38-(5) 鉱僧クロム
「──んっ?」
奥の昇降機が動いていることに、リュカは傭兵達はふっと気が付いた。
誰かが使っている? 傭兵達が互いに、掌に空間結界の制御球を浮かべたままのリュカに
顔を見合わせる。先に行った彼らが、或いは他の基地からの避難者が動いているのだろうか。
しかしその予測は当たってはいなかった。
上がって来たのではない。降りて来たからだ。
チィンと小気味良い金属音が鳴り、一同の視線の先で昇降機の扉が開いた。そこからカン
テラの灯りに照らされて姿を見せたのは……僧侶風の鉱人族。
「なん……だ?」
「おい、坊さん。こんな所で何やってんだ? 悪い事は言わねぇ、早くここから──」
最初こそ傭兵達は訝しがりつつも、彼を鉱山関係者か何かと思ったらしい。
しかし事態はすぐに豹変する。傭兵達の何人かが数歩、彼に向かって足を踏み出しながら
そう言おうとした瞬間、この僧侶──クロムが両眼を血色の赤に染めながら言ったのだ。
「そうはいかんよ。我々の部下が、君達に随分と可愛がられたようだからな」
二重の驚きで身を強張らせる。殆ど反射的に身体が得物を構え直す。
こいつ……“結社”か!?
傭兵達は目の前の赤眼とその言葉によって悟り、慌てて戦闘体勢に入った。彼らが庇うよ
うに並び直すその後ろ、リュカもまた制御球を浮かべたまま目を大きく見開いている。
「う、あぁぁぁ!」
半ば錯乱した中での先制だった。
目の前に魔人がいる。とうとう“結社”の化け物がやって来やがった。
傭兵の一人が、顔を引き攣らせながら銃の引き金をひいていた。当然、放たれる銃弾。そ
れは真っ直ぐにクロムの顔面へと飛んでいく。
「──」
だが弾丸が凶弾に為ることはなかった。
顔面にぶち当たるその寸前、彼はいとも容易くその弾丸を握り取り、掌の中でぐしゃりと
粉微塵にしていたからだ。
傭兵達が大きく大きく目を見開いていた。
嘘だろ……? 錬氣を纏った銃弾を、あんな簡単に。
しかし驚愕という意識それ自体が、結果的に“遅過ぎ”た。気付いた時にはもうそのモー
ションは終わりにほど近くなっていた。クロムがだんっと地面を蹴り、一瞬でこの銃撃を放
った傭兵の零距離にまで詰め寄っていたのだ。
「が──ッ!?」
霞む速さ。猛烈な掌底。
クロムの放ったその一撃は構えられていた銃口を真正面から押し潰し、そのまま勢いを殺
されることもなくこの傭兵もろとも吹き飛ばす。
一瞬で逝っていた。背後の壁まで飛ばされた彼は、そのまま巨大な凹みと亀裂を作り、剥
いた白目と吐血と共にぐしゃりと倒れる。
「……」
傭兵達が青褪めていた。リュカの瞳がぐらぐらと揺れていた。
クロムがゆっくりと一同に眼を向ける。しかし彼らに、次に続く攻撃に出る気概はない。
下手に攻めたら──殺られる。
「……??」
不意に空間全体が揺らいだ気がした。
二度と動かなくなったイザークとその血だまりを見下ろしていたジーク達三人は、その異
変の兆しに空を見上げた。
白菊を収めながら片眉を上げる。外で何かあったのか……?
『ジーク、サフレ君、マルタちゃん!』
はたして、その予感は程なくして的中することになる。
次の瞬間中空から──結界主であるリュカの声が聞こえてきたのだ。
しかもその声色は明らかに慌てている。耳を澄ませば、彼女の守護を頼んだ傭兵達の悲鳴
も混じって聞こえてくる。
『戻って来て! 大変なの! 彼が……あの鉱人のお坊さんが……っ!』
どうっと、また一人と傭兵が白目を剥いて地面に倒れていった。
その胸には大きく陥没した痕。クロムの打撃ただ一発により、身体の内側から粉砕されて
しまったのだ。
リュカを守っていた傭兵達は、ものの数分もせぬ内に全滅していた。クロムには傷一つ付
けられなかった。振り下ろした剣は硬化させた身体によってへし折られ、銃弾も効かずただ
足元に転がる。最後の一人が倒れたのを確認して、彼はゆっくりとリュカの方へと向き直っ
ていた。
「…………」
のしっと歩を進める。その度にリュカが一歩後退る。
ちらと彼女は掌の制御球を見た。
ついさっき中のジーク達に助けこそ求めた。だが、それでいいのかと迷い始める。
このまま別の場所へ、彼らだけでも逃がした方がよかったのではないか? 尤も今ここで
自分がやられてしまえば、移送どころか結界の中から出すことも出来ず、閉じ込めてしまう
事にもなりかねないのだが。
「ッ──」
ゆっくりと、クロムが掌底を繰り出そうと右腕を引くのが見えた。
ごめんなさい……。
待っていられなかった。リュカはその寸前、制御球に力を込め、意を決して結界を解く。
「ぉ、おぉぉぉぉーッ!!」
刹那、両者の間に割って入るように中空からジーク達三人が飛び出してきた。ついでにぼ
