33-(4) 吹きすさぶ喧声
それは何度目かの直談判の最中に起こった。
軟禁先である風都のとある屋敷。その一室で“万装”のセロと出せ出さないの押し問答を
繰り返していたその時、はたと隣室から彼の部下らしい者が数人、やって来ては何やら耳打ち
をしていたのである。
「……そうか。存外早かったな」
言ってセロは同じく何やらひそひそと指示を飛ばし、この部下達を下がらせた。
応接テーブルを挟んで向かい合うジーク達四人に目を遣り直し、彼は再びその飄々とした
上っ面で一行を捉えてくる。
「……。何かあったのか?」
「まぁね。ちょっと外でヒステリックな集団が騒いでいるらしい。……レノヴィン君、君達
をこの街から追い出すためだよ」
『ッ──!?』
ジークの、四人の表情が凍りついた。
自分達を……追い出す?
最初、そんな外の状況を告げられた時、ジークはすぐにその意味を理解できなかった。
「おいおい、何を今更そんなに驚いているんだい? 考えてみるといい。君達は“結社”に
喧嘩を売った、世間からみれば“歩く着火剤”な訳だろう? そんな連中が近くまで来てい
ると分かったら……誰だって不安にもなるさ」
だが一方のセロは、むしろこの状況を愉しむように口角を上げ、脚を組み直している。
思わず深く顰めた表情。だがジークは一方で、彼の言わんとすることは確かに“常識”な
のかもしれないとも思った。
要するに、保身的行動が起きているのである。
“正義”はどちらにあるか、どこにあるか──そんな大きなことよりも、今自分達が繰り
返している日々の生活さえ担保されればいい。そういったより小さく圧縮された“正義”が
その集団を動かしているのだろう。
ジークはリュカとサフレとマルタと、仲間達と互いに顔を見合わせた。
やはりというべきか、皆──自分も含めて困惑している。
ただ父を取り返したい、その為に選んだ自分達の道さえも、平穏平常を願う市民からは厭
だという視線を、叫びを向けられてしまうというのか。
「……」
いや、それ以前に何故自分達の所在がバレたのだろう?
真っ先に疑い、視線を向け直したのは目の前のセロだった。だがジークはすぐにその可能
性はないと感じて、思考の中で打ち消しの斜線を引く。
『悪いが、君達にはもう暫く待機していて貰いたいんだよ。こっちもこっちで各所との調整
に手を焼いていてね……。また“結社”に襲われるのは、お互いにデメリットだろう?』
先日から、早く解放しろと迫っても柳に風と受け流されては聞かされている、彼の弁。
どうやら言葉の端々から察するに、彼は自分達をどうにかしようとしているらしい。
とはいえそれは危害を加えるというものではなく、むしろ腫れ物を扱うように別の誰かに
引き渡そうとしている……そんな印象だ。
最初に会った時に口にした「保護」の延長上なのだろうか。少なくとも力ずくで自分達の
視界から追い出しさえすればいいという様子ではない。
何よりも、己の直感が告げている。
この男は下手な自作自演──後々に露見して面子が傷付くような手は採らない筈だと。
「……とんだ嫌われ者になったもんだな」
たっぷりと黙り込んだ後、ジークはそうクスリとも笑わずに呟いていた。
取り戻したいもの、成すべきもの、守りたいもの。
全ては、互いの“我”を貫くからこそ拗れるというのだろうか?
