33-(5) 悪意の在り処
それは、端的にいえば情報戦だった。
ようやく軟禁から解放されたジークは仲間達、そしてセロの部下である工作兵らの協力を
得て、混乱冷めやらぬ風都の只中へと潜り込んでいた。
(……しっかしこうして近くで見ると、不気味以外の何者でもねぇな)
(全くだ。だがあの見た目で周囲を威圧できるというのも、あのような仮装をしている理由
なのかもしれないな……)
人波の中、家屋の物陰に隠れて点々と移動しつつ、ジーク達はこのデモ騒ぎを起こしたと
思われる黒幕達──リストン保守同盟メンバーらの視認を繰り返している。
一見して何かの仮装パフォーマーを思わせる、仮面とローブで素性を覆い隠した姿。
だがサフレも頷くように、彼らには人を明るくさせるようなエネルギーを纏っていない。
むしろ逆、陰気な引力を伴うようなエネルギーの使い方をしている連中なのだ。
──保守同盟は保守勢力の連合体である。
しかし彼らは単なる烏合の衆では決してない。後発組ながら現実に六大陣営の一角を成し
ており、今日の世界情勢にも一定の影響力を及ぼしている。
つまり、相応の権力・財力を持つ賛同者達がその内部にいるのである。
彼らは自ら素性を明かそうとはしないが、各地の保守的な諸候ないし国々が手を組んでい
るらしいということは今や公然の秘密となっている。
(レノヴィン殿)
(こちらの準備、整いました)
そうしてデモ隊の中に彼らが居残っていることを確認していると、街中に散っていた工作
兵達が戻ってきた。
(……分かった。じゃあ始めよう)
同じく小声で、感情の読めない淡々とした様子で掛けられた合図に、ジークはサフレ達と
共に振り向き表情を引き締める。
「──おい、大変だ。これを見ろ!」
“反撃”はすぐにデモ隊側にも知れ渡ることとなった。
混乱する人波の中で、携行端末を持参・配布されていたメンバーらが次々とその仕掛けら
れた変化に気付くと、彼らはそれらを周囲の同志達に知らせ始める。
『黙れっ! レノヴィンを出せ! お前達が匿っているんだろう!?』
『領主は何をしている! この街を“結社”との戦場にする気かっ!!』
それは現在進行形で行われている、この街のデモ──その最前線を発信する映像だった。
面々が端末の画面を凝視する。撮られていたのは守備隊とぶつかり、レノヴィン追放の主
張を叫ぶ自分達の姿だ。そんなリアルタイムの様子が今、導信網を通じて世界中に配信され
始めている。
だが……おかしい。
確か予定では証拠映像を壊されないよう、撮影班はもっと下がっている筈なのだが。
「おいおい誰だよ……。勝手に予定外の事をしてるのは」
「これじゃあまるで、俺達が守備隊に喧嘩売ってるように見えちまうじゃないか……」
何よりも、面々が懸念したのはその映像場面のセレクトだった。
映し出されているのは全て、抗議活動──を超えて“暴力的”になりつつあるさま。加え
てこのカメラアングルは、自分達の群列を怯えながら眺め、身を潜めている市民達の姿まで
ばっちりと映している。
「拙いぞ……。これはネガキャンだ。向こうが手を変えてきやがった」
「チッ! 領主の野郎、小癪な真似しやがって……!」
デモ隊の面々は焦った。
威圧しようとしているのは市民相手ではない。あくまでレノヴィンを匿っている執政館側
なのだ。こんな映像を流されたら……風向きは百八十度変わってしまう。
『拙いぞ……。デモ隊を“悪役”にされてしまえば、レノヴィンを引き摺り下ろす我々の大
義名分が損われてしまう』
『おい、この配信主を捜せ! 急いで始末するんだ!』
だがしかし、デモ隊の面々が驚かされたのはそれだけではなかった。
戸惑う中ではたと切り替わった映像。そこには真っ白な仮面とローブで素顔を隠した集団
──保守同盟らしき者達が、街の陰でそんな物騒な指示を飛ばしている様子が映し出されて
いたのである。
「ど、どういう事だよ……?」
「聞いてねぇぞ……。このデモってまさか保守同盟が噛んでるのか?」
「何でだよ? あいつらって確か“結社”にエールを送ってたよな? 違うぞ、俺達はそん
なつもりでここに来たんじゃない!」
デモ隊──に参加した一般人達は、次第に戸惑い、憤り始めていた。
この配信されている映像が真実なら、自分達は彼らに踊らされていたのではないか?
