39-(4) 大鎧激突
フォーザリア鉱山を揺るがすその強震は、ヴァハロ達のいる上層──岩と土のバルコニー
な空間にまで届いていた。
足元が何度も小刻みに揺れる。肉片のような細かい亡骸は、それだけで左右に転がる。
ヴァハロとアヴリルは揃って足元を見た。蟲型魔獣達も、のんべりと咀嚼をしながらぼう
っと突っ立っている。
「これは……」
「ちょっとーヘイト、もうヤったの?」
『違ぇよ。まだ駒達を動かしてる最中だって』
「ふむ……。揺れは下からのようだの。という事は、クロムがあれを使ったか」
携行端末を耳に当てたまま、アヴリルと導話の向こうのヘイトが目を瞬かせていた。
彼から届いたのは、あからさまな嘆息。彼女も、毛色は違いながらも共に良い印象という
様子ではない。
「まさかイシュラ? クロムっちったら、こっちで壊す前に壊そうっての?」
『何やってんだよ……。戦闘能力で言えばあいつも中堅だろ……?』
「……存外、レノヴィンに手を焼いているのやもしれんな。或いはもっと別の動機か……」
それでもヴァハロは、快活な微笑のまま立っていた。
あの少年達が如何なる抵抗をみせたのか、それは当人が戻ってから訊けばいい。
血の臭いが風に混ざっている。二刀の斧と槍をしまい、彼は二人に向き直って言う。
「ともあれ、こちらの下準備はもう済んでいるのだ。ヘイト、動かしてくれ」
『ああ。あの糞坊主には僕の方から声を掛けとく』
アヴリルが端末の画面をこちらに向け、ヘイトの返事がした。
じゃあ予定通りに。そうして彼の声は二・三のやり取りの後に回線と共に沈黙する。
鉱山全体を見下ろせる高台にいた彼は、すぐに次なる行動に移った。自身の端末を介して
周囲のストリームに干渉し、うねるオーラをこなれた手つきで繰り寄せる。
『──』
幾つもの目が光った。未だ坑道内に取り残されていた、ぐったりと倒れていた鉱夫達が、
一斉に狂気じみた眼で立ち上がったのだ。
ヘイトによる、ストリームを介した洗脳術。その虜と為った彼らは、自分達が開拓を続け
ていた坑道のあちこちに大量の爆薬筒を設置し始める。
「……さて」
四散した亡骸だらけの岩のバルコニーで、ヴァハロがそっと瞑っていた瞳を開いた。蟲型
魔獣達を再び自分の体内に戻していたアヴリルも、肩越しにその声に反応する。
「我々も撤収しよう。“掃除”の時間だ」
クロムの反撃攻勢は、結果としてそれまで激情のままに剣を振っていたジークの熱を一気
に削ぎ落とすことになった。
そこそこに広さはあっても、高さには限りがある天井。
そんなこの場の空間に、三面六臂の岩巨人は狭苦しそうに大きく身を屈めてジークを見下
ろしている。
「……ッ」
胸奥を、全身を打つ熱が遠くに感じられていく。
ジークは二刀を手にしたままその巨躯を見上げていた。最初何が起こったのか分からない
でいたが、どうやらクロムが自身ごと岩を纏って巨大化したらしい。
なんて無茶な……。先刻までの自分を半ば無意識に棚に上げ、ジークは眉根を顰める。
その間にも坑道全体が受けた衝撃の余波は続いていた。
あちこちで崩れていく岩肌、砂の塊。このまま暴れられたら皆まとめて土の下になってし
まうではないか。
だが、クロム──岩巨人はそんな憂いに全くの無頓着だった。六本の腕、その掌をぐぐっ
と広げる。すると今度はそれらに周囲の岩石が集まってゆき、実質鈍器に近い剣が形成され
ていく。
巨人はそれらを、躊躇なく振り下ろしてきた。地面を坑道内を激しく揺らす衝撃が辺り一
帯に反響する。
ジークは陰った感触を本能的に嗅ぎ取り、地面を蹴って何とか難を逃れていた。それでも
相手の腕は六本。巨体というリーチもあって次々に振り下ろされる攻撃に為す術がない。
