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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-30.淀む闇に掃う力(て)を
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30-(1) 試練の始まり

 他人を踏み台にして高みに登るのが貴族だというのなら、自分は向いていないと──許さ

れるのならば登りたくないと──アルスは思った。

 どんなに長い夜にも、必ず朝はやって来る。

 その言葉はアルス達に対しても例外ようしゃなく、太陽は再びアウルベルツの街並みを見下ろして

いる。

 ダンの横顔と言の葉に気圧され、自室に帰って一夜。

 正直気が塞いだままの身体を引き摺りつつ、アルスは休日明けの学院生活に戻っていた。

「……」

 しかし、つい先日までのように講義に集中することなど……出来る筈もなかった。

 朝方の講義を二コマ。だがその内容はおそらく半分も頭に入っていない。後で復習したり

相棒エトナに聞き直せばいいのだろうが、果たして帰宅する頃までにこの鬱屈した気分を切り替え

られているかは疑わしい。

(ダンさんや皆は“いつも通り”にって言ってたけど……)

 キャンパスの中をとぼとぼと歩きながら、向けられてくる視線に己の感覚を注いでみる。

 気のせいかもしれない。だが直感が訴える、明らかな変化があった。

 周囲の眼だ。先日の歓迎会以前は「物珍しさ」といった好奇の視線だった彼らが、昨夜の

襲撃事件を経て「咎め」或いは軽い「忌避」に近い視線を送ってきている気がするのだ。

 無理もないな……とアルスは思った。

 ただでさえこの街は、一度“結社”の襲撃を受けている過去がある。

 もし彼らの、あの時の記憶が今回の一件で再び呼び起こされたのなら、自分達を疎む感情

が湧いて来るのは無理からぬことだろう。

 予測していなかった訳ではない。

 しかし、こうして実際に掌を返すような態度を嗅ぎ取れてしまうというのは、決していい

気分ではない。元より帰還から先日までが“浮かされていた”だけだとはいえ……。

「よう。……流石にグロッキーみたいだな」

「おはよう。ニュース観たよ、大変だったみたいだね」

「……うん」

 すると見慣れた姿がこちらに近付いてきた。学友コンビのフィデロとルイスだった。

 既に昨夜の事件は街中──いやもう各地に報道されているらしく、いつも気さくに話し掛

けてくれる二人ですらも流石に最初の一言に躊躇いが見られる。

「言いたくないなら言わなくていいけど、やっぱり“結社”の刺客……なんだよね?」

 そう静かに、慎重に問うてきたのはルイスだった。

 ちらりと、昨夜も今日も傍らに控えてくれているリンファを見遣り、その小さな首肯を確

認すると、アルスはこの友らにゆっくりと頷いてみせた。

 やはりか……。彼らは互いに難しい表情で顔を見合わせている。

 二人がこうして訊いてくる、という事は既に“結社”絡みであるらしいという情報は街の

人々に行き渡っているのだろう。先程までの──いや現在進行形で向けられる視線が宿す色

の変化も、改めて頷ける。

「ヴェルホーク君、フィスター君。少し場所を」

「ん? ああ、そうッスね」

「……とりあえず、中庭にでも」

 アルスが言い出すよりも早く、リンファがそう二人に言い掛けてくれた。

 二人もすぐにその意図を汲み取ってくれ、ちらと行き交う周囲の学院生や出入りの業者ら

の視線からアルスを守るように身体を動かすと、そのまま連れ立って人気の少ない場所へと

移ることにする。

「なんつーか……。ごめんな、どいつもこいつも掌返しやがってよ」

「仕方ないよ。そもそもこの街に戻って来たのだって、殆ど僕の我が侭なんだし」

「……そう自分を責めない方がいい。昨日の晩餐会を滅茶苦茶にしたのは君じゃない、連中

だろう? 何より君が帰って来てくれなかったら、僕らはこうして話をすることすら出来な

