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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-36.鉄の絆もいつしか錆び付き
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36-(3) 眼差しは巡る

 その日もいつも通りに午前の講義をこなし、アルス(とエトナ)は他の生徒達の人波に混

ざって一息をつきつつ、講義棟内の廊下に出た。

「お疲れ様です」

「はい。リンファさんも」「お疲れー」

 程なくして、向かいの部屋の壁際に背を預け待機してくれていたリンファと合流する。

 自身の護衛の為──万が一に備えてというのは解っているつもりだが、未だに慣れきって

いないというか、自分の為というのが申し訳ないというか。

「……」

 ちらちらと、他の学院生や教員がこちらを一瞥して通り過ぎていくのが分かる。

 学院に復学してからというもの、自分達という「留学皇子」は最早彼らにとって日常風景

になっている節がある。だが彼らから向けられるその視線は、多分そう好意的な意図を含む

ものではないのだろうとアルスは思っている。

 街の正門、執政館。二度に渡り襲ってきた“結社”の魔手、嫌悪の記憶。

 当初に比べれば遠因たる自分への意趣返しは減った──のも、リンファさんという護衛が

付いてくれているからなのだろう──が、それをすぐに楽観材料とするには無理がある。

「どうしたの? お昼行こうよ」

「あ、うん……」

 促されて、ロビーを抜けて今いる講義棟を出ようとする。

 するとその出入口のガラス扉の前に、見覚えのある少女──シンシアが立っていた。

 シンシアさん? 何となくきょろきょろしている彼女に先んじてアルスが話し掛けてみる

と、当人は虚を突かれたようにビクッと驚いていた。

 アルスの背後中空で、エトナがジト目で彼女を見ている。リンファも、相手が貴族令嬢で

あることを鑑みてか、無言ながらも静かに会釈をしつつ気持ち後方で控えている。

「どうかしたんですか、こんな所で?」

「な、何って……。その、昼食時でしょう? だから……」

 シンシアの返答はどうにも歯切れが悪かった。緊張しているのか、頬もほんのり紅い。

 アルスは「あぁ……」と苦笑混じりに呟いていた。

 もしかして一緒にどうだと誘いに来てくれたのだろうか。彼女の背後──つまりこちら側

の視線の向こう、その植え込みの中にゲトとキースいつものふたりが隠れて、コクコクとこちらに頷いて

くれているので多分間違いない。

「そうですか。わざわざ足を運んで貰ってすみません」

「い、いえ。そんな事……」

「ふふっ。じゃあ──」

「お、いたいた。アルス、飯にしようぜ~!」

 だがそうシンシアを加えて再び歩き出そうとした時だった。

 別の方向、講義棟前広場の向かいから、フィデロとルイスがこちらにやって来たのだ。

 当の本人はいつものノリで学友を迎えに来たつもり。

 だがそんなフィデロの満面の笑みを、彼に振り向いたアルスの横で、シンシアが恨みがま

しく眉を顰めている。……勿論、友を迎えて微笑むアルスはその事に気付いていない。

「お? エイルフィードも来てたのか。ちょうどいいや、お前も一緒に食うか?」

「……。元よりそのつもりですわ」

 次いでシンシアにも気付き、フィデロは友人アルスと雑談を交わしつつ眼を向ける。

彼女の方も顰めた眉をそのままに、何とか冷静にそう短く答える。

「よし。じゃあさっさと食堂行こうぜ」

「うんっ」「おー」

 彼とアルスを先頭に、六人になった一同は歩き出していた。

 二人の後をむすっとしたシンシアが行き、その後ろ姿を中空のエトナとルイスが互いに顔

