」
一つは闇色揃いな衣を羽織り、ちらとその鋭い牙を覗かせる、妖魔族の集団だった。
「う~ん……? 何だか周りの人達、じろじろ私達のこと見てない?」
一つは羊のような巻き角を持ち、どうにも露出の多い服を纏った、幻夢族の集団だった。
「そりゃあ、てめぇら色魔は珍しいからな。力、制御しておけよ?」
一つは両目の下に線を持ち、マフィアの一行よろしく威圧感を放つ、宿現の集団だった。
彼らが行く先、通った道の両側に人々がざわめきながら人だかりを作っていた。
“万魔連合”。
魔界・器界・幻界──地底層世界の先住種族、通称「魔族」達を中心とした地下世界版
の統務院。その最高権力者達が、今まさにこの場に集結していたのだ。
“鬼長”セキエイ。
“妖魔卿”ミザリー・ファントムベイン。
“幻姫”リリザベート。
“首領”ウル・ラポーネ。及びその取り巻き達。
彼らは今回、統務院総会のオブザーバーとして招待されている。
「……そういや“神託御座”の連中は来てるのか? あいつらも俺らと同じで統務院に呼ば
れたんだろ?」
「来てないみたいだよ? お休みするって~」
「ふん、臆病風に吹かれおって……。天上の神々とやらも堕ちたものだ。大層に構えておき
ながら何も事を起こそうとせん」
「ま、仕方ないんじゃない? あいつらにとっては信仰がイコール自分達の存在そのものだ
からさ。今回は議題が議題だし、それで保守派にまとめてそっぽ向かれたら大損失だし」
「予想はしてたけどな。まぁ俺達だけでもしっかり仕事はするさ」
一見してまだ歳若い少女に見えるリリザベートの返答に、テンガロンハットと革コート、
咥え葉巻といういでたちのウルが、不機嫌に苦々しく吐き捨てた。
ミザリーはそんな四人最年長のぼやきをそれとなくいなし、赤髪の偉丈夫・セキエイはそ
う前向きに笑って皆を率いている。
「──万魔連合の一行も到着したようですね」
「ええ……。招待されたとは聞いていたけれど」
政務官の緊張した呟きに、ロゼは静かに眉間に皺を寄せて応えていた。
画面を、携行端末を見せてくれた女性スタッフから皆が離れ、誰からともなく大きな息が
漏れる。刻一刻と確実に、サミットはその規模の大きさを見せつけつつある。
まさか彼ら──「四魔長」全員が揃うとは。
それだけ“結社”が撒き散らす被害は広範に及び、深刻であるという証拠か。あちらでも
開拓の波は押し寄せていると聞く。その波が生む歪みに、連中の魔手が迫っている……。
「大統領、そろそろお時間です。先程、ヤハル王一行が到着されたと連絡が」
「あ、ええ。分かったわ」
だがロゼ達に、じっと考え込む暇はあまりない。気付けば相応に時間は経ち、ドアの向こ
うから伝令のスタッフが顔を出してきた。
頷き、ロゼは応える。残りの紅茶を飲み干し、差し出された水で口内をゆすぐ。
そして同じく差し出された鏡を見ながら、改めて身なりを整えて。
若き女性大統領の、顕界四大国の一角を占める元首の、政務は続く。