40-(6) 束の間の喜色
「ここです。ここが僕の下宿先──“蒼染の鳥”です」
日も落ちた頃、一旦出掛けていたアルス達が戻って来た。言わずもがな、今夜の打ち上げ
パーティの為である。
呼んだ方が待つというのは筋じゃない、というアルスの弁で、一旦アルス達は繁華街前で
待ち合わせた今夜のメンバー達を迎えに行っていたのだった。
真っ直ぐにホームへ。
微笑を向けるアルスの傍らで、ランタンを手にしたリンファと中空で淡翠の輝きを散らす
エトナが灯りとなっていた。ルイスにフィデロ、そしてシンシアを始めとした今宵の面々は
そんな三人に導かれながら軒先へと辿り着く。
「……ここが、レノヴィンさんの」
「き、緊張するわね……」
「なぁに、気にすることはねぇよ。冒険者クランがやってる酒場ってだけだ。話は通してあ
るんだからそんな怖がらなくても大丈夫だぜ」
「いや……。そっちの心配じゃないだろう」
流石に、フィデロとルイスが呼んだ同級生(友人)とはいえ、一国の皇子が仮住まいとす
る場所へやって来たことに彼らは緊張しているようだった。
そんな面々に、フィデロは笑ってみせる。
だがその間違いなく的外れな励ましを、すぐさまルイスがさらりとツッコミを──呆れ顔
でフォローをしている。
「まぁまぁ。フィデロの言ってることは間違ってないし。皆いい人達だよ? そりゃあ職業
柄ちょっと強面なのもいるけど、今まで色々な苦楽を共にしてきた仲間だからね」
中空で、エトナがにぱっと皆にそう笑い掛けた。
皇子と会食というだけで緊張し、下宿先が冒険者クラン──世間で云う所の「荒くれ」故
に不安になり、加えて持ち霊という物珍しさが余計に心臓の鼓動を速くするような……。
「ああ。さて立ち話も何だ、入ってくれ」
「そうですね。ささ、皆さんどうぞ~」
お邪魔しま~す……。
リンファと何より当のアルスに促され、一行は酒場のドアを潜った。
夜独特の静けさの中で響くカウベルの音。二十人弱のメンバーは、次の瞬間それまでとは
別な意味で目を丸くすることになる。
「お? 来たな」
「こんばんは。アルスの同級生達」
「お先にやってるぜー」
酒場内では既に団員達が晩酌と洒落込んでいた。
それ自体はいつもの事なのだが、今夜は仲間が──アルスが友人・知人を連れてくると聞
き及んでいる所為なのか、何処となくいつもよりも“出来上がっている”気がする。
「ありゃりゃ。もう赤くなってやんの」
「……まぁ仕方ないさ。私達は私達で楽しめばいい」
「そうッスね。ほら、あっちのテーブル席」
エトナとリンファがそれぞれに嘆息をつく中で、アルス達は大きなテーブル二つ分を合わ
せてある席へと移動した。
リンファに促され、上座にアルス、その隣にルイスとフィデロ。そこから順繰りに面々が
ぐるりと楕円を作るように席に着いていく。
「……隣に、座れませんでしたわ……」
「まぁお嬢は間接的に呼ばれたクチですからねぇ」
「ふはは。では、私達はクランの皆々と一杯やっておきまする。後ほどに」
「エトゥルリーナよ。我と飲み比べをせんか?」
「へっ? いや、精霊はそもそも飲み食いの必よ──」
密かに、シンシアが中程の席順になってぼそぼそと愚痴っていた。
それでも、やはりというべきか例の如く、従者二人はにやにやと笑みを返してそのまま団
員らの飲みに合流していき、持ち霊に至っては中空でエトナに絡み始めている。
「はーい、お待たせー」
「料理の用意、できてますよ」
そうしてお冷を口にし始めて程なく、エプロン姿のクレアとレナが料理を運んできた。
昼間に買出しをした分を加えての、ご馳走が沢山。二人が何度か厨房とテーブルを往復し
ていく中で、アルス達の目の前はにわかに豪華さを放ち出していく。
(そういえばステラさんは……? あ……)
喜色と声を漏らす面々。その中でアルスはふと、レナといつも一緒である筈のステラの姿
が見えないことに気付いていた。
シフォンさんの一件以来、閉じ篭りから抜け出せたって聞いてたんだけど……。
そう思って視線を厨房の中に向けると、いた。ハロルドや他の料理当番の団員達に交じっ
て洗い物をしている姿を見つけたのだった。
(……流石に、クランの皆以外の人といきなりは怖いのかな……?)