ただ“結社”との戦場になるのを、勝手に巻き込まれるのを避けたいが為に起こした行動
を、こっそり別の意図で利用されていたのではないか?
『──さて。この映像を見てあんたはどう思う? 言っておくが、これは今現在進行形で起
きている風都の一部始終だ』
再び画面が切り替わったのは、次の瞬間だった。
世界樹を背景に風都の一角に立ち、そう画面の向こうの人々に語り掛け始めたのは、他
ならぬ騒動の要因たるジーク本人。彼は尚も続く街の騒々しさを一瞥してから、引き続き正面
に向き直って口を開いていた。
『……先ずは謝りたい。俺の意図しない所で皆に迷惑を掛けた、怖がらせた。その事実は否
定しようがない。勇んで“結社”の矛先が自分だけに向くと過信した……俺の落ち度だ』
言って、最初にあったのは頭を垂れる姿だった。
デモ隊の、市民の、保守同盟の。携行端末や避難した先での映像器を通じて各々がそんな
皇子の言動を凝視し、ごくりと重い息を呑む。
『だけど、これだけは言わせてくれ。そりゃあそれぞれが何を考えようかは自由だ。俺だっ
て結社とは──奴らに大切な人を囚われているから、戦うって決めてる』
風都だけではない。世界が見ていた。
導信網に乗せられた彼からのメッセージは世界中を伝わり、各メディアも大慌てで緊急速報
として映像器に流し始めている。
『見えるだろ? この街の混乱ぶりが。怯えてる人達が。……何を思うかなんてぶっちゃけ
勝手だ。俺も含めて色んなことを思って生きてる。でもな、そいつらを力ずくでホンモノに
しようとした結果が……これだ』
領主モルモレッド、雇われの用心棒・セロ一味だけではない。
デモに加わった者も加わらなかった者も、或いは遠く別な場所で息づく人々も。
『考えてくれ。俺の所為で暴れる“結社”とこの街のデモ隊、こいつらの差は一体何だ?』
こんな荒々しいざわめきに“大義”など……。
眉間に深い皺を寄せ、ジークはぶんと片腕を水平に払って叫ぶ。
『正しさなんて一通りじゃねぇんだ。だけどじゃあ何でもやっていいって訳じゃねえ。少な
くとも他人をこんなに怯えさせて、苦しめて……そんなやり方は間違ってる。皆が皆に俺を
支持してくれなんざ言わない。でもよ、ああやって無理やり巻き込んでくる連中がいるのは
事実なんだ。現実なんだ。だから……皆も自分なりに考えてくれ。こんなクソったれな企み
に引っ張られないような意思を、持って欲しい』
「……。ジーク」
「兄さん……」
遠い場所、それでも近しい仲間達もまた、そんなジークの言葉を姿を観ていた。
トナン王宮では、急の報せを受けたシノが臣下一同と通信回線に乗せたホログラム越しに
そのさまを見、アウルベルツではその日の試験を済ませて帰って来ていたアルスが、クラン
の皆や酒場の常連達と共に兄の映る映像器を見つめている。
『……俺からは以上だ。これから、このごたごたにケリを付けて来る』
そしてジークは、バサリと上着を踵を返して背を向け歩き出し、それを合図に配信されて
いた映像もぷつりと途切れ──。
「随分とこなれてたじゃない。アウルベルツ襲撃の一件が活きたのかしら」
「……さてね」
機材を繋いだ端末を一旦オフにし、リュカが声を掛けてきた。
場所は風都の多くを見渡せる高台スペース。軟禁されていたセロのアジトや執政館のある
方向、その向こうには全景の見えない巨大なストリーム──世界樹が変わらず静かに茜色の
輝きを放ち続けている。
「俺はただ、打ち合わせ通りに喋っただけだよ。自分の言葉でさ」
彼女に何となく茶化されるような、微笑ましく見守られるような視線を向けられ、ジーク
はぷいっとそう視線を逸らして呟いていた。
上着のポケットに突っ込んだ両掌。静かに滾ってくる身体、胸奥のエネルギー。
ほうっと染まっている頬の赤は、何もこの街のストリームの色に影響されているからだけ
ではない筈だ。
「それに、肝心なことはまだ終わってないんだ。サフレ」
「ああ。マルタ、連中の動きはどうだ?」
「は、はい。う~んと……」
促され、マルタは手で庇を作って遠く街の各所に目を細めていた。その周りでは工作兵達
も端末を片手に、既に何やら連絡を取り合っている。
「見つけました! 北西に約五大往(=約五キロメートル)、周りと違ってじっと動かない
でいる一団があります!」
ややあって、彼女の被造人としての視力がその姿を捉えた。
魔力を込めて茜色に輝いた瞳。こちらに振り向き指差した方向に、ジーク達は一斉に視線
を遣って臨戦態勢に入る。
「よしっ……! リュカ姉っ!」
「ええ!」
今度はジークが合図を送り、リュカが魔導の詠唱を始めていた。
程なくして一同の足を包んだのは風紡の靴。空中浮遊の風を受けたジーク達はそのまま
ぐっと両脚を踏ん張って地面を蹴り、一気にマルタが指し示した方角へと飛翔する。
──これこそ、ジーク達の真の目的だった。
作戦の概要はこうだ。先ずここ風都にジークがいることを大々的に知らせ、同時に今回の
デモを扇動した黒幕がいることを印象付ける。そうすれば自分達に吹く風向き──大義を失
うと焦り、保守同盟のメンバーが動き出す筈だと踏んだのだ。
だが……それはまだ第一段階。狙っていたのはここからである。
ジークも至りかけていたが、この作戦を提案したリュカもまた同様、疑問に思っていた。
何故自分達がこの街にいることを、彼らは知っていたのだろう?
