38-(1) 巌使いと狂の笑み
信徒の顔面へと、二刀が軌跡を描いて襲い掛かる。
しかしその寸前で彼は石盾の魔導を出現させ、この一撃を防いでいた。だだっ広く無地の
如く白い結界の中、異様にくすんだ壁が両者を分かつ。
「ちぃッ!」
「ぐぅ……っ!」
石盾に弾かれたジークが、その盾の陰で身じろいだイザークが、それぞれに眉を顰めた。
激情と焦燥。二つの感情が相互に、視線として中空で交わる。
「こん、のぉッ!」
それでもジークは反動を受けた身体を腕を、引き寄せ留め、右手の剣にマナを込めた。
増幅する斬撃。発動した紅梅から光がほとばしり、ジークはもう一度岩盾とその背後に逃
げるイザークを狙う。
二度目の防御はなかった。紅く大きな光を纏った斬撃は岩石の盾を容易く斬り砕き、その
両断された隙間から、慌てて距離を取り直そうとするイザーク達の姿が露わになる。
「なっ、何をしている! 私を守らないか!?」
「……僕らも続くぞ。マルタ、もう一度戦歌を」
「は、はいっ」
イザークが残った傀儡兵らに叫んでいた。
崩れる岩盾越しに見えるそのさま。紅い軌跡を残して彼らを睨み付ける友の背中を見て、
数拍遅れながらもサフレとマルタも加勢に入っていた。
わらわらと肉壁を作り始める傀儡兵らに狙いを定めて彼は槍を縮め、彼女の歌声がジーク
と彼を緋色の光で包み込み、強化する。
『──!』
サフレの槍が射出されたのとジークが駆け出したのは、ほぼ同時の事だった。
イザークを守るように壁を作る傀儡兵らを伸びた槍先が突き飛ばし、崩れたその隊伍に蒼
桜を併せて解放したジークが迫る。
紅と蒼の軌跡が傀儡兵越しに宙を舞い、彼らを斬り伏せた。
同時に槍を元に戻す、その勢いで一気に距離を詰めたサフレも加わり、二刀と槍が次々と
このイザークを阻む者らを蹴散らしていく。
「……盟約の下、我に示せ──」
胸打つ焦りは消えない。それでもイザークは人形達を囮にしながら詠唱を完成させようと
していた。距離を取った先からそっと手をかざして狙いを定め、傀儡兵らに阻まれるジーク
とサフレを狙う。
『ジーク、サフレ君! 避けて!』
「咆哮の地礫!」
だが、地面を爆ぜさすその魔導は二人を巻き込むことはなかった。
発動の数拍前、彼らの足元がボコボコッと隆起し始めるのと同時に、結界内を見守ってい
たリュカからの叫びによって二人は難を逃れたのだ。
逸早く足元とイザークが向ける照準に気付いたサフレが「掴まれ、ジーク!」と友の腕を
取ると、再び槍を縮めて射出、その加速に乗って攻撃範囲から間一髪逃れたのである。
「マスター、ジークさん!」
「……大丈夫だ。リュカさん、ありがとうございます」
『ふふ。どういたしまして』
「痛ぅ……。あんにゃろう、自分の手下を……」
流石に着地までは奇麗にいかず、ゴロゴロと二人は転がる。ハープを抱えたマルタが慌て
て駆け寄ってきたが大きな怪我はない。
悠長にはしていられないとサフレは立ち上がり、中空を見上げて、安堵してくれているで
あろうリュカに礼を述べていた。一方ジークも頭をガシガシと掻いてから二刀を握り直し、
残った傀儡兵ごと吹き飛んだ地面を、イザークを恨めしく見遣る。
(ぬぅ……。やはり相手の力場内では我が魔導も軽減されてしまうか……)
そのイザークもまた、濛々と上がる白い土埃越しにジーク達を睨んでいた。
同じ魔導師として予想はしていた。自身が得意とするのは地門──魔導の中でも特に地形
の影響を良くも悪くも受けやすい系統なのである。
そして案の定、いや思った以上に、自身の魔導領域が抑え込まれている。全力さえ発揮で
きていれば、この一撃でレノヴィン達を葬れていたというのに……。
(認めたくないが、場の魔力だけでは足りないか……。ならば!)
