表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-32.風集う街、仲間(とも)募る街
181/434

32-(2) 欲望の群列

 その日は講義スケジュールが半ドンになっていた。

 しかしこの時期──定期試験も近い空き時間を漫然と過ごす訳にはいかない。

 アルスは講義を消化すると、すぐその足で宿舎の自室に帰り、じっと机に向かっていた。

 勉強ならば図書館でもできる。実際そういう学院生らも少なからずいる。

 しかし……アルスはそこに平然と混ざれるほど図太くはなかった。

 どれだけ一介の学生であろうとしても、周囲は自分をトナン皇国第二皇子─先の“結社”

襲撃の遠因としてみてくる。

 そんな視線に、負い目に晒されながら試験勉強に励むというのは……無理があった。

 同行するリンファに「皆がいる方が落ち着きますから」と言って帰って来たものの、静か

に頷いてくれた彼女自身は、もしかしなくても気付いているかもしれない。

 ポーカーフェイスの下手な皇子とは。

 我ながら情けないような、暗澹とした気分がねっとりと胸奥の表面をなぞっていくような

感触を覚える。

(……ああ、駄目だ駄目だ。集中しなきゃ……。申し訳が立たないよ……)


「あっ。それってもしかして猫のねーちゃんの……?」

 時はミアに解毒剤が投与された後日に遡る。

 昼休み。アルス達はルイスとフィデロ、いつも仲良しグループでテーブルを囲み、昼食を

摂ろうとしていた。

 鞄から取り出し、包みを開いた弁当箱。

 そんなアルスを見て、フィデロが心持ち嬉しそうな表情かおでこちらを見てくる。

「うん。そうだよ。ミアさんが作ってくれた──いつものお昼ごはん」

 アルスがはにかんで答えると、彼の喜色がより明るくなったようにみえた。隣席のルイス

も、既製品のパスタをくるくるとフォークに巻きながら小さく頷いている。

「そっか。退院したんだよね、彼女」

「うん。ついこの前にね。まだリハビリはしているみたいだけど……」

 久々の“お袋の味”に味覚が喜んでいるのを感じつつ、アルスは苦笑交じりで言った。

 キースが調合してくれた解毒剤は効果覿面だった。

 目を覚ましたミアはその後順調に回復し、今ではホームに戻ってこうしてまた弁当を作っ

てくれたり、他の団員達みんなと交替で酒場の当番もこなしている。

「皆のおかげだよ。……ありがとう」

「はは、いいって事よ」「ああ。中々に興味深い経験になった」

 申し訳なくも、良い仲間を持ったと思う。負い目という火傷の中で、フッと見える清々し

い水場であるような。アルスは穏やかに笑い、改めて礼を述べる。

 友人達に、エトナあいぼうに。

「……」

 そして自分達の輪から少し外の木陰に背を預けたまま、もきゅもきゅと握り飯を頬張って

いるリンファに。

 どうせなら一緒に食べればいいのに……。そうは思っているし、実際何度か誘ってみてい

るのだが、彼女は「仕事中ですから」とやんわりと断ってくるのが常だった。

 おそらくこれが公私の区別、彼女なりのけじめという奴なのだろう。

 そういえば、前任者シフォンさんも似たようなスタンスだったなと思い返す。

「む──」

 そんな時だ。ふとアルス達の方へ近付いてくる気配があった。

 振り向いてみれば、シンシアだった。見た所いつものお付き二人は別行動中らしい。

 彼女は密かに眉間に皺を寄せ、アルス──が広げている弁当を見遣っていた。同時にサッ

と腰の方に何かを隠してしまったのだが、当のアルスはそれに気付かず笑みを返している。

「シンシアさん。そちらもお昼ですか?」

「え、えぇ……まぁ、そうですわ」

 じりっと、シンシアは近付きかけて止まり、何処となく緊張した様子をみせる。

 アルスは一瞬頭に疑問符を浮かべながらも「どうぞ?」と空いた席に彼女を促した。コク

と頷き、シンシアはややあって席に着く。配置としてはアルスとフィデロ、ルイスと彼女が

それぞれに向き合う格好だ。

 改めて談笑をしながら、四人(と一体)は昼食の一時を過ごした。