かったんだから」

「そーだよ。大事なダチを見捨てられるかっつーの」

「……。ありがとう」

 心遣いが嬉しかった。そして辛くもあった。

 昨夜、ダンに言われた言葉が蘇る。

 悪いのは自分(たち兄弟)の所為じゃない。結社やつらが悪いんだ──。

 だが……そうやって自分を宥めていいのだろうかと、アルスは内心思っていた。

 連中の肩を持つ気は更々ない。だが只「悪人」に全ての責任を丸投げして、果たして善い

ものなのだろうか? そんな尽きない後ろめたさ──罪悪感が何度も胸奥を突付いてくる。

「なぁ、アルス。ところでニュースでやってた“負傷した獣人女性”ってのは……やっぱ」

「うん……ミアさんだよ。僕を庇って、毒の斧に──」

 そしておずっと訊ねてきたフィデロの問いに、その抉りは不意に深くなった。

 気丈にも答えようとして、だけど途中でくしゃっと顔を歪めて、言葉を詰まらせて。

 思わず「あっ」と漏らす相棒に、ルイスは無言の肘鉄を浴びせていた。ぐらっと一瞬だけ

揺れて、フィデロはバツが悪そうに俯いたアルスを見る。

 アルス達三人は周りに誰も来ていない事を確認してから、この友人達に昨夜の詳細を話し

てあげることにした。

 最初はとぎまぎしながらも、穏やかに進んだ晩餐会。

 しかしその平穏をぶち壊した、突然の“結社”の襲撃。

 主犯格とみられる三人の内、一人は射殺された。

 だが残り二人は転移石で逃走、現在も守備隊の追跡から逃げ回っている──。

「そっか。いつもアルスに弁当作ってくれてるねーちゃんがなあ……。道理でお前が凹んで

る筈だよ……」

「それで、彼女は大丈夫なのかい? 毒にやられたと君はさっき言っていたけど」

「うん……。今は病院で処置を受けてる。でも専用の解毒剤がないと治らないみたいで、今

急いで取り寄せて貰っている所」

「……そうか」

 フィデロとルイスは、再び互いの顔を見合わせていた。

 この友が自責の念に苛まれているだろうと予想していても、もっと具体的な仲間の犠牲が

あったとまでは思考が回っていなかったらしい。

「な、なぁに。獣人ってのは頑丈に出来てるんだ。そう簡単にくたばりゃしねぇよ」

「縁起でもないことを……。だがまぁ、少なくとも君が大丈夫であることが何より彼女にと

っての見舞いになる事に間違いはないと思うよ」

「……うん。そう、だね」

 だが、同じく沈んだ顔はしていられないと思ったのだろう。

 二人は口調こそ静と動だったが、そう口々に語ってアルスを励ましてくれた。

 そして陰を持ちながらもふっと微笑んだアルスに、リンファとエトナ、彼の左右に控える

彼女達は何処か良いものを見たと言わんばかりに肩に手を置き、或いは寄り添ってくる。

「……分かっているとは思うが。この話は、無闇に口外しないでくれ」

「アルスの友達だから、話したんだよ?」

「わ、分かってるよ……」「ええ。勿論です」

 日差しは昨日と変わらず注いでいた。

 緑の木々を照らす陽の光。入学当初は穏やかだったそれも、今では徐々に汗ばんでくる程

の熱を──初夏の気配を載せている。

 そうして暫く、中庭で何となく互いに無言のまま立っていると、ふと遠巻きにチャイムが

聞こえてきた。小刻みに奏でる短い音色。五小刻スィクロ前の予鈴だ。

「っと、もうこんな時間か」

「みたいだね。じゃあ行こうか、アルス君」

「? 次の講義、一緒だったっけ?」

 するとはたと顔を上げたフィデロを横目に、ルイスはふっとそれまでの神妙な表情をわざ

と崩すようにして静かに微笑み、言う。

「一緒も何も……次はガイダンスじゃないか。そろそろ、初めての定期試験だろう?」


 一回生全員を対象としたガイダンスは、キャンパス内の大講堂を丸々使って行われる。

 リンファには外の駐輪場で待っていて貰い、アルス達三人(と一体)は同学年の人の波に

交じりながら講堂内へ入った。

 予鈴後ということもあり、室内には既に多くの学院生らが集まっていた。

 これだけの人数──同級生全員が一堂に会するのは入学式以来ではないだろうか?

