41-(2) 手負いの皇子
その時室内に、まるで断末魔の叫びのようなジークの悲鳴が響き渡った。
全身の髄という髄が冷たく押し出されるような猛烈な悪寒。殆ど本能的に飛び起きたその
額や身体には、びっしりと脂汗が噴き出している。
「ジーク!」
「だ、大丈夫!?」
だがそれも束の間、聞き慣れた──仲間達の声が聞こえてくる。
はっと我に返って振り向けば、リュカにマルタ、レジーナ、その少し後ろにサフレにエリ
ウッドと、皆が揃っているではないか。
「……」
ジークは暫く、ぼうっと辺りを見渡した。
鼻を掠めるつんとした消毒液の臭い、飾り気のない白い壁紙。傍らには点滴のポリ袋と台
が置かれており、そのチューブが自分の片腕に延びて刺してある。今半身を預けているのも
一台のベッドであった。但しそれらは何処か硬い、機械的な印象を受ける。
「……ここは、病院か?」
「病院ではないわね。医務室と言った方がいいかしら」
「ヤーウェイ駐屯地──フォーザリア領内にあるヴァルドー軍の基地の中だよ」
まだ質問が要領を得ないジークに、リュカがレジーナがそう丁寧に答えくれた。
冷静を装ってこそいるが、まだ不安やら何やらが綯い交ぜになってつい眉間に皺を寄せて
しまう。或いはただ、今目の前で目覚めた自分という人間に安堵している苦笑。
マルタ達も、総じてみせる表情の内はそれであると言ってよかった。
涙目になっているマルタ本人。頭と右腕に包帯を巻いたサフレは、こちらからは横向きの
格好で気まずく一瞥を寄越し、エリウッドは相変わらずの一見穏やかな線目のまま、一旦部
屋の外に顔を出して誰かに言伝をしている。
「おお……。お目覚めになられましたか」
どうやら医務官にだったらしい。連絡を受け、薄毛の中年医師と看護婦が何人か、慌てた
様子で部屋にやって来た。
へこへこ。愛想笑いをしながらの診察。
大方、相手が一国の皇子だと聞いて恐縮しているのだろうとは思う。だが正直、脈を診て
貰っているジーク本人は起きしなからあまりいい気はしない。
「いやぁ、一時はどうなることかと思いましたよ。怪我は勿論ですが、何よりマナの消耗が
尋常じゃなかったですからね。相当無茶をしないとあんな状態にはなりません。助かったか
らこそ申し上げますが、正直こうして生きていたのが奇跡なくらいですよ」
『……』
ジークが、入れ替わり立ち替わり見舞ってくれていたという仲間達が、黙り込んだ。
彼からそんな面々に向けられた視線。
それは即ち、今この状況に至るまでの経過を教えてくれという意図に他ならず……。
「鉱山が、爆破されたんだ」
最初に口を開いたのはサフレだった。
ジークが目を丸く、両の瞳をぐらぐらと揺らすのが分かる。それだけサフレが最初に伝え
ようとした言葉選びは的確で、且つ心に押し迫ったものを与えたといえる。
「私達があの僧侶さん──クロムと戦っていた時、既に結社は動いていたみたいなんです。
鉱山全体を一気に爆破するなんて荒業、いくら彼らでも人手が要りますし……」
「だけど私達は、そんな“駒を揃える”ことに長けた魔人を知っている」
「……。あの端末のガキか……」
ぎゅっと、ジークは両手の拳を握っていた。
両腕に身体中に巻かれた包帯が痛々しい。今も無遠慮に痛い痛いとしつこく喚いている。
やはり“結社”だった。なのに……また守れなかった。
皆口にこそ出していないが、そうなると犠牲になった人間はかなりの数に上るのではない
だろうか? まさか、自分達が先に逃げろと送り出した坑夫と傭兵達も……。
「ん? いや、ちょっと待て。何でそもそも、俺達はそんな状況で生きてるんだ? 負けた
筈だろ? あいつ──クロムを倒せなくて、そのまま……」
「あ~……。それなんですが……」
「そこはあたし達から話さないとね」
脈を診たり、包帯や点滴を替えたり。
医師らが一通りの確認を終えて気持ち部屋の隅に退いていく横で、話の主はレジーナに移
っていた。……そうだった。彼女とエリウッドさんは執政館に居て貰っていたのだ。
「奴らが暴れた目的は、色々あるんだろうけど大きく三つだったみたい。一つはジーク君達
を殺害すること。二つはフォーザリア鉱山を機能停止に追い込むこと。そして三つ目は……
現場責任者であるオーキス公の暗殺」
「……ッ!?」
