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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-28.天には嘆きを、地には種火を
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28-(4) もう一度、此処から

 断続的に重なり合う金槌や鋸の音が耳に届いてくる。

 ここは皇都トナン。つい半月ほど前まで、二十年近くに及ぶ内戦の戦禍なげきを抱え続けてきた

この国の首都だ。

 だがその長きに渡った争乱も、此度遂に(一応の)終結をみることなった。

 他ならぬ、先皇の遺された血脈とその仲間達によって。

「…………」

 今、この国は復興に向けて動き始めている。

 都の外れに位置している此処スラム街からでも、断続的に金槌や鋸の音が聞こえてくる。

 彼らは建て直している。戦火に巻き込まれた街並みを再び。

 そして、何もそれは家屋という物理的なものばかりではない。

 手を取り合うこと。

 以前より付き合いのあった者同士は勿論、かつて先皇派や現皇派という派閥に分かれて諍

いを繰り返していた領民らも、少しずつだが共に手を取り合い、皇都──皇国の復興を目指

しているように思える。

 だが──。

 御婆ナダは一人、自宅のあばら家の軒先に腰掛けながら目を細める。

 それはあくまで“当面の共通項”である筈だ。

 何時になるかは分からない。

 しかしこの国がかつての活気を取り戻した時、再び人々は争いを繰り返してしまうのでは

ないか? そんな懸念──確信に近い嘆息が己の胸の奥から頭をもたげ、こちらをじっと見

つめている気がする。

(まぁ野暮、なのだろうけどね……)

