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4-(4) 学友と条件

 昼休み。アルスは学院内の食堂にいた。

 いつもは魔導の修得に勤しんでいる生徒達も、この時間においては年齢相応の青少年にな

っているように思える。会食と談笑が方々で弾む食堂内で、アルスは一人席に着いて静かに

昼食を摂っていた。

「ねぇねぇ、あの子だよね? 持ち霊も連れてるし」

「や~ん。やっぱり可愛いい~♪」

「だよねだよね? 何ていうか、守ってあげたくなる系だよね?」

「……」

 だが、周りの学院生らは中々それを許してくれない状況だった。

 先輩達(特にお姉さま方)による遠巻きな品定め。

 アルスはそんな聞こえてくる黄色い声にほうっと頬を赤らめ、俯き加減になっていた。

「……モテモテだねぇ、アルス?」

「か、からかわないでよ……」

 加えて、傍らで漂っているエトナも何だかご機嫌斜めで。

 アルスは苦笑のままため息を一つ。鮭のソテーをちみちみとフォークで掘り出しながら、

間を保つ代わりのように頬張っている。

 とはいえ、恥ずかしい事この上ないが、まだ遠巻きに見られているだけならいい方だ。

 ただでさえ入学式以来、ほぼ毎日のようにラボ勧誘に来る先輩達や物珍しさで接触を図っ

てくる(女子)生徒達に正直言って疲れている自分がいた。

 それが新入生代表でスピーチをした──いやどちらかというと、シンシアと入学早々私闘

を演じてしまった報いであるのかもしれなかったが。

(……僕はもっと、普通に静かに勉強したいんだけなんだけどなぁ)

 また一つ、静かに嘆息。

 アルスはもきゅもきゅと昼食を口に運びながら、今更ながらに自分の置かれている現状に

後悔の念を抱いていたのだった。

「よう。相席いいか?」

 突然そう声が振ってきたのは、ちょうどそんな折だった。

 アルスが顔を上げると、そこにはそれぞれ昼食を載せたトレイを手に、いかにも快活そう

なヒューネスの少年と知的な雰囲気の鷹系ウィング・レイスの少年が二人。

 また勧誘などの類だろうか……?

