30-(3) 次善策、勇み足
「──解毒剤が……作れるんですか!?」
人目を避けて、アルス達は研究棟のロビーに移動していた。
その分厚いガラス壁が並び囲む半個室の一つで、アルスはキースから語られた内容に思わ
ず弾かれたように立ち上がる。
「え、えぇ……。自分は密偵なので薬物の知識もあるもんですから……」
その勢いのまま、キースは半ばアルスに詰め寄られるような格好になっていた。皇子のあ
まりの変化に面食らいながらも、彼はコクコクと頷いて言う。
話を聞くに、昨夜ミアが搬送された病院を彼らもまた訪ねていたのだそうだ。
そしてちょうどそこで病理検査用のサンプル(ミアから採取した血液だ)が運ばれる場面
に出くわし、事件目撃者の証言を餌に、検査に同席したのだという。
『俺や医者達の見立て通り、マーフィの娘さんは速効性の毒にやられてました。それも自然
のモノじゃない。端っから相手を仕留める、その為に作られた合成毒の一種ッス』
その事実に、アルス達は目を見開いていた。
予感がなかった訳ではない。元は“結社”の刺客が、自分を抹殺する為に得物に仕込んで
いたものなのだから。
本来なら……彼女が魘されるほどのあの苦しみは、自分が受けるものだったのだ。
自分の落ち度を庇ってくれた、ただそれだけの所為で、今彼女は苦しんでいる。
『病院側が解毒剤を取り寄せてるって話ですが……正直言って、あの手の毒は一刻も早く身
体から出さないとマズいんッスよ。相手を壊す、それに特化した薬物ですからね。最悪何か
しら後遺症が残るかもしれない』
それだけは、絶対に避けたかった。そんな彼女を皆に晒すなど……自分が許せなかった。
『だから、お節介かもしれないですけどお時間を貰ったんです。既製品みたいに純度の高い
物とまではいきませんが、材料さえあれば俺でも解毒剤は作れますから』
故に彼がそう持ち掛けてきた話を断る選択肢など、アルスには始めから存在しない。
「よかった……。これで、ミアさんが……」
「え? あ、ちょっと泣かないで下さいよ。まるで自分が悪者みたいじゃないっスか……」
キースに詰め寄った格好のまま、アルスの両の瞳から涙が溢れていた。
助けられる。自分の手で……。
そんな感極まった皇子の姿に彼は狼狽えていたが、アルスはごしごし袖で涙を拭いながら
赤くなった目を向けてはにかむ。
「すみません。嬉しくて……」
「……キース殿。それで、その材料とは何処に?」
「ええ。問題というか本題はそこなんスけど」
そっと体勢を戻したアルスと、ふらっと後ろによろめくキース。
涙を拭い、友人らに慰められ落ち着こうとするそんな主を横目にしてリンファが問うと、
キースは何故か困った顔をして頬を搔き始める。
「この辺で採れる場所となると……忌避地になっちゃまうんですよね」
アルス達四人は、思わず顔を見合わせていた。
忌避地──それは周囲よりも多くの濃いマナが滞留するが故に、一度瘴気が発生してまう
と大量の魔獣を生み出す、危険を孕んだ場所の総称である。
周辺への被害を抑えるべく冒険者や守備隊によって定期的に駆除活動が行われているとは
いえ、概して一般人にとっては滅多に立ち入らないスポットと言える。
「マナが豊富ってことはそれだけ色んな薬草も採れるんですよ。でもダンジョン認定されて
る場所へ、ふらふらと皇子を連れて行く訳にはいかないですからね……」
懸案はそこだった。要するにこういう事である。
魔獣が沸く危険地帯に行ってまで、一刻も早く解毒剤を手に入れるのか?
或いはこのまま病院の采配に任せ、既製品の解毒剤が届くまでの時間を待つのか?
