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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-38.鉄と巌と、闇に散る
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38-(4) 虚飾の冠

 そして戴冠式の日はやってきた。

 サンフェルノから遠く離れた東の地、トナン皇国。その王宮の中枢たる王の間は、かつて

の争乱と惨劇の痕跡を奇麗に取り除き建て直されていた。更に今日という日は室内のあちこ

ちが式典用に装飾されており、日常性というものはより追い遣られている感がする。

「アルス様~、そろそろ……」

「あ、はい。こっちは大丈夫です。繋いでください」

 当日、クラン宿舎内の一室にいたアルスもまた、例の如く礼装ハガル・ヤクランを着付けて貰いその時を

待っていた。室内では既に現地の会場を映す映像器のホログラムが作動している。イヨら侍従衆

の促しを受け、アルスはもう一度細かい服装の乱れをチェックすると、その通信を双方向

に切り替えてもらう。

 ほぼ同時に、玉座上の中空に新しくホログラム映像が出現した。言わずもがなアルスの姿

である。

 おおっ、という低く混じり合ったざわめき。

 会場に訪れていたメディア関係者らの写姿器のストロボが一斉に焚かれ、多数の映像機の

レンズが向けられる。

 相変わらず慣れないなぁ……。

 思いつつも、アルスは苦笑しながらゆるゆると彼らに手を振っていた。

 映像越しに王の間かいじょうを見渡してみる。やはりというべきか、室内はこれでもかと言わんばかり

の人の入りだった。

 玉座に座る母シノは勿論の事、その左右に展開し眼下に控える家臣団・官吏達。更にその

周囲や下手には各国からの来賓が席を連ねる。メディア関係者はそこよりもっと遠くの警戒

線の外だ。

 そうして殆どは誰が誰とも分からない人々だったが、いくつか見知った顔も確認できた。

 先ず母のすぐ傍に控えるのはサジさんとユイさん──現在の王宮近衛隊の正副隊長を務め

ているキサラギ父娘おやこ

 内乱時は双方敵として仲違いしていたが、確かアズサ皇の国葬から暫くしてその溝も少し

ずつ埋まり始めていたと記憶している。まだ向こうに滞在していた頃は、しばしば国軍の建

て直しに東奔西走しているさまを目にしたものだ。

 ……何故かユイさんの方からは、どうにも遠慮というか、避けられていたような気もする

のだけれど。

 官吏らの中に交じっているお婆さんは、ナダさん──カシワギ医務長。通称・御婆さま。

 何でもトナン皇家に長らく仕えてくれていたお医者さんだったとか。自身は謀反の影響で

逃亡生活を続けていたけれど、他でもない母さんの懇願によって王宮に戻ってきたのだと。

 当時、映像器越しに嬉しそうに報告してきた母の笑顔を、アルスは今もはっきりと覚えて

いる。曰く彼女が魔導医を志した切欠──憧れの人で、何より驚いたのは内乱の折、負傷し