 それでも彼女は、そんな自身の未来への不安を誰かに漏らすことはしなかった。

 束の間の平和であっても。これが単に“争いの目立たない時節”でしかないとしても。

 今、この国の人々には希望がある。アズサ皇の苛烈な為政から解き放たれ、今この時を手

を取り合って進めばきっと新しい国が作れる──。

 そんな希望の火に水を差すのは、何のプラスにもなりはしないのだから。

 でも……それでも。

 滅びや衰退の瞬間ときを想起し、密かに怯えてしまうのは、やはり……。

「お、御婆!」

「御婆、居ますか!?」

 見知った顔のスラムの住人が数人、はたと彼女の家に駆け込んできたのは、ちょうどそん

な時だった。

 若い者を数人引き連れた中年の男。時折自分が医師として仕事をする際、力仕事を手伝っ

て貰っている面子の一人だ。

「……居るよ。そんなに慌ててどうしたんだい?」

 彼らは大層狼狽した様子だった。

 軒先の椅子に座っていた彼女を認めると、彼らは息を荒げて駆けつけ、ぜぇぜぇと肝心の

語る事もできずに激しく肩で息をするばかりになっている。

「ととと、とにかくた、大変なんだよ!」

「お、おおぉ……おっ」

「落ち着きな。そんなんじゃ何を言ってるか──」

「御婆さま」

 だが、その理由を彼女もすぐに知ることになる。

 彼らの背後から飛んできた声に、彼女はハッとした表情かおになっていた。

 それは驚愕の類。見開いた瞳が揺らぎ、一足先に伝えようとやって来た彼らと共に彼女は

ゆっくりとその声の主に視線を向ける。

「お久しぶりです。……此処におられたのですね」

 そこに立っていたのは。

 護衛の兵士や従者らを引き連れた、新女皇・シノその人で。


「陛、下……?」

「なんで。何で陛下がこんな所に……」

 次の瞬間、場にどよめいたのは動揺。

 彼女へ伝えに走ってきた先の彼らは勿論、異変に気付いて方々から顔を出してきたスラム

の住人達は皆口々に呟き、驚きを隠せないでいる。

「……何の用だい? ここはお姫様が来るような場所じゃあないよ」

 だが唯一、当の御婆当人だけは変わらず冷静を保っているように見えた。

 いや……違う。拒絶だった。

 彼女はちらとシノ一行を一瞥しただけですぐにその視線を逸らし、再び遠くの復興の音に

身を預けて始めている。

「随分と自虐的じゃないですか。御婆──いや、ナダ・カシワギ元王宮医務長殿」

 しかし想定の範囲内だったのか、一行はそんな彼女のつっけんどんな態度にも動じない。

 代わりに、先程よりも一層大きくどよめいたのは、他ならぬスラム街の人々だった。

「な、なんで御婆の名前を」

「いや、それよりあんた。さっき王宮医務長って……」

「そうだ。この方は、カシワギ医務長。先々代より王宮に仕えてくれていた医務官だ」

 詰め寄ってくる声と姿に、同行者の一人でもあったサジが再び伝えるように答えた。

 ぐらぐらと、瞳が揺れ動く。

 住人達が酷く戸惑ったように、シノ一行と御婆──ナダを何度も交互も見比べている。

「御婆……」

「本当、なのか? 宮仕えしてたのか?」

「……ああ。もう何十年も前の話だけどね。今はこの通り、落ちぶれた藪医者さ」

 そして今度は此方へおずおずと問いを投げ掛けてくる彼らに、当のナダは深く息をついて

から答えていた。

 だが、その様子は明らかに渋面。

 小さな丸テーブルの上に肩肘を置き、まるで「余計な事を喋りおって」とでも言わんばか

りにサジへと白眼視を遣る。

「それで? 今更この老いぼれに何の用だい? シノ様もあんた達も、今はこんな所で油を

売っている時じゃないだろう」

「大丈夫です。皆さんの事を、信じていますから」

 今度はシノ自身が口を開く番だった。

 実質上の新しい皇。その当人がこんな場所まで足を運んできた事実に、彼女がざりっと土

の地面を一歩踏み出しただけで、住人達はすっかり畏まり萎縮してしまっている。

「今日訪ねたのは他でもありません。……御婆さま。王宮に戻って来て下さいませんか?」

 お願いします。

 すると次の瞬間、シノは何の躊躇もなく深く頭を下げていた。

 益々驚いたのは住人達の方だ。

 既に政務の場で腰の低い彼女を見てきたこともあってか、随行していたサジら面々はさほ

ど狼狽の色を見せなかったが、王がいち元臣下に頭を下げて頼み事をするなど、庶民からす

れば常識をひっくり返すような行動だったのである。

「……。嫌だね」

「ちょっ!?」「御婆!?」

 しかしナダは、たっぷりと間を置いてから拒んだ。