セロに連れて来られる際は貨物に紛らされていたし、その後からつい先刻まで身柄は彼の
アジト内にあった。普通に考えれば、外部から知りようが無い筈なのである。
しかしただ一つだけ、可能性があった。
“結社”だ。セロの軍勢に一度は撤退させられたとはいえ、そのまま彼らがサックリと自
分達への追撃を諦めたと考えるには不自然さが残る。もしかしたら、今回のデモ自体が彼ら
による攻め返しではないか? そう一つの仮定に至ったのである。
「……?」
はたして、そんな仮説は見事的中していた。
ジーク達が上空から見下ろす風都の街並み、マルタが示した北西方向。
その一角にある石畳の広場に、仮面とローブの一団が立っていた。
もし彼らが保守同盟であれば、先程のジーク達の先手を受けてその捕縛に動き出している
筈だ。実際、工作兵らの情報網によれば殆どの仮面集団が動いているという。
だが、この一団だけにはそんな素振りがない。
故に結論付けられる。あぶり出される。
「──おぉぉぉぉぉッ!!」
奴らは、結社の手の者だと。
空中からぐんと加速して下降し、ジークは腰の二刀を抜き放っていた。向こうもこちらの
接近に気付いたようだ。リーダーらしい人影を庇うように、ザッと複数が動くのが見える。
それでもジークは止まらなかった。振り出す刀身を手元で瞬時に逆刃に持ち直し、そのま
ま彼らに向かって一閃を放つ。
「ぐっ……!?」
射出されたような一撃が入った。
逆刃とはいえ、その衝撃は凄まじい。だが庇い立てした人影らがあげた声は無機質にくぐ
もっており、むしろ人間的な苦痛を漏らしたのは吹き飛ばされた彼らの巻き添えを喰らった
リーダー格の方だった。
「やっぱりお前らだったか……楽園の眼!」
一閃の威力で、この仮面集団らの化けの皮が剥がれていた。
仮面が割れ、ローブが破れ、本性を現したのは紛れもなく“結社”のオートマタ兵達。
そんな、ふらつきながらも構わず鉤爪手甲を構えるこの黒衣の量産兵士らに護られるよう
にして立ち上がったのは、予想とは違い一人の女性であった。
「ジーク・レノヴィン……。何故? どうやって私達を……?」
「……ふん。まぁこっちにだって、頭の切れる仲間やらがいるってことさ」
驚きを隠せないといった様子の女性。そんな彼女に相対し、着地したジークは二刀を構え
直して小さくほくそ笑む。
「け、結社……!?」「ひぃ……ッ!」
「皆さん、落ち着いて!」
「急いでここから離れて下さい!」
その間に、リュカら仲間達は突然の事態に戸惑い怯える市民──やデモ隊だった人々を場
から逃がすべく奔走し始めていた。限りなく悲鳴に近い声が重なり、我先にと彼らは広場を
抜けて駆け出してく。
「覚悟しな。こっちは色々、てめぇらに問い詰めたいことやら恨みやらがあるからよ」
「くっ……!」
ざっと見る限り、オートマタ兵は三十といない。女性だから舐めているという訳ではない
が、空中からの一撃をかわせなかったのを見てもそう強敵ではないと感じる。
「な、舐めるな! ここで会ったが百年目! 大命の下、この信徒シェリィが直々に引導を
渡してやる!」
だが相手──シェリィと名乗った“結社”の刺客は撤退を選ばなかった。
左右に肉壁を張るように展開するオートマタ兵。その後ろで、彼女はローブ(元々下に着
ていた方だ)の懐からボウガンを取り出すと構えてくる。
一度睥睨した直後、ジークは地面を蹴っていた。同時相手側も動き出す。
飛び掛ってくる黒衣の兵を、ジークは錬氣を込めた二刀で、今度は逆刃ではなく容赦なく
斬り捨てていた。
「……ッ」
ぐらつき、身体を分断されて倒れていく雑兵。
