5-(2) アルスの憂鬱
「──このように、被造人と機人は共に人に奉仕する場面が多いですが、その成り立ちは大
きく違っているわけです」
すり鉢状の講義室に、若手の教員の丁寧な声色がマイクを通して響く。
二時限目・魔導操作論の講義だった。大雑把に要約するならば魔導における各種制御理論
を扱うものである。
今日の講義テーマは被造人──魔導によって創られた使い魔についてだ。
「見た目が生物的か機械的かという点が最も目立つ所ですが、その歴史や本質が大きく違う
のも分かりましたね? 端的に言うならばオートマタは魔導によって創り出された生命体で
あり、キジンは機巧技術が生んだ生命体と表現すると分かり易いでしょう」
ここでも、両者の成り立ちは魔導と機巧技術という二大技術体系から遡る事ができる。
魔導の歴史は少なくとも人の文明が確認されている最古代から続いており、オートマタも
その頃から徐々に術者(創造者)に奉仕する使い魔・従者であったようだ。
これに対し、キジン達は少し成り立ちが違っている。
第一にその誕生は「大帝国」時代の前後──“魔導開放”よりも更に数千年の後である。
そして何より金属生命体という特性故、発明主である帝国によって「戦争兵器」として長
らく戦いに従事させられてきた歴史を持っている。
だが……彼らもオートマタと同じく心を、自我を持つ者が少なくなかった。
帝国が圧政に反旗を翻した人々との戦いに末に滅びた後に、世界の復興の最前線──時に
人の身では危険な場所で積極的に奮闘したのもそういった兵器としての自分達という過去へ
の贖罪故だったのかもしれない。
「創られたから──。それは彼らにとってとても大きな存在理由なのです。オートマタが術
者の従者として侍るのも、キジン達が殺してきた筈の人々に報いようと団結し、今日世界の
一員として認められたのも、その存在を許されたいが為ではないかと思いませんか? 勿論
個々の自我が何を思っているかの差異はあります。そういった忠義だけでなはく、金銭的な
契約関係という打算もあるかもしれません」
長々と。多くの板書を残した黒板を背中にその教師は続けていた。
半円状に広がる席に埋まっている学生達をざっと眺めながら。
「……ですが、皆さんには是非とも覚えておいて欲しい。彼らが『たとえ使い魔であっても
彼らには私達と同じく心がある』のです。我々魔導師は人的要素に依って立って術を行使す
る存在です。くれぐれも、自身に奢る事なきように。精霊と同様、貴方達がオートマタと触
れ合い、或いは自身で創り出す時、決して一つの自我と向き合うという責任感を安易に捉え
ないことです。……よろしいですね?」
はい──。生徒達の重なった返事が響いた。
教師はよろしいと満足気に深く頷いて微笑む。
すると、そのタイミングに合わせたかのように、講義室に校舎内にチャイムが鳴り響き始
めた。二時限目終了を告げる合図だった。教師は教卓の上の教材・資料を引き寄せてまとめ
ながら言う。
「……それでは今回はここまです。次回からは、具体的な構築式について勉強しましょう」
そして彼は立ち去って行った。ガラリと扉を開けて姿が見えなくなるとざわっと緊張の糸
が緩み、生徒達はリラックスした様子を見せ始める。
「……」
そんな中で、アルスはぼうっと座ったままだった。
目の前に広げられたノート。そこにはしっかり板書の内容が丁寧に書き留められている。
