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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-42.英雄擁く都(まち)で
245/434

42-(1) 押し込めた不安

 地図上では比較的近いように見えても、やはり世界は広いのだなと思う。そしてその事実

はヒトの都合など微塵も鑑みはしないのだ。

(──んっ……)

 飛行艇の中で寝泊りをしつつ、数日。アルス達一行は大都バベルロート上空に差し掛かっていた。

 窓から差し込んでくる陽が存外に眩しい。

 寝惚け眼をごしごし。機内の照明がまだ落ちている──明け方というのもあるが、気付け

ば中々この環境にも慣れてきているらしい。

(……。綺麗)

 そっとベッドから降りて窓の外を覗いてみる。アルスの目には次々と後方へ流れていく朝

焼けの雲海があった。

 更にその眼下には大小の浮遊大陸りくちが見え隠れしている。

 中でも一際大きく、上空からも都市だと分かる場所が見えた。多分あれが今回の目的地・

バベルロートなのだろう。

「うぅん……? 随分と早起きだねぇ……」

 そうしていると、宙に浮いたまま眠っていたエトナが同じく目を覚ました。

 寝惚け眼をごしごし。むくりと起き上がると手櫛で髪を整えながら大きなあくびをする。

「あ。ごめんね、起こしちゃって」

「いいよ。だって今日でしょ? 確か着くのって」

「うん……」

 窓際から相棒に振り返り、そのまま彼女の下へ。

 アルスはヘッドボードに置いていた懐中時計に手を伸ばすと、時刻と日付を確認する。

 船長やイヨ達からも日程は既に聞いて、頭に叩き込んである。大舞台が、すぐそこまで近

付いてきている。

「でも、ちょっと名残惜しいかも。こんな広い個室付きで飛行艇に乗れるだなんて中々ない

経験だと思わない?」

「あ、はは……」

 エトナは気楽だなぁ。

 そう喉まで来た言葉を呑み込むようにして、アルスは苦笑いを零していた。

 懐中時計を戻し、乱れたシーツを整え直しながら、サイドテーブルに置いておいた着替え

を見遣る。

「公務で遠出したらまた泊まれると思うよ。僕達が頼まなくたって、ね」


 一行を乗せた飛行艇団はバベルロートの上空をゆるりと旋回、その最寄の空港ポートへと降り

立った。

 薄灰の均された地面の上。先刻まで空高くを飛んでいた機体はそこに鎮座し、開いた鉄扉

から次々と面々を解放していく。

 アルスとその相棒エトナ、イヨとリンファを筆頭とした侍従衆。その周りを守り囲むよう

にしてイセルナとダン、シフォン以下クラン・ブルートバードの遠征組──団員達が目を光

らせている。更にもう一方で同じように、この船団を手配したセドらアトス政府関係者も自

国の兵達に守られながらタラップを降りた。

「アルス皇子!」

「エイルフィード卿!」

 そうして一行が地に足をつけた瞬間から、メディアの“歓迎”が始まる。

 時刻はまだ明朝だというのに、発着場には多くのマスコミ関係者が押しかけていた。

 一斉に焚かれる写姿器のストロボ、向けられる映像機のレンズ。非常線と警備員らに制止

されながらも、彼らは気持ち何割増しにもなってずいずいとこちらを捉えようとしてくる。

 朝早くから熱心だな──まだ眩しいんだけど──。

 アルスはそっと手で庇を作りつつ、内心そんなことを思いながら皆という人波の中に紛れ

て歩いていた。

 彼らの方々から飛ばされる質問。だが自分も皆も、そうした声に答えることはない。

 無視ではなく、黙秘。出発前にも飛行艇の中でも繰り返し説かれ、今まさに自身も己に言

い聞かせていること。

『──連中は言葉を欲しがってる。言質を取りゃ、ぶっちゃけ向こうはやりたい放題できる

訳だからな』

 セド曰く。頼れるおじさんとして、政務の先輩として。

 彼はそう、若干斜に構えたように苦笑わらって言っていたっけ。

『それにお前だって魔導師なんだ。言葉ってものの大切さはよーく分かってるだろ?』

 皇子と判る前からも、映像器でよく見ていた光景。取材攻勢をじっといなし、通り過ぎて

いくお偉いさん。

 あの頃はまさか、自分がその立場になるなんて考えもしなかった。

 ただ一つはっきりしているのは、この何ともやり切れない、やられっ放しのように感じる

悔しさだったり……申し訳なさだったり。

「皇子! 一言、一言だけ! フォーザリア鉱山でのテロについてお願いします! ジーク

皇子の──お兄さんの消息はご存知なのですか!?」

「……ッ」

 だからだったのかもしれない。アルスは不意に耳に届いたその質問に、明らかに身を硬く

し反応してしまっていた。

 見開いた目、揺らぐ両の瞳。

 その眼差しは恨みの類では決してなく、ただひたすらに動揺を噛み殺すような。

「……」

 アルスは、ゆっくりと記者達の方へと振り向いていた。

 誰が発したかは分からない。だが彼らは皆、その返事を知りたがっていたようで、じっと

こちらを見つめて待ち構えている。


 ──ヴァルドー王国・フォーザリア鉱山で起こった“結社”による爆破テロ。

 空の路中、アルス達は導信網マギネット上にて発表されたその犯行声明を見つけると思わず言葉を

失った。

 死んだ……? 兄さんが、リュカ先生が、サフレさんとマルタさんが、死んだ?