 アルスはぼんやりとそんな事を思いながら、友人らと最上段の席へと歩いていく。先刻と

同じく、自分を疎む眼が方々から感じられたからだった。最後列座っていれば、少なくとも

ガイダンス中はその憂いは絶てる。

「……」

 その途中、中程の席に見慣れた顔があった。シンシアだ。

 昨夜の一件が気まずかったのだろう。アルスも彼女も互いの存在には気付きながらも、そ

の場では軽く視線で会釈を交わす程度に留まっていた。

「──皆さん、揃いましたね?」

 やがてアルス達一同が席に着いて待っていると、開始のチャイムに寸分狂わぬタイミング

でエマが入ってきた。きびきびとした所作で演壇に立つと、彼女は一度ざっと場の面々を見

渡し、呼び掛けてから静かに眼鏡のブリッジを触る。

「では、早速ガイダンスを始めようと思います。就学の手引きにも定期試験について頁が割

かれているので既に目を通しているとは思いますが。先ずは配布資料を開いて下さい」

 各席には事前に数枚綴じのプリントが用意されていた。

 マイクを通した、よく響くエマの声。アルス達は紙面の内容に目を通しながら、淡々とし

た彼女の言葉に耳を傾ける。

魔導学司校アカデミーでは四半期に一度、定期試験が行われます。内容は主に筆記、論文、実技及び

導力検査の四つです。ですがこれはあくまで年最大頻度であって、講義毎に実施する時期は

各教員の裁量に委ねています」

 コクコクと各々に頷きながら、或いは軽くメモを取りながら学院生らはエマの方を見遣っ

ていた。この点も、既にしおりに書かれている内容をなぞっている。

 以前の記憶を呼び起こしながら、アルスは沈んでいた感情をこの伝達事項へと集中させる

ことで紛らわそうとする。

 ──アカデミーの最大の目的は、後進の魔導師を育成することにある。

 故に学院側が最も力を入れるのは、魔導学司アカデミアの公式免許ライセンスを取得する、その資格試験対策に

他ならない。

 魔導師資格試験が行われるのは瑪瑙節(=八月)と紫晶節(=二月)、毎年夏と冬の半年

スパンというのが通例だ。学院の定期試験は、謂わばその時に備えた模擬試験も兼ねている

と言ってもいい。

 月長節、青珠節、瑠璃節、藍珠節──四季の最終月に設けた試験期間を利用し、各人の習

熟具合を測る。それらの結果を照らし合わせて、来たる資格試験ほんばんに挑戦するか否かを担当教官

と話し合う……そんな運用だ。

 勿論、普段からレポート等の課題を出してよりこまめに力量を測る教員もいる。また資格

試験の日程を優先し、敢えて定期試験に加わる回数を減らしている講義も少なくない。

 エマが「各教員の裁量」と言っているのもこの点である。

 シラバスに事前に記載してある通り、或いは各講義中において、この定期試験という期間

をどう扱うかは近々情報が示されてゆくことだろう。

(……もう三ヶ月になるのか。いや……まだ、なのかな)