「……。決まってるじゃないですか」
だがアルスの心はとっくに決まっていた。
驚きや戸惑い、そんな表情がサァッと霧散し、次の瞬間彼には決して退かぬ意思が宿る。
「行きます。少しでも早くミアさんが元気になってくれるなら、ダンジョンだろうが何だろ
うが乗り込んでみせます。解毒剤の調合、お願いします」
アルスはぶんと頭を下げてキースに、リンファに懇願していた。
学友達はポカンと呆気に取られ、リンファは一瞬眉根を寄せたものの、静かに頷く。
「……だと思いましたよ」
そしてキースは、まるでその言葉を待っていたかのように口角を吊り上げると、笑った。
次いで座っていたソファからおもむろに立ち上がり、彼はついっとロビーの向こう側──
研究室が並ぶ方向を見渡し出す。
「お、来た来た……」
するとその向こう側からこちらに近付いてくる人影があった。
どちらも見覚えがある。革鎧を纏った巨人族の男性と、ぼさぼさ頭にラフな上着を引っ
掛けた魔導師の男性。
「ふむ? 話はついたかの?」
「ええ、ついさっき。ホーさんも?」
一方はキースの相棒、シンシアの護衛コンビの片割れであるゲドだった。
もう一人は間違う筈もない、アルスの担当教官であるブレアだった。
合流したコンビは、短くそう互いに連れてきた面子を確認しながら言葉を交わすと、サッ
と並び直し再び口を開き始める。
「皇子。僭越ながら先に教官殿に話を通させて貰いました。彼も、皇子の決断に協力してく
れると仰っておりますぞ」
「……ま、そういう訳だ。根回しっつーか学院長らには俺が掛け合ってやる。名目上は俺が
付き添う実技試験ってことにしとく。仮に渋い顔されても、向こうだって昨夜の一件は少な
からず知ってる筈だからな。人の命も掛かってる。皇子の意向だってごり押してやるぜ?」
リンファとエトナと学友と。
アルスは彼らと顔を見合わせ、そして破顔した。
見ればキースとゲドが頷き、微笑み掛けてくれている。どうやら研究棟まで移動したのは
始めからこれを意図しての事だったらしい。
「ありがとう、ございます……!」
もう一度アルスは深々と頭を下げていた。
キース達は恐縮していたが、ブレアはもう慣れたものらしく口角を吊り上げ笑っている。
すると彼はぽんとアルスの肩を叩き顔を上げさせると、早速と言わんばかりに面々に指示
を飛ばし始める。
「じゃ、善は急げだ。アルス、お前は俺と一緒に学院長のとこに行くぞ。OKが出たら今度
は領主の方に連絡して許可を取り付ける。それまでに準備はしっかりしとけ? 出向く場所
が場所だからな」
「……レイハウンド先生」「お、俺達は……?」
「アルスの友達のルイスとフィデロだな? お前らは一旦自分の研究室に戻れ。つーかお前
らまで講義すっぱかしてどーすんだよ」
「で、でもっ!」「……僕達は」
「ん? 何勘違いしてんだ。さっさとお前らの教官から許可貰って来いって言ってんだよ。
エマもバウロのおっさんもベクトルは違うが石頭だからなぁ……。ま、こっちで学院長を落
とせば問題ないとは思うが」
フィデロとルイス、学友二人は驚きで目を丸くし、互いの顔を見合わせていた。
そしてそのまま弾かれたように席を立ち、猛ダッシュでロビーを走り去っていく。その去
り際にフィデロが「待ってろよアルス、すぐに追いつくからな!」と叫んだ事で他にもいた
ロビーの学院生らの視線を集めてしまう結果になったが、アルスはそれ以上にほこほことし
た胸奥の温もりに笑顔を取り戻しつつあった。
「よし、んじゃ俺達も行くか」
「はいっ」「お~!」
「……これは、ホームにも知らせておくべきだな……」
その後ろ姿を見送った後、ブレアを含めたアルス達三人(と一体)もまた腰を上げ、早速
根回しを行うべく学院長室へと急ぐ。
「本当にこれで良かったんですか、お嬢?」
キースがそう誰もいないように見える方向へそんな声を投げたのは、そうしてアルス達が
研究棟を後にしてたっぷり数十拍が経ってからだった。
「……何がよ?」
するとひょっこり、その物陰から姿を見せたのはシンシア。
そんな護衛対象の様子を横目で見ながら、キースはゲドと共ににやりと笑いつつ言う。
「何って、そりゃあねぇ。俺達にやらせてることって紛れもなく“恋敵に塩を送る”ような
真似じゃないっスか。もっとお嬢がポイントを稼ぐ手段なんて他にもあったでしょうに」
「なっ、何を言ってるのかしら? わ、わた、私はただ命の危険に晒されている庶民に救い
の手を差し伸べようと──」
「ふぅん……? ま、そういう事にしておきますか」
「はははっ。いやはや、シンシア様もご立派になられた。私どもも嬉しいですぞ!」
「~~ッ」
顔を真っ赤にして、シンシアは何か言いたげにこの従者二人を睨んでいた。
だがここで余計な言葉を発する訳にはいかない。この本心を悟られるのは恥かしい。
故に彼女は、唇をぎゅむっと噛み締めたままじっと煩悶する。
(い、言える訳ないじゃありませんの……。か、彼があんなにしょんぼりしているのが見て
いて辛かったから、なんて……)
尤もこの“バレないように”という彼女の意図は、とうに看破されていたのだが。
「……ホーさん。俺が出てる間のお嬢ですけど」
「うむ分かっておる。シンシア様は私が責任を持って手綱を握っておく。そちらもしっかり
皇子達をサポートしてやってくれ。お主がおらねば使う薬草すら区別が付かぬのだろう?」
「ええ……。宜しく頼んます」
一方でキースは相棒とそんなやり取りをそっと交わし、深く静かに息を吐いた。
関係各所からの許可が下りるにはもう暫く時間が掛かる。そこから出発したとしても、肝
心の解毒剤が完成するのは日没後になるか。
(……これ以上厄介事が起こらなければの話、だけどな……)
もう一度、妙に塞ぐ胸奥の淀みを吐き出すように深呼吸をして。
キースはぼんやりと、ロビーの窓から差し込む日差しを眺めていた。