29-(2) 社交デビューの昼
「──はい。これで出来上がりです」
「嗚呼、流石はお嬢様……。とってもお似合いです……」
「当然ね。この私に着こなせない服なんてありませんもの」
一方その頃。エイルフィード家別邸では、シンシアが屋敷のメイド達によってドレスアッ
プを終えようとしていた。
美麗な調度品に囲まれた室内。それらを背景にしても余りある淡翠のパーティードレス。
メイド達が持ち上げていた遮蔽用の布囲いの中から姿を現し、フッと口元に弧を描いてそ
う得意げに言いながら、シンシアはサラリと自身の金髪を掻き上げてみせる。
「気合充分だな。やはり思慕の相手が主役のパーティーともなればめかし込まねばな」
そんな彼女を、人馬型の精霊・カルヴァーキス──カルヴィンは呵々と笑いながら見遣って
いた。
ちなみに普段は屈強な鎧姿の彼も、今日ばかりはヒト型な上半身を黒いスーツ姿へと変え
ている。元より精霊の纏う衣装はそれ自体もまた彼らの一部であるのだ。
「ち、違いますわよ!? こ、これはあくまで貴族のたしなみであって……」
ボッと顔を赤くし、慌てて捲くし立てるシンシア。
そんな様をやはり呵々と笑い、微笑ましく頷いてやっているカルヴィン。
「そ、そういえば。ゲドとキースはどうしたんですの?」
「ん? ああ。あの二人なら少し前に導話しているのを見かけたが……」
「確か旦那様からでしたね。私が取次ぎを致しましたので」
「お父様が? 何かしら……?」
幼少時から貴族社会で生きてきたこともある。
今回の主賓たるアルスとは対照的に、こちらの面々は至ってリラックスしていた。
『──そうか。じゃあ連中はそっちにまだ手は出してないんだな?』
しかし、これに対し別邸へと導話を繋いできた父親の方は、そう安穏とはしていないらしい。
「ええ。まだ……ですね。今は一番世間の注目も集まっている時期ですし、警備も強化され
ていますから」
「大方、今は機を窺っている段階と考える方が自然かと」
シンシアが着替えをしている頃、キースとゲドは雇い主である彼からの導話に応じ、人払
いを済ませた部屋の中でそう静かに警戒心を纏わせた見解を述べていた。
言わずもがな、その対象とは“結社”である。
一度は皇国にて退かせた相手とはいえ、そう簡単に引っ込んだまま終わるとはセドもキース
達も考えてはいなかった。
事実、現在もセカイ開拓の最前線である西方を中心に“結社”が関与していると見られる
テロ事件は断続的に発生している。あの日ジークが宣戦布告したように、自分達の“敵”は
決して滅んだ訳ではないのだ。
「それよりも喫緊なのは、むしろ権力争いの類だと自分は思いますけどね。皇子はお優しい
──いい意味でも悪い意味でも人が良過ぎます。いくら侍従衆やブルートバードが付いてる
とはいえ、この先政治家連中相手にメンタルが持つかどうか……」
『確かにな。だがまぁ、そっちに関しては俺達が直接手を出さずとも先ずはあいつらが踏ん
張ってくれるさ。俺達は外側からのフォローに徹する。あんまり露骨に介入し過ぎりゃあ、
肝心の留学生活が窮屈になっちまうしな」
「……ええ」「承知」
だがセドはそう言って、あくまでアルスらの支援者であることを貫こうとした。
彼は口にこそ出さないが、理不尽な権力争いの渦中にあるのは何も皇子だけの話では
なかろう。
セド──エイルフィード伯自身もまた、トナン争乱後の主導権争いに巻き込まれ、下手に
領地を留守に出来ない事情があるのだと思われる。今回シンシアを名代としたのもそんな
影響の一つである筈だ。
静かな思案顔と不敵な破顔。
対するキースとゲドも、それぞれに頷いて語る彼の方針に従う。
『ま、そういう訳だから、今後も定期報告をよろしく頼むぜ? お前らには負担になるが』
「それは構わないんですが……。いいんですかね? 元々自分達はお嬢の護衛ッスけど?」
『あ~……。まぁそこらの加減はお前らに任せる。あいつの相手は何かと骨が折れるだろ?