 信じられなかった。確かに兄達は道中で出会った機人キジンを直す為、材料集めに出掛けていった

と聞いている。

 それが、こんな事になっていたなんて。連絡がつかないと思ったらそんな事に巻き込まれ

ていたなんて。

 勿論、急いで回線を繋ぎ、ルフグラン・カンパニーにも確認を取った。

 しかし社員達はその事を知らなかったようで、ただ導話の向こうで慌てふためくばかり。

次いでヴァルドー政府へと繋いで貰っても、調査中だとの返答を繰り返されるばかり。

 何より……その後が歯痒かった。

 口止めを受けたのである。今回“結社”がヴァルドー国内で大規模なテロを起こしたのも

兄達を殺したと声明を出したのも、このサミットを揺さぶり、妨害するのが目的の一つなの

ではないかと諭されたのだ。

 確かにその可能性は充分にある。いや、冷静に分析してみれば多分間違いないのだろう。

 だけれど……そうした論理的思考と自分自身の感情は、必ずしも一致しない。

 出来ることならすぐにでもフォーザリアへ、兄達が巻き込まれたというその現場に行きた

かった。行って、元気なその顔を姿を見たいと願った。

 それでも、今置かれた状況がそれを許してはくれない。

 サミットを放り出して兄達の下へ行けばそれこそ“結社”の思惑通りになってしまうし、

何より頑ななヴァルドーに自分──トナン皇国皇子が突っかかれば、両国の間に要らぬ緊張

を作ってしまう可能性だってある。

 祖国は今、復興の最中だ。外交問題に割けるエネルギーはそう多くはない。

 黙り込むしかなかった。その筈だった。

 少なくともヴァルドーもトナンも多くを語らず、伝えてこない以上、自分の言葉は間違い

なく「公」の皮を被った「私」になってしまうだろう。

 自分の不安を理由に声を発しても……今度はまた、別の誰かを傷つけるかもしれない。

 それが、とてつもなく怖かった。

 喉の奥を、嫌なねちっこさで塞がれるような心地がする。


(アルス様)

 ぐるぐると複雑に絡まる思考の糸。

 そんな暗いイメージをはたと拭ってくれたのは、そう優しく肩を叩いて耳打ちのような小

声を遣ってきたリンファだった。

 びくり。アルスは揺らいだままの瞳で肩越しに振り向く。

 傍らにはリンファがいた、エトナが宙に浮いていた。周りを囲む仲間達もそれぞれにこち

らの内心を慮るように眉を下げ、静かに苦笑を漏らすしかなく、気付けば空港ポート本棟へ向かう

その全体の足取りも気持ちゆっくりになっている気がする。

「──」

 ぽんと、リンファがそんな皆の陰に隠すようにして、そっと自身の胸を叩く仕草をした。

 もう一度互いの目が合う。アルスもハッとなって頷く。

 これは……合図だ。

 アルスは普段、胸元にはいつも公務関係のメモをまとめた手帳を忍ばせている。それを指

し示すとは即ち“マニュアル通りに”というメッセージ。いざという時にどうするか、予め

示し合わせてあることの一つ。

 会見の場でもない限り、メディアには基本、言質を取られないよう黙秘するのが方針だ。

 それでもこうして合図をくれたということは、何かしらコメントだけはしろということな

のだろう。一度記者達かれらに眼を向けてしまった以上、そのまま素通りしては印象が悪く映って

しまいかねない。ミスを責める自分と、この彼女からのフォローをありがたく思う自分がいる。

「……僕からお伝えできることは、ありません。現在調査中です」

 体感的にはもの凄く長い間、だけど実際にはほんの数秒。

 アルスは改めて、記者達を見つめるとそう言う。

 瞬間、彼らの表情には明らかな落胆の色がみえた。

 杓子定規の返答、取れない新情報げんち

 アルスはやっぱりなのかと思い、だがしかしもう一言、予め打ち合わせの中で認めて貰え

た、自分の思いを反映させた言葉を、彼らとその向こう側にいるであろう世界の人々に向け

て紡ぐ。

「……ですがお願いです。皆さんもどうか惑わされず、自身の眼で物事を観てください」

 ゆっくり深々と。その二言目の後にアルスは頭を下げていた。

 焚かれるストロボの光、向けられる映像器のレンズの数が不意に疎らになる。記者達の少

なからずが、虚を突かれていたからだ。

 彼の周りを、ゆっくりと仲間達が通り過ぎていく。

 彼の言葉を聞いていなかった訳ではない。むしろしっかりと耳に届けていたからこそ、そ

の横顔は苦々しく、押し込めた綯い交ぜの感情を漂わせている。

 スローテンポで流れていく明朝の一コマ。

 だがアルスが再び頭を上げ、歩調を合わせるように一団に呑まれていくと同時に、彼らの

歩みはにわかに元に戻っていくかのようだった。

 一行が歩いていく先には、空港ポートの本棟。

 そしてその玄関口には既に何台もの鋼車が待ち構えており、アルス達を次々に乗せていっ

てはごうんとエンジン音を響かせる。

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