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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-35.巧機なる地の千年紀(後編)
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35-(5) 大空を翔る夢

 数日ぶりにちゃんとしたベッドで眠れることになった。

 尤も上質なものとはお世辞にも言えなかったが……その点はとうに慣れているし、まさか

文句など言えまい。

「……」

 にも拘わらず、ジークはどうにも寝付けないでいた。

 鋼都ロレイランに着いて最初の夜。

 まさか連日の列車の旅による疲労が、ここに来て睡眠すら妨げているのか。

 いや……違う。自分の身体だ、精神こころだ。この胸奥を撫で回す嫌な感じの正体は既に見当が

ついているではないか。

 拒絶である。南方──風都から西方──鋼都に至るまでの一連の事件で、自分はこれでも

かというほどに世の悪意に出くわしてきた。

 勿論、あれがこの世界の全てではない。むしろ“結社”や保守過激派といった一部の者達

の介在による「例外」であるのだと思いたい。

 しかし、だが一方で、それらもまたこの世界を構成する「要素」なのは事実だ。

 故に圧し掛かってくる。少なくとも自分を踏み躙り、否定する者達がいる。

 ……情けなくも、怖かった。

 自分一人だけの話ならまだいい。許せないのは、そうした悪意が周りの人々にも及んでし

まうという点だ。

 動揺させながら、崩す──。

 それが連中の手口なのだと分かっていても、いざ一人の時になると、まるで狙い澄ました

かのように一斉に襲ってくるのだ。

 仲間や大切な人達への後ろめたさ、罪悪感。

 はたと、そして執拗に、自分という存在を揺さぶってくる無尽蔵の猜疑心。

 キリがなかった。

 信じてくれる彼らを思い、罪ではないと言い聞かせても、今度は別方向から「本当にそう

なのか?」と自分とそっくり同じ姿をした悪魔がしたり顔で囁いてくる。

 何度も、何度も、何度も。

(とんだ馬鹿野郎だ。どんだけ剣を振り回したって、強くもなんともねぇじゃねぇか……)

 木造に些か心細い鉄筋を仕込んだルフグランの社屋。

 ジークはそんな物寂しげな深夜の廊下を一人歩きながら、己の弱さを哂う。

 こんな体たらくは、それこそアルスには見せられやしない──。

(……ん?)

 そんな最中だった。

 ふと廊下の先で、煌々と明かりが点っている部屋を見つけたのだ。

(確か、あそこは……)

 少しばかり眉根を寄せて近付いて行ってみる。

 昼間のやり取りや案内の記憶が正しければ、確かあそこは社の作業場だった筈……。

「お? どうしたのさ、こんな夜更けに」

 そこには、昼間と同じく作業着姿で一人機械弄りに勤しむレジーナの姿があった。

 研磨機──らしき台型の装置の前で何やら作業をしていた彼女が、フッとこちらの気配に

気付いて振り返る。

「……ちょっと寝付けなくて。レジーナさんこそ、こんな遅くまで仕事ッスか?」

 邪魔をしてしまったか……?

