32-(3) 風の都エギルフィア
風都、というネーミングはなるほど、的を射ているなとジークは思った。
この街に近付けば近付くほど──聞こえてくるのだ。
四方八方、あちこちから聴覚に、全身の感覚にじわじわと届き響いてくる風の音……のよ
うなもの。
サフレやリュカの講釈によると、これらは風ではなく魔流だという。大量のマナの流れが、
本来知覚できない者にすらその存在を教えているのである。
顕界の中央域に位置し、世界中のマナを大流として一手に集束させる巨大ストリーム──
“世界樹”に最も近い街。
そこが此処、風都エギルフィアである。
(……暇だな)
一見質素ながらその実、ふっくらと自分を受け止めてくるベッドに身を任せて、ジークは
ぼんやりと仰向けに寝転がっていた。
ヴァハロ達“結社”との交戦に割って入ってきた、七星が一人“万装”のセロ。
曰く『君達を保護させて貰う』と。そう言って自分達をここ風都まで秘密裏に連れてきて
既に三日目になろうとしている。
トナン皇子をあのまま殺されてはならない──七星連合がそう考えたのは、まぁ分から
なくもない。正直言って皇子だから、という理由は解せない気もするが。
それよりも。
ずっと気になっているのは、今のこの待遇だ。
保護、というのは方便だとジークは思っていた。これは……実質の「軟禁」なのだ。
風都に着いた時も、そのまま馬車ごとこの何処かもよく分からない屋敷に搬入させられた
のも、向こうの一方的な独断専行で行われている。
表向きはゲストルームだと言っていたが、実際は違う。
感覚を集中させて気配を探れば、四六時中外に見張りの兵士らがいると分かる。事実、外
に出てみようと何度か部屋の扉をくぐったのだが、彼らに「ご自愛下さい」と表面だけの慇
懃さで押し返されている。
……確かに、自分がこの街に居ると市民に漏れてしまえば混乱するかもしれないが。だと
してももっとやり様はあったろうに。
うとうとと、マルタが日光浴よろしく窓辺に座ったまま転寝をしつつある。
(せめて、もっと自由に観光ができる状態で来たかったな……)
そもそもの旅の目的、自身の出自が故に叶わない事だと分かってはいても、ジークは仲間
達をまた一つ厄介事に巻き込んでしまったことを密かに悔やんでいた。
「あっ。マスター、リュカさん」
そんな最中だった。ふとマルタが顔を上げて入口の方を見遣るのに倣うと、ドアを開けて
サフレとリュカが戻ってくるのが見えた。
「今回は随分長かったな。やっぱ出れねぇのか?」
「ああ。吹き抜けから見下ろしてみたが、階下にも見張りが巡回しているようだ」
「そっか……。ったく、いつまで閉じ込めとくつもりだよ……」
「でも、収穫がなかった訳じゃないのよ?」
何度目かの脱出へのトライ。
それ自体は功を奏しなかったようだが、付け加えるリュカは妙に得意げだった。
言いながら取り出してみせたのは、彼女の携行端末。確かここに来た時、セロらによって
取り上げられていた筈だが……。
「返して貰えたんですね。これで外の情報も得られます」
「だな。……でも、どうやって? まさか忍び込んで──」
「君と一緒にしないでくれ。ちゃんと“オトナな方法”を使ったまでさ」
問うたジークに、サフレは苦笑いをして答えた。片手の裾をもう片方の手で撫でてみせ、
そんな気取った言葉を口にする。
……ああ、袖の下か。
目を瞬いてから、理解する。だがジークの表情は決して晴れたものではなかった。
実際、そうでもして崩していかないと取り返せないままだったかもしれない。
だが正直な所、そういった手段を取らなければならないというのは……どうにもこちらが
“落ちた”ような気がして。
「もう……。気持ちは分かるけどそんな表情しないの。それよりもほら、観て?」
そんな反応を、内心を長い付き合いから悟ったのか。
サフレが後ろ手でドアを閉める横で、リュカが言いながら端末をサッと操作した。
そして画面に映し出されたのは──映像機の再放送と思われる、アルス達が記者会見を開
いた際の姿だった。
『僕からもお詫びを申し上げます。今回、僕の所為で多くの方々に迷惑をお掛けしました。
本当に……すみません』
『……皆さんに大切なお知らせがあるというのは他でもありません。私達クラン・ブルート
バードは、今回の件を経て、大規模に新たな団員を募ろうと思います』
『ジークとアルス、レノヴィン兄弟を護る剣に盾になってくれる同志を広く募集する。日程
などは調整中だが近い内に選考会を開く予定だ。あんた達マスコミには、この情報を出来る
だけたくさんの冒険者達に発信して欲しい』
ジークとマルタは、その映像に目を丸くしてリュカをサフレを見返した。
二人も先に観たようで、黙したままコクリと深く頷きを返してくる。
「この前の執政館襲撃を受けてクランの増強をするみたい。導信網で検索を掛けてみたけど、
既にあちこちで参加表明している他のクランもいるわ」
「……。ブルートバードが……」
連絡手段の確保と現状の把握。
リュカから話を聞かされ、流されているメディアの映像を見て、ジークは深く深く眉間に
皺を寄せると唇を強く結んでいた。