 アルスは思いながらも無碍にはできず、コクリと頷いて承諾をする。

 二人は笑顔と微笑を零すと、早速アルスと向かい合うようにして席に着いた。

「……そんなに身構えなくていいよ? 僕らはラボの勧誘に来た訳じゃない。そもそも君と

同じ一回生だから」

「ま、噂の主席クンとやらがどんな奴かってのは、興味あったんだけどな」

 そんなアルスの様子を、彼らは予め想定していたのだろう。

 知的な感じの方の彼がそう穏やかに補足する横で、快活な感じの方の彼は人好きのする明

るい笑みをみせる。

「先ずは自己紹介をしないとね。僕はルイス・ヴェルホーク。専攻予定は……魔導理学か、

解析学かな。まだラボは決めてない」

「俺はフィデロ・フィスター。専攻は魔導工学だ。一昨日ラボの希望届けも出したんだぜ」

「魔導工学……。じゃあ、やっぱり魔導具の?」

「おうよ。俺、実家が武器屋だからさ。親父の跡を継ぐつもりでいるから“魔導具を作れる

武器職人”ってのを目指してるんだ。今の世の中、魔導具が作れればそうそう食いっぱぐれ

しないだろう?」

「ええ。まぁ……」

 鳥系亜人のルイスと、ヒューネスのフィデロ。

 見た目で判断するとすれば失礼だが、そういう将来設計はフィデロではなくルイスが語る

方がそれっぽいようにも思える。

「というより、フィデロの場合は何か技術をモノにしておかないと日銭労働者になってそう

だもんねぇ……」

「う、うっせーな。お前はいいよ、付き添いで受験したくせに俺より成績いいし……」

「……という事は、お二人とも元々からの知り合いなんですか?」

「ああ。知り合いも何も幼馴染だよ」

「同じ故郷出身の腐れ縁、といった所かな」

「そうなんですか……」

 やり取りを暫し。

 その中でアルスはこの二人の関係を垣間見、何だかほっこりと嬉しさを感じていた。

 多分、それは絆なのだろう。故郷から逃げるように出て行った兄を持ち、自身もこの身一

つで見知らぬ街に来た分、そういう寄り添える誰かが欲しかったのかもしれない。

「お前は何処の出身なんだ?」

「えっと、サンフェルノっていう村です。ここからずっと北にあるんですけど」

「北か。僕らは南部出身だから、ちょうど学院を挟んで向き合ってやって来たわけだ」

「……そうですね」

 アルスは少しずつ硬い身構えを解き始めていた。

 多分だけど、言っている通りこの人達は僕を勧誘に来た訳じゃない……。

 エトナも同じことを思っているのか、ちらと目を向けてみると同じようににこりと笑って

小さく頷いてくれている。

「でも、ちょっと意外だったかな」

「え……?」

「今年の新入生主席。この若さで持ち霊付きで、耳にした限りでは成績もぶっちぎり。しか

も入学早々に同級生と私闘を繰り広げる大胆さ──勝手な予想だけど、もっと自信満々な感

じなのかなって思ってたんだけど」

「だよなぁ。だけどこうして話してる感じじゃあ、むしろ控えめじゃん?」

「あ、ははは……」

 随分と噂が誇張されているらしい。アルスは苦笑してごまかすしかなかった。

 そういったイメージ像はむしろ彼女シンシアに近いのだが……。でもわざわざ彼らを前に訂正する

事もないかなと思った。

「皆、買い被り過ぎなんですよ。自分で言うのも何ですけど、僕はお二人の期待に沿えるよ

うな豪胆な人間じゃないです」

「ふふ、謙遜だね。成績トップは事実だろうに」

「……つーかよぉ? お前、ちょっと畏まり過ぎだって。さっきもルイスが言ってたろ? 

俺達同級生なんだぜ。ため口でいいって」

「で、でも」

 アルスは指摘されて少しビクついた。

 基本的に丁寧な言動な自分にそう言われてもという思いがあった。そして何よりも、彼ら

は自分よりも少し年上に見える。

「……アルス君は、いくつ?」

「えと、十六です」

「俺達は十七だ。な? 大して変わんねぇって」

「そう、でしょうか……」

 少なくともこれで年上は確定した訳なのだが。

 勿論、生徒の学年と年齢は必ずしも一致しない。それでも年上というだけでアルスにとっ

ては充分過ぎる材料で。

「うん。少なくとも僕らには普通に接してくれていいよ。むしろそうして欲しいな」

「そうだよ~。友達に敬語なんて変だろ?」

「とも、だち……?」

 しかし何気なくさも当然のようにフィデロはそう言った。アルスは目を瞬かせて静かに驚

いていた。

 それは気安く友人扱いされた軽さにではない。この僅かな時間で、何かと変な噂で固めら

れつつある自分を、友達として迎えてくれるという彼らの意思表示に驚いたからだった。

「? どうかしたか?」

「……い、いいえ」

 嬉しかった。もしかしたら、このまま変に皆に距離を取られたまま学院生活を送ることに

なるんじゃないかという不安も抱えていたから。

 アルスはゆっくりと、思案で俯いた顔を上げていた。

 そこには謙虚や戸惑いの色は薄れ、代わりに喜びの色が染まり始めている。

「……ありがとう。じゃあそうするね。よろしく。ルイス君、フィデロ君……」

 アルスは切り替えるように言った。思いがけず友を得られた事に感謝して。

「うん……。よろしくね」

「ああ、こっちこそ」

 そんな謙虚で穏やかな小さき主席に、学友二人は笑顔で応えた。


 新しくできた学友二人と昼食を摂り、暫しの談笑に華を咲かせた後、アルスは二人と別れ

午後からの講義をこなしていった。

(う~ん……)

