29-(1) 想いのカタチ
最後にこの衣装に袖を通したのは、確かまだ皇国に留まっていた頃、共同軍の面々との
食事会──アウルベルツに戻る前の壮行会だったか。
やって来た歓迎会当日。
その朝、アルスは宿舎内の一室にて侍従らに囲まれながら礼装を着付けて貰っていた。
(やっぱり、この格好になると緊張しちゃうなぁ……)
ゆったりとしたローブタイプの着物。両肩に引っ掛けられた美麗な刺繍の袖なし上衣。
だが当のアルスの意識の中では、既にこのハレの衣装はイコール緊張という図式が出来上
がりつつあった。
ヤクラン自体は母やリンファなどの近しい人間がよく着ているため、見慣れてはいる。
だがいざ自分が着る時は、皇国でも大抵が大人数の視線を浴びる場への出席とセットだった。
故に尚の事この装いに厳粛さを覚えてしまうのだろう。
そして今日の歓迎会出席──形式上、皇子としての初公務はそんな感触を一層強くするも
のとなるに違いない。
「はい出来ました。もう動かれて大丈夫ですよ」
「あ、はい……。ありがとうございます」
思わず堪えるように苦笑。
アルスはそう背中をポンと撫でて声を掛けてくれた侍従に振り返ると、すっかり煌びやか
な装いに変わった自身の袖や裾をためすがめつ。おずっと触れては、寄せては返す緊張感を
じっと宥めているかのようにも見える。
「……? ねぇそのヤクラン、この前着てたのよりも小さくない?」
「え? ……ホントだ。言われてみると」
そんな中、傍らでふよふよと浮かんでいたエトナがアルスの纏う衣装を見つめて言った。
確かに今回は袖丈も自身の体格に合っているし、前回までに比べると着られている感じは
だいぶ抑えられている気がする。
「その事でしたら。今回は一回り小さいサイズを用意させて頂きましたので。前回の壮行会
の時点では、まだアルス様の正確な採寸が済んでいませんでしたからね」
「ただホウ副長から『アルス様は普段ローブの類を好んで着ている』とお聞きしています。
ですので、今回も引き続きローブタイプを用意させて頂きました」
「そうでしたか……。細々とした所までありがとうございます」
「いえいえ~。アルス様のお世話が私達の仕事ですから」
「それに、アルス様は線が細くいらっしゃいますからね。身体がはっきり出るよりも、こう
したゆったりと覆うタイプの装いの方が周りから見ても威光が出ましょう」
「あ、ははは……」
そして今度は二重の意味で苦笑して。
アルスは、にこやかに応えてくれる侍従達に思わず恐縮となった。
はたと気付けば、つい自身の思考の中に囚われてしまう自分。
それでも──皇子というこの身分、それに仕える立場といった側面もあるのだろうが──
変わらず様々に配慮を向けてくれる周囲の仲間達。
だがそんな存在を、気遣いを作ってしまうことに、アルスはホッとする心地良さと同時に
申し訳なさを覚えてならなかった。
──兄のように、強くて逞しい漢に為りたい。
そう憧れていても自分という体は華奢で、心は打たれ弱くて。理想には程遠くて。
恨み節……という訳ではない。ただ自分の非力さが胸を冷たく締め付け、情けなかった。
「アルス様。お召し物は済みましたでしょうか?」
そうしていると、部屋の外からイヨの声が聞こえてきた。
いけない……また悪い癖が出そうになっていた。
自分は自分のできることに集中しなければ。それがきっと、皆へ報いることにもなる。
「はい。ちょうど今一通り……」
彼女の声でハッとなって影の差した気持ちを振り払い、小さく頭を振ると、アルスはそう
応えて侍従の一人に目配せをした。こくりと、傍に控えていた彼女は身を返すとドアの鍵を
開けてくれる。
顔を出してきたのは、白のヤクランに身を包み直したイヨだけではなかった。
護衛役のリンファ──ちなみに彼女は普段からズボンタイプのヤクランを着ている──は
勿論、イセルナやハロルド、レナにミアと今回クラン側の代表として共に出席する面子も、
既に身支度──もとい思い思いのお洒落をして準備完了であるらしい。
「準備できた?」
「ふむ……その姿は向こうでの壮行会以来か。何度見ても異国情緒溢れるね」
「ふわ~。あれ? 何か前よりサイズ小さくなってません?」
「あ、うん。今回はアルスの体格に合ったのを用意してくれたんだってさ」
部屋の入口付近で、イセルナ達はエトナや数名の侍従らと話し込み始める。
ズボンのレディーススーツなイセルナに黒衣礼服のハロルド、フリルのドレス姿なレナ。
「……」
そしてそんな面々からは心持ち距離を置き、紺のミリタリーコート姿なミアは何故か皆と
は視線を逸らすようにして立っていた。
一体、どうしたんだろう?