それとも、そうした差異や溝を煽るような“悪意”が──。
「儂だ。入るぞ“万装”」
突如しゃがれた老人の声と共にドアが開かれたのは、ちょうどそんな時だった。
はたと思考を遮断されジーク達は背後を振り返る。そこには目深にローブを被り錆鉄色の
長い杖を手にした老人と、その取り巻きらしき似た装束の者達が立っていた。
「あんたらは……?」
「衛門族……。まさか」
「ああ。顔を合わせるのは初めてだったね。彼は老モルモレッド、此処エギルフィアの領主
だよ。街の防衛に協力するという条件で、この館──うちのクランのアジトの一つを提供し
て貰っている」
セロが飄々とした笑みを崩さなかったのに対し、当のモルモレッドは終始ぶすりと不機嫌
を全方位に張りつけた様子だった。
老齢ながら矍鑠とした、大柄で威圧感のある眼。
ジーク達はその突き刺さるような視線──間違いなく敵視に、思わずごくりと息を呑む。
「……やはりお前達は災いを連れてきたようだ。“万装”、もうこれ以上は待てぬ。一刻も
早く彼らをこの街から排除しろ」
ぴしゃりと。彼の態度に、ジーク達は言葉も出ずに眉根を寄せていた。
第一印象、纏う空気から友好的でないことはすぐに分かってはいた。だが初対面早々いき
なりその言い草はないだろう。
「お前──ッ!」
唇を噛み、ジークは今度こそ言い返そうとする。
だがリュカは、それをさっと肩を取って制止していた。
無言のまま、ゆっくり首を横に振る彼女。そのさまを見てジークは瞳を揺らしていたが、
ややあって諦めたのか込めかけた全身の力を抜いて座り直す。
「……モルモレッド首長。以前導きの塔で貴方がたの同胞を巻き込んでしまったことはお詫
び申し上げます。ですが、ただ私達は──」
「今更遅いわ。詫びる気があるのなら、もうこれ以上儂らを巻き込むな。そこの若造の身分
さえなければとうに追放処分にしておるのだぞ」
しかし冷静に話し合おうとしたリュカの言葉すらも、モルモレッドは端から聞く耳を持っ
ていないらしかった。
「楽園の眼もお主らも、世を乱す存在に変わりはない。自身が掲げる大義名分とやらがどれ
だけの者を不安にさせておるか……。恥を知れ」
領主として住民を守ること。何よりもセカイを掻き乱す存在への嫌悪感。
彼──彼ら守人の民は、只々理想の秩序を願っている。
更に苛立ちを溜め込むジークを始め、四人はそんな徹底した態度にぐうの音も出ない。
「……ったよ。出て行きゃいいんだろ、出て行きゃあ! 言われずとも出て行くつもりだ。
精々街ん中で引き篭もってろ!」
だが、決裂は一層強くなる。
リュカ達が止めるのも聞かず、ついにジークは我慢の限界を迎えて吠えた。
まただ。あの日々と同じだ。
保身や主義主張に凝り固まってしまった力ある者達。……それだけならまだいい。だが、
その固執を棚に上げ一方的に責められるのは納得がいかない。
「やれやれ……仕方ないな。老モルモレッド、こちらの調整を無視してまで強行されるとい
うのなら、この街の導きの塔を彼らに。そうすればすぐに彼らは視界から消えますよ?」
「……ふん」
ジークの怒りにもセロの飄々とした声色にも、モルモレッドは一貫して冷淡だった。
使命感と価値観。揺るがぬ芯は強く、そして頑なだ。
「それでレノヴィン君。一体此処を出て何処に行くつもりなんだい?」
「あ? んなの西に決ま──」
だから激情と話の流れに沿わせたセロの質問に、ジークはつい口を滑らせてしまった。
「ふむ……。やはりヴァルドーか」
気付き慌てて自らの口を塞ぐが、もう遅い。
それに、セロは予め知っていたかのような口ぶりだった。反射的に身を硬くするジーク達
にその胡散臭い笑みが向けられている。
妙な場の空気だった。
ジーク達とモルモレッド──風都の領主サイドがいがみ合い、一方でその間に信用できる
とは言えない緩衝材が割って入っているような……。
「長!」
だが──災いの足音は止まらない。
気まずい沈黙が流れる中で、街の官吏らしき者が数名、部屋へと駆け込んでくる。
「……どうした。喧伝者達に何か新しい動きでも?」
「はい。さ、先程から大変な事に……!」