 王直々の懇願を断るなんて。

 住人達は焦ったように彼女を窘めようとしたが、彼女はシノ達から視線を逸らしてそっぽ

を向いた体勢のまま、ぼんやりと中空を眺めていた。

「大方、アズサ殿が死んで旗色が悪くなった連中が逃げていってるって所か。それであたし

達昔の官吏を呼び戻して人材不足を補おうとしている。……違うかい?」

「……流石ですね。その通りです」

「はん。それぐらい、今の状況を見渡してみれば猿でも分かるよ」

 見破られていた。

 官吏の何人かが不利になるとみてか、シノに今日は引き下がろうとの耳打ちをしたようだ

ったが、彼女はその申し出を退けた。

 幼い頃を知っているからか。或いは元々の歯に衣着せぬ物言いであるからか。

 相手がこの国を治める皇であっても、ナダの返す言葉は少なからず挑発的に思えた。

「勿論、新しく登用する準備も始めています。ですが彼らだけでは政務を満足に──国の皆

さんの暮らしを支えるには不十分です。すぐには間に合いません。だからこそ、私はかつて

両親や祖父母と共にこの国を支えてくれた御婆さま達の行方を調べて貰い、こうしてお願い

をして回っているんです」

 それでもシノは気分を害する様子はなかった。

 傍目から見れば、王に喧嘩腰で話している不届き者の老婆と映るのかもしれない。

「……正直、凄くホッとしているんですよ?」

 しかし当の女皇は──かつての皇女は、そんな風には思っていないらしい。

「あの日以来、行方知れずになってしまった王宮の方も少なくないのですけど、貴女は生き

ていた。生き延びていてくれた。それが、嬉しくて……」

 矍鑠かくしゃくとした老練の分析眼も、誰であろうとも歯に衣着せぬ強い意思も。

 全てが、懐かしかった。

 皇女として、一人の少女として、かつて同じ屋根の下で暮らした“家族”の無事を直に確

認することができて嬉しくて。

 微笑みを零しながらも、この新米女皇は潤んでくる両の瞳をそっと指で拭っている。

「…………。何でさね」

 変化は、そんな最中のことだった。

 それまで無愛想にそっぽを向いていたままのナダが、突如ギリッと歯を食い縛る様子が見

て取れたからだ。

「てっきりあたしは、貴女に恨まれていたとばかり思っとったのに」

「? 御婆、さま……?」

「……戻る訳にはいかないんだよ。あたしは、逃げたんだ。あの日、ご夫妻──アカネ様と

シュウエイ様がアズサ様の軍勢に殺されると分かっていながら、わたしは逃げたんだよ?」

 シノが驚きで目を見開いている。

 ゆっくりと、ナダが肩越しに彼らを見遣る。

「あの方達は分かっていた。あの方達は自分達が殺されると分かっていたんだ……。あたし

だって、アズサ様の不穏に気付いてなかった訳じゃない。なのに、なのにお二人はその事を

打ち明けられるとあたしを逃がそうとしたんだよ。『御婆は逃げて下さい』『皆を連れて、

できるだけ僕達以外に犠牲者が出ないように』ってね……」

 それは告白だった。

 住人達も、サジ達も、そしてシノも少なからぬ驚きで言葉を失う。

「勿論、最初は拒否したよ。医者として、一人の人間として、死ぬと分かっている主君達を

みすみす見殺しになんてできないってね」

「……」

「でも、お二人は譲らなかった。生きてくれとあたしに言って……結局、あたしは逃げた。

命令に従ったんじゃない。逃げたんだよ……。自分の、我が身の可愛さでね……!」

 バンッと、彼女はテーブルを力いっぱい叩いていた。

 老年でやせ細った顔や歯がぶるぶると震えている。最後の言葉辺りは、思わずほぼ叫び声

なっていた。

王宮あそこに戻る資格なんて無い! あたしは、陛下達を見捨てたんだっ!」

 辺りの空気がビリビリと震えるようだった。

 皆が大きく目を見開いたまま、言葉が出なかった。

 罪の告白だった。それは長年彼女が閉じ込めてきた、苛烈なまでの後悔だった。

 住人達は互いの顔を見合わせていた。

 戸惑い。だが同時に急速に彼らの中に広がっていくのは、ある種の納得でもあった。

 普段──此処の住人の多くがそうとはいえ──彼女が厭世的であったなのは、そんな過去

を隠していた為だったのだと。

「……、ですが、貴女は辞めなかった。医師という仕事を」

「──ッ!?」

 しかし沈黙を破ったのは、サジのそんな言葉だった。

 隣で我が事のように胸を痛め、今にも泣き出しそうに顔を顰めていた主君シノに一度視線を

遣って頷き、再び目を逸らそうとしていたナダに彼は語りかける。

「それ、は……ヒトの健康に関わる仕事なら食いっぱぐれやしないから──」