を見合わせてニヤリとほくそ笑みながら続く。リンファはそうして歩いていくアルス達を横

目に確認しつつ、植え込みの中から出て来たゲド・キースと大人の会釈を交わしている。

「──それじゃあ、いただきます」

『いただきまーす!』

 そのまま食堂へと入り、二テーブルを確保したアルス達は早速昼食を摂り始めた。

 一方はアルス・エトナと学友三人、もう一方はシンシア・ゲド・キースの従者組である。

 ルイスやフィデロがそれぞれに学食の献立を会計してくるの待ち、アルスの合図で束の間

の会食タイムが幕を開いた。

 暫し続く、皆との談笑と食事。

 話題は主にフィデロが振り、シンシアが翻弄されるさまを、主にエトナやルイスが眺めて

は更に弄ったり適度にツッコミを入れて諌めたり。

 そんな皆を、アルスやリンファ達は微笑ましく──時折苦笑も交えて見守り、食す。

「いや~……そにしても試験が終わってホッとしたよ。これで後は夏休みを待つだけだな」

「少々気が早い気もしますけど」

「まぁね。でも、僕らにとっては入学して最初の長期休暇になる訳だから……」

 それは自然と話題が前期日程後──夏期休暇に移った時のことだった。

 早くも講義の日々から解放されると心待ちにするフィデロに、シンシアとルイスがそれと

なく呆れ顔を向けている最中だった。

「その通り! でだ、アルス。お前って夏休みの間、予定があったりするのか?」

「……?」

 いつものようにミアが作ってくれたお弁当。

 その日の献立の一つ、アスパラ巻きを口に含んだまま、アルスは頭に疑問符を浮かべた。

「んぐ……。何でまた僕の?」

「いやさ、俺もルイスも夏休みを利用して一回帰省しようと思ってんだよ。まだ日程までは

決めてないけど、そん時にはアルス達も一緒にどうかなと思ってさ。親父達にもダチができ

たって話してるから紹介したいんだよ」

「勿論、アルス君の都合がつくなら、だけど」

「なるほど……」

 アスパラ巻きをしっかり咀嚼して飲み込み、されどアルスは二つ返事はしなかった。

 ちらと、隣テーブルのリンファを見遣る。彼女もフィデロらの話にはちゃんと耳を傾けて

くれていたようで、すぐにその意図を汲み取ってくれたようだ。

「その日取りにもよるね。詳細はイヨ──うちの侍従長に訊くのが一番確実だが、既に何件

か公務の予定が入っていた筈だ」

 それに……。

 自身も手帳を取り出し、自分なりにスケジュールを確認しようとしていたアルスを再度見

遣って、リンファははたと言葉を止めた。

 十中八九、思案の気配。

 彼女がこちらを見て伺いを立ててきたので、アルスは頷くと自分の口からせめて友人達に

は話すことにする。

「……それにね。今度、母さんの戴冠式があるんだ」

 フィデロ達は思わず目を丸くして言葉を、食事の手を止めていた。

 ほう? とゲドが人々の無関心を確認するように周囲を見渡し、キースもどうやら初耳ら

しいその情報に心持ち身を乗り出しかける。

「それは……つまり、シノ女皇の?」

「うん。ここではちょっと、詳しくは話せないけど」

 目を細めたルイスに、アルスはそう苦笑しながら唇の上に立てた指を乗せていた。

 誰からともなく、アルスを囲む皆が身を寄せて防壁を作ってくれる。エトナも中空から他

の利用者らがこちらへの関心・視線を失っていくのを確認して、面々に「大丈夫」のサイン

を送る。

「そっか。あの葬式から一月過ぎてるもんなあ……。喪も明けてるのか」

「うん。だから家臣さん達も、そろそろ母さんに正式に国王になって欲しいみたいで……」

「そうでしたの……。ではまた、その時には皇国トナンに?」

「ううん。出席はするけど、向こうには行かなくていいみたい。映像器越しでいいって」

「……ほう?」