そうアルスはふと疑問に思い、
「……ミアさん?」
「ッ!?」
何気なく近寄って声を掛けてみる。
「どうかしたんですか? 何だか気難しそうな表情してますけど……」
「べ、別に……何も……」
「ふふっ。もう、ミアちゃんったら照れ屋さんなんだから。気にしてるんだよね? ちゃん
と似合ってるかどうか、何よりアルス君に顔見せできるかどうか」
すると耳聡く横に立ってきたレナのそんな言葉に、ミアはぼんっと顔を赤くして俯いてし
まっていた。
「だって……ボクじゃあレナみたいな服は似合わないし、持って……ないし。こんな格好で
パーティーに出てもいいのかなって……」
「大丈夫だと思いますよ? 似合ってますし。何時もみたいにカッコイイミアさんじゃない
ですか。ホント羨ましいです。僕の体格だとミアさんや兄さんみたいな格好をしても“着ら
れちゃう”ので……」
しかし対するアルスは、頭に疑問符。はてと小首を傾げて目をぱちくり。
何故自分が引き合いに? そう無言の疑問符を浮かべながらも、ごくごく自然に答える。
「……アルスは、こういうのがいいの?」
「はい。兄さんみたいに、カッコイイ漢になりたいなぁって。ずっと」
「ま、果てしなく遠い理想だけどねぇ~」
「ぬぅ……。こ、これでも気にしてるんだからそこはスルーしててよ……」
頬を赤くしたままのミアに、アルスは一度傍らでにやっと笑うエトナにツッコミを入れて
から、あははと苦笑いを含んだ微笑みを。
以前から思っていた事でもあった。
強くてカッコイイ。それは兄だけでなく、その戦友たる彼女にもまた同じ雰囲気があるの
ではないかと。
「それに顔見せ──気後れなんてしなくて大丈夫です。むしろ僕の方が緊張でガチガチです
から……。ミアさんみたいによく知った人がついて来てくれるだけでも僕は心安いですし、
嬉しいですよ?」
「……。そう……」
だからアルスは嘘偽りなく語っていた。
気後れする事なんてない。今までもずっと支え、助けて貰った貴女達に礼を言っても言い
足りないのは自分の方なのだから。
ミアは少し驚いた様子だったが、やがてまた頬の朱を濃くして俯き加減になってしまう。
そんな友人にレナは「ね? 大丈夫だったでしょ?」と優しく声を掛けている。
「えっと、アルス様? 宜しい……でしょうか」
「あ、はい。すみません。何ですか?」
すると今度はそれまでの様子を傍観していたのか、ようやくタイミングを計れたといった
感じでイヨが進み出てきた。傍にはこの猫娘・鳥娘のやり取りを微笑ましく横目にしている
リンファの姿もある。
「これをお渡ししておこうと……。本来はもっと早い段階に編集してお渡しするすべきだっ
たのですが、如何せん想定されるケースが多く手間取ってしまいまして……」
「……? 想定? ケース?」
彼女から差しだれたのは、一枚のレポート紙。
その紙面にはみっちりと『○○の場合→△△』といった形式で箇条書きされたメモが記さ
れていた。
「これって……」
「想定問答集、のつもりです。あまり時間がありませんが、会場に着く前にできるだけ目を
通しておいて下さればと……」
「勿論アルス様のフォローは私達が行うつもりですが、今日を皮切りにこうした場は方々に
増えてゆきます。ですので、早い内にアルス様にも皇国関係者としての指針を
頭の片隅に置いて貰いたいのですよ」
「……なるほど」
要するに、マスコミ対策という訳か。
リンファが言うように、確かに今までは周りの皆の制止によって彼らに言質を取られる
ような状況にはなっていない。だがそれも何時まで続くか分かったものではないだろう。
「えっと、でも、僕の言葉で喋るのは駄目なんでしょうか? その、嘘はあんまり……」
「お気持ちは承知しているつもりです。特に大事にならない、先程のメモにないような事で
あれば、アルス様ご自身の意思で語られて結構ではと存じます」
「ですが、そちらに書いてあるような政治的質問に対しては関係者に与える影響力がどうし
ても大きくなってしまいます。陛下や本国の皆々の為にも、ご理解のほどを」
正直、あまり気は進まなかった。
学院生(魔導師見習い)という肩書きも相まって、言葉のチカラというものにはアルス自
身、自分なりの──誠を込めたものであるべきという──拘りがある。上っ面だけでは、誰
かを本当の意味では動かせない。
「……分かりました。気を付けておきます」
だが、リンファに母やトナンの人々を遠回しに示され、アルスは諾と頷く他なかった。
これが政治の駆け引きというもの。皇子たる重責──。
アルスは手にしたメモにじっと目を落とし、再び胸の奥底からこちらを覗いてくる不安達
の影に静かに眉を顰める。
「──いよいよ、だな」
そんな、アルス以下団員や侍従達の様子を微笑ましく眺めるイセルナに、はたと掛けられ
た声があった。
ちらと彼女が視線を遣る。するとドアを挟んで部屋の外側の壁に、ダンがいつの間にかも
たれ掛かっていた。反対側にはシフォンも一緒だ。
「お前らの事だから大丈夫だとは思うが……。イセルナ、アルスのことこまめに支えてやれ
よ? あいつも兄貴と一緒で、自分を抑えて無理しちまうタイプだからな」
「……分かってる。だから放っておけないのよね?」
ふふっとイセルナは笑い、ダンは静かに口角を吊り上げて半眼を。
数拍の間を置いた後、ダンは再びシフォンと目配せを交わしながら言う。
「留守の間のホームは俺とシフォンで回しとく。守備隊もいるから手が足りねぇってことは
ないだろう」
「存分にパーティーを楽しんでくるといいよ。……アルス君に擦り寄って来るであろう連中
のチェックをしながら、ね」
途中ハロルドやリンファからの視線も合流し、彼女達クラン創立メンバーらは互いに密か
に頷き合っていた。
(……アルス君は変わる)
雇われの護衛役達。
(私達も、変わらないといけないのかもしれないわね……)
そんな形式だけじゃなく、大切な仲間。その為に力を尽くしたくて。