 しかし、アルスとしては知らぬ仲ではない──先日の件に関してはミアの解毒剤に一助を

くれた恩人であるのに、当のシンシアが一人ぎくしゃくしているのが気になって……。

「……シンシアさん?」

「は、はいっ!?」

「大丈夫、ですか? すみません。もしかして迷惑だったんじゃ……」

「そ、そんな事はありませんわ! だ、大丈夫ですから!」

「……。は、はい」

 だから心配で声を掛けたのに、彼女はそんな妙に上ずった大きな声量。

 周囲の学院生らがちらっとこちらを見てきた。ルイスやエトナが彼らに「気にしないで」

とアピールするが、二人とも向け直した──そのシンシアへの視線には何処か妙というか、

ニヤニヤとした薄ら笑いがある。

(……?)

 シンシアはやや駆け足で自身の弁当にフォークを伸ばしていた。

 そういえば彼女って弁当派だっけ? アルスはそんな疑問を一瞬抱いたが、すぐに霧散し

思考は別の方向へと流れてゆく。

 ミアが目覚めて皆で安堵した後、アルスは逸早くキースの所──エイルフィード家別邸を

訪ねた。勿論、仲間に救いの手を差し伸べてくれた彼らに礼を述べる為だ。

『と、当然の事をしたまでですわ。私だってあの場にいたのに、負傷者を出すような不手際

をしたんですもの……負い目があったのは、貴方だけではありませんのよ?』

『まぁそういう事です。お気になさらず』

『ははは、うむ。良きかな良きかな。これで改めて、シンシア様もアプ──』

『わぁぁぁッ!? おバカっ、こんな所で言うんじゃありません!』

 相変わらず騒がしいというか、でも嫌いじゃない温かさというか。

 彼女もまた良き従者なかまを持っているなぁと、アルスは思ったものだ。

(何にしても、一段落かな……)

 もきゅもきゅと、焼き魚のかけらを白米に乗せてから頬張る。

 一難去ってまた一難なのかもしれないが、このまま自分が折れてしまってはいけないのだ

ろうと思う。夜の病室でダンが語っていた言葉を思い出しつつ、アルスはもっと皇子として

魔導師の卵として頑張らなければと思う。

「ふむ……。ま、何にしても」

 そんな内心の思考を予想していたのか、してないのか。

「猫のねーちゃんも元気になったし、これでアルスも試験勉強に集中できるって訳だ」

 ふとフィデロがそう言葉を切り出した。鶏肉チキンの骨をゴリゴリと噛み、白い歯をみせて笑う。

「僕らにとっては入学試験以来、初めての試験だからね。……期待してるよ、主席君?」

「あ、はは……」

 それは今に始まった事ではない。友人達との間では使い古されたある種のジョークだ。

「……」

 だが、そんなやり取りをじっと見つめていた面子がいた。他ならぬシンシアである。

 もぐもぐと。彼女は暫く咀嚼をしながらアルス達の談笑を傍観していたのだが、

「そうね。もうあれから三ヶ月が経とうとしてるのよね……」

「? ええ。四半期ごとですし」

「……決めた。アルス君、貴方今度の試験で私と勝負しなさい」

 はたっと口の中身を飲み込んでフォークを置くと、いきなりそう言ってびしりと指を突き

つけてくる。

「別に、構いませんけど……」

「おいおい。まだ根に持ってるのか? アリーナの模擬戦で決着付けたんじゃねぇのかよ」

「そうですけど……。でもそれとこれとは、別なのですわ」

 フィデロが眉間に皺を寄せて、しかしむしろ呆れたような表情で彼女を見遣っていた。

 一方でルイスは何かを見出していたようで、先と同じく片肘をついて頬を手に乗せ、何や

らニヤニヤと傍観の構え。

 そんな中で、シンシアは一度ごくりと息を呑むと、更にアルスに向かって宣言する。

「履修科目が違いますから、勝負は平均点にしましょう。そ、それで……もし私が勝てば、

ひ、一つだけ言う事を聞いて貰いますっ」

「勝てばって……。別にシンシアさんの頼みの一つや二つ──」

「まぁまぁ、いいじゃない。何事も競争相手がいる方が燃えるしさ?」

「……? うん……」

 アルスは言いかけたが、他ならぬ相棒の──何故かニヤニヤした横顔と割り込みに押され

て受諾する格好になる。

 妙なことになった。まさかエトナも、未だ彼女にしこりを残しているのだろうか?