「も、申し上げます! デモ隊が守備隊と衝突し始めましたっ!」
「くっ……! や、止めなさい!」
「そんな物騒な物は捨てるんだっ! 逮捕されてもいいのかっ!?」
風の都に怒号の嵐が吹き荒れていた。
最初は街角にこじんまりと集まり出したに過ぎなかった。だがデモの徒は時間と共にその
数を増し、今やあちこちの通りから溢れ出す規模にまで膨れ上がっている。
「黙れっ! レノヴィンを出せ! お前達が匿っているんだろう!?」
「領主は何をしている! この街を“結社”との戦場にする気かっ!!」
まるで、濁流を見ているかのようなデモ隊の人波。
中央広場に続々と集結する彼らは、必死にその行く手──執政館などが建ち並ぶ中枢区画
への進入を阻もうとする街の守備隊と押し合い圧し合いの攻防を繰り返す。
隊士らは戸惑っていた。
先日より街の警備に念を入れるようにという通達はあったが、まさかこんな連中が押し掛
けてこようとは……。
これはもう非暴力ではない。実際に鈍器まで持ち出している暴徒の群れだ。
だが安易に実力行使に出れば、内外で騒がれ問題とされるだろう。
眼前の現実としての憤怒と、対応次第で起こりうる泥沼。何重にも重なって見えるかのよ
うなその熱量に、只々彼らは長盾を連ねた防壁を維持して耐えるしかない。
「──言わんこっちゃない」
モルモレッド達に連れ出されるようにして、ジーク達は館内の別室に移っていた。
外に面した窓ガラスは壁一面に広がる巨大なもの。そこからは眼下に広がるエギルフィア
の街並み──になだれ込むデモの波が垣間見れる。
「見えるか、ジーク・レノヴィン? あれが人の声だ。セカイを掻き乱す、その所業に異を
唱える者達の群列だ」
物理的距離と窓ガラスの厚みに遮られてはいるが、それでもジーク達には聞こえていた。
“レノヴィンを追い出せ”
“結社との戦場になるのは御免だ”
“平和を脅かす者は要らない”
お互いの想いがすれ違い、激しく軋む心の音。だからこそ、ジークの胸奥に過ぎり積もっ
ていくのは、解ってくれない憤りよりも風穴を開けられるかのような虚しさで。
「まったくもって愚かだよ。お主らも楽園の眼も、あの威示の輩も、自分達の事ばかり考えて
周囲を如何に不安にさせているかを想像しておらん。むしろ逃げようとする者達を方々
から捕まえ、無理やりに巻き込もうとすらしておる。……そうは思わんか?」
「……」
だからだろうか。モルモレッドがそう視線を向けてきても、ジークは先程のような威勢の
いい反発心を発揮できずに黙り込むしかなかった。
仲間達も、それぞれに沈痛の面持ちだった。
サフレはじっとデモのうねりを凝視し、リュカは口元に手を当てじっと考え込み、マルタ
は響き届く人々の怒声に怯えている。
でも──と、ジークは眉間に皺を寄せ、己が五感を集中させる。
ここからでも見える。聞こえる。
眼下の街並み、その隙間を縫うように逃げ惑い、怯えている街の人々がいた。
違う……こんな筈じゃなかった。
ただ自分は奴らに囚われた父を取り戻したかった。奴らの暴挙を止めなければならないと
思っただけだ。
「……どうしたものか。内幕が掴み切れていない以上、下手に手を出せば連中の思う壺だ」
なのに、全く接点のない筈の人々が怯えている。守るべき人々を悲しませている……。
「やれやれ。抑え切れなかった……かな?」
すると、一旦席を外し何処かへ行っていたセロが数名の部下らと共に合流してきた。
モルモレッドらもジーク達も、その声に振り向く。こちらは深刻だというのに、尚も彼の
表情は相変わらず飄々としていた。
「何をもたもたしている? 早く奴らを追い払わないか。何の為にお前達と組んでいると思
っている?」
「はは、守備隊を動かす領主様の台詞じゃないでしょう? まぁお互い下手に“敵”を作り
たくないという思惑は同じなんでしょうけど。……それに」
静かに焦りを漏らすモルモレッドに、セロは言いながら手にしていたものを手渡した。
それは、複数枚の写真。ジーク達も何だろうとその輪に交ざり、何枚かを彼から受け取っ
て目を通す。
「……これは?」
「仮装パーティ、ではないですよね?」