 そして時刻は夕方。この日の講義も大方が終わりつつあった頃。

 アルスは一人キャンパス内のベンチに座って、じっとシラバスと睨めっこをしていた。

 何枚も貼られた付箋。吟味の跡。それでもアルスはまだ足りないと言わんばかりに、何度

もそこに列挙された教員陣の紹介文やラボの写真などの情報を見比べている。

「……まだ決めらんない? ラボならいっぱい回ったのに」

「うん。そうなんだけど……」

 そんな齧りつくように集中している相棒を、エトナは中空に浮かんだまま少し心配そうに

見守っていた。

 アルスが返したのは、苦笑。

 それは彼がそれだけ迷っているという証でもあった。

 エトナも彼の“目指す夢”を知っているからこそ結論を急かすことはできず、ただ微笑を

返してじっと待つ他なかった。

「見つけましたわ。アルス・レノヴィン」

 そんな最中だった。

 アルスが再びシラバスに目を落としていると、シンシアが姿を見せたのだった。

 彼女はベンチに座っている彼を認めると、堂々とした──何処か力んだような足取りでそ

の前まで歩いてくると言う。

「聞きましたわよ。貴方、まだ所属ラボを決めていないそうね?」

(う~ん……。結界研究の先生の講義も、思っていたのと違ったしなぁ……)

 だが、アルスは聞いていなかった。いや……思案に没頭していて彼女が近寄ってきた事に

すら気付いていなかったと言うべきか。

 その一方でエトナは気付いており、既に彼女へと顔を上げていたが、

「そ、その……。もし当てが無いのなら、私が入る予定のラボに貴方もと、特別に招待して

あげても……よろしいですのよ?」

 当のシンシアの方も、何故か照れたように視線を逸らしながら語っている為、そんな齟齬

が起きているのに気付いていないらしかった。

(解析学も違うよね。一応実践系の分野だけど、基本は既存の術式を分析して対応するもの

みたいだから、僕の最終的な目標とはズレちゃうし……)

 エトナの目にも、シンシアがガチガチに緊張しながら話しているのが分かった。

 何があったのかは知らないが、どうやらこの女もまたアルスを勧誘に来たらしい。

 エトナはむぅと頬を膨らませたが、やはり横目で見た相棒はシラバスと睨めっこを続けて

いるままだ。

「わ、私は学年次席。決して目指す高みは貴方にも遅れを取りはしませんわ」

(……ん?)

 そんな時だった。

 ふと、アルスの足元にぱらりと一枚の紙切れが落ちた。

 拾い上げて見てると、どうやらそれは追記の教員紹介の頁だった。おそらくはシラバスの

巻末にでも挟まって今まで気付けなかったのだろう。アルスはその文面に目を通す。

(何々? 教員名ブレア・レイハウンド。専門は魔流ストリーム力学、魔獣学……)