ていた兄を治療したこともあったのだそうだ。

 嬉しかった。胸奥に心地よい温かさを貰えた気がした。

 リンファさんもイヨさんも、あの時は互いに顔を見合わせて喜んでいたっけ……。

「お。セドさん達もいるな」

 更に、忘れてはならない人達も。

 来賓席の中に彼らはいた。連邦朝アトス本国からはセドが、都市連合レスズからはウォルター議長と共

にサウルが、それぞれ他諸国の代表らに交じって座っている。

 呟いたのはダンだった。映像には映らない位置にこそ寄っているが、クランの皆も今回の

式典を見逃すまいとこの部屋に大挙して来ている。

「そりゃあ先の一件の功労者だもの。個人的にもじっとしてられなかったでしょうし」

「ええ。それにエイルフィード伯やフォンティン侯に関しては、私どもも事前に出席の報は

聞かされておりましたから」

「……他の国の代表らから陛下をお守りする、という意味合いもあるのだろうな。武力云々

ではなく精神的な意味でだが」

 左右に控えるイヨとリンファも、イセルナ達の言葉に応えていた。

 ちらと見る心強い文武の侍従長二人。分かっていたことだが、やはりもう既に色んな思惑

があの場には渦巻いているのだなと再認識して、アルスは内心穏やかではなくなる。

 一つは皇子である自分が直接出席しなかったこと。

 対外的には「学院生活のスケジュールが合わなかったため」としてあるが、額面通りに受

け取ってくれる国はほぼ皆無だろう。何かしら深読みをして来、ある事ない事を邪推してい

るかもしれない。……尤も、そういったわざはむしろメディアの得意技ではあるが。

 もう一つは、母が正式に皇になる、その先のリスクだ。

 政治が元よりそういうものだと言われればそれまでかもしれない。だが長く苦悩の日々を

送り、ようやく戻ってきた彼女にまた世界の眼差し──しかもその大半がそれぞれの国益を

狙う狩人のような眼──が向けられることが、息子として皇族の一員として辛い。

 ただでさえ内乱を治めた経緯から、皇国トナンは未だ関係各国に対し頭が上がらない状況が続い

ているのだ。……保護という態の監視は、今も少なからずある。

『──それでは、これよりトナン皇国新女皇、シノ・スメラギの戴冠式を執り行なわせて頂

きたく思います』

 やがて時は来た。王の間かいじょう内に司会役の官吏のアナウンスが響いた。

 出席者らが拍手を大きく重ねる。されど次の瞬間には、場にはピンと無数の糸を張り詰め

たかのような緊張が支配する。

 式典自体は、特に問題もなく滞りなく進んだ。

 先ずは肝心要の戴冠。いわゆる金属の塊な王冠というよりは、美麗に装飾されたリング状

の髪飾りが大僧正の手によって被せられる。

 次に執られるのは、またこれもこの世界において重要な意味合いをもつ儀式だった。

 王貴統務院──顕界ミドガルドの秩序機構、その特使による皇位認定の文書読み上げである。統務院

は形式上、各国の爵位の与奪権を一括掌握しているため、たとえ王であろうと彼らに認定され

なければ名実共に国主としては認められない。

(……これも、アズサ皇もまた辿った道……)