「分からないかい? まぁ無理もない。こいつらは十中八九“保守同盟”さ」
盗み撮りをしたと思われるそれらには、何故か真っ白無表情な仮面やローブで全身を隠し
た一団が端々で写っていた。
モルモレッドが無言のまま深く眉間に皺を寄せている。マルタがちょこんと小首を傾げて
訊ねてくるのをフッと笑い、セロは続ける。
「これは先程、街中に潜行させている部下達が撮影したものだ。デモ隊の流れの中にこっそ
りと混じっているのが確認されている。……老モルモレッド、貴方の仰るように下手に手を
出すべきではありませんよ。あれはただ民衆が集まっただけの徒党じゃない。明らかにイデ
オロギーの闘争屋どもが噛んでいる脅しです。これは政争ですよ。たとえ張りぼてな“正義”
でも、先ずその奴らの化けの皮を外さない限り、こちらが“一方的な悪者”に引きずり
込まれるだけです」
モルモレッドが言葉少なげに唸り、ジークが片眉を上げていた。
今の状況を端的に伝えているらしいセロの言葉。
だがそこには、どうにも斜に構えた哂いが込められているような気がした。
「保守同盟っつーとアレだよな? トナン行の飛行艇が“結社”に落とされた時も、連中に
味方してた、あの……」
「ええ。セカイの“開拓派”に対抗するべく結成された、超党派の保守派連合──構成員は
皆、政敵に狙われるのを防ぐ為にこういった仮面で素顔を隠してるの」
「……アズサ皇の次はジーク、という訳か」
「? 何でだよ?」
「……。理由は大きく二つだ。一つはリュカさんが言ったように、彼らは“結社”に共鳴し
ている勢力だからだ。たとえ過激派──テロリストであっても、開拓派を敵視する姿勢は同
じだからな。もう一つは皇国の国政そのものにある。アズサ皇の開拓路線は言わずもがな、
シノブさん──シノ女皇代行は、巷では温和ながらも開明派だと云われている。引き続き
連中にとっては“敵”なのだろうな。その息子である君達も……」
そんなサフレの解説に、ジークは唖然としていた。
母さんが……連中の敵?
自身、巷説に敏感である方ではなかったが、そんな見方をされているという事実、その前
提からの眼前のデモ隊を前に、虚ろになっていた心の中が再び憤りの熱で赤くなり始める。
「違うだろっ! 敵とか味方とか、そう簡単に切り捨てていいもんじゃ、ねぇだろ……」
思わず吐き出すように。しかし次の言葉が見えない何かに引っ掛かって出てこない。
沈痛と心配。仲間達はそれぞれに辛そうな面持ちで黙っていた。セロやモルモレッドも、
そんな彼の吐露に眼を遣りながらじっと眉を顰めている。
「……止めねぇと。こんなの、誰も幸せにならねぇじゃねえか」
ややあって、ジークは歯を食い縛り俯き加減になった髪に表情を隠しながら、一人部屋を
出て行こうとする。
「待って、ジーク! 今貴方が真正面からぶつかったら……!」
「でもこのまま放っておけるかよ! リュカ姉も見ただろう? あちこちで皆が泣いてる、
怯えてる……。こんな事をする為に俺達は戦ってきたんじゃない!」
リュカが逸早く、その手を取り止めようとした。
だが振り返ったジークの表情は悲痛に歪んでいた。憤りや責任──負い目。今まさに、彼
の胸奥にはそんな複数の感情が渦巻いて悲鳴をあげている。
「“万装”、今すぐ俺達を解放しろ。連中の狙いは俺なんだろ? だったらここでじっとし
てたんじゃ埒が明かねぇ。あんたもこのままじゃ都合が悪いんだろ?」
「……まぁ、そうだけどね」
「止められるのか? お前に?」
「止めるんだよ。今守れないで、いつ俺達は人を守るんだ」
セロとモルモレッド、間違いなく格上の相手とジークは暫くの間睨み合っていた。
場に流れる緊張、外の街並みから聞こえてくる混乱の音。今動かなければ、自分はあの中
にいる人々を見殺しにすることになる。
「……分かったわ」
そしてそんな沈黙を破ったのは、一度は引き止めようとしたリュカで。
「彼らを止めましょう。でも一人では突っ込まないで? 一つ策があるわ。目には目を歯に
歯を、デモにはデモを……ってね」
静かに神妙に、おずっとしながらも頷くサフレやマルタと共に、彼女は言った。