31-(3) 竜蟲跋扈
(拙いな……)
ジークの怒声と姿をサフレは視界の向こうに捉えていた。
眉間に皺を寄せ、熟考。一方でその間も彼は槍の石突を使い、四方八方から襲い掛かって
くる村人達を押し留めては払い除けていく。
分断されたから、だけではない。
押し寄せる村人達の呻き声と物理的な距離でよく聞き取れなかったが、またジークは激情
を刺激されたらしい。
情熱を抱くことは嫌いじゃない。否定しない。
だが彼のそれは……同時に大きな弱点でもあるとサフレは思っていた。
彼は吐き違えている節がある。痛みを知ったからこそ、誰よりも“正しく”在ろうと。
……違うのだ。事情は団員達から断片的に聞いたことしかないので推測が混じるが、少な
くとも自分達が向き合っている“現在”は彼が傷を負った“当時”ではない。
だから自分はそのつもりで言ったのだ。──『敵』に情を掛ければ死ぬぞ、と。
(まさか、何日もしない内にその敵が現れるとは思わなかったが……)
襲撃が来るのは承知の上だったが、サフレはぎゅっと唇を一文字に結んでいた。
背後では障壁を張るリュカがマルタと共に村人達からの攻撃に耐えている。サフレは石突
を更に伸ばして長くし、一層彼らを払い除けるべく立ち回った。
何とか、感情的になっている彼に加勢を。
そう思っても、しつこく迫ってくる住人達が邪魔をする。かといって彼らを傷付ける訳に
はいかない。良心の呵責も勿論だが、何より安易に市民を犠牲にしようものならジークの立
場は今以上に悪くなる筈だ。
……尤もこの躊躇いも、十中八九奴らの計算の内なのだろうが。
(やはり元を断たないと埒が明かない、か……)
思考はやがてループし、視線が何度目かの夜空を仰ぐ。
サフレの視線の先、集会場と思しき屋根の上に奴らはいた。
住人達を操っているらしい魔人の少年にあちこちが包帯だらけの女、そしてつい先日
“嘆きの端”で出会った僧侶風の男・クロム。
三人は余裕綽々──クロムだけは何か考え事をしているのか、或いはあれが地なのか気難
しい表情を浮かべたままだったが──といった様子でこちらを見下ろしており、サフレは否
応なくそのさまに苛立ちを募らせる。
「リュカさん、マルタ、このままじゃ彼らに潰されます。一旦、高い場所へ飛びますよ」
「そうね……分かったわ」
「ですがマスター、飛ぶって……?」
被造人な従者の少女が小首を傾げる問い掛けに、サフレは肩越しに小さくしかし力強く
頷きだけを返していた。
すると正面に向き直ったと同時、彼は「でいっ!」という気合の一閃で住人らを円状に大
きく弾き飛ばすと、逆手にしていた槍を順手に持ち直して心持ち腰を落とす。
障壁越しに二人が見遣る中、サフレは槍先を中空に向けて意識を集中させ始めた。
「一繋ぎの槍──」
するとその魔導の槍に起こったのは、変化。
一言でいえば、縮んでいた。まるでぎゅっと柄先から押し潰したように彼の主装はバネが
縮こまるさまよろしく一気にミニサイズに為っていく。
「改!」
そして次の瞬間、サフレの身体が猛烈な速さで跳んでいた。
一度はぎゅうぎゅうに縮んだ槍。それが今度は一気に元の長さに戻り、その反動が彼を槍
ごと空中に射出したのである。
──それは、この旅が始まってからサフレがずっと思案していたこと。その結実だった。
リュカの空間結界の中で六華の修行を繰り返すジーク。その鍛錬にサフレもまたフォロー
役として同席する中で思ったこと。
『これは二人共に言える事なんだけど、貴方達はまだまだ“性能に使われている”印象が
あるのよねぇ……』
あの時、リュカ──魔導の専門家がふと口にした言葉。