 厳かで華やかなそのさま。だけどもアルスはこれまでの経緯、過去の繰り返されてきた歴

史を思うと、単純に目を輝かせる気にはなれなかった。

 その後は基本的に同じことの繰り返しである。晴れて戴冠し、統務院による認証も受けた

シノ新女皇を祝福する(という態の)各国代表の、長々としたスピーチの連続だった。

 連邦朝アトス王国ヴァルドー共和国サムトリア都市連合レスズ

 大国は──尤もサムトリアに関しては比較的穏健であったが──強気に、中小や近隣の国

は遠慮がちに様子見をするように、それぞれの祝辞が読み上げられていった。

 正直、退屈である。しかしアルス達もここで蔑ろな態度を取る訳にはいかなかった。

 何より当事者であるシノだ。彼女は玉座に神々しく──長い黒髪も相まって美しく座した

まま、じっと彼らの祝辞に耳を傾けてくれているのだから。

『──では、シノ新女皇より、皆さまへの答辞と就任のご挨拶を頂きます』

 一体それから、どれくらいの時間を費やしただろうか。

 ようやく祝辞の嵐が終わり、司会の一声で少しばかり面々の相好が崩れ、また戻る。

 シノが頷き、玉座からゆっくりと立ち上がった。官吏から差し出されたマイクを受け取り

ぐるりと会場内に居合わせた全ての人々を見渡して、言う。

『……本日はお忙しい所、私の戴冠の場にご出席頂き誠にありがとうございます。このたび

トナン皇国第百四十二代国王に就任しました、シノ・スメラギです』

 ぺこりと、彼女は皆に頭を下げた。

 ストロボが一斉に焚かれる。皆が彼女が何を語るのかを待っている。

 出席来賓には易々と頭を下げた新皇を密かに哂う者もいたが、概ねは丁寧な物腰、美しさ

に好感を持つ者が大勢を占めていたように思う。

『皆さんもご存知の通り、我が国は長らく分断の日々を過ごしてきました。そしてそんな連

鎖を断ち切ることができたのも、ひとえに各国の皆さまのご協力があったからこそのものだ

と思っています』

 可もなく不可もなく──大まかにはそんな印象だった。

 皇としての威厳を誇示するというよりは、内乱で迷惑を掛けた各国への謝罪と感謝。そし

てこれから国を立て直すべく自身尽力するという決意表明。

 式典が始まる前後から、メディアによってこの場は世界中へとリアルタイムで発信されて

いた。だからこそ記録に残る。余計な事は言えない。

『──自身、一度は政治より離れていた不束者ではありますが、どうか温かい眼でこの新米

の皇を、この国の未来を見守ってくださればと思います』

 だからこそアルス達も含め、嗚呼このまま無難な挨拶で終わるのかなと思っていて──。

『……それと、もう一つ。皆さんにお伝えしたいことがあります』

 にわかに、会場内がざわついた。アルス達も宿舎の一室で、互いの顔を見合わせていた。

 てっきりこれで終わりと思っていた。事実、傍に控えていた官吏がマイクを受け取ろうか

と近付いているのが見えたので、きっとそうだとばかり思い込んでいた。

 なのに、彼女はまだ語ろうとしている。

 戸惑う官吏、家臣達に一瞥を寄越し、優しくも「ごめんなさい」を含めた苦笑。

 何かある。何かする気だ。

 しかし悟って周囲が動くよりも早く、彼女は再び正面に向き直り、マイクを握り締めて皆

へと言葉を紡ぎ続ける。

『私は──二十年前のあの日、一度この国を捨てました。殺されてはならないと言い聞かさ

れ自分にも言い聞かせ、数少ない従者達と共に逃げました』

 それは追想だった。先程よりも来賓一同、メディア関係者らが動揺している。

 何故今? 確かに全ての人間がこの国を襲った災いの経緯に詳しい訳ではないが……。

『流れ着いた先は、北方の小さな村でした。私は逃避行の最中知り合った──のちに息子達

の父親となる男性ひととその彼の故郷で暮らし始めたのです』

 記者達の何割かが、はたとメモを開きペンを走らせ始めていた。

 そういえば、レノヴィン兄弟の父について、自分達は──世間はよく知らない。

 もしかしたら今日この場で、彼女の口から真実が語られるのかもしれない。

『……故郷を忘れた訳ではありません。ですが、穏やかな日々でした。村の皆さんは余所者

である私のことも快く受け入れてくれて、私たち親子は長らく、一緒に新しい生活を営んで

いました』

 しかし記者達の思惑は外れることになる。

 厳密には“その程度”のことではなかったのだ。やがて彼女から口にされたのは、式典に

出席した全ての人々を驚愕させる表明だったのだから。

『……すぐにとは言いません。ですが私は、将来的にこの国に領民の皆さんによる議会を導

入しようと考えています』

 驚きは、ざわめく声すら与えない。しんと人々が静まり返っていた。

 少なからずが解っていたからだ。彼女が表明した、その言葉の意味することを。