ジークがまた動揺で起き上がろうとし、しかし残る激痛でその場に留まらさせられる。
リュカら仲間達も表情を暗くしていた。既に聞いているのだろう。……ついでに先程から
居残っている医者と看護婦も、口に手を当てて言葉を失っている。
「もしかしたらそっちが本命だったのかもね。執政館も、坑道の騒ぎから暫くして“結社”
の連中が入り込んできて……中にいた傭兵達と一緒に脱出したんだ。殺されたらしいっての
は、その後周りから聞いた話なんだけど」
「それでね、ジーク。レジーナさん達の話では、その襲撃者達の中に黒い鎧騎士がいたって
いうのよ」
「なっ……!?」
動揺で起き上がろうとし、やはり同じく。
彼女の言葉を継いでそう報告してくれたリュカに、ジークは先程よりも明らかに強く衝撃
を受けていた。
オーキス公が殺された。その犯人どもの中に戦鬼──父さんが。
何てことだ。ジークはばさりと垂れた前髪のまま俯き、じっと頭を抱えた。
依頼主をみすみす死なせただけでなく、よりにもよって自分が探していた張本人がその場
にいたなんて。
「なんだよ……。それじゃあ、俺達は丸っきり入れ違いだったんじゃねぇか」
搾り出すように、呟く。仲間達もその悔恨は少なからず同様であったらしい。
俺達は負けたんだ。守れなかったんだ。
クロムが呟いていた、星の導きが云々とはこういうことだったのか。
なのに、あんなに気勢を揚げてみたって……このざまで。
「……えっとね? それで、何とか脱出してみたら鉱山があんなことになったから、急いで
無事だった皆とジーク君達を探したの」
「サフレ君が言ったことで解ってしまったと思うが、犠牲者はそれこそ山のように出たよ。
大半は坑夫だった。既に避難命令は出ていたにも拘わらず、だ」
「じゃあ……リュカ姉」
「……ええ。おそらく逃げる途中で洗脳を受けたんでしょうね。そしてそのまま、坑道を爆
破する為に文字通り使い捨てられた……」
痛々しい沈黙が流れた。
レジーナが非難するように、肩越しにエリウッドに眼を遣っている。それでも当人は線目
のまま、しかし不思議と、彼もまた“結社”の所業に憤っているらしいことが嗅ぎ取れた。
ジークがゆらりと顔を上げた。ぎゅむっと両頬を痛ますように、鷲掴んで引っ張る。
ふぅと、大きな大きな深呼吸が発せられた。
仲間達へと向けられた視線。──続けてくれ。そう気を持ち直した眼が語っている。
「……作業員達が皆、どんどん表情を曇らせている最中だった。瓦礫の山から、他ならぬ
君達が掘り起こされたんだよ。四人が四人とも、石化した状態でね」
「石……化?」
流石に、ジークはぽかんと口を開いていた。
ゆっくりと、同じくそうであったというリュカ達を見てみる。だが彼女達もそれは意外な
ことだったようで、ただ困惑のまま苦笑いを返す他ない。
「よく分かんないけど、ミネルの硬質化能力の仕業だったみたい。救助作業をやってた人達
の中にもいたから、それで皆の石化も解くことができたんだけど」
「……」
しかし、徐々に頭がはっきりとしてきた。同時に幾つもの何故が脳裏を駆け巡る。
鉱人族──ということは、自分達が直前までいた状況からして仕掛け人はクロムしかいない。
だが何故だ? 黒藤の一撃でも倒れず、間違いなく自分達を倒してみせたあいつが、何故
そんな真似をする必要がある? あのまま止めを刺すくらい、造作もなかった筈だ。
(……っ)
そんなのはまるで、直前になって俺達を庇ったかのようじゃないか……。
「で、本当に大変だったのはそれから。執政館も焼け落ちちゃったから何処に運べばいいん
だって皆大慌てになってね。そうしたら救助隊からヴァルドー軍に連絡が行って、この駐屯
地に場所を移すことになったって聞いて……」
「鉱山跡ではまだ救出作業が続いているようだ。だが今は、自分達の怪我を治すことを最優
先に考えてくれ」
「……。はい」
レジーナとエリウッド、二人からの話が一段落ついて、ジークはまたしゅんと心持ち身を
屈めるとベッドの感触に意識をシフトさせていった。
彼の言わんとすること、心配される旨は分からなくもない。
だが本当にそれでいいのか? そもそも、それほどまでに事態を悪化させたであろう自分
が、こうして一足先に安穏としていていいものなのか……?