 それにしては、彼女の様子はどうにも……。

「き、決まりですわね? 約束ですわよ?」

「あ……はい。あの、大丈夫ですか? 何だか、さっきから顔が赤──」

「よーし、そうと決まればしっかり準備しなきゃ。主席の実力、見せてあげよう?」

「う、うん……。勿論手を抜くつもりなんてないけど……」

 フィデロと共に頭に疑問符を。しかしエトナとルイスはニヤニヤとほくそ笑み、シンシア

は何を考えているのか沸騰しそうな赤面で。

 アルスはなし崩し的に、また一つ妙なイベントを背負う事になって──。


(ん……?)

 眼で穴を開けるように、魔導書を何度も読み込んではノートにペンを走らせること暫し。

 ふと、アルスの耳に何やら物音が聞こえてきた。

 どうやら部屋の外、廊下に誰かが訪ねてきたようだ。外で見張りをしている筈のリンファ

や団員が「勉強中だよ」とその訪問者に話しているのがぼやっと聞こえる。

「アルス……?」

 ややあって、扉をノックしてひょこと顔を出してきたのはミアだった。アルスはエトナと

共に振り返ってペンを置き、殆ど習慣的な反応で仲間への微笑を返す。

「あ、ミアさん。どうしたんですか?」

「お昼出来たから、来てって。……勉強の区切りが付いた時でもいいけど」

「大丈夫ですよ。分かりました、すぐ行きます」

 アルスが応えると、ミアは少しもじっとドアの影で手を揉んでから去って行った。

 気のせいかもしれないが、病院で目を覚ました辺りから何処か雰囲気が変わったような気

がする。とはいえ、相変わらず言葉少なげでクールな少女ひとなのだが。

「んんっ……。行こっか? お昼休憩って事で」

「そだねー。気分転換もしないと頭に入るものも入らないし」

 仮に教材を片付けて部屋を出て、リンファ達と共に宿舎を出る。

 食堂──もといホーム内の酒場『蒼染の鳥』には既に団員達が集まり、思い思いに席に着

いて昼食を取り始めていた。

 時間帯もあって、入口側のスペースにはそこそこ一般客が来ているようだ。

 だが、自分という人間が滞在していることもあり、以前のように自由気ままとは必ずしも

言えない。カウンターを境界線に店内は分厚い間仕切りが設置され、自分達クランの関係者

は基本的にその奥側、宿舎に近い裏口側のスペースで食事を摂るようになっていた。

「よう。来たかアルス」

「試験勉強はいいの? そっちの都合でいいんだよ?」

「大丈夫です。それに、あんまり根を詰めると肝心の本番前にダウンしちゃいますし」

 アルスは宙に浮かんでいるエトナを伴い、クランの仲間達とそんなやり取りを交わしなが

らカウンターに顔を出した。中では名義上の店主であるハロルドと娘のレナ、そして今日が

当番の団員数名が忙しなく動き回っている。

「はい。お待ちどう」

「ありがとうございます」

 アルスは早速自分の分の昼食をトレイごと受け取ると、適当な席に着いて手を合わせ、他

の団員達に交じって食べ始めた。

「……勉強、捗ってるか?」

「はい。お陰さまで」

「そっか。ならいいんだけどさ……。ほら、この前の会見からうちもドタバタしてるだろ」

「ええ……」

 そんな中で、同席や周囲の団員達がぽつぽつと話し掛けてくる。

 この前の、と言えばあの新団員募集の記者会見のことだ。予定ではアウルベ伯とクラン代

表のみが顔を出して一連の襲撃事件の区切りと謝罪を述べるものだったが、アルスは敢えて

無理を言ってあの場に加えてさせて貰っていた。

『ですが……。アルス様が、当の皇子が安易に頭を下げるのは如何と存じます。街の人々だ

けではなく世界中の諸侯がアルス様を見ているのですよ? 解釈によっては“結社”に敗北

したとも取られかねません……』

 イヨら侍従衆らはそう難色を示したが、それでもとアルスは押し通した。