 ジークは苦笑しつつ応えていたが、それがまた一つ胸奥を無駄にざわめかせる。

 どうと言われた訳ではなかったものの、そのまま戸口に突っ立っているのもアレなので、

おずおずと彼女の方へと歩いていく。

「仕事っていうか、趣味っていうか……。あはは、あたしもよく分かってないや」

 レジーナもまた笑っていた。

 しかしそこにジークのような内に秘めた暗さは見受けられない。

 自分よりも年上な分、もっとそういった私情を隠すだけの能力を身につけているのかもし

れないが、ジークにはそんなカラリとした笑みが羨ましくさえ思えた。

「一応ねー、オズ君のパーツを試作してたんだよ。一度バラしてみないと正確には分からな

いけれど、その前にちょちょっと確かめてみたくてさー」

「えっ。オズの為にわざわざ……? す、すみません」

「だからいいってー。さっきも言ったでしょ? 趣味みたいなモンだって」

 作業台──と思しきごちゃまんと物が積み上げられたテーブルの一角には、布を敷いた上

に鎮座するいくつもの彼女お手製の部品達が転がっていた。

 門外漢で、ジークには何が何の為のものかは分からない。

 だがそんな素人目にも、彼女の手掛けた機械仕掛けの欠片達は今にも寄せ集まり、何かの

形を成そうとしているかの如き錯覚を受ける。

「実際ね、こういう面白そうな仕事が来るのって久しぶりなの。だから社員達みんなも張り切って

たよ。タイプ・オズワルドを触れるー……てね」

「……そう、負担でないならありがたいんッスが。でも、その……こんな事訊くのは失礼だ

とは思うんですけど、儲かってないんですか? 昼間も落ちぶれたの何だのって……」

「ああ。それね~」

 実は気になっていた事ではあった。

 いくら機巧技術の聖地で競争も激しいだろうにしても、リュカ姉らの言うように偉人の子

孫であれば──本人の意思に関わらずとも大きな肩書きがあれば──もっと入ってくるもの

は入ってきそうだとは思っていた。しかしこの会社は……どうみてもボロっちい。 

 だが気を悪くしないかという心配は無用だったようだ。

 レジーナはジークにそう問われると、あっけらかんとした表情で笑っていた。

「簡単なことだよ。あたしがカネモウケに乗っからなかったから」

「えっ?」

「ふふっ。……機巧技術の世界もね、今じゃすっかり腐ってんのよ」

 しかし気のせいではない。最初の一言、ジークが疑問符を浮かべた次からの言葉。その間

には間違いなく、彼女に影が差す瞬間があった。

「今の機巧技師どうぎょうしゃどもはね、金儲けばっかりでロマンがないのよ」

 レジーナは試作した部品を一つ、手に取って弄り出すと、そう何処か遠い別の場所を見る

ようにして語り始めていた。

「エリが案内がてら話したかもしれないけど、ゴルガニア戦役から暫くは、機巧技術はそれ

こそ帝国の負の遺産って感じで目の仇にされてたのよね。で、その復権の為に数百年間、世

界中の技師が必死になって魔導と肩を並べるべく頑張った。実際、今はもう魔導と共に人々

の生活にはなくてはならないものになった──市民権を得た」

「……」

「でもね、その間に失ったものもあるのよ。それは……ロマン。自分達が技術でもって世界

を拓くんだっていう気概、とでも言うのかなあ。それが今の連中にはからっきしなのよね」

 研磨機も電源が落とされ、辺りはとても静かだった。

 ほうほうと、外の夜闇の向こうにいる鳥が何処かで鳴く、それ以外の音は殆どこの作業場

に入ってこない。街は、今完全に眠っている。

「ご先祖様──トビー・ルフグランは生涯捨てることはなかったわ。見果てぬ夢、この無限

の謎を秘める世界を、この手で明らかにしてみせる。……そう言い続けて、最期は探検に出

たまま二度と戻ってくることはなかった」

「ッ──!?」

「……そんな絶望みたいな表情かおしなくてもいいじゃない。大体、別に恨んでなんかいないよ?

 むしろあたし自身は、そんなご先祖様を誇りに思ってる」

 彼女の言葉に、嘘はないようだった。

 とても楽しそうな笑顔。真っ直ぐで……自分の道を進み続けている女性ひとの笑顔。

「なのに、今の連中は馬鹿だよ。目先の小銭ばっかりに気を取られてコソコソ固まってる。

そしたらどうだい、連中はあたし達を機巧師協会マスターズから追い出したんだ。夢ばかり語って

非協力的な、時代遅れの技師なんだってさ」

「……」

 どうやらそれが、彼女が“落ちぶれた”理由であるらしい。

 勢力拡大に伴って肥大化した組織と、既得利権。その集団の意向に沿わない彼女を、彼ら

は時代遅れのレッテルを貼って弾き出したということか。

「……ごめんね? 湿っぽい話になっちゃなあ。むしろあたしは清々してるんだけど……」

「いえ……。いい事だと思いますよ? 夢というか、目標があるってのは」

 だからジークは口にしていた。

 自身の抱き、持て余すこの弱さも含めて、素直に羨ましいと思った。

「ふぅん……?」

 レジーナは少々驚いていたようだった。

 すると彼女はじーっと、暫く品定めをするかのようにジークを眺めると、言う。

「──夢の船」

「えっ?」

「夢の船。どんな世界の果てにも飛んでゆける、夢の船。そんな最高の飛行艇を造って、ご

先祖様みたいに大冒険する──。それがあたしの夢なんだ。確かに最初は戦争の為の力だっ

たかもしれない。でも機巧技術はヒトの知恵ってのは、殺し合うんじゃなくて、開いて結ん

で皆を幸せにするものであるべきだと思うの」

「……」

 ジークは目を見開いていた。そして嬉しく思った。

 やがて見開いた目は破顔に変わり、彼は満面の笑みで頷く。

「ああ。俺もそう思うよ。……あんたにオズの修理を頼んで、本当によかった」

 差し伸べた手に、レジーナは少しばかりきょとんとしていたが、すぐに笑顔を向けて握り

返してきた。ぎゅっと、確かに心通わせた瞬間が分かる。

 ──嗚呼そうだ。こうやって、る。

 どんなに悪意をぶつけられても、世界には同じくらい、自分の心に誠を掲げて真っ直ぐに

生きようとする人達がいる。善意……と括るのは焦り過ぎかもしれないけど、愛すべき人達

が息づいている。

(……そうだよな。やっぱ恨み返しちゃ負けだ。俺まで、同じになる……)

 嬉しかった。ジークは彼女が少し頭に疑問符を浮かべ始まるまでその手を握り、励ましの

思いを送り続けていた。


 深夜の寂れた作業場に抗う者がいた。その志を抱くさまに、励まされる者がいた。

 繁栄を謳歌する都市。その押し遣られた猥雑さの片隅で二人は笑う。

「──」

 そっと廊下の物陰から、盆に載せたコーヒーを持ったまま、静かに微笑み佇んでいるエリ

ウッドをも知らず知らずの内に巻き込みながら。

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