それでも、アルス当人は何処か上の空のようだった。
(自我と向き合う……責任感)
小さく息を吐く。それは半ばため息に近かった。
やはり……胸の内がざわざわと動揺し続けている。少しの言葉であっても、はたとあの時
に放たれた“条件”と重なって思えてしまう気がしてならなかった。
それは間違いなく──逡巡だった。
気持ちは、決まっている。だけどそれを言い出せば……目指すものが遠くに失われてしま
うのではないかという懸念が過ぎり、決断できてないでいた。
(アルス……)
続々と講義室を出て行く生徒らの中で、まだ座って思案顔なままのアルス。
宙に漂うエトナはそんな彼に掛ける言葉も見つけられらず、ただ心苦しく見るしかない。
「お~い。アルス~!」
ちょうど、そんな時だった。
エトナが聞こえてきた声にハッと我に返り、視線を移してみると、そこ──眼下の講義室
の入口には見慣れた人影が二つ。
「アルス。アルスってば」
「……ぇっ?」
「ほらほら。迎えが来てるよ?」
「へ? むか、え……?」
それでもぼうっとしていた相棒を揺すって気付かせる。エトナは努めて、彼のその悶々と
した思考を一時でもいいから遠ざけたかった。
アルスがようやく我に返って、エトナが再び向けた視線に自身もそれに従う。
「やあ。大丈夫かな、アルス君?」
「やっほ~。飯にしようぜ~」
そこには開きっ放しの扉に背を預けて軽く手を上げてくるルイスと、屈託なく笑いながら
そう誘いの言葉を投げて寄越してくるフィデロの姿があった。
そして講義の後の昼休み。
アルスは顔を出してくれたルイス・フィデロの二人と共に食堂へやって来ていた。
予めテーブル席を確保し、二人が献立を選んで精算してくるのを待っていた。
「……」
食堂内を見渡せば、先輩や同学年も皆が昼休みという束の間の休息を楽しんでいるように
見えた。入学から一月と経っていないにも拘わらず、既に方々で新たなグループが形成され
ているようだ。
食事を共にし、談笑を交わす彼ら。
そんな姿をぼんやりと眺めているとアルスはつい思ってしまう。
彼らは、どうして魔導を学ぼうと思ったのだろう……。
「よっ。何ぼ~っとしてんだ?」
「お待たせ。食べよっか」
だがそうした思考は、ややあって戻ってきた二人によって一旦意識の隅に追いやられた。
ガッツリな肉食系メニューとサラダやパン類中心の草食系メニュー。
互いの性格の違いを体現したかのような献立をトレイに載せた二人は、そうアルスに声を
掛けてきつつ、そのまま対面するように席に着いた。
アルスも、鞄の中から今朝受け取った弁当包みを取り出し、そっとテーブルの上に置く。
「にしても……何でまた今日は弁当なわけ?」
「さぁ。何でだろ……? ミアさ──下宿先の人が朝起きたら作ってくれていたから」
「ふぅん……。どれ、拝見してもいいかな?」
「ど、どうぞ」
ルイスとフィデロがやけに興味深そうに見守ってくる中、アルスは弁当を開けた。
そこには詰められた俵型のおにぎりが半分、残りが種々のおかずで占められた献立の姿。
二人の「おぉっ」と何故か嬉しそうな声。アルスも(失礼ながら)予想していたものより
もずっと繊細に作られたそれらを見て暫し言葉が出ずにいた。
兄がアマゾネス──東方の民の血を受けているから自分もそうだろうと、わざわざ米料理
を用意してくれたのだろうか?
