41-(4) 天地駆る魔手
「“結社”っ……!?」
仲間達と共に、ジークは目を見開き身を強張らせていた。
吹き込んでいた夜風がその瞬間、急に生温く不快なものに変貌した気がする。
「レノヴィンヲ発見シタ」
「コレヨリ、攻撃行動ヲ開始スル」
片言な、オートマタ兵らの発する声が聞こえた。
すると応じるように開くのは、彼らが乗る大鴉らの口。そこから息を吸って次々と赤黒い
光球が形成されていく。
「皆、伏せろッ!」
そこへ飛び出したのはサフレだった。
一番近い距離、窓際のマルタを庇うように彼女と彼らの間に割って入ったサフレは、包帯
を巻いていない方の腕で、首元の楯なる外衣を広げながら叫ぶ。
次の瞬間、バチッという耳障りな音と共に、外で爆音が重なった。彼がその防御の魔導具
で弾き返した光弾が、襲ってきたこのオートマタ兵と有翼の魔獣らを撃ち落したのである。
夜闇に、ゆらりと白煙が残っていた。
緊張で張り詰めた室内。ベッドの上のジークは咄嗟に身を捻じ込ませてきたリュカに庇わ
れ、強張った表情のマルタはサフレの背中に掴まって怯えている。
「ど、どうなさったんですかっ!?」
「さっき、物凄い音が……」
流石にこの物音には付近の兵士達も敏感であった。
退けたか? そう息をついた所へ彼らは血相を変えて駆け込んでくる。その中にはサンド
ウィッチの皿をトレイに載せてきた歳若い兵士もいる。先刻、マルタが人払いも兼ねて頼ん
でおいたジークへの夜食だろう。
「“結社”だ! さっき窓に連中が飛んできやがったんだ!」
「で、でも何で? もう向こうは犯行声明を出してるのに……」
「とにかく急いで皆に知らせて! 奴らが襲ってくるわ!」
「それと医務官を呼んでくれ。ジークをもっと奥まった場所へ運ばないといけない」
「なっ……!?」「りょ、了解であります!」
「あ、あのぅ。お夜食は──」
ジーク達が返した言葉に、兵士達は血相を変えて駆け出していった。
程なくして駐屯地全域に警報と“結社”出現のアナウンスが鳴り響く。例の中年医務官ら
も駆けつけ、まだ満足に動けぬジークは寝台車に移し変えられて運ばれていく。
「サフレ」
そんな彼を見送り、サフレ達三人は基地の兵らに加勢する気でいた。
するとそのジーク当人が、少し待ってくれと医務官らを待たせ、そう戦友の名を
呼んでくる。
「……どうした?」
「お前、まさか片手で奴らとやり合おうってんじゃねぇだろうな? ……腕出せ」
怪訝ながら近付いた、次の瞬間だった。何とジークは足元に運ばれ直されていた六華の、
内の金菫を抜くと、マナを込めて間髪入れずサフレの折れた腕を刺したのである。
周りの兵士達が真っ青になった。
だがサフレ以下、仲間達は驚きはしたものの、そこまで悲鳴などは上げない。
刃と房飾り、稲穂のような金色の輝きが、暫しサフレの腕と脇腹を中心に包んでいた。
やがてジークがその傷付けない──治癒の聖浄器を抜く。サフレがそっとギブスから腕を
抜いて感触を確かめるに、骨はしっかりと繋がっていた。脇腹の痛みも消えている。こちら
も同じくなのだろう。
「ジーク……」
「もうっ、無茶し過ぎよ! 貴方は今、心身共に消耗してるっていうのに……」
「はは。でも万全じゃねぇ仲間を敵のとこに遣れるかよ。だから……こいつらも持ってけ」
驚きと叱り。
だがジークはさも「俺のことはいい」と言わんばかりに苦笑で笑い飛ばすと、更に六華の
内、紅梅と蒼桜の二振りをサフレに手渡してきたのだ。
「使ってくれ。今俺が戦えない分、せめてそいつらだけでも」
「……。分かった」
数拍視線を落としてサフレは黙っていたが、ぎゅっと眉間に皺を寄せて頷くとその二刀を
受け取った。
その場で腰に差し、一時的な剣士の格好。
顔を上げた二人は最初口を開きこそしなかったが、互いに力強く頷き合い、託し託された
思いを確認し合っていた。
「……皆を頼む。どんなに理屈を捏ね回したって、他人を殺して回るような奴らが正しい筈