魔人であることの苦しみは、周囲がつい忘れそうになっしまっても、今も尚彼女を捉えた
ままであるらしい。
「その、ありがとうございます」
「いえいえ。皆さんのお口に合うといいんですけど」
「じゃあ、ごゆっくり~♪」
束の間の、ふっと過ぎる暗い思い。
だがアルスはそれを内心意識的に頭を振るように追い出すと、努めてレナらに微笑んだ。
ひょいっと踵を返し、盆を両手に戻っていく二人。
面子の何人かが、団員の何人かが遠巻きに惚けていたような気がするが、それも次の瞬間
フィデロが人数分のグラスに酎ハイを注いで配り始めたことでうやむやになる。
「んじゃ、早速始めようぜ」
「前期日程終了お疲れさま。今夜は存分に楽しんでくれ。これからの僕達に、そしてこの場
所を提供してくださったブルートバードの皆さんの厚意に」
『乾杯ーっ!』
そして、フィデロとルイスの音頭を合図に打ち上げは始まった。
互いにグラスを合わせては鳴らす。アルスにとっては、二人とシンシア以外はほぼ初対面
に等しかったが、それでもアルスは不思議と笑えていた。最初こそ緊張していた彼らも、同
じく場の空気に染まるように打ち解け、笑顔を零し始める。
皆よく飲み、よく食べた。
内心飲まれないか心配ではあったが、そこはアカデミーの学生──少なくとも成人の義を
済ませた面子だ。顔が赤くなったりする者こそいたが、潰れて奇行に走るというようなこと
にはならずに済んだ。
「──珍しい」
と、何気なく視線を遣った向かい隅のテーブル席に、一人ダンがいた。
ミアがそう言いながら近づくように、確かに酒豪である筈の彼は、何故か今夜は一人ちび
ちびと控えめに飲んでいるように見える。
「……流石に昼間ああだと気分じゃねぇよ。そこまで面は厚くねぇつもりだ」
「……らしくない。お父さんは謝ってくれた。ボクも謝った。それでもうお相子じゃない」
これもまた珍しい。言いながら、ミアがそう父に酌をしていたのだ。
「ボク、レナ達とこっちで留守番する」
「え。いいのか? お前一人くらいなら何とか──」
「分かってないな……それを言い始めたら繰り返し。……もういいの。アルスやジーク、皆
の帰る場所を守ることだって、同じ戦い」
「……。すまねぇな」
学院から帰ってきた時、昼間喧嘩をしていたんだと又聞きをしたのだが……あの様子を見
る限り、どうやら仲直りは既に済んでいるらしい。
(よく分からないけど、よかった……)
アルスは遠巻きにそんな父娘の静かな晩酌を見遣りつつ、そっと優しく目を細めた。
そんな彼を、厨房から照れたように頬をほんのり染めたレナ達が見遣っていたのだが、当
の本人は結局気付かないままだった。
「んぐ……。そういやアルス、あれから公務の予定、どれくらい固まった?」
「えっ? あ~……」
そんな折だった。肉を頬張りながらのフィデロのそんな問いに、アルスは曖昧に笑うしか
できなかった。
清峰の町──フィデロとルイスの故郷だ。
以前から、自分は夏休みに一度、この彼らの郷里に遊びに行く約束をしている。
「……」
ちらと隣席で一人飲むリンファと目配せをした。
返って来たのは、やはり小さな「否」。やはり案件が案件だけに、サミットの情報は友人
とはいえ漏らす訳にはいかない。
「えっと、近々一つ遠出があるかな……? だから夏休みに入ってすぐには難しいと思う」
「そっかー。ちなみにそれって、何の公務?」
「フィデロ」「フィスター」