 できるだけ周りに漏れないように、アルスは大まかな話だけを友人らに語って聞かせた。

 オーエンを自身の魔導で押さえ込むことに初めて成功したあの日、ホームに帰ったアルスはイヨ達

侍従衆からこの戴冠式についての話を受けたのだ。

 曰く、先皇アズサの為に設けた服喪期間は、あまり長くできないらしい。

 考えてみれば当然なのかもしれない。

 アズサ皇はいわば、現在の政権にとっては忌むべき“敵”であった。他ならぬ母──新女

皇の意向とはいえ、彼女の存在を長く国内外に意識させるのは家臣ら実務集団にとって快い

ものではなかったのかもしれない。

 そして母自身も、ある種の区切りと踏ん切りを付ける為にも戴冠式というパフォーマンス

は不可避と考えたようだ。これはイヨからこっそり聞いた話だが、女皇代行という肩書きの

ままでは相手にしてくれない国もあったのだそうだ。

『──そんなに気にしなくていいのに。こっちの事は私達に任せておいて? アルス、貴方

はできる限り自分の学業に……夢に専念なさい』

 なのに導話越しで、母はそう自分の勇み足を宥めてくれた。

 大丈夫な訳はない筈だ。それでも尚、母は自分のことを気遣ってくれた。

「だから、式典の前後と他の公務の日以外は大丈夫だよ。二人の故郷かぁ……どんな所なん

だろ?」

「ああ。前にも話したけど、南の清峰の町エバンスっていうとこだ」

「川ぐらいしか目立った所はないけど、まぁ住めば都ってね。長閑でいい所だよ」

 だから、アルスは努めて微笑わらう。皇子の重圧も友との交わりもまとめて引き受けてやるん

だと自分に言い聞かせて、微笑わらってみせる。

「……」

 そんな護るべき皇子かれを、リンファは茶を啜りながら見ていた。

 密偵の職業病か、キースが何度か詳細を訊いてくるが、悪いが応じられないと理解を求め

ておく。実際、詳細なスケジュールはイヨら文官側の仕事だ。第一、戴冠式も概要が固まれ

ば彼らの雇い主──盟友・セドにも話がいかない筈はないだろうから。

(アルス様の学業を優先して、か……)

 コップを置き、リンファは内心で皇──と本国政府の本音にはとうに気付いていた。

 即ちリスク回避である。これまで二度、彼は“結社”の刺客に命を狙われた。

 もし今回の戴冠式の為に本国へ戻ろうと飛行艇なりを駆ろうとしよう。そんな時脳裏にち

らつくのは……内乱の折のあの撃墜事件だ。

 あの時は恐怖心・敵愾心を煽る偽装工作だったとはいえ、多くの人命が失われた事には変

わりない。

 命に貴賎はないと言いたいが、もしあんな凶行を“結社”がまた我ら皇子を亡き者にする

為に仕掛けようとしたら? ……考えただけでぞっとする。ならばいっそ、映像器越しでの

出席に留めておけばそんな危険を冒すこともない。

(……陛下も、苦肉の策だったろうな)

 皇子の安寧を守護する、その任に自分は誇りをもって臨んでいる。

 だが一方で、一番の主君である彼女の苦心を、その場で軽減して差し上げられないことが

とても口惜しく思えた。

 尚もアルス様は、シンシア嬢及びご学友らと談笑している。

 フィスター君は相変わらずの快活な少年だが、もう一方のヴェルホーク君は中々に知性溢

れる人物だ。先程の反応を見ているに、おそらく彼も本国へ直接出席しない本当の理由に気

付いていたのだろう。

(陛下。ジーク様、アルス様……)

 そっと、手が腰に下げた太刀を撫でていた。

 染み付いた柄の感触。瞬間、何通りにも脳内でシュミレートされる、この場を舞台にした

襲撃のイメージ。

 何としても護ってもみせる。もう二度と、貴女達を暗闇に落とさせはしない──。

 内に秘めた主達への愛おしさを胸に、忠臣リンファは改めて気持ちを引き締める。

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