なんてねぇんだ」
「──敵の規模はどれくらいだ?」
「はっ。飛行部隊二百、地上部隊三百、合わせておよそ五百と観測されます」
「陸と空からか……。総員、大至急ありったけの砲台と防壁車を配置せよ! 一騎たりとも
棟内に進入を許すな!」
警報鳴り響く基地内は、慌しい混乱の中にあった。
それでも彼らは職業軍人である。総責任者であるマルコ将軍の指示で、今まさに攻め込ん
で来ようとする“結社”の軍勢に対し、彼らは急ピッチで布陣を敷こうとしていた。
「迎撃だけで宜しいのですか? ここは戦闘艇も出撃させて早急に叩くべきでは……?」
「いや、それは拙い。照明を全開にしても今は夜だ。仮に戦闘艇に銃撃戦をさせて自他の流
れ弾がこちらに当たってみろ。それでは何の為に防衛しているか分からん」
望遠レンズを確認するに、相手はオートマタ兵を魔獣に騎乗させた軍勢。あの手の連中は
人心というものを殆ど持たぬ故、数はそう多くなくとも掃討するにはかなりの骨が折れると
思われる。
不安そうな部下の提案に、マルコ将軍は苦渋の否を返していた。
確かに短期決戦であるほどこちらとしては好ましい。だが既に敵は自分達の拠点の中まで
入り込んでいるのだ。そこで不定な方向への射撃をすれば、守るべきもの自体を破壊してし
まう恐れがある。
(だから夜を選んだか……。やはりただの不逞の輩とするには組織的過ぎるな……)
夜闇に染まった空を、大鴉に乗った黒衣の兵士達が駆けている。
夜闇に溶けた丘陵を、犀型の魔獣──ギガライノに乗った黒衣の兵士達が駆けている。
「やれやれ……やっと見つけましたよ」
そんな魔性の軍勢を率いている人物が、その上空にいた。
跨っているのはファットクロウではなく、鷲と獅子の合成魔獣・グリフォン。纏う部分鎧
は夜闇に紛れるような濃紫で、髪は数本だけを除いて後ろに撫で付けられている。
フッと口元に弧を描いたこの男の名は、カムラン。ジーク達の安否を追っていた“結社”
の信徒である。
「あの方より命を受けましたが……まさか本当に生きていたとは」
彼は手に下げた長槍を揺らしグリフォンを軽く嘶かさせると、眼下に建つヤーウェイ駐屯
地とそこへなだれ込まんとしている手駒達を見遣った。
「だが安心なさい、そして光栄に思いなさい。この信徒カムランが狙ったからには、華麗に
そして圧倒的に、貴方達を蹂躙してみせましょう!」
さあ! 槍を水平に払い、合図。
次の瞬間、空と大地より迫る魔獣の騎兵らが世にも恐ろしい叫びを合唱する。
「く、来るぞー!」
「砲撃、開始ィッ!!」
先ず空中からの強襲が来た。ファットクロウに跨った黒衣の兵士達が、手槍を引っさげて
突撃してくる。
対して基地の防衛線にずらりと並んだ砲台と砲兵らは、その動きに合わせて一気にレバー
を引いて火を噴かせた。
夜闇に、照準を付け易くする為に照らされた幾つものライトを頼りに、砲撃と爆発があち
こちで鳴り響く。
実際、それらで撃ち落せた敵はいた。
だが小回りという点では相手の方が勝っており、黒い翼と嘴、槍先が城壁の上に陣取った
このヴァルドー兵らを次々に襲っていく。
「くっ……あいつら……!」
「余所見してんな、来るぞ!」
更に地上部隊──ギガライノの跨った黒衣の兵士達も防衛線へと肉薄する。
駐屯地の兵士達は、防壁車と呼ばれる大型の鋼車をずらりと並べて待ち構えていた。
ただ、それは単なる車ではない。元の自重もさることながら、前面に巨大な鋼の盾を取り
付けられ、転ばぬよう、車体からは二対の鉄杭が地面に打たれて固定されている。
運転席で、兵士達は各々に緊張の面持ちで待った。
いわば──いや文字通り、犀の大群を受け止めようというのだ。気楽な筈もない。
『……ッ!!』
眼前に巨体の群れが迫った次の瞬間、そんな大型車にも少なからぬ衝撃を与える第一波が
兵達を襲った。
ずらり並べ互いに車体を寄せた大盾に、ギガライノの大群が頭を角を押し付けている。
ふ、防いだ……。そんな安堵。