「こんの……ッ!」
それでも、小回りを活かして腕と腕の隙間を掻い潜り、渾身の二刀。
だがそんな一撃はまるでこの巨体には通用していなかった。ガキンッ! と岩の筈なのに
まるで金属を叩いたような感触。勿論、叩き込んだつもりの斬撃は届いておらず、代わりに
手に伝わったのは、相手に弾かれた痺れるような感覚。
また一発、巌の剣が薙がれ、ジークは風圧もろとも吹き飛ばされた。
地鳴りのように、ゆっくりと巨人が迫ってくる。
拙い……。ジークは衝撃による震えで悲鳴を上げる脳天に喝を入れながら、ぐっとその場
で両脚に力を込めた。
これ以上退いてはいけない。仲間達が、まだ倒れている……。
「──うっ。げほっ、がほっ……!」
そんな時だった。ジークの遠く後方壁際に倒れていたままだったサフレが、ようやく意識
を取り戻したのである。
それでもダメージは相当であったようだ。瞳の力はまだぼやっと弱く、衣服もあの一撃で
随分とボロボロになってしまっている。
ジークは肩越しに振り向いていた。言葉が出ずとも目は見開かれ、しかし無事だったこと
に束の間の安堵が過ぎる。
「サフレ!」
ジークの呼び掛けに、サフレはのそっと顔を上げた。
数拍。視界一杯に映る三面六臂の岩巨人。
「リュカ姉とマルタを!」
できる事ならすぐに駆け寄り肩を貸してやりたかったが、この状況では叶いそうもない。
幸いサフレは傷付きながらも、ややあって状況を理解したようだった。改めて岩巨人を見
つめた後、ジークに視線をやってコクと頷く。まだ痛む全身を引き摺りながらも、向こう側
に倒れているリュカとマルタの下へと駆け出していく。
また巌の剣が降ってきた。転がるように横っ飛びをし、ジークは何とかそれを避ける。
『……』
ゴゴッと音を立てながら、巨人がこちらの動きを追っていた。その度に周囲の岩肌が剥が
れ落ちていく。地面に激突して大きく土煙を舞わせる。
そんな中、自ら毒を盛ったイザークがその崩落に呑まれるのを見た。
リュカを守る為に命を張った傭兵達の亡骸も、何人か巻き添えになるのを見た。
振り下ろされる巌の剣、その合間を必死で駆けながら、ジークは思わず眉間に皺を寄せて
眼を遣ってしまう。
(……待てよ)
そうだ。相手はあのローブ野郎が使ってたようにゴーレムの類じゃないか。
だったら同じ手が使えるのではないか? ただ巨体に半端な攻撃をぶつけるのではなく、
その力を元から断ってしまうような。
更に一撃を飛び退きかわし、ジークは巨人を見上げた。
空いている──持ち上げられたり、構造的にこちら届かない腕は残り五本。二刀のマナを
一度収め、ジークは機を見る。
ほんの数拍で第二波がやって来た。今度は左側の腕の一つ。そこから振り下ろされる巌の
剣をギリギリまで引きつけ……避ける。
「白菊!」
二刀を収めると同時に上着の内側に手を。取り出したのは白く輝く脇差の六華。
反魔導の短剣。
これなら、間違いなく魔導的な力で維持されているこの巨体も──。
「──なッ!?」
しかしそんなジークの読みは、外れた。
地面に深くめり込んだ巌の剣に跳び乗り伝い、腕の部分へと確かに解放した白菊の刃を突
き立てたというのに、またもや攻撃が弾かれてしまったのだ。
反動で身体が宙に浮く。驚きとフッと過ぎる絶望がジークを打つ。
確かに刃は当たった筈だ。なのに……なのにまた、まるで鋼鉄の膜に阻まれたかのように
一撃が届かなかった。
それでも、ジークは目を凝らして見ていた。
突き刺した部分、そこを包むオーラが一瞬くぼみ、そしてすぐに周りに補完されるように
元通りになっていったさまを。
(まさかあの野郎、このデカブツ全体に錬氣を……?)