 面子がどうこうじゃない。誠意の問題だ。

 アルスはあの時はっきりと自分の中の軸を見出していた。

 過分な負い目は時折言われることではあるが、それでも迷惑を掛けたことは事実だ。それ

らを無視して隠れるような真似は……自分の魂が許さなかった。

「こちらこそすみません。僕の所為でまた一つ、ご迷惑をお掛けして……」

「いやいや! いいんだって」

「アルスを護るってのが俺達の仕事だからな。表向きにも本音でも」

「そうさ。お前はどーんと構えてればいい。肝心がブレるな?」

 言いながら、大盛りの炒飯を頬張っていたのはダンだった。

 見れば彼の席にはシフォンやイセルナもいる。何より目を惹いたのは、その机上にどんと

積み上げられた書類の山だ。

「……はい。気を付けます」

「それって~、やっぱり……?」

「ええ。うちのクランに応募してきている冒険者達の履歴書よ」

 ペラリと一枚を捲ってイセルナがこちらに紙面を見せてくる。確かにそこには顔写真と、

細々と経歴などの必要事項が書かれているようだ。

「選考会を開く前に一通り目を通して篩を掛けているんだよ。まさか全員が全員をうちに迎

える訳にはいかないしね」

「ま、これもまたほんの一部なんだよな……。おまけに今日もまた追加で増えてたし……」

 ダンがそうぼやくように遠くを見る。

 確かにこの量が何セットもとは無理もないなと、アルスは苦笑するしかなかった。

「……でも恐縮です。僕らの為にそんなにたくさんの冒険者さんが応募してくるなんて」

「だよねー。敵はあの“結社”だよ? 命知らずというか何というか……」

「なぁに、殺到することは多かれ少なかれ予想はしていたさ」

 ぐいっと茶を飲み干し、ダンは言った。その声色は少々斜に構えている気配がある。

「要するに功名心なのさ。確かに敵は厄介極まりない連中だが、まさか自分がサシでやり合

うなんて思ってねぇんだろう。それ以上にトナン皇子の護衛役っていう看板に目が眩んでる

輩が大半なんだろうぜ」

「だからこそ、しっかり見極めなければならないな。アルス様をお守りする事よりも野心に

忠実というのは、裏を返せばそれだけ内部から崩れ易くなる間隙とも言える」

「……そうね。募っておいて始めから疑って掛かるのは、正直いい気はしないけど……」

 アルスの斜め向かいで、自身の料理を平らげたリンファが茶を啜りつつ言う。

 それは間違いなくこの場──クラン全体の抱く危惧だ。団長イセルナこそそう静かに応えているが、

この退くに退けない組織強化には皆相応の不安も抱えているのだろう。

「……すみません」

「だ~か~ら、そうホイホイ謝るなって。大丈夫、俺達が選ぶんだ。きっともっと強くて居

心地のいい場所にしてみせるからよ?」

「……。はい」

 ダンがそう笑い──強がってみせ、アルスがエトナが苦笑する。

 そっとミアがやって来て茶のお代わりを持って来てくれ、ありがとうございますと受け取

ると改めて喉を潤し直す。

「選考会当日は、面接の後に私達が分担して各戦闘スタイル別に実技を観るつもりよ。だか

らその間何日かは、どうしてもこっちが手薄になっちゃうけれど……」

「それなら心配ないさ。アルス様もおられればいい。私達がお守りする」

「……そうね。お願いするわ」

 試験勉強でつい視界が狭まりがちだが、皆も一生懸命頑張っている。

(……僕だって、皆の為に頑張らないと……)

 間仕切りの向こう、アウツベルツの街並みになだれ込み始めている野心ぼうけんしゃ達の気配に想像力

を馳せながら、アルスは静かに眉根を寄せると湯のみの中に浮かぶ茶柱を見つめていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