28-(2) 皇子の復学
学院側も、長引かせるのは拙いと考えていたのかもしれない。
アルスの学院への復学──留学という表向きのアウルベルツへの帰還目的は、リカルドが
訪ねてきた夜から三日ほど経ったのちに果たされることとなった。
復学初日。アルスとエトナは護衛役のリンファ、そして一時彼女の代わりに自分達の学院
生活を見守ってくれていたシフォン、二人の仲間を伴ってその入口正門をくぐっていた。
「来ました! アルス皇子です!」
「皇子様~ぁ!」「レノヴィン君~っ!」「こっち向いて~!」
予想通りというべきか、最初に待ち構えていたのは……人だかり。
既に正門すぐの広場内はマスコミや野次馬よろしく集まる学院生らでごった返していた。
一挙に焚かれる写姿器のストロボの光。主に女生徒達からの黄色い声。そうした面々を含
めた諸々の、少なからぬ好奇の視線。
やはりかとアルスは驚き、そして内心げんなりしていたが、それでもここで立ち止まって
いては本当の“帰還”は果たせないと思った。
相棒は勿論、リンファやシフォン、この混乱を御する為に遣られたとみえる学院側の警備員
に守備隊の兵士達。彼らに囲まれ守られるようにして、アルスは再びその一歩を踏み出してゆく。
「皇子、復学おめでとうございます。今の心境は如何ですか?」
「あ、はい……。正直を言うとホッとしてます。またこの街で魔導を学んだり、友達と一緒
にご飯食べたり……。そういうことができなくなるのかなって思ってましたから」
「それが叶った訳ですね。それはやはり、シノ皇の力添えが──」
「あ~、ちょっとすみませんね」
「申し訳ない。急いでいるので。ただ、復学という言葉を貴方がたにもしっかりと咀嚼して
貰えればこちらとしても幸いです。……取材等のアポなら先ず我々侍従衆が受け取ります。
宜しいですね?」
その間にもマスコミはわぁっと駆け寄り、アルスも拙いながらもできる限りその声に応え
ようとしていた。だが記者の政治色を帯びた質問が飛ぼうとした瞬間、アルスを護るように
遮るように、シフォンやリンファがその身を捻じ込ませる。
にこやかに。だが目が全く笑っていない妖精族の弓使い。
生真面目に。言葉こそ丁寧でも、静かな迫力で相手に否を言わせぬ女傑族の女剣士。
抜け駆けのように情報を引き出そうとした薄毛の記者は、そんな二人に加え、背後で揉み
くちゃになっている同業者らからも睨まれ、降参したようにすごすごと身を引いていった。
その隙を縫うようにして、アルスはようやく彼女達に促されて最初の人ごみを抜けることに
成功する。
「……分かってはいたけど、飽きもせず随分な歓迎ぶりだよねぇ」
「そうだね……。これで本当に学院生活に戻れるのかなぁ……? 僕はともかく、学院の皆
さんに迷惑を掛けてばかりになっちゃうのはなあ……」
「……。気に病む必要はないよ。時間が経てば彼らも飽きるさ」
まだ好奇の視線が方々より飛んで来てはいたが、マスコミの群れはもう追っては来ないよ
うだった。
振り向く余裕がなかったが、背後から警備係の者達の奮闘ぶりが聞こえていたので、おそ
らくは彼らが存分に働きをしてくれたのだろうと思う。
「確