ジークは驚愕した。これは単なる使い魔ではない。
何よりこれだけの巨体を覆うだけのオーラを、マナをあの男は練り出している事になる。
弾かれるほどの硬さもだが、これが魔人の導力なのか……。
「ジーク、避けろっ!」
「……ッ!?」
しかし数秒の滞空、思考の後には反撃が待っていた。
着地の直後、サフレが叫び振り向いた時には迫っていた。横薙ぎにされた別な巌の剣が自
分を狙って振り出されていた。
爆音が響き渡った。濛々と土埃が舞い、暫しサフレが愕然とした表情でそのさまを見つめ
ている。まだ石に包まれたリュカは眼だけでジークの名を呼んでいる。サフレに抱きかかえ
られていたマルタも、自己修復が進みつつも、その為のマナの消耗によってまだ満足に動く
ことができない。
「ジークッ!」
「…………大丈夫、だ」
もう一度サフレが名を呼ぶ。すると少し間があってから、土埃の中から片膝をついた格好
のジークの姿が確認できた。
どうやら寸前で身を屈めて難を逃れたらしい。
だがダメージ自体を防げた訳ではなく、岩巨人を見上げるその顔には額から大量の血が流
れ落ちている。
仲間達は、何とか大丈夫そうだ。だがこのままでは皆まとめて土の下だ。
ジークは強く強く唇を噛んでいた。
“救い”が欲しかったんじゃねぇのか? 自分に“意味”が無いと嘆いていたんじゃない
のか? だったら何で、何で“結社”になんかに身を寄せる? もっと他にあんたの苦悩を
一緒に背負ってくれる人はいなかったのか……?
敵に情を移すなんてサフレ達に笑われてしまうだろうけど、悔しかった。
何でそんなに自分を追い詰める? 独りぼっちだと決め付ける?
重なっていたのだろうか。幼さのまま、撥ねっ返りのまま、故郷を飛び出し冒険者の道を
選んだ自分と。
でも……自分は知った。出会うことができた。クラン・ブルートバードという仲間達に。
確かに世の中はくそったれかもしれない。でも逆にいい奴らだっているんだ。そこまで絶
望する必要はないんだ。だから、あんたも──。
「……!」
声に起こせない思いだった。
しかしジークは次の瞬間、見上げていた岩巨人の血色の眼を見てはっとなる。
そうだ……魔人だったんだよな。結社って括りでばっかり捉えていたけれど、あんたも
間違いなく、否応なしに不死身と迫害を強いられた一人なんだよな。
ジークは脳裏に思い起こす。かつて自分達が助けたメアの少女のことを。かつてはその身
が故に心を閉ざし、レナ達の献身でようやく笑顔を取り戻せた彼女のことを。
「……。ど阿呆が」
生き続けるという罪の意識。それが原因なのか? 終わらぬ繰り返しに絶望したのか?
だけど──やっぱり、あんたのやっている事は許されない。正しい訳なんて、ない。
ジークは大きく息を吸い、吐き出した。握っていた白菊の力を閉じ直し、そっと刃を鞘に
収めて無刀になる。
「ジーク……?」
戸惑うサフレの声がいやにはっきりと耳に届いていた。実際は今も岩巨人──クロムが自
分を叩き潰そうと蠢いているのに。現在進行形でこの山が悲鳴を上げているというのに。
「止めるよ……あんたを。止めなきゃ、駄目だろ……」
そう呟き、抜き放ったのは三本目の太刀だった。
黒藤。六華中最大の火力を持つ、召喚系の聖浄器。
「よ、止せジーク! それではお前の身体が──」
ああ、分かってる。こいつは特に燃費が悪いからなぁ……。
サフレが叫んでいた。それでもジークは振り向きもしなかった。
紅梅や蒼桜では威力が足りない。白菊の能力でも防御を崩し切れない。だったらもう自分
に残されている手は、これしかないじゃないか。
それに……自分は彼を止めたい。
“敵”だから倒す云々じゃなくて、ヒトとして彼を。
「……出番だぜ、黒藤」
握り締めて力を込める。解放された刀身からは艶黒く輝く光がほとばしる。
クロム──岩巨人と遜色ない巨体がまた一体、窮屈そうにしながらも場に現れた。
黒漆の鎧武者。主であるジークと動きをシンクロさせる、巨大な使い魔。
三面六臂の巨人が低く響くような雄叫びを上げ、六本全ての巌の剣を振り上げた。ジーク
もそれを見遣りながら、黒刃を大きく肩に担いで構える。その動きに鎧武者も巨大な太刀で
以って倣い、口元から煙を吐く。
『……。──!』
引き伸ばされた緊張の糸は、そう長くは続かなかった。
タイミングはほぼ同時。
二つの巨体は、上下から互いに潜り込むようにしてその刃を解き放つ。