41-(1) 再びの幻景
──此処には、見覚えがある。
気味が悪いくらいに殺風景な灰色の世界。やけに透き通った浅い水面が、自分の足元を浸
したまま延々と広がっている。遠くには点々と、これもやはり飾り気の一つもなく大きさも
ばらばらな塔らしきものが建って──水面からぽつんと延びている。
嗚呼……やっぱりそうだ。
これはあの時と同じ。俺が初めてサフレと出会った時、リンさんと一緒にあいつと一戦を
交える羽目になった時にみた風景と同じものだ。
(……と、いうことは)
流石に二度目になれば多少は落ち着くのか、周りの景色に見覚えがあると確信できるや否
や、俺は自分の腰元を弄っていた。
やはりそうだった。
あの時のようにそこに六華は差さっていなかった。あの時と同じ、丸腰の状態だ。
一体何があって、自分はまたこの場所にいるのだろう?
確か俺達は戦っていた筈だ。フォーザリアの坑道で“結社”の連中を倒し、続いてクロム
が姿を見せてきて、それから……。
「……」
自分の身体をぐるりと確かめてみる。そこには刻まれた筈の怪我が一つも見当たらない。
やはりそうなのか?
これは夢。現実から離れて自分に語り掛けてくる、何者かの世界。
「おい、何処だ!? いるんだろう!?」
だから今度は、自分から接触してみることにした。
同じものならば、目の前の景色と俺の記憶が同じならば、奴らもきっと──。
「ほう。少しは冷静な判断ができるようになったか」
「やっと繋がったわね。せっかく緩んだと思ったのに、そっちが上っ面しか見ないから随分
と手間取っちゃった」
「……。ま、あれから色々あったからな」
声はすぐに返ってきた。
ばっと目を遣ってみれば、自分からさほど離れていない位置に建つ数本の塔──オブジェ
に、やはりあの時と同じように、六体分の影がこちらを見下ろしているのがみえる。
ただ違う所があるとすれば、奴らの姿は以前よりもはっきりと人型をしているような気が
するし、何よりそれぞれの全身に静かな光──黒・金・白・緑・赤・青の色が塗してあるの
が目を引いた。
水が跳ねて音を鳴らす。
それでも俺は膝下がずぶ濡れになるのも構わず、そっちへ歩いていった。
どうせ幻なら気にすることはない。それよりもこっちは、聞きたいことがごまんとある。
「先ずは礼を言っておくべきか。長く閉じ込められていた彼がようやく解き放たれた。これ
で我々の肩の荷も少しは軽くなるだろう」
「──ッ!?」
なのに、奴らは言った。
礼というには尊大な、物理的にも上から目線でそう語り始めたのは、黒い人影だった。
深く眉を寄せる。全身を刺したのは、間違いなく不快だ。
閉じ込められていたという、彼。
まるでそいつが“解放”されて清々したと言わんばかりの態度。
……やっぱりそうなのか? 今、俺が直感している通りなのか?