それ聞いてからサフレはずっと、密かに思案していた。
ジークだけじゃない。
自分達もまたもっと強くならなければ、この先の旅路はより一層の苦難が待ち構えている
筈だ。その為にも、自分は今までの戦闘スタイルを見直す必要がある。
それがこの改良型の一繋ぎの槍だった。
備える特性は伸縮自在。だが今まではただ伸ばして突くという使い方ばかりをしていたよ
うに思う。ならいっそ、今度は逆に縮めてみてはどうだろうと考えたのだ。
「──ッ!? 避けろ!」
槍ごと突撃してくるサフレに、三人は咄嗟にその場から大きく飛び退いていた。
だが予想外の一手に反応が遅れたこともある。彼の切っ先は、その交差の最中、包帯女の
右肩をザクリと抉ったのだ。
ストッパー代わりに石突を屋根に突き立て、ブレーキを掛ける。
バリバリッと石材が剥がれる音を撒き散らしながら、サフレはやがて三人と交差した格好
でようやくその突撃を停止する。
リュカとマルタが「やった!」と言わんばかりに驚き、ぐっと拳を握っていた。
思えばこれまで“結社”の魔人には実質の連敗続き。一矢報いた感はサフレは勿論の事、
彼女達もまた共有していたのだろう。
「……ふふ」
だがそれは、すぐにぬか喜びだと知らしめさせられることになる。
「駄目じゃない坊や。そんな激しくしちゃ」
右肩を抉られたにも拘わらず、包帯女は何故か余裕の表情だった。
むしろ彼女は、妙に艶っぽい声色で呟くと、
「……溢れちゃう」
「ッ!?」
はらりと傷口付近の包帯を解き──そこから大量の“蟲”を解き放つ。
サフレはあまりのおぞましさに顔を引き攣らせていた。
まるで彼女の意思に操られるかのように、その身体から溢れ出す蟲──型の魔獣達。
巨大百足や棘だらけの蜂、三つ首のゴキブリなど。その群れは生理的嫌悪感すらも越える
悪寒をもたらし──。
「盟約の下、我に示せ──風霊の剃刃!」
その時だった。咄嗟に楯なる外衣を広げようとしたサフレの眼前を、巨大な鉈を思わせる
風の刃が通り過ぎていったのだ。
即ちそれは、サフレに襲い掛かろうとしていた蟲系魔獣の群れを一刀両断に粉砕する結果
を引き寄せ、無残にバラバラにされた魔性の身体達は無数の叫びを上げながら次々に地面へ
と墜ちていく。
「大丈夫、サフレ君?」
「……はい、何とか。すみません」
見ればリュカは蟲の大軍に真っ青になっているマルタの手を取り、足に風を──空中移動
の魔導を纏ってこちらへ飛来してくる所だった。
改めて彼女達と屋根の上で合流を果たし、サフレは再びこの魔性の三人組を睨み直す。
「お前……魔獣人か」
「そうだよ。あたしは“蟲繰”のアヴリル。宜しくね? 坊や」
言って、包帯女ことアヴリルは笑ってみせた。
元は中々美人だったのかもしれない。だが全身に巻いた包帯とやつれ気味の体躯、何より
もぼたぼたと滴る血の中から現在進行形で生まれている“蟲”達が、間違いなくその全てを
台無しにしていた。
「……ヘイト」
「ん?」
「……やはり止めぬか? 市民を傀儡にするのは」
その一方で、彼女のより後ろへ着地していたクロムと端末を弄る少年・ヘイトはそんなや
り取りを交わしていた。
「何言ってんのさ。人形達だと、あいつら容赦せずに壊すだろ? 僕らは任務の途中でレノ
ヴィン達を見つけたんだ。この後に支障を来たすのはごめんだね。何よりもあいつらに対し
てこれほど効果的なプレッシャーは無いよ」
静かに、クロムは村人達について苦言を呈してみる。だがむしろヘイトはこの状況に
嬉々としているようだ。
「……」
他人の辛苦に愉悦を見ている──。
眼下で飛び散った魔獣の血に灼かれる村人らのもがく様を、アヴリルと対峙するサフレら