次の瞬間だった。それまで土煙の向こうにいたイザークが、はたと幾つもの魔導具を装備
した腕を払って叫んだのである。
「蹂躙せよ、忌数の塊兵団!」
彼の目の前に大きな黒い魔法陣が広がった。
そしてまだ漂っていた白い土埃を一掃するように現れたのは、十三体の巨大な土人形達。
「あれは……ゴーレム?」
「の、一種だろうな。野良の魔獣とは見た目も違う……召喚か」
ジーク達も、思わずその巨体を見上げていた。
一般にゴーレムと総称される、岩や土から成る魔獣は素材むき出しのフォルムをしている
事が多いが、この目の前に現れたゴーレム達はむしろ泥を押し固めた、体表面にルーンの羅
列を刻んだ姿をしている。
ジークが二刀を持ち上げ、いつでも動けるように身構えた。
サフレも、手の中でくるくると槍を回しては握り、冷静にイザーク(てき)が戦法を変えてきた
らしいことを読み取る。
やれ! イザークの命令に応じ、十三体分の拳が振り上げられた。
次々と叩き下ろされるその一撃にジークは駆け、身を捻りながら飛び退き、サフレは咄嗟
にマルタの手を取り、槍の伸縮で以って回避をする。
「この……っ!」
目の前に打ちつけられた拳を紙一重で避け、ジークはお返しとばかりに紅梅の斬撃を叩き
込んだ。
しかし、大きな裂傷こそ与えたものの、次の瞬間にはそれらはどろりと溶ける周辺部の泥
によって塞がれ、再び土人形らが丸い球のような眼を光らせて咆哮する。
「効いて……ない?」
再び拳が降ってくる。ジークは眉根を寄せながらも飛び退くしかなかった。
どうやら、この土人形達には自己再生の機能が与えられているらしい。つまり、こちらが
生半可な攻撃を撃った所で大したダメージにはならない。ただ一方的に消耗するだけだ。
(あの野郎をぶっ倒す前に消耗したくはねぇんだが……)
小さく舌打ちをしつつ、ジークは一旦大きく距離を取り直した。
ズンッと大きく地鳴りを立てながら迫ってくる土人形達。一斉に振りかぶるその腕、巨体
らを睨みながら、彼は二刀に大量のマナを力を注ぎ込もうとする。
「~~♪」
しかし、土人形らの動きはそこで突如異変を来たすこととなる。
遠くからの不協和音の調べ──マルタの狂想曲が彼らの制御を狂わせ始めたのである。
振り上げられた勢いまでは殺せず、土人形達はジークではなく、互いの身体にその拳を打
ちつけてしまっていた。当然相互の損壊は免れず、十三体の土塊巨人は思わず目を見開いた
ジークの眼前で大きくぐらつき、土埃を上げて倒れ込む。
「ジーク、白菊を使え! 奴の制御とマナの供給を経てばこいつらは無力化する!」
「お、おう……!」
紅と蒼の輝きを一旦収め、背後から駆けて来たサフレの言葉にジークは頷いた。
自分達の背後ではマルタがハープを片手に狂想曲の演奏を続け、傍らではサフレが石鱗の怪蛇
を呼び出して、駄目押しとばかりに土人形達を縛り上げ始めている。
「な、なんだ? 制御が……命令が届かぬ、だと?」
「ああ。要するにてめぇの人形どもは本物の人形になったってことさ」
イザークが土人形達を召喚した魔導具を握り、何度も何度も命令を飛ばし直していた。
するとジークはようやく、ニッと不敵にほくそ笑み、紅梅を鞘に収めるに換えて白い脇差──
白菊を抜き放つ。
それからはジークの早業が冴えた。
マルタの歌が、サフレの召喚獣がその動きを縛っている土人形達へと駆けていくと、ファ
ヴニールの長い岩肌を伝い、ジークは次々と白く輝く刃を突き立てていったのである。
傷口は小さく大した事はない。
だが、六華・白菊の特性──魔導無効化能力は、魔導によって生み出され生かされている
者らには絶大な威力を発揮する。
固い泥の身体に浮かんでいたルーンが、色彩を失って消えた。
すると次の瞬間、まるでそれが自身の終焉のように、土人形達は刃を突き立てられる度に
次々と大量の土そのものになってバラバラになっていったのだ。
「ま、まさか……反魔導!?」
イザークが顔を引き攣らせていた。そんな彼と真正面から向き合い、ジークが殺気立った
笑みを浮かべている。