そんなこの皇子の進撃に、シェリィは眉を顰めながらも引き金をひく。
「はんっ!」
だがジークはその放たれた矢をことごとく二刀で叩き落し、弾いていった。
更に互いの距離が縮まる。……だが、彼女の口元にはにやりとほくそ笑む口角があって。
「……!?」
あらぬ方向の中空に飛ばされた矢全てが、次の瞬間まるで意思を持ったようにピタリと止
まっていた。
狙い定めたように、一斉に向いたその矢先はジークの背後。シェリィが密かにほくそ笑む
のとリンクするかのように、一度は防がれた射出物は再びジークに襲い掛かろうとする。
「──迸る雷波!」
だがその搦め手からの奇襲は、離れた位置から放たれたサフレの援護攻撃によって焼き落
とされていた。
「往け、ジークっ!」
「ああ!」
中空を猛スピードで駆け抜けていった電撃。
ジークが肩越しに振り返ると、彼は頷いて叫ぶ。
再び二刀が地面と平行に奔った。
驚いてしまい第二射への動作が遅れているシェリィ。ただ隊長権限を与えられている彼女
を警護しようと迎撃に転じ、しかし「どけぇッ!!」とジークの雄叫びと共に斬り捨てられ
ていく黒衣の兵士達。
「おぉぉぉッ!」
六華がその解放を受けた。紅と蒼の軌跡が交錯するように黒衣の兵らをバラバラに壊し、
シェリィの懐に肉薄する。
「ガッ……!?」
一撃目は先ず、そのボウガンを中ほどから両断していた。次ぐ二撃目はもう片方の剣を握
る手を返して、彼女の鳩尾に強烈な一発。
海老折りになったその体勢が衝撃の強さを物語っていた。
ぐわっと白目を剥いてゆく彼女。そして斬り飛ばされたボウガンの残骸が地面に落ちたと
ほぼ同じくして、その身体はどうと崩れ落ちる。
「……」
二刀を手に下げたまま、ジークは昏倒した彼女を見下ろしていた。人々の避難誘導を工作
兵らに任せて、仲間達がこちらに駆け寄ってくるのも見える。
「……これでデモも収まるか」
後は捕まえおき、意識を取り戻すのを待って父の情報を搾り出し、当局に引き渡せばいい
だろう。そう思って、仲間達を迎えながらもこの女刺客を抱え起こそうとし──。
「神妙にしろ! 我々はサムトリア及び南方諸国連合軍である!」
突然、広場に物々しい軍勢の一部がなだれ込んできたのはそんな時だった。
「エギルフィア領主ミカルディオ侯より援軍要請を受け、押しかけた不安分子摘発の援軍に
馳せ参じた! 下手な抵抗をみせれば拘束が長引くぞ!」
広場を繋ぐ路地から姿を見せる軍服姿の一団。その隊長格が叫んだのを見て、まだ逃げ切
れていなかった市民らも戸惑うように立ち止まっている。
「共和国? 何でまた……」
既に無力化、全滅している“結社”達を足元にジークが眉を顰めていた。
その間にもサムトリア軍は広場に踏み込み、残された人々や残骸になったオートマタ兵を
視て回っている。
「心配ならいりませんよ。レノヴィン殿」
「あれもボスの講じた策の一つです」
「……。そうなのか」
だがそんな様子を横目に近寄ってくる工作兵らの言葉で、ジーク達はフッと身体に込めた
緊張を心持ち解いた。
“万装”の息が掛かっているのなら、こちらが下手に介入すべきではないか──。
そうお互いに目配せをして、四人はようやく石畳の上で人心地をつき始める。
「──本当にこれでよかったのかしら……?」
「勿論ですわ。これまで内政故に出遅れたこの国も、今回の件で“結社”に毅然とした態度
を示すことができたのですから」
一方、その軍隊を送ったサムトリア大統領ロゼの不安に、
「それに星々(ストリーム)の導きも言っています。近い将来、セカイに節目の変化が訪れると……」
用心棒たる“黒姫”ロミリアは、円卓上の占札を捲りながら語っていて。