の姿をそれぞれ見遣って、クロムは改めてこの同僚“使徒”とはそりが合わないと思った。
「はははっ! どうした? あの一撃は偶々か?」
苦痛で歪む視界の向こうで、サフレ達が残り三人と交錯したのが見えた。
操られている人達を何とかしねぇと……。だが今やジークにそんな余裕は微塵も無い。
周囲の木々や家屋を巻き込みながら、ヴァハロの猛攻が続いていた。
強烈過ぎる手斧の一撃、その大振りを埋める巧みな手槍の刺突。ジークは六華を解放した
状態でありながら、ひたすら防戦一方に押し遣られている。
「温い……。お主は六華で着飾っておるだけか? 雑念ばかり背負った所でその太刀筋は
鈍るだけだというに……」
惜しいのう──。
ヴァハロは何度目かの手槍を払い、ジークの必死の反撃すらも易々と弾いてみせた。
その一振りすら受け止め切れず、ジークは勢いのまま大きく後退、両足を踏ん張ると何と
か倒れることだけはせずに大きく間合いを開けて踏み止まる。
「まだまだ経験が足りんとはいえ、我の攻撃をここまで耐えるとは大したものよ。反応速度
も悪くない。きっと腕の立つ武人になろうものを……」
「……やかましい。てめぇにあれこそ言われる義理なんざねぇっての」
「その強情、か……。惜しいのう、我の部下であればみっちりと鍛えてやったのに」
六華を使い続けてマナもかなり消耗している。身体も既に限界を越えて悲鳴の嵐だった。
しかしそれでも、ジークは立っていた。
負けられない。ここで倒れれば、リュカ姉達やこの村の人々を見殺しにすることになる。
「んなもん、死んでもごめんだ!」
身体に鞭を打ち、ジークは再び地面を蹴っていた。
赤と青の軌跡が同じ曲線を描く。しかし手斧がそれを防ぎ、続けざまに放たれた左右から
の交錯にも動じない。
ヴァハロはこの攻撃に敢えて弾き飛ばすことはせず、実に嬉しそうに笑いながらこの鬼気
迫る少年を見遣っている。
「……そうだったな。確かお主らは戦鬼を追っているのだったか。流石に仇敵の軍門に下らぬ
程の誇りは持っておる、か……」
そしてスッと目を細めて呟いた彼の言葉に、ジークは思わず目を見開く。
「お前、知ってるのか!? 何処だ! あいつは──父さんは何処にいるっ!?」
「父……? そうか。だが生憎、我は知らんよ。あいつはルギスの新しい人形だからのう。
捜すのであれば奴に直接当たればよい」
応えながら一方で「尤も、此処で我が潰してしまうがな」と笑い、ヴァハロは再び手斧を
振ってジークを弾き飛ばしていた。
強く強く、ジークは歯を食い縛って表情を歪めた。
お前達だ──。お前達が、父さんを皆を、乱して壊して傷付ける。
着地する数拍前、ジークの視界には迫るヴァハロと、その後方の屋根にいるヘイトらの姿
が映っていた。
「ぬんッ!」
蒼桜の“飛ぶ斬撃”を放ったのは、思考よりも感情に任せての判断だった。
左手に握った太刀を体勢が崩れるほどに振り抜けば、ヴァハロに向かって飛んでいくのは
青い斬撃。彼はジークが撃ってきたその一発にほんの一瞬だけ驚きつつも、サッと半身を捻
って回避してくる。
「──ッ!?」
そうなると、飛ぶ斬撃が向かっていくのはより遠方の中空──ヘイトらだった。
ちょうど眼下で蠢く村人達を操作し、サフレらがこれ以上動き回れないように動かして
いた最中だった彼は、思わず端末を握ったまま硬直する。
だが……青く爆ぜた月形のエネルギーはヘイトを穿つことはなかった。
「……」
濛と上がった土埃。
するとそこに立っていたのは、両腕が巨大な石版のように硬化していたクロムの姿で。
「なるほど。これが護皇六華の力か」