「で、ですからこれからは好敵手ライバル同士、同じラボで切磋琢磨を──」

「これだ!!」

 そしてアルスは突然叫びながら立ち上がっていた。

 その眼は最良の選択に出会えたという喜び。そして──シンシアの存在にも気付かない程

の興奮度合い。

「やっと見つけたよ、僕の目標にぴったりだ! 行こう、エトナ!」

「え? う、うん……」

 そしてそのまま傍らに浮かぶエトナに声を掛けて走り出す。

 エトナは唖然としているシンシアと確かに目が合っていたが、結局彼の駆け出す後ろ姿を

追って共にその場を去っていってしまう。

「…………。何なんですの?」

 ぽつねんと一人残されて。

 シンシアは妙な疎外感と共にその場に立ち尽くす。


 魔導師ブレア・レイハウンドの研究室ラボは教員陣の詰める研究棟、その一階の一番奥まった

場所にあった。もっと言えば何処か物寂しい位置に在った。

 周りに生徒や教員の姿はない。アルスは自身の足音が廊下に反響するのを聞いてから、目

的のこの部屋の扉に掛かっているプレートを確認する。

 表示は『在室中』──今なら訪ねられる。

「……よしっ」

 アルスはごくっと息を呑んでから、遠慮がちにドアをノックした。

 十秒二十秒三十秒……三分。しかし返事は無かった。アルスはエトナと互いに顔を見合わ

せる。念の為に今度はもう少し強めにノック。だが、それでも返事はなかった。

「うーん、いないのかな?」

「確かにプレートを換え忘れた可能性はない訳じゃないけど……。あ、開いてる……」

 だが戸惑っている中で何気なくドアノブに触れてみると、扉はあっさりと力押しに負けて

身を退いていた。キィと小さく音が鳴る。再び二人は顔を見合わせたが、

「……すみませ~ん。レイハウンド先生はいらっしゃいますか~?」

「開いてたんで入っちゃいますよ~?」

 結局そのまま室内へと足を踏み入れていく。

 ラボの中は、他の魔導師もそうであるように多くの文献が壁一面の本棚にひしめき合って

いた。ただそれでも、この室内のそれは通常よりもずっと多いように思えた。

「……なんか、村のアルスの部屋を思い出すね」

「奇遇だね。僕も同じこと思ってた」

 壁一面を覆う本棚だけではない。机の上にも、果ては床にも敷き詰められるように。

 大量の書籍が、室内にはぎゅうぎゅう詰めに収められていた。アルスはおもむろに腰を降

ろし、足元の本の山の一つから一冊手に取ってみる。

 表紙には『アカデミアレポーツ』の文字。魔導学司アカデミア発行の公式論文集だ。

 そんな時だった。

「んぁ……? 誰だ?」 

 突然、もそりと部屋の奥で何かが動いたかと思うと気だるげな声がした。

 きょろきょろと辺りを見渡すエトナ。アルスは反射的にビクつき、手にしていた論文集を

手早く元の本の山に戻す。

「あ、あの。僕アルス・レノヴィンといいます。レイハウンド先生の……ラボですよね?」

「ああ。そうだが?」

 一見して本の山の中──目を凝らしてみると、実際はその隙間に収まったソファ──から

むくりと起き上がってきたのは、一人のヒューネスの男性だった。

 年齢は三十台前半くらい。ぼさぼさの茶髪に、着崩したラフな普段着。典型的な“如何に

もな魔導師”とは少々かけ離れている外見だといえる。

「ラボの見学に来ました。お、お邪魔だったでしょうか?」

「いんや、いいよ。どうせ惰眠だし。にしてもレノヴィンねぇ……。まさか今年の主席クン

がうちに顔を出しに来るとは。噂はかねがね」

「は、はあ……」

 アルスは思わず苦笑で応じるしかなかった。

 最後の一言は間違いなく、例のシンシアとの私闘に端を発した誇張された話の事だろう。

「ま、シラバスを読んだから来たんだろうけど自己紹介しとこうか。俺がここのラボの教官

をやってるブレア・レイハウンドだ。苗字が長めだし、呼ぶのは名前の方でいい」

「は、はい。分かりました。ブレア先生」

 そう言わせておいて、この茶髪の魔導師・ブレアは何処か自嘲するかのように言葉なく口

元に孤を描いていた。ガシガシと髪を掻きもそりとソファから立ち上がると、気だるげに室

内を見渡している。

「とりあえず見学に来たんだ。とりあえず話を──っと、その前に片付けねぇと。座る場所

がねぇや……」

「あ、僕もお手伝いします」