「しかし、そう悠長に構えてもいられないと思います」
そんな時だ。はたとそれまで寡黙──彼自身もまた自責の念に駆られ悶えていたのかもし
れない──だったサフレが、そうエリウッドらに向けて口を開いたのだった。
「ちょ、ま、マス──」
「と、言うと?」
そんな彼を、マルタが顔色を悪くして止めようとする。
リュカも同じく……といった素振りこそみせたが、それでも彼女自身の思考はもっと先へ
と向かったらしい。目に見えた動きは結局、そっと手を上げかけただけに終わる。
「僕達は聞いたんです。クロム──坑内で戦った“結社”の魔人から、連中が近々開かれる
統務院総会を狙っている、と」
どうやらエリウッド以下この駐屯基地の面々も、それは初耳であったらしい。
真正面から見据えた彼が、サフレをじっと見つめたまま押し黙っている。
レジーナが、とんでもないことを聞いてしまったと震える医師らに苦笑を向けている。
「……ッ! そうだよ、あん時はボロボロになってたから記憶はぼんやりしてるけど、確か
にあいつはそんなことを言ってた!」
がつんと木槌で叩かれたよう。
程なくしてジークも、朧気に為っていた記憶を何とか手繰り寄せるとそう叫んでいた。
そうだ。確かにあいつは何でか、そんな告発みたいなことを言った後に、俺達に岩みたい
な拳を──。
「なぁ、今何日だ? 一体あれから何日が経ってる?」
「……三十日ほどよ。大体、二週間半」
遠慮がちに、気まずく答えるリュカに、ジークの目がサァッと丸くなった。ぽつんぽつん
と、その間も点滴の薬剤はその身体に投与され続けている。
「な……何やってんだよ!? やべぇじゃねぇか! もう始まってるんじゃねぇのか!?
こうしちゃいられねぇ、急いで追いかけないと……!」
「む、無茶を言わんでください! 皇子、貴方ご自身のお身体がどうなっているか分かって
いるんですか!? 絶対安静です。本当に、今度こそ死んでしまいますよ!?」
「そ、そうですよぉ~! この話を黙っていたのだって、本当はジークさんがちゃんと治っ
てからにしようって話し合ったからで……」
「……だが、サミットが始まってからではどうしても後手に回ってしまうんだ」
「それはそうだけど……。と、とにかく、ジークはじっとしていなさい。ねっ?」
眠りに就いていた間に過ぎていた、決して短くはない時間。
まるでその損失を取り戻さんとするかのように、ジークは反動を付けてベッドから飛び出
そうとした。
勿論、医師は慌ててそれを止めた。マルタも板挟みの心情故か涙目になり、その片方を一
緒になって押さえに掛かる。そんな中でもサフレは静かに焦りを募らせており、リュカもそ
の点は認めつつも、しかし幼い頃から知るこの無鉄砲を放たせる訳にもいかない。
「ぐぅ……」
すったもんだの挙句、結局ジークは身体を駆ける痛みに引き摺り戻される形で再びベッド
に倒れ込んでいた。
仲間達が医師らが、めいめいに冷や汗をかき、大きく息をついている。
こそり。ドアの向こうから、中の様子を窺おうとする駐屯地のスタッフらしき人影が見え
た。そんな彼らにはエリウッドが逸早く反応、そっと近付いてドアを開け、何やら説き伏せ
て帰しているのがみえる。
「焦る気持ちは分かるけどさ……自分が倒れたら元も子もないよ」
「そうね。せめてこっちで情報収集はしておくから、貴方は先ず怪我をちゃんと治すこと。
いいわね?」
「……。分かったよ……」
レジーナの苦笑と心配の気色、リュカらが厳命する念押し。仲間達それぞれの眼差し。
不本意だったが、もどかしかったが、ジークは満足に動けない身体故に従うしなかった。
ぎしり。微妙に硬いベッドに身を預ける。
あの一瞬に賭けたつけは、文字通り酷く重かった。