また、迷惑を掛けている──。
急激に胸奥が刺々しく痛むのを感じた。
結社を引き付ける筈だったのに、先に向こうに被害を出してしまった。更
にその痛手を、弟は仲間達は敢えて引き受けながら、尚も立ち向かおうとしている。
(すまねぇ……皆……)
地図上では、世界樹を挟んでこの風都からひたすら北へ向っていけば大都に突き当たる。
更にそこから北へ霊海を抜ければ北方──皆が奮闘しようとしているあの街に辿り着く。
大まかにだが、皇国への遠征を含め、この地上を半周した計算になる。
だがそんな数字的な事実よりも、ジークはその歩んできた距離の“遠さ”を一層強く感じ
てしまい、ついつい陰鬱になる。
「そんなに気に病まないで。ああすると決めたのは、他ならぬイセルナさん達の意思よ?」
「全く気にするなというのはお互い無理な注文かもしれないがな……。それよりも、今僕達
が考えるべきは今後のことだろう?」
「……そう、だな」
リュカと手の中の端末を囲んで、四人は新たに気持ちを持ち直す。
ベットから身体を起こして胡坐をかいたままのジークは、一度目を瞑って乱される心を落
ち着けてから言った。
「とりあえず“万装”にもう一回会わない事にはどうしようもねぇな。多分、ここを押えて
るのはあいつなんだろう?」
「おそらくな。だが……正直な所、あの男は胡散臭いと思う。あの手の笑顔は腹黒いものを
隠していると相場が決まっている」
「だな。それに関しては俺も同じことを思ってた」
陰口になるが、おそらく含んだものがあるのは相手も同じだろう。そうでもなければ、徒
らに自分達を軟禁するようなこともないだろうから。
「じゃあ、風都に連れて来られたというのは何か意図があって……?」
「少なくとも、何の考えもなしにということはないでしょうね。私達と“結社”の間に割っ
て入ってまでも成したいことがある、と考えるのが自然だけど……」
「……」
参謀が、そうぶつぶつと顎に手を添えながら呟いている。
ジークは一旦“万装”の意図を彼女に任せることにした。
それよりも。
今自分達が最優先で知りたいことは“結社”──に囚われた戦鬼のことだ。
折角彼を知る者を捉えたというのに、肝心な事は分からずじまいなのだから。
(何とか、奴らから居場所を聞き出せないものか……)
あの竜族の男はルギス──白衣の男を捜せばいいと言っていた。これまでの断片的な情報
からしても、奴を捉えることこそが一番の近道であると考えていいだろう。
『事前に来ると分かれば、私でも防げない事はない……か』
すると、フッと脳裏に蘇ったのは……あの僧侶・クロムだった。
もしかしたら、あの嘆きの端で物思いを抱えていた彼なら、そう思い始めた──自身を否
と律して押し込める。心の中でぶんぶんと首を横に振る。
(いや、駄目だ。あいつは……“敵”なんだぞ……)
仲間達は引き続き端末からニュースを観ていた。寸断された分の情報を取り戻そうと。
ジークはそこに交じって、ぶすっと黙り込んでいた。
──“敵”に情を向けてはいけない。そう自分自身に言い聞かせながら。
「さて……。どういうつもりか説明して貰おうか」
一方その頃、同じ館の一室で。
緻密な模様をびっしりと施した絨毯を一面に敷いた、古風な調度品の並ぶその部屋で彼ら
はテーブルを挟んで向き合っていた。
「どうといいましても。先日連絡した通りですが?」
「しらばくれるな。あの文面で儂らが納得するとでも思うたか」
一人は七星“万装”のセロ。もう一人は凄みのある眼力で彼を睨み返す老人だった。
目深く被った、裾に文様をあしらったローブ。複雑な鍵を思わせる錆鉄色の長い杖を片手
にした、大柄で矍鑠そのものな姿。
ミカルディオ・マ・モルモレッド。
この風都の領主にして、衛門族達の頂点に立つ首長でもある人物だ。
あくまで飄々として応じるセロに、モルモレッドの苛立つ声が飛んだ。よほど神経が図太
いか或いは大物でない限り、その眼光一つで人一人くらいは軽く射殺せそうなほどである。
実際、彼に付き従う他のガディアが何人か、心配そうな表情を漏らしている。
その眼には「これ以上逆撫でしないで下さい」といった懇願が含まれていたが、セロは彼
らの視線をちらと認めても全く意に介す様子はない。
「何故あの皇子を連れてきた!? あの者どもは以前、我らが同胞を巻き込んでおるのだ。
今更協力など出来ぬ。面倒は、見れんぞ」
「……。でしょうね」
帽子を触り、セロはフッ笑った。
それも含めて既に調査済みのことだ。レノヴィン一行が皇国に渡る際、郊外の導きの塔を
利用したことも、その転移の最中に“結社”の妨害に遭ったことも。
(予想通り。権威と自身を同一視したままの旧世代の人間、か……)
そっと脱いで、テーブルの上に置く。
濃い黒褐色の髪がばさりと流れ、含みを持つ笑みと眼に影を作る。
「僕らはただ“確保”してきただけですよ」
ぴんと指を一本立てて、セロは言う。
それを合図にするように、彼の部下──傘下の傭兵達がこの二人を囲う陣形を詰め、それ
となく圧迫感を加える。
「全ては彼らに出て行って貰うための処置です。南方から、ね……」