「おう。悪ぃな」

 ゆたりと足元の本の山の置き場所を変え始めるブレアを見て、アルスも動いた。

 暫く二人は座談できるだけのスペースを作る為に、黙々と本の束という名のエントロピー

を移す作業に集中する事となった。……尤も、にわかの整理で片付く量ではなかったが。

「こんなもんでいいか。じゃあ適当に座ってくれ」

「はい」「お邪魔しま~す」

 そしてその一仕事を終えて、やっとアルスとエトナはラボ見学という本来の目的に取り掛

かることができた。多少だが荷物を除けたテーブルを挟み、二人とブレアが対面して椅子に

座る形になる。

「さてっと……。何から話せばいいかね。何か聞きたい事はあるか?」

「そうですね。では、もっと具体的な研究内容を挙げて頂けると」

「ん~……。最近のだと魔獣生態の種別分析論文に、北方一帯のストリームの十年変遷シュ

ミレート、あとは瘴気のハザードマップ作成チームに加わってたりとか……だな」

「ふむふむ。なるほど」

 椅子の背にもたれて相変わらず気だるい感じで語るブレア。

 その言葉を聞きながら、アルスは小さく頷きつつメモを取っていた。

「……なぁレノヴィン。いや、アルスでいいか」

「? はい」

「お前、何でうちに来た?」

 するとそんな様子を眺めていたブレアが、はたとアルスの顔を上げさせると、そんな質問

をぶつけてきた。

 すぐに返答ができず無言で目を瞬くアルスの表情。

 ブレアの凝視する眼は、それだけ真剣味を湛えているように見えた。

 暫し、エトナも目を瞬いて戸惑っている中で二人の視線が交わっていた。

 しかしそれも数十秒の事。先にフッと真剣な眼を解いて口を開いたのはブレアだった。

「そもそも、一昨年くらいから俺の紹介はシラバスに載ったり載らなかったりしてる。学院

にとっちゃ俺はその程度の扱いなんだ。……分からねぇか? 流行らねぇんだよ。俺の専門

領域はさ。魔流ストリーム──マナの流れなんてのは魔導師を志すような連中なら大抵普段から目を凝

らせば見えるし、魔獣学に至っては研究対象が対象だから単に学者風情な身だとリスクが大き

過ぎる。どっちにしろ“手っ取り早く金になる”分野じゃねぇんだ。今の学生──魔導師を志す

若造がそんな選択を採るってのは、ぶっちゃけレアケースだ」

「……それは」

 無理からぬ論理であり、事実だった。

 元々、魔導とは世界(と精霊)に繋がり、その意思を汲み取る術だった。

 しかしそれはあくまで大昔の話。今日では文明を支える技術の片輪として、もっと実利的

なニーズが増え続けている。もっと言ってしまえば「金になる魔導」だ。

 そうした傾向は何も魔導だけに留まらず、所謂“保守派”からは批判の的になっているが

それでも現実はカネが物を言う。ブレアの言うように優秀な稼ぎ口としての魔導師というの

は、今の時代はそう珍しい動機ではない。

「それにお前さんは今年の主席だ。他のラボからもラブコールは貰ってるんだろ? だった

ら俺ん所みたいなマイナーもマイナー、もう在籍生すら居やしない弱小ラボに構ってる暇は

ないんじゃないか?」

 だからこそ、アルスはブレアが自身を哂うようにそう話してみせても上手く反論できない

でいた。誰も他にいない閑古鳥。そんな自分になど構うな。そう言われているようだった。

「……駄目なんですか?」

「ん?」

 それでも、アルスの意思は固かった。

「魔導師が儲けなんて無視して研究に没頭しちゃ、駄目なんですか……ッ!?」

 膝の上でぎゅっと握った拳にギリリと力を込めて、潤みかけた両の瞳がブレアの自嘲の顔

を強く見つめ返す。

「……じゃあ聞かせろよ。お前ほどの優秀な卵が、何でそこまで俺みたいな儲からない分野

のラボを叩いたのか」

 その意思の強さを、ブレアは汲み取ったらしかった。

 自嘲する声色を落とし、すぅっと目を細めてそうアルスに訊ね返す。

「…………。はい」

 たっぷりの逡巡。

「僕は、ここから北にある小さな村で生まれ育ちました。この街のように発展もしていなけ

れば、インフラの整備も行き届いていない集落です。でも僕は自然が豊かで、精霊達が楽し

そうに飛び交って、皆が穏やかな時間を共有する……そんな村が大好きでした」

 だがアルスは、やがて同じく静かに目を細めて答え始めていた。