ジークがヴァハロが、そして庇われる形になったヘイトが、それぞれに彼を見ていた。
両手を交差させて衝撃に耐えたクロムはゆっくりと落としていた腰を上げる。その動作に
合わせて、バラバラと大きくヒビを刻んだ硬化盾から破片が落ちてゆく。
「事前に来ると分かれば、私でも防げない事はない……か」
“嘆きの端”でセカイを嘆いていた僧侶は、呟いてからじっとジークを見下ろしていた。
振り抜いた太刀をゆっくりと構えに戻す。ジークもまた、じっと遠く頭上の彼を見る。
「おいこらヴァハロ、こっちに飛び火させるんじゃねーよ!」
「おう、すまんすまん。そっちにおったか」
一方でヘイトはクロムに礼の一つすら言わず、代わりにヴァハロへとそんな怒声を降らせ
ていた。しかしそれでも当の竜の戦士は笑っており、相変わらずの余裕綽々。
「……すまぬな。我もつい舐めた真似をしておったのう。仲間の気遣う余力がお主にもあっ
たとは。これは失敬」
だがそれも束の間、彼は次の瞬間、何処かフッと真剣な──先程までとは明らかに異質な
殺気を纏わせ、ジークに向き直ってくる。
「もう少し調子を上げよう」
一瞬だった。刹那、ヴァハロの姿が不意に霞む。
「ガッ……!?」
本能的にジークは二刀を前面にしていたが、それでも叩き付けられた衝撃は収まることを
知らなかった。
ヴァハロが言ったと共に攻撃を再開した。
そう脳味噌が理解に至るまで、数拍。
しかしその間も、彼の攻撃速度はみるみる内に上がっていく。一撃一撃が今まで以上に暗
くそして重い。
「あ、が……ッ!?」
ジークはようやく悟った。彼は──まだ手を抜いてくれていたのだと。
敵味方関係なく伸びしろのある後輩を慈しむ眼。
だがそれらは、今やいち武人として“敵”を打ち負かすことに意識をシフトさせた猛将の
それへと変貌を遂げている。
(めっ、滅茶苦茶──)
まるで為す術がなかった。
自分では防御している筈なのに、怒涛の勢いで身体中に斬撃や刺突の傷が、ダメージが蓄
積されていく。振るわれる衝撃、その一割すらも自分の二刀は和らげていない。
視界一杯にヴァハロの姿が映っていた。
手斧を振り下ろす丸太のような腕。全身に滾っているマナの奔流。
その肩越しに遠く、サフレ達もまた包帯女と村人らに追い詰められているのが見えた。
あれは、蟲……? 魔獣らしき大軍が彼女を中心に渦巻き、障壁の内側に篭城した三人を
今にも呑み込もうとしている。
(……俺は、また)
また、大事な人達を喪ってしまうのか?
そして全身を隈なく覆い始める絶望感と脱力感。
ジークはフゥッと、その黒い渦に飲み込まれそうになり──。
「ぬッ……!?」
そんな闇が降り始めようとしていたジークを引っ張り出したのは、すぐ至近距離で聞こえ
てきた鋭い金属音だった。
ハッと我に返り目を見開いてみれば、ヴァハロが突然割り込んできた鈍色の何か──長い
長い金属の鞭を手斧・手槍で防御している。
ジーク達が“第三者”に気付いたのは、ちょうどそんな時だった。
はたと周囲を見渡してみれば、夜闇に紛れて全く別の軍勢が自分達を包囲している。その
数も“結社”達に比べれば圧倒的に多い、そう直感が告げてくる。
「……お主らは」
ヴァハロが金属の鞭を弾き返し、その得物はギュンッと闇の中に消えてゆく。
屋根の上で攻防していたサフレ達も、眼下で突然現れた軍勢らが暴れる村人らを次々に当
て身して気絶させていくのを見、唖然としている。
「やあ。結社・楽園の眼の諸君」
ジーク達がヴァハロ達が、月明かりの下に目を凝らしたその先には。
「それと初めまして。ジーク皇子御一行?」
ずらりと並ぶ大軍を引き連れた、長いマントと鍔広帽子を纏った男性が立っていて。