 学院に入学して最初の定期試験が近付いている。それは即ち、兄を頼って上京してきたあ

の日から三ヵ月の節目がすぐそこまでやって来ていることを意味する。

 アルスはぼうっと、心持ち遠くなるエマや周囲の物音を眺めながら、今日という日が訪れ

ていることに少なからぬ不思議さを──因縁じみた薄暗さを覚えていた。

 始めは、夢を抱いて上京した一介の学生の筈だった。

 しかしある日“結社”の影と出会い、何度となく刃を交え、やがて故郷で自分達の身体に

流れる血脈を知った。血の故郷に残された因縁を知った。

 争いたくなんてない。

 だけど、既にもう戦いは始まっていて。誰かを犠牲にしなければ終わらせられなくて。

 力が足りないと思った。

 もっと強く為らねば、賢明に為らねば、誰一人守れないのだと思い知らされた。

 そして帰って来た、この梟響の街アウルベルツ──兄や仲間達と共に過ごした土地。

 もう平穏無事が叶わないとは、覚悟をしていたつもりだったのに。

 ……また自分は、大切な人を守れなかった。迷惑ばかりが、負担ばかりに皆に掛かる。

 この三ヶ月は、果たして自分にとって意味のある時間だったのだろうか?

 振り返れば悔恨ばかりだった。もっと、もっと多くを救える道はなかったのかと、叶わぬ

願いばかりが薄暗い背後から足音を鳴らしてくるようで……。

「──皆さんは一回生ですので、資格試験本番にはまだ縁遠いとは思います。ですが早い段

階から自身の力量と社会が求める魔導師像とをしっかりと把握する事は、今後の修業におい

ても大きな意味を持つでしょう。自身をマネージメントすること、これも立派な鍛錬の一つ

であると肝に銘じておいて下さい」

 その間も、エマの説明は続いていた。

 導力検査は日時を分けて全員に実施するが、筆記・論文・実技に関しては講義一つにつき

二百点満点を各教員が自身の裁量で配分するのだという。

 要するに三種を満遍なく試験に課す教員もいれば、特定の種目に特化して測る教員もいる

ということである(エマの話ではむしろ此方の場合の方が多いらしいが)。

「各試験内容については、追って担当教員が発表・掲示をします。聞き漏らしの無いよう、

各自こまめに確認するようにして下さい。……これで説明は以上となります。何か質問があ

る生徒は挙手を。まだ時間がありますで残りは質疑応答とします」

 暫くの淡々とした説明が終わり、やがてエマはそう言ってもう一度面々を見渡した。

 とはいえ、まだ皆が未経験であり且つ彼女が細かく説明をしてくれていたこともあって、

質疑応答自体は軽く数回のやり取りで終了をみる。


「ん~……! よく寝たぁ」

「寝てどうする」

「いいんだよ。肝心の内容は講義中に聞けるんだろ?」

「……居眠りの常習者がよく言うよ」

 講義時間を幾分余らせて、ガイダンスはそのまま閉会となった。

 大講堂からはぞろぞろと同じ一回生の生徒達が散開してゆく。アルス達もまたそんな人の

波に交ざりながら、外で待機してくれていたリンファと合流する。

「……」

 学友二人の何時ものやり取りに、アルスはその傍らを往きながらそっと微笑んでいた。

 落ち込んでばかりでは駄目だ。病院で眠っている彼女の為にも、自分は自分の出来る事を

精一杯やらなくては。

「やぁどうも。昨夜は大変だったッスね」

 そんな時だった。捌けてきた人気の中、ふと見覚えのある人物がこちらに近付いてくるの

が見えたのだ。

「……キースさん」

「お互い様です。どうかなさいましたか?」

 シンシアの護衛役兼お目付け役、そのコンビの片割れ・キース。

 見知らぬ間柄ではなかったが、一人で現れた彼にリンファはサッと心持ちアルスを庇うよ

うにして身を挟んでいた。ルイスとフィデロも、その交わされた言葉の意味をすぐに悟り、

既に唇を結ぶこの友と同様、少なからず浮かない顔つきになる。

「ええ。まぁ……ちょっと」

 それでも一見気さくな、しかし感情の読み辛い表情かおを覗かせると、キースは周囲を気に

しながら控えめな声色で言った。

「皇子、少しお時間を頂いて宜しいですか? 折り入って大事なお話があります」

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