『私はその村にいた間、多くのことを学びました。魔導医としての経験、子育てを通した母

親であるということ……。何より内心驚いていたのは、村における統治の形でした。あそこ

では誰かが全てを決める力を持つのではなく、皆が集まり、知恵を出し合い、皆で一緒に村

を運営していたのです』

 共和制──。一同の脳裏にそのフレーズが過ぎった。

 確かに制度自体はない訳ではない。大国強国ではサムトリアがその好例だろう。

 だが地上層・天上層・地底層、この廣きセカイ全てにおいて、今も尚主流であるのは王と

その部下達による統治システムなのである。それが人々の常識でもある。

『いきなりだ、というのは勿論分かっています。皆で決めることのデメリットも、当然あの

村でも経験しました。だけど……だけど、それでも私は思うのです。私という人間も含め、

人は皆いつ道を外してしまうか分からない。そんな時より多くの、より国を想い国そのもの

である人々がその過ちを正し導いてくれる仕組みがあれば……私達はあのような悲劇を繰り

返さずとも済むのではないかと』

 丁寧に、されど朗々と語る皇の横顔に、家臣達一同も唖然としていた。

 そんな話、聞いていない──。誰しもその思いは隠し切れず、故に場に居合わせた周囲の

人々には、彼女のこの言葉が現状当人の個人的希望であり、しかしいつかは実現させようと

決心しているものだと知れる。

「……おうおう。こりゃあ、シノさんも思い切ったことをしたなあ」

 驚いたのはアルス達も同じくだった。念の為にだが、アルス自身も侍従衆らもこんな話は

聞いていないし、スピーチの予定にはない。

「彼女なりの先制打といった所かな? 事実上統務院からの干渉に晒されざるをえない国情

にあって、この式典を有効なアピールの場とした訳だ」

 ひゅうと口笛を吹いたダンに引き続き、ハロルドもまた眼鏡のブリッジを支えながら思案

しつつ呟いていた。

 ホームグラウンド且つ、ほぼ間違いなく世界中の視線が集まる場。

 確かにここでなら、諸国の干渉を一切抜きにして自身の主張ができる。たとえ共和制勢力

の拡大に各国──王政と貴族を要とする仕組みの勢力らが反発しても、式典という場で即座

に批判の声を上げる訳にはいかない。もしそんな脊髄反射に出てしまえば、それこそ自分達

は自国の利益に忠実ですと(本音では当たり前の事でも)白状するのに等しいのだから。

「母さん……」

 正直、アルスは冷や冷やした。今もまだ心臓がばくばくと強く脈打っている。

 それでも慰めてくれる人達はいた。そっと手を置き、静かに力強く頷いたのはリンファだ

った。反対側ではイヨもまた、戸惑いつつも笑って眉根を下げている。

「大丈夫よ。シノさんは切れる女性ひとだもの。きっと……これからも真心と共に国を治めて

いけるわ」

「ああ、そうとも。ただ迷惑を掛けた国というだけでは終わらないと仰ったんだ。……強い

お方だよ。あのような方を主に持つことができて、私達は幸せ者だ」

「ま、まぁ、何にしたってこれからが本番ってことですよねぇ。あ、ははは……」

 イセルナの慰みにリンファも首肯していた。アルスはそっと、そんな彼女の横顔を見上げてみる。

視界の隅には、心臓に悪いと言わんばかりにふらつくイヨの姿もある。

 偽りはなかった。心の底から応援しようとする、忠義がそこにはあった。

『……改めて温かい眼で見守ってくださればと存じます。この国に生きる人々、国の外に生

きる人々を幸せにできるのなら、私は色んなことに挑戦してみようと思っています』

 深々とシノが一同に頭を下げていた。マイクは尚も軽く握ったまま、胸の前に添えた拳を

もう片方の手で包む、トナン流の礼節の仕草。ややあってゆっくりと頭を上げた彼女は、呆

然としているままの司会役官吏にマイクを返して握らせる。

 ようやく出席者達の硬直が解け始めていた。ゆっくりと会場内がざわつき始めていた。

 こ、これにて陛下のご挨拶を終了させて頂きます! 先の官吏が明らかに動揺したままな

がらも何とか進行を再開しようとしている。

(共和制……。悲劇を、繰り返さない……)

 間違いなく今日の夕刊か明日の朝刊は、母の発言が大きく取り上げられるだろう。

 彼女を批判したい訳ではない。ただいきなりの事で驚いただけだ。

 どうにも装飾過多な礼装の胸元をきゅっと握り、アルスは速まったままの心拍に感覚を澄

ませてみる。

 不思議と高揚感はなかった。

 ただ過ぎって留まらんとするのは──不安?

 画面の向こうとこちら側。前方中空で頭に疑問符を浮かべる相棒エトナを一瞥する。

 瞳に映るこの華やかな景色が、この時アルスには酷く空虚なものに思えて仕方なかった。

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