33-(3) 人との距離
長らく続いていた再建の音も、最近は少しずつ緩やかになっている気がする。
トナン皇国王宮玉座。かつての内乱、その終焉を見届けたこの場所も、今は念入りに清め
られてから大よその修理・改築が施されている。
「──分かりました。では国軍本隊の一部を出向させることにしましょう」
少しずつ慣れてきた皇の装束、皇の玉座、何よりもその責務。
この日も諸候列席の下、女皇代行たるシノは終わりの見えない政務に追われていた。
「復興もそろそろ地方に軸足を移し始めるべき頃合ですし、治安維持なども併行していく必
要がありますからね。……但し、住民の皆さんを無闇に萎縮させること、傷付けることだけ
は絶対にしないように」
「はっ……。ご英断、感謝致します」
何十件目かの案件は、内乱前後の混乱に乗じた賊の対応についてだった。
請願を出してきた将校の話を聞き入れ、シノら政権は今まで以上に都以外にも目を配る事
とする。少々緊張気味に、しかし確かにホッとして、この中年武官は御前で低頭したのち下
がっていった。
「……」
さて、次は──。
そうしてまた一つ案件に裁定を下すと、シノは傍らのサイドテーブルに置いた会議資料の
頁を捲る。
「これは……。また、ですか」
するとはたとその手が止まる。彼女の表情が困ったように控えめに顰められた。
「同じ案件であれば纏めておいてくれませんか? たださえ今の私達はこなすべき仕事が多
いんですよ?」
それ以上に困った──不快な顔色を見せたのは、列席していた諸侯達だ。
シノが再び資料の頁を捲っては確認して注文をつけるのを聞き、彼らは互いに顔を見合わ
せている。
「分かっております。ですがどうぞご容赦を。それだけ各部門から同様の要請があるという
ことなのです」
「僭越ながら陛下、アズサ先皇の喪明けも近づいています。戴冠式に備えて、そろそろ王宮
の再建にも予算を割いて頂かねば……」
「……ええ。もう何度も貴方達から聞かされていますから」
表面上は恭しく、しかし主張したい点はねちっこく。
シノは一度そっと目を瞑ると大きく深呼吸をした。
まだ完全ではないこの王宮の再建──彼ら取り巻きの諸侯達が事あるごとに急かして来る
のはそんな進言だった。
正直な話、シノは少なからずうんざりしている。
自分達は内乱後の人々を救い、支える為に政務を執っている筈ではないのか?
なのにただでさえ疲弊した財源で王宮を飾り直すなど……順番が違うのではないのか?
何よりも、そういった大事なことを──。
「この件に関しては既に答えているでしょう? 優先すべきは人々の生活を可能な限り早く
取り戻すことです。その為に多少王宮が古びていても私は構いません。戴冠式も外で会場を
設ければ済む話ではないですか」
「で、ですが……」
「陛下の御意思はよく存じ上げております。しかし、戴冠式は御身が名実共にこの国の皇と
なられる大切な節目でございます。その折に来賓をもてなせない、王宮が損傷したままとあ
れば、他国に足元を見られかねません。長い目で見ても、そうなれば国益を損う筈です」
「それに……陛下が真に皇となられる瞬間を、民は心待ちにしておりますよ? 彼らにとって
も忘れがたい日となるでしょう。民に尽くしたいとの御心は我々とて感服の至りでござい
ます。ですが、せめてもう少しご自愛下さいませ」
「……」
それでも諸候達は、今回もまた粘ってくる。
ただの見栄だけではない、それは自分も重々承知しているのだ。
むしろ自分よりも政治というものを良くも悪くも知っている彼らだからこそ、必死に語っ
てくれているのだと思う。
だが──どうしても、疼くように胸の奥が不安になる。
自分は奪ったのだ。アズサ皇から、その王位を。
どれだけあの内乱で自分達に“正義”があったとしても、未だにこの身に宿らんとする権
力に、正直自分はまだ恐れを拭えないのだ。
“ご自愛下さいませ”
目の前の臣下がそう訴えかけている。自身の立場もあるのだろうが、その言葉には個人と
して自分を案じてくれている感情もあるのだと信じたい。
(……まだまだ、私は皇として未熟ね)
気難しかったシノの表情が、フッと半ば無意識に緩んだ。
御前に並ぶ諸候らが少々戸惑った様子をみせている。それでも彼女は想った。
──少し前、アウツベルツの執政館で開かれた息子の歓迎式典に“結社”の刺客が押し
入ったという報告を聞いた。
あの時はつい心配になって途中でデスクワークを切り上げてしまったものだが、後日リン
やイヨからの報告を聞く限り、アルスに大した怪我はなかったらしい。……ただその代わり
にミアちゃん──副団長さんの娘さんが一時負傷離脱していたようだが。
『アルス様も随分気を病んでおられたようです。お優しい方ですから……』
思えば、ああ似ている。何だかんだで自分達は親子なんだなと思った。
あの時リンが導話越しに漏らした声、そこに宿された感情は──思慕と、見守ってくれる
優しい眼だった。
懐かしい。それはきっと、村にいた頃に近い肌感覚なのだろう。
今も昔も変わらずにいるのだ。成すべき成長を変化を、未だに自分は成せていないのだと
思った。
かつては落ち延びた自分を匿い続けてくれた、村の皆に尽くしたいと思った。
そして今は贖罪のつもりで、一度は逃げた故郷の復興に身を削ろうとしている……。
「……分かりました」
そんな長考、実際には十数拍の間の後、シノは言った。
「意地になってすみません。それではもう少し、皆さんの厚意に甘えたいと思います。現在
の予算配分の四分の一を王宮修理の側に回しましょう。……それで、いいですか?」
「は、はい!」
「……賢明なご判断、感謝致します」
そしてにわかに安堵するさまの諸候達。
中には突然譲歩した彼女に疑問符を浮かべている者もいたが、概ね彼らは好意的に受け取
ってくれたようだ。
(これで、また一つ片付くかしら……?)
微笑ましいような、こそばゆい喜びのような。
思わず苦笑いを零し、シノは再び資料の頁を捲ろうとする。
「へ、陛下っ!」
突然、一人の壮年官吏が王の間に飛び込んできたのは、ちょうどそんな時だった。
「ぬ……? 何だ何だ?」
「皇の御前だ。いきなり飛び込んでくるなど無礼であるぞ」
シノを含めた、列席者全員の視線が彼に集まっていた。
中にはこの不躾な入室者に眉を顰め、ピシャリと警句を発する諸侯もいる。
「お止めなさい。私なら構いません。……それで、一体どうしたのですか? 落ち着いて、
ゆっくりと話して下さい」
だがシノはそんな諸候を窘めつつ、この官吏に優しく問い掛けた。
よほど慌てていたのだろう。彼は大きく肩でしていた荒い呼吸を整えると、一度ごくりと
息を呑んで叫ぶ。
「た、大変なのです! 殿下が──ジーク様が、大変なことに!」