たぼだっとイザークらの亡骸も降る。錬氣を纏った二刀と槍が、放たれるすんでの掌底と激
突していた。上方からの加重と二人がかり。それでも力勝負はクロムに軍配が上がり、その
ままジークとサフレは後ろに弾き飛ばされる格好となる。
「リュカさん!」
何とかバランスを取って着地した二人の後ろで、マルタが血相を変えてリュカの方へと駆
け寄っていた。表情はまだ青褪めてはいる。それでも彼女は「……大丈夫よ」と、肩をそっ
と抱えてくるマルタに笑みを返そうと努める。
「……。自害か」
クロムはちらと視線を遣り、遠くで事切れているイザークを見ていた。
その口元に泡のように漏れた血と転がった薬瓶。結社達の抵抗マニュアル──のようなもの
が如何様なものかを知る術はないが、少なくともクロム自身は静かに眉を顰めて押し黙って
いるようにみえる。
リュカとマルタを庇うように、傭兵達の仇を見るように、ジークとサフレは二刀を槍を構
えて彼を睨んでいた。両者の距離は相応やや遠め。暫くしてクロムは視線をジーク達に戻す
と、あくまで静かに言う。
「こうまでして、君はあの狂化霊装に会いたいというか」
「ッ……!? 知っているのか」
「ルギスが開発中の兵器だろう? 私自身、そう何度も顔を会わせた訳ではないが……」
ジークもまた眉間に深い皺を寄せ、この破戒僧を観察していた。
こうまでして。それはあのローブ男を殺して──実際は当人が勝手に自殺したのだが──
まで、という意味なのだろう。
ふざけるなと思った。世界中で無関係な人々まで巻き込んでテロを繰り返す貴様らに、今
更生命の尊さを説かれる筋合いなどない。
「そういえばまだきちんと名乗っていなかったな。私はクロム。現在は“結社”に身を置い
ている元修行僧だ」
だからこそ、彼が妙に礼儀を取るような言動をしてくることに、ジークは苛立ちを隠せな
かった。
クロム──。こちらが名乗り返す義理もないが、その名は間違いなく記憶に刻まれる。
「……レノヴィンよ。悪いことは言わん。このまま此処に留まっていてはくれぬか?」
なのに、なのに彼は更にそんなことを口にする。
遠回しに邪魔をするなという意味か。ジーク達の返事はとうに決まっていた。ふんっと小
さく鼻を鳴らし、二刀を握る両手に力を込める。
「やだね。坊さんだか何だか知らねぇが、結社の連中に従う気はねえ。第一皆を皆殺しにし
たその場で言う台詞じゃねぇだろ」
「……私なりの救済のつもりだったのだがな。どのみち死ぬのだ。ならばいっそ、私が一思
いに終わらせ」
「馬鹿野郎ッ!!」
くわっと、ジークが叫んでいた。
クロム、そして仲間達もそれぞれに目を見開いてこちらを見ている。しかしこの時のジー
クを支配していたのはそんな分析眼ではなかった。只々、瞬間に沸き起こった情動だった。
「……決めてるんじゃねぇよ。人の生き死にを、てめぇが勝手に決めんじゃねぇ!」
ギチギチと歯を食い縛りながらジークは怒った。
そんなものは、単なる言い訳だと憤った。やはりこいつらは狂っている。こいつらの所為
で、この“敵”の所為で、多くの人々が死んできたのだと自分に言い聞かせた。
「……生きていれば在る筈だと、確か君は言っていたな。生きて様々な経験を重ねる中で、
自ら作り出すものではないのかと」
なのに、対するクロムはあくまで淡々としていた。
ぽつりとぽつりと呟いている。最初何を言っているのかと思ったが、ジークはややあって
思い出していた。
表現は変わっている──どうやら彼なりの解釈に為っているようだったが、それは自分達
が最初に出会ったあの時、灯継の町の外れにある『嘆きの端』で確か自身が覚束ないながら
も答えた言葉だったように思う。
「君は分かっていない。それは、酷く利己的だとは思わないか?」
にわかにクロムの気配が変わった。ゆっくりと呼吸を整え開いた左手をそっと前へ、右手
を軽く握りそっと脇へ。
「救いではないよ。生かすこと、ただそれだけを満足とするのなら、君の願いはきっと澱ん
でいる。私達と……同じように」
ジークは全身という全身が怒張するような感触を覚えた。
明確な理由など解らない。だが少なくとも、これだけは言える。
「同じなもんか、人殺しと一緒くたにするんじゃねぇ! ただの言い訳だろうが!」
紅と蒼、二刀の六華が同時に解放された。
元より留まるつもりはない。奴もまた父を知っているというのなら、今度こそ倒し首根っ
こを掴まえて吐かせてやる。
「……サフレ。リュカ姉とマルタを頼む」
ジークは一歩二歩と前に出た。後ろでサフレは何かを言おうと──止めようとしていたよ
うだったが、もうその声はジークには届いていない。
ジークとクロム。二人はじっと静かに相対する。
因縁の対決が、始まろうとしていた。