しかしそんな事情と配慮を知る由もないフィデロは、実にあっさりと追求してきた。
内心ビクリと身体が強張る。だがそんな友を止めてくれたのは、他でもないルイスとシン
シアであった。
「……今は堅苦しい話は止めよう。何の為のパーティだい?」
「そうですわよ。大体、口に物を詰め込みながら訊くなんて……」
最初こそ場の面々はにわかに緊張していたようだったが、そんな二人の、皮肉が混じった
言い回しに、一人また二人とクスッと笑い出す。
「そうだなー。はは、悪ぃ悪ぃ」
何よりフィデロ本人があまり勘繰らなかったのが幸いした。
再び飲食と談笑に戻っていく彼に、アルスとエトナ、そしてリンファは内心ほっとした。
ちらと二人を見てみる。あまり表情にこそ出さなかったものの、共に気にするなと言って
くれているように思えた。
(……もしかして)
シンシアは貴族令嬢だから、セドの娘だから当然として、ルイスも気付いている……?
「アルス」
「ん?」
「都合がついたら連絡くれよな。帰って来たらこれでもかってくらい楽しませてやっから」
「……。うんっ」
それでも、フィデロがふと向けてくれた明るい笑みに、アルスは笑い返していた。
身分は身分として、厳然と存在する。だがそんなしがらみを気にせず接してくれるこの友
を、アルスは心の底からありがたいと思う。
「……」
だが、同時に気付いてもいた。
そんな一方、自分にとって最早こうした瞬間が“貴重な日常”になりつつあることも。
「──もっと灯りを焚けー! 少しでも早く見つけるんだっ!」
時を前後して、ヴァルドー王国フォーザリア鉱山──跡地。
“結社”の策略により坑道全域が爆破された敷地内は、今や空高く積み上がった岩瓦礫の
山と化していた。
王都からの救助部隊も到着し、生き残った現地の工員・兵士達らによって連日夜通しで続
けられる捜索活動。
現場に飛び交うのは焦りと悔しさ、何より“結社”への憤りが織り交ざった怒号だった。
辺りが夜闇の中に沈んでも、ありったけの灯りを焚いて続けられる作業。
持ち込まれた重機で岩を一つ一つ運び、そこから更に手作業で人々が生き埋めになった者
達の姿を探し求める。
……既に百人単位の犠牲者が確認されていた。
最初は何者か──十中八九“結社”によって惨殺された鉱夫や傭兵達の亡骸。更にその後
は、瓦礫の下から散発的に見るも無惨な鉱夫だったモノが見つかっては、嗚咽や血生臭さと
共に運び出されていく。
「ジーク君、リュカさん、サフレ君、マルタちゃん……」
その夜も、レジーナとエリウッドは遠巻きにそんな捜索活動を見守っていた。快活だった
筈彼女の身体が激しく、後悔や不安、絶望によって震えている。
エリウッドは何度も「大丈夫」と小さく呟き、支えていた。時には上着を被せてやり、彼
女の肩をじっと抱き寄せている。
「皆ー、ちょっと来てくれー!!」
ちょうどそんな時だった。はたと、それまでにないほどの大きな声で作業員の一人が皆を
呼んだのである。
レジーナら外野の面々も一緒に、そこへと駆け寄った。
幾つもの灯りが引き寄せられ、眩しさが過ぎるほどにその場を照らしている。
「……。これは……?」
ぽつり。
そう、誰もがこの時、瓦礫の下からものに目を丸くし、立ち尽くしていたのである。
「ジーク、君……?」
レジーナが、戸惑いを隠せずに呟く。
それは石像だった。
ジーク、リュカ、サフレ、マルタ。
それは本物そっくりに苦悶し倒れ込んだ姿の、四人分の石像だった。