母親に似て気が強いしじゃじゃ馬だか──っておい、よせ止め──』
「は、伯爵?」
『……な、何でもない……。とにかく、アルス達の周辺には充分気を付けておいてくれ』
途中、導話の向こうで軽く夫婦の肉体言語があったようだが、話はそれでも一定の方向へ
と結ばれて一先ずのお開きとなった。
ドタバタとした導話の向こうの物音。受話筒を耳に当てたまま苦笑するキース。
それらが収まった後もセドはこほんと咳払いをすると、そう改めて念を押す。
『もしかしたら、もう結社は動き出しているかもしれないしな……』
打ち合わせでは、今回の歓迎会は二部構成になっている。
昼は主にメディア向けに開かれたパフォーマンスと開会の催し、夜はアウルベ伯主催の晩
餐会が開かれる予定だ。
公の場という点ではどちらも同じだが、近隣(ないし遠方から足を運んで来る)諸侯らが
一堂に会する──出席者を貴族階級に絞った場である事を考えれば、アルスにとっての社交
デビューはこの夜の部であると考えていいだろう。
「あっ、来ました! アルス皇子です!」
「只今アルス皇子が到着したようです。一行が乗った馬車がこちらを通り過ぎて行きます」
支度を済ませた後、アウルベ伯が寄越してくれた送迎の馬車に乗り、アルス達一行は会場
である執政館の正門を潜っていた。
案の定、館の周囲にはごった返す既にマスコミや野次馬の姿、人だかり。
アルス達の到着を認めると彼らは次々に映像機を向け、写姿器のストロボを焚いてくる。
「うぅ……。やっぱり凄い人……」
「大丈夫だって。私達もついてるんだから。ほら、笑顔笑顔」
「う、うん……」
そんな外の様子を、アルスはこっそりと窓のカーテンの隙間から窺っていた。
大勢の人々が一心に向けてくる好奇の眼。
自分の意思とは無関係に、ガチガチガタガタと緊張し、震える心と体。
それでも相棒や同乗する仲間達に励まされて、アルスはごくりと大きく息を呑みつつも腰
を浮かせる。
「道なりにお進み下さい。伯爵様がお待ちです」
やがて黒い礼装に身を包んだ係員によって、馬車のドアが開けられた。
右にはリンファ、左にはイセルナ。
護衛のツートップを従える──実際の所は逆で、二人に言葉なく励まされ促されていたの
だが──形で、アルスはトンと足元に敷かれた赤絨毯の道の上に降り立つ。
同時に一層強くなるのは、マスコミが放つストロボの光。
沸き立つのは、見物人や既に会場入りしていた諸侯達からの歓声であり、礼を取る所作。
(……向こうでも思ってたことだけど、大袈裟だよなぁ)
そんな皆の畏まりぶりにアルスは思わず立ち止まりかけ、内心苦笑を禁じ得なかった。
チグハグ感なのだ。
確かに血筋はトナンの皇子ではある。だが、かといって自分が何かをした訳でもない。
強いていえば皇国の内乱終結に関わったことなのだろうが、アルス自身としては仲間達の
力添えがあったからこそ成し得たものだと思っていた。
……何よりも、本当にもっと望ましい──母とアズサ皇が和解できるような解決ができな
かったのか? そんな自責の念を伴った自問が少なからず今も胸の中には燻っていた。
「殿下、ようこそおいで下さいました。私がこの街の領主、ルシアン・ヴェルドット・アウ
ルベルで御座います。……そして、お久しぶりです」
そして進んでいった赤絨毯の先、館の庭先に彼はいた。
若き領主・アウルベ伯。この街を治めるアトスの諸侯の一人であり、かつて“結社”に街
を襲撃された際、当初自分や兄を追い出そうとしていた人物だ。
しかし実際に顔を合わせたアルスの目は、彼はそんな“憎き相手”には映らなかった。
片手を胸に当て、深々と頭を垂れる。貴族にとって謁見に次ぐ最上級の礼。
何よりも今の彼には、あの時のように保身に汲々としていた様子が見られない。
それはまるで毒素を抜かれた後のような……そんな、何処か清々しい印象すら受ける。
「何よりも先ずはお詫びを申し上げたい。この街が襲われたあの日、貴方がた兄弟は身を挺
して領民達を守って下さいました。何よりも、狭く凝り固まった臆病者をあそこから引き摺り