だがそれも束の間だった。今度はオートマタ兵達が、突進を止められたと理解したかと思
うと、手斧を片手に次々と跳躍──盾を登り、合間を潜ろうとし、間髪入れぬ攻勢を掛けて
きたのである。
「チッ、やっぱそう来たか!」
「迎撃頼む! 片っ端から吹っ飛ばせ!」
それからは、空も大地も取っ組み合いの様相を呈し始めた。
執拗にヒットアンドアウェイで襲い掛かるファットクロウらに砲撃が掠め、或いは上手く
疎らと撃ち落し、ギガライノとの力比べをしている傍でオートマタ兵と密集陣形の歩兵らが
斬撃と銃撃をかち合わせる。
……物量では、こちらが勝っている筈だった。
しかし場所が悪いのだ。ここは自分達の本拠地、どうしても基本的に防衛戦とならざるを
得ない。
司令室のマルコ将軍以下幹部らが顔を顰め、ぎりぎりと歯を軋ませていた。
押し返すまでには至らぬか。
拙いことになる。このままでは、戦線が……。
「──」
彼らが合流したのは、ちょうどそんな最中だった。
カツン。城壁の奥、階段から姿を見せる幾人かの人影。
その先頭を歩くのは夜闇の中にあっても映える金髪を揺らし、戦友から託された
二振りの刀を携える青年。
「……今だけでいい。その力、僕にも貸してくれ」
少しずつ早足になりながら、彼──サフレはざらりと内一本を抜いていた。
確かこれはジークが左手で使っていた方。彼もまた、ぱむっと同じように持ち替え、小さ
く呟きながらマナを込める。
幾人かの兵士らが振り向く中、数拍の間の後、刀身が蒼く輝き始めた。
サフレが構えたまま、フッと何処か自嘲気味に笑う。溢れ集束していく光。それらを振り
出す肩越しに見遣り、彼は叫ぶ。
「──撃ち掃え、蒼桜!」
瞬間、弧月のような青い斬撃が飛び、ヴァルドー兵らを襲っていたファットクロウと黒衣
の兵士達を切り裂いて撃ち落した。
目を丸く。そして彼らが歓声が上げて再び立ち向かっていく。
だが、当のサフレはその一撃で全身に強い脱力感を味わっていた。言わずもがな、聖浄器
が故のマナ消耗の大きさである。
(重い……。ジークは、こんなものを振り回していたのか……)
それでもサフレは、すぐにキッと顔を上げて震える両脚を押さえ付けていた。
(やはりこれは、お前の剣だよ……)
左右から階段の方から、加勢に向かう兵達が駆け出していく。マルタとリュカも、立ち止
まりそして気を持ち直した彼の姿を見遣ると、それぞれに動き出す。
「うわぁ……。ぞろぞろ……」
「……半端な魔導じゃ片付けられそうにないわね。サフレ君、マルタちゃん、暫く時間を稼
いでくれる?」
空中、そして眼下の基地正面ゲートでの押し合い圧し合いを見たリュカが二人に言った。
勿論二人とも断る筈もない。サフレは蒼桜の解放を解き、マルタは竪琴を取り
出しながら頷く。
「皆さん、援護します!」
奏でられたのは、そんなマルタの一生懸命な声と──穏やかなスローテンポのメロディ。
それは子守唄だった。まるで戦を諌めるかのような、ゆったりとした響き。
「おいおい。何でこんな時に音楽」
「あっ! み、見ろ! 魔獣達が眠り出してる!」
そしてヴァルドー兵達の怪訝──からの気付きと悟り。見ればそれまで自分達を攻め立て
ていた魔獣達が、あちらこちらでふらつき、倒れ込むように眠り始めていたのだ。
「何だか知らんが、あのお嬢ちゃんのおかげか……?」
「よ、よしっ! 今の内に押し返せーッ!」
ずらり並んだ防壁車が、一斉に横一列になって前進し始めた。
それは即ち、地上の前線を外へと押し出すこと。全てのギガライノ達が睡魔に負けた訳で
はなかったものの、それでも数の力が弱まったことで反転は明らかになる。行動不能になっ
たギガライノは勿論、その上からよじ登ろうとしていたオートマタ兵達も振り落とされ、或
いは全身する車輪に巻き込まれて潰されていく。
「一繋ぎの槍──改!」
城壁の上で応戦するサフレも健闘していた。
マルタの子守唄をしのいだファットクロウと彼らに乗ったオートマタ兵達が空から襲って