オートマタ兵も(囮にした後で)もういない。切り札も破られた──。
だからこそ泥臭く、されどある意味人間らしく、彼はローブを翻して逃げ出していた。
しかしジークがそれを見逃す訳もなく、防壁として何重にも出現してきたその石盾らを、
彼は力いっぱいの蒼桜──飛ぶ斬撃の下に切り裂き突破し、追撃する。
「ぎゃあッ!?」
振り向きながら、反射的に庇うように両手を構えたことで、イザークが身につけていた魔
導具の殆どが蒼桜の一撃によって粉砕された。
直撃こそ免れたが少なからぬダメージ。加えて殺しきれぬ衝撃は彼の身体を容赦なく押し
倒し、砕け散る魔導具と共にどうと地面に転がせる。
「ぬぅ、ぐ……っ」
すっかりボロボロになって、それでもイザークはふらつきながらも立ち上がろうとした。
私が……負けた? に、逃げなければ。この結界から──。
「チェックメイトだ」
しかしその瞬間、ピタリと首筋に刃の感触が伝わっていた。
引き攣った表情のまま固まる。肩越しに眼だけを寄越して見れば……そこには槍を自分に
突きつけて立つ、サフレの姿があった。
「観念するんだな。魔導具が壊れては、距離を詰められた魔導師はお終いだろう?」
「……」
その言葉に、イザークが答えることはなかった。
ただあったのは、切れてしまった唇から流れる血を拭おうとするようにそっと袖を持ち上
げる動作のみ。
「ッ……!? サフレ、止めろっ!」
だが次の瞬間、彼の正面から近付こうとしていたジークが血相を変えて叫んだ。
一刹那、サフレは彼が何を言っているのか分からなかったが、すぐにイザークの持ち上げ
た袖に何かあると悟って強引にその腕を取る。
小さな薬瓶だった。透明な内部は禍々しい紫色を残している。
「お前……!」
毒薬。サフレはジークは直感的にそれが何かを悟っていた。
前方からジークが、背後からサフレが、それぞれに駆け寄りイザークを羽交い絞めにして
手にされたそれをもぎ取る。
しかし、時は既に遅かったらしい。
薬瓶を取り上げたと同時、ぐらりとイザークの身体が崩れ落ちていた。見れば彼の顔は毒
によって真っ青になっており、口から漏れる血は泡のように嫌な水気を含み始めている。
やられた。こいつ、自分で毒を……。
背後から突きつけていた事で死角になっていたのか。サフレは悔やんだが、目の前の事実
は変わりようがない。
「くそっ……! マルタ、お前治す歌とかねぇのか?」
「む、無茶言わないでくださいよぉ。じ、ジークさんこそ金菫は……?」
みるみるイザークの容態が悪化していく中、ジークとマルタも慌てていた。彼女の言われ
て、ジークははたと自身の懐に目を落とす。
確かに、金菫の治癒能力なら毒を除けるかもしれない。
でも、俺が“敵”を……?
「ふっ……。ははっ」
躊躇いと選別の意識。イザークがその瞬間漏らした笑いは、まるでそんなジークの内面を
抉り出すかのようだった。
自ら毒を呷り、今にも息絶えようとしている。なのに……こいつは哂っている。
「こ、この野郎! 逃げるんじゃねぇ! まだてめぇには聞き出すことが──」
「逃げる? くく……。は、ははは」
ジークはぐらつく感情を振り払うように、揺らぐ灯にまた火を点けるように、乱暴なほど
にイザークの胸倉を掴んでいた。
それでもこの男は、“結社”の一員は哂っていた。
まだ肝心な事を聞き出せていない。そんなジーク達の焦りを余所に、何が可笑しいのか狂
ったように哂っている。
「分かっていないな……貴様らは何も分かっていない。逃げているのは、そっちだろう?」
「ぁ? 何を──」
だが最期まで、彼はその理由を答えることはなかった。
それはまるではぐらかされたような、やり直しが効かない・効かさせないことを当人から
突きつけられたかのような。
「……」
ごぼっと、再び泡のような血を吹いて、遂にこの信徒は絶命する。
『──っ』
「ち……畜生ッ!!」
マルタが伝染するように真っ青な顔をして口元を押さえ、サフレが静かに唇を噛んだ。
無地のような白くだだっ広い空間の中、ただジークのそんな怨嗟の叫びだけが、いやに甲
高く響いていた。