こうしてもう一度顔を合わせて──あの色合いを見て確信を深めて。
だからこそこいつの言葉は俺達を、皇国に関わった全ての人達を侮辱する以外の何物でも
なくて……。
「再び呼び掛けたのは他でもない。その調子で同胞らを解放しろ。いずれは我々も……な」
だからカチンときた。
その調子で? 彼というのは多分“告紫斬華”のことだ。
お前らは分かっているのか? 結社があれを手に入れる、ただそれだけの為にどれだけの
血が流れたのか。どれだけの苦しみが生まれたのか。
「ふざけんな……ッ!! てめぇ、あの内乱を何だと思ってやがる!?」
大きく足を踏み出して、激しく飛沫が飛んだ。
脳裏に蘇るあの時の光景。その後これまでの人々の姿、開拓だの保守だのと叫ぶ声。
「お前らの言ってる彼ってのは、斬華なんだろ? ってことは、その色からしても、お前ら
は六華の化身みたいなモンなんじゃねぇのか? 一体どういうつもりだよ? リオも言って
たぞ、お前らは斬華を封印する為に集められたって……。そのお前らが何で、斬華を取られ
たことをまるで嬉しいみたいに言うんだよ!?」
俺は叫んでいた。同時に実は混乱もしていた。
最初、もしかしてこいつらが六華の化身か何かじゃないかと思った時、自分はむしろ責め
られるのではないかと思っていた。
封じておかなければならなかったほど、血に飢えた妖刀。そんな代物を世に放つのを許し
てしまった──そればかりか“結社”の手に渡してしまった。
未だ斬華が暴れたという話は聞いていないが、あの一件でまた新たに生まれるかもしれな
い被害を思うと、内心今でも後ろめたさがじくじくと古傷を広げようとしてくる。
「……自惚れ」
だが、六体の影は、六華の化身達は言った。
最初はぽつりと抑揚のない、白い影が。次いで他の五体もそれぞれに頷いている。
「あのなぁ……。お前、色々と勘違いしてるぞ?」
「まぁ、自分勝手じゃなければ元よりこんなことにはなっていませんが……」
「? 何を──」
「ていうか君、忘れてない? 貴方はあくまで私達の力を借りているだけ。私達が貸してい
るだけ、なのよ?」
青い影と赤い影、そして金色の影が次々に言ってきた言葉に俺は固まっていた。
そう言われてみれば……。
確かに六華を本来の六華──聖浄器として使ったのも、思い返してみればサフレと戦った
あの時、こうして同じようにこいつらと会ったからだ。
“力、欲しいんですよね?”
“特例だ。ちょっとの間、貸してやるよ”
嗚呼、そうだ。
そういえば直にそう言ったのはこの赤と青だったっけ……。
『……』
硬直して、記憶が蘇って、油が切れたようにじりじりっと見上げる俺を見て。
六体の影──六華の化身達は、尚も無機質なオブジェに乗っかっていた。
だが少なくとも違うと直感している点がある。
見下されている……ような気がする。以前よりは目に見えているにしても、人影に映って
いる顔のパーツはやはりぼんやりだ。
何より、向けられている眼が明らかに剣呑というやつだった。
敵意──いや、これは憎悪か。何が理由なのかは皆目見当が付かないが、あの時からも今
までも、こいつらはあくまで自分達の方が上だと認識していたらしい。
「あの時は、何処の馬の骨とも知れぬ者に我々を持ち出されるのを避ける為の措置だった。
後は知っての通り、お前自身が歴史的にも継承者であるからこそ、我々も継続して力を貸す
ことを容認していたに過ぎない」
「……」
再び、黒い影が言った。
聞く限り他の五体と同じく女性らしいが、その声色は凛としている。あの影の色が六華の
それぞれの銘に対応しているとすれば、やはりこいつがリーダー格になるのか……。
「なら、止めるのか。お前らの言うことを聞かない俺は、用済みになるのか」
俺は身構えていた。
もし、いやおそらく、自分の考えていたこととこいつらの考えが真逆なら、俺は六華とい
う力を失うのではないかと思った。
正直……怖かった。ただでさえ守れなかった俺から得物が奪われれば、どうなるのか。
「落ち着け。今の言葉を聞いていなかったのか? 我々は“閉じ込められている”ことこそ
不満だが、それ以上にみだりにこの力を振るう者を好まぬだけ……。お前が歴史上流れ着い
た先の──トナンの正統な皇子である以上、引き続きお前を使用者として仮定する」
なのに、そこまでは求められなかったらしい。
何より内心の焦りを見破られていたのかもしれない。黒い影は俺を見下ろしながら、ほん
の少しだけ哂うとそう言った。
「……ただ、ゆめゆめ勘違いしない方がいい、とだけは言っておこうか」
「えっ?」
「お前は──“正義”ではない」