くる。
だがそれらを、サフレは押し縮め瞬発力を持たせた槍先を何度も射出、撃ち落すことで未
然に防いでみせていた。ヴァルドー兵達も、その勇姿に感化され、次々に銃撃を放ってこれ
に続いている。
(……やっぱり、剣より槍の方が使い易いな……)
すまない、ジーク……。
腰に下げ直した二刀を揺らし、また一撃、その槍先がファットクロウを捉えて落とす。
「──風を司りし白霊よ。汝、その姿顕現し給え。我は天を駆け、涼も侵も併せ持つ、その
無縫たる全てを力に借りんと望む者……」
そんな最中、いや最後に彼女は待っていた。
サフレとマルタがヴァルドー兵らに加勢している間、リュカはいつもよりも冗長な呪文の
詠唱を続けていた。
しかしそれは布石であった。既に彼女の足元には薄く白い魔法陣が現れ、幾重にも風が巻
き起こりつつある。
「盟約の下、我に示せ──風司霊招来!」
そして次の瞬間、それは完成した。
まるで応えるようにフッと全方位に広がった白い魔法陣、渦巻く風。その中には──白地
の衣を纏った無数の精らが舞っている。
ヤーウェイ駐屯地の面々が、魔性の軍勢が気付いたの時には、もうそれらは既に眼前に迫
っていた。
圧倒的な範囲、圧倒的な速度、何よりも無尽蔵の風の筋。
リュカが全力を込めて放ったその天魔導は、これら無数の風精による一斉攻撃だった。
白い衣の精が飛び、一陣の風になる。
ただそれだけで、まるで鋭利な刃物が振り抜かれるように魔獣がオートマタ兵が切り裂か
れていた。
異様に逞しい黒い翼も、鉄のように硬い皮膚も関係ない。
そこで舞われるのは、風を司る精霊達による風刃模様。渦巻く突風の中で、ヴァルドー兵
らを苦しめていた“結社”の軍勢は次々にバラバラに切り裂かれていったのだ。
『……』
そして、旋風が止んだ後には……累々となった魔獣やオートマタの亡骸。空からぼとぼと
と落ちてくるのはその残骸。
数拍の沈黙の後、ヴァルドー兵達が一斉に歓声を上げた。
司令室のマルコ将軍以下幹部達も、ほっと胸を撫で下ろしていた。
そんな皆の中で、サフレやマルタもようやく表情を綻ばせた。大魔導を使った故に疲労
こそしていたが、リュカもまたその感情には同じくしている。
「──ふっ」
なのに……嗤っていた。配下を倒されたのに、カムランは一人空の上で嗤っていた。
パチン。そう彼がゆっくりと手を握り、指を弾いた、次の瞬間だった。
……また現れたのである。幾つものどす黒い靄の中から、ファットクロウに乗った、ギガ
ライノに乗った黒衣の兵士達がまた現れたのである。
「そっ、そんな……!」
「あの野郎、まだあんなに余力を……」
ヴァルドー兵達は戦慄した。絶望さえした。
ただ新しく敵を呼ばれただけではない。その数も増えていた。ざっと……先程の倍。
「ふふふ。予備兵力を用意しておくなんて、戦の常識ではないですか」
サフレ達も深く眉を顰める中、カムランはそう言ってまた槍を水平に払った。
再びやって来る。空から、地上から、魔獣の騎兵部隊がヤーウェイ駐屯地を──その奥に
匿われているジーク・レノヴィンを抹殺すべく押し寄せてくる。
「拙いぞ……。防壁車が前に出過ぎてる」
「戻れ、戻れーッ! 斜角を抉られたらおしまいだぞ!」
絶望と焦りと。駐屯地の軍勢達は、また身を退き守りに入らざるを得なくなる。
『──』
だが、ちょうどその瞬間だった。
夜闇の雲から、何かが飛び出してきた。
それは鋼鉄でできた身体と翼を持ち、顎下に備えた機銃で空中・地上の軍勢を一纏めに掃
射していた。ばらばらと、魔獣やオートマタ兵の身体に穴が開いて、宙を舞った。
「……?」
「な、何? 何が起きたの?」
サフレ達、そしてカムランがそれぞれに夜空を見上げ、目を凝らしていた。
その視線の先、基地からの灯りを背後に飛んでいたのは……ただ一機の戦闘艇。
『──ヤーウェイ駐屯地総員に告ぐ。こちらエリウッド・L・ハルトマン。これより貴軍への
援護行動を開始する』