「いいえ、違う。ナダ殿……貴女は贖罪のつもりだったのではありませんか? 逃げ延びた

先がスラムここだったことも、此処で自称藪医者を続けたのも。あのクーデターの日に助けら

れなかった、先代御夫妻への償いであったのではありませんか?」

「……違」

「貴女だけではないのですよ。悔やんだのは、私達近衛隊一同も同様です。故に私は一時、

レジタンスまで組織してアズサ皇に“弔い合戦”を挑んでいた」

 シノが、何処か申し訳なさそうな表情をしていた。

 それでもサジは語ることを止めなかった。ギュッと、握り締めた拳に無意識に力が入る。

「……ですが、違ったのですよ。我々が陛下達より託されていたのは、杓子定規な忠義じゃ

ない。自分達がいなくなった後でも、領民達が安心して暮らせる──そんな世の中だったの

だと今では思っています。だから私は、内乱の片棒を担いだ者として後ろ指を差されようと

も此処に残る決意をしています。……きっと、生きている限りはまたやり直すことはできる

と思うのです」

「……。キサラ──」

 ぼふっと、はたとナダを包み込む感触が全身を伝わったのは、ちょうどそんな時だった。

 今度はナダが目を見開いている。突然自分を抱き寄せてきたのは──シノだった。

「隊長さんの仰る通りです。御婆さま」

 ふわっと心地よい匂いがする。シノは何回りも年上の老婆をしっかりと抱擁して呟く。

「私は、恨んでいません。御婆さまを恨むなんて筋違いじゃないですか。……もう、あの争

いは終わったんです。だからもう貴女も、あの日々に囚われないで」

「……ですが、私、は……」

「いいんです。貴女はあの頃から変わっていない。厳しくも優しい、私たち皆のお医者さん

のままです。……ご存知ですか? 私が亡命先サンフェルノで魔導医をしていたのも、全部御婆さまが

いたからなんですよ? 身分に関わりなく、生命を守る──。その強くて気高い姿に、私は

幼い頃からずっと憧れていたんです。だから逃亡生活の途中で取った最初の専門免許スキルドライセンス

医薬師ドクター』でした」

 ハッと、ナダが彼女の腕の中で目を見開き、頬に涙を伝わらせているのが分かった。

「……ずっと、御婆さまは此処の皆さんの生命を守ってきたんじゃないんですか? それも

私は凄く素晴らしいことだと思います。……資格がないなんて、言わないで下さい」

 きゅっと、抱き締められたシノの背中に触れ返す。もう涙を堪えることはできなかった。

 暫く、ナダはボロボロと泣いていた。

 長年の罪悪感から解放されたからなのだろう。親子以上の歳の差がある二人は、抱き合っ

た体勢のまま、ゆっくりと互いのココロの距離を埋め直しているかのようだった。

「──御婆」

 やがて、そんな二人に──いやナダに向かって一人のスラム住人の男性が進み出た。

 もう一度、確認するように了承を取るように他の皆の首肯を見遣った後で、彼はそっと彼

女達の屈む位置まで自身も片膝をつき、目線を合わせてから言う。

「王宮に戻りなよ。もう、突っ撥ねる理由なんてねぇだろ?」

「……。だけど、あんた達は……」

「大丈夫。俺達なら心配ないって」

「今までも手を取り合ってやって来たんです。これからも皆で乗り越えてみせますから」

「つーか、陛下直々の頼みを断っちまったら女傑族アマゾネスの名に傷が付かぁ」

「……だからさ、御婆は王宮で存分に陛下を支えてあげてくれよ。それがひいては俺達や国

の皆の安心安全になるんなら、こりゃあもう送り出すしかねぇじゃん。なあ?」

 おうよ! 青年住人の声に皆の快諾が重なっていた。

 ポカンと、ナダはシノを抱き締めたままそんなスラム街の仲間達を見遣り……そして彼ら

の激励の意図を悟ったらしい。

「……分かったよ。戻るさ、戻りゃあいいんだろう?」

 ナダは苦笑していた。何時もの憎まれ口な口調が戻り始めていた。

 だが、そこに自らを閉じ込めた悔恨は、もう殆ど見られない。今は九分九厘の照れ隠しだ

けがそこにはあった。

「御婆さま」「御婆殿……」

「負けたよ、シノ様──いや、陛下。それにキサラギも。こんな老いぼれの藪医者でいいん

なら、もう一度だけ御奉公をしてみようかねぇ」

 シノはサジ達一行と顔を見合わせ、満面の笑みを咲かせた。

 ナダもフッと口角を吊り上げて静かに、そんな美しく成長した姫君に微笑みを返す。


 もう一度。此処からやり直す為に。

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