出してくれた……。改めて執政館一同を代表し、感謝を申し上げます」
「い、いいえ……。僕達こそごめんなさい。兄さ──兄が伯爵さまに暴言を吐いたあれは、
こちらも全くの想定外でしたから……」
アウルベ伯ルシアンのそんな言葉に、アルスは思わず恐縮となった。
既にあの一件の後、伯爵家から謝辞と侘びを伝える使者が訪ねて来ている。
だが当時ルシアン本人が望んでいた直接の対面は、既にジーク達がトナンに向けて出発し
てしまっていた為に現在に至るまで実現をみていない。
故に彼は、代わりにその弟である自分に侘びているのだろう。そうアルスは思った。
暫くの間、二人の間で頭の下げ合いが続いていた。
肩書きの上では皇爵と伯爵──身分は大きく差がある。
だがそれでも、周囲の面々が眉根を上げる瞬間こそあれ、何処か微笑ましくその様を見つ
めていたのは、アルスという皇子が「謙虚」な人柄であることを多かれ少なかれ知りえてい
たからに他ならない。
「えぇと……とりあえず頭を上げて下さい。もう済んだ事ですから。兄もきっと気にしてい
ないと思います。きっと、今の伯爵さまを見たら微笑ってくれると思いますよ?」
あくまで一人の人間として。
ややあってアルスは、フッと微笑むとルシアンにその手を差し出した。
「だから、あの件はもうお相子です。これからは、この街に──皆と居させてくれる貴方に
僕が感謝する番です。……この先もどうか宜しくお願いします」
「……こちらこそ。そしてお帰りなさいませ。殿下のご留学は、我々が責任を持ってサポー
トさせて頂く所存です」
向けられる微笑み。返される微笑み。
次の瞬間、二人の掌は確かにがっちりと組み交わされた。
また一層、焚かれるストロボの光が連続する。人々の歓声や拍手がわぁっと折り重なる。
リンファやイヨ、イセルナ達が肩越しに向けた視線の先で満足気に頷いていた。そして屋
敷のスタッフによって、この場に姿を見せていた諸侯らが二人を中心として集まり出す。
マスコミへのサービスだった。彼らにとっての良き「画」演出の為なのだろう。
事実、記者達は待っていましたと言わんばかりに写姿器のスイッチを押し、更に少しでも
皇子の生の言葉を録ろう押し寄せてきた。
「アルス皇子。これはアウルベ伯との和解、ということで宜しいのでしょうか?」
「皇子。今後の留学生活に関して抱負はございますか?」
「兄君であるジーク皇子は未だに出奔したままですが、皇子は既に何か連絡手段を……?」
「あ、はい。え、ええっと……」
向けられるマイクと質問が、怒涛の嵐となってアルスに吹き付けていた。
予めこうなる事は予想はしていた。想定問答集まで作って貰って車中で頭に叩き込んで来
た筈だった。しかしまだまだ経験が足りないのか、いざ目前に取材攻勢が迫ってきて、つい
アルスは気圧されるようにして口篭ってしまう。
(アルス様)
すると、ポンと自分を軽く叩くリンファやイセルナ、傍らに漂うエトナといった仲間達の
姿が左右の視界に映った。
「……」
ただ呼び掛けてきただけ。だがそれだけで充分だった。
──大丈夫。落ち着いて? 私達がついているから。
きっと、そんなメッセージ。
そうした眼差しが、伝わってくる感触が、温かくってこそばゆくて……嬉しくて。
「……学院では、引き続き専攻分野の魔導を学びたいと思っています。困っている人達の助
けになれるような、そんな魔導師になりたいです。それと、兄のことですが──」
ちらりと仲間達を見遣り、自然と解れてくる緊張。
アルスは一度静かに呼吸を整えると、記者達の質問にできる限り丁寧に答え始めていた。
勿論イヨから渡されたメモ通り、政治的なファクターは遠回しに。
特に兄達の件については具体的な情報を出すことはせず、あくまで実の弟としての言葉に
留めて。
「──ですので、皆さんには見守っていて欲しいんです。大丈夫……兄さんはきっと、また
この街に戻って来てくれると僕は信じています」
かくして歓迎会──もといアルスの社交デビューは、その幕を開いたのだった。