血筋はそうでも、生まれも育ちもサンフェルノ村なアルスには嬉しいやら驚いたやらだ。
「これ……本気だよな」
「下宿先の人だっけ? これを作ったのってもしかして、女の人じゃない?」
「うん、そうけど……。兄さんの冒険者仲間で、猫の獣人さん」
出会ってから今日までの語らいの中で、二人には自分や兄の事、下宿先の冒険者クランの
事もある程度話してある。
「ほほう? 年上のお姉さんかぁ。華奢な見た目しておいて……結構やるなぁ。お前も」
「? 何のこと?」
「はは。何ってそりゃあ」
「……フィデロ」
するとやっぱり何故か面白そうに笑ったフィデロを、ルイスがぴしゃりと一言そう呼ぶだ
けで止めていた。数拍、二人の間に視線が交わり、妙な硬直時間が出来る。
「あまりからかわないでやりなよ。多分、アルス君は自覚無いだろうし」
「……。みたいだな」
「だよねぇ。罪深いよね、アルスは」
「えっ……? 何……?」
二人は何事かを悟ったように居住いを正し、一足先に昼食に手をつけ始めた。
頭に疑問符を浮かべてアルスはきょとんとしていたが、傍らで浮かんでいたエトナもまた
何かを察したように、そして嘆息をつくように呟いている。
それから暫くは三人(エトナを含めて四人)での会食となった。
巷の話題から、どの講義の教師が分かり易いやら面白いやら。
会話のネタは主に──というよりほぼ大方がフィデロから発せられ、アルスやエトナが反
応を見せて二言三言を返すと、そこにルイスが冷静な分析や意見を挟むという構図が続く。
しかし、アルス達はアカデミーの生徒だ。
そんな話題の中に学業のそれが現れるのは、決して珍しい事ではなかったのである。
「……そういや。アルスって所属ラボは決めたのか?」
言い出したのは、同じくフィデロだった。
もぐもぐと骨付き肉を齧りながら、少なくとも本人は何の気もなしに振った話題であった
のだろう。
「う、ううん。まだだよ……」
だが、問われた対するアルスは明らかに表情を暗くしていた。
齧りかけのおにぎりを持つ手を止めたまま、努めて微笑む表情がぎこちない。
フィデロは「そっかぁ」と気付いていなかったようだったが、一方のルイスはアルスと、
そして同じく心苦しそうに顔をしかめているエトナを一瞥して、無言のままに何かがあると
悟ったらしい。
「俺は、前言ってた通り魔導工学だ。マグダレン先生のラボにしたんだ。もう事務局に届出
も出したんだぜ」
「……。僕は」
「ま、フィデロは元々何をしたいかはっきりしていたからね。僕だってまださ。焦ることは
ないよ。学期の途中で変更は効くといっても、僕らの魔導師人生を大きく左右する可能性の
高い選択だからね。じっくり選んで損は無いさ。まだ一次締切りまで日もあるんだし」
「うん……」
もきゅっと。アルスはおにぎりの残りを口に運んでいた。
「むしろフィデロは早く決め過ぎてる感があるよね」
「悪いかよ? 魔導具職人がはっきりしているって言ったのはお前じゃんか」
「うん。でも、マグダレン先生って結構スパルタだって聞いたんだけどね。大丈夫?」
「……マジで?」
「ああ。まぁ、頑張りなよ」
友からそんな事実を聞かされ、サーッと顔色が青くなるフィデロ。
そんな彼の肩をポンと叩きルイスは微笑を浮かべていた。いや静かに面白がっていた。
「聞いてねぇよ!? いや、でもあのスキンヘッドな風貌だったしなぁ……」
うんうんと唸りつつもしかし食事の手を止めないフィデロと、そんな彼をやはり弄って楽
しんでいるようなルイス。
だがアルスは、そんな話題の逸れに内心安堵していた。
あのままでは何処に決めようとしていたか、話さなくてはならなくなったかもしれない。
迷っている自分を知られてしまったかもしれない。
怖かった。せっかくこの学院でできた“友人すら”も、自分の突き通す夢の為に失ってし
まうのではないか? そんな疑心が胸の奥底から湧いてきて怖かった。
「……」
今はまだ、誰かに話せる状態じゃない……。
アルスはすっかり味を感じる余裕を失って、ぎこちなく口の中へ昼食を放り込んでいく。
「──それで、本当に解放するんだな?」
戸惑い。恐れ。疑問。
そうした負の感情は往々にして凝縮し、連鎖する。
「アア。ソレガ我々ノ目的ダカラナ」
青き鳥が訝しみ、若き魔導師の卵が悩むその街の片隅、人目に付かないとある暗がりの中
で、彼らは剣呑なる契約を結ぼうとしていた。
一方は、まだ歳若い青年らしき人影。
もう一方は、暗がりに溶けるような黒衣に身を包んだ集団だった。
「……分かった。だがお前達も、必ず守れ」
「分カッテイル」
「成立ダナ。デハ早速向カッテ貰オウ」
「……ああ」
信頼のなき牽制の眼差し。そのやり取りを残して。
青年は首に巻いたロングスカーフを翻しながら、その暗がりの中を後にしたのだった。