「でも僕がまだ幼い頃、村を魔獣の群れが襲いました。村の自警団の皆が必死に立ち向かっ

て守備隊が到着するまでしのごうとしました。でも……結果を言えば、間に合わなかった」

「……」

「沢山の仲間が、死にました。父さんを始め自警団の皆──今も行方知れずになったままの

人もいます。多分、魔獣に食べられちゃったんだと思います」

「親父さんが、か」

「……はい」

 当時を思い出したからなのだろう。アルスはくしゃっと表情をしかめていた。

 潤んだ瞳がより溢れ出んとし、それをアルスは袖でゴシゴシと拭う。傍らで浮かぶエトナ

も心苦しそうな表情で彼を見守っていた。

「でも、それだけじゃ済まなかった。……僕と兄さんの前で、よく知ったおじさんが瘴気に

中てられて魔獣になってしまったんです」

 ぽつりと。だがブレアの真剣さを帯びた眼は確かに一層鋭くなって。

「おじさんは、魔獣になり切ってしまう前に言いました。村の皆を手に掛けてしまう前に、

自分を殺してくれと」

「…………」

「頷ける訳がありませんでした。でも、僕らが拒んでいる内におじさんは魔獣の側にもって

いかれてしまって……。気付いたら、兄さんが剣をおじさんの首に……」

 砕けてしまうのではないかという程に、握り締めた拳が震えていた。

 もうアルスの目は涙を押し留めておく事ができなかった。

 ぼろぼろと零れ、テーブルの上に落ちてゆく哀しみの雫。それはあの日から今まで、ずっ

と彼の中で溜まり続けていた悔しさに他ならなかった。

 ブレアが押し黙ってじっと見つめる中、アルスの声が一際感極まって大きくなる。

「何も、できなかった……っ! ただ怯えて、父さんも母さんも、兄さんもおじさんも村の

皆も泣いていたのに、僕は何もできなかった! 僕は兄さんみたいに剣を振るえない。武芸

の才能はない。でも、でも魔導なら……勉強ならできる。だから必死に勉強した。もう二度

と、瘴気や魔獣で誰かが泣かなきゃいけないなんてことにならないように……もう二度と、

あんな悲しい思いをさせないように……ッ」

 そっとブレアが一度目を閉じる。エトナが我が事のように自身の胸をきゅっと抱く。

 一度溢れた感情を若干抑え直して、アルスは言う。

「救いたいんです……守りたいんです。瘴気や魔獣で、これ以上誰かが悲しまないように。

その為に僕は魔導を学んできました。僕にできることは勉強くらいだから……。僕は、魔導

師になって、瘴気や魔獣を可能な限りゼロにしていく方法を見つけたいんです……」

 それがアルスの理由だった。夢であり、あの日からずっと抱き続けた目標だった。

 だからこそ“金になる魔導”は眼中になく、たとえ儲けのない分野でも、リスクを負う事

になってもこの道を選ぶことしか考えていなかったのだ。

「……なるほどな」

 たっぷりと間を置いて、ブレアは小さく呟いていた。

 そして必死に涙を抑え堪えているアルスを見下ろすと、

「安直に訊いて、悪かった。辛かったろ」

 ポンと優しく彼の方に手を遣る。

 僅かにアルスは頷いていた。ブレアもその小さな挙動を見逃さない。

「確かにその目標なら俺の専門はど真ん中だ。……もしかして、うちが本命だったのか?」

「はい……。シラバスを見て、ここしかないって思いました」

「……そうか」

 立ち上がったままそっと視線を逸らし、ボリボリと髪を掻くブレア。

 アルスはようやく感極まった自分を静め終えかけていた。傍らではそっとエトナが彼の手

を取って見守っている。

 暫し、いやもしかしたらかなりの時間が流れていたかもしれない。

 じっと背を向けた格好で黙り込んでいたブレアだったが、やがてふと半身を返すと、肩越

しにアルス達に振り向いて言う。

「……いいぜ。俺がお前の指導教官になってやる」

「! 本当ですか!?」

「ああ」

 だが、その表情はまだ何かを仕込んでいるかのようだった。

 同情は消えていた。しかしそこには一人の先輩魔導師としての真剣さが宿っている。

「俺もいい加減、窓際な研究生活には飽きてた所だしな」

 顔を上げてその挙動を注視する二人に、ブレアはじっと目を細めると、

「但し……。一つ、条件がある」

 眼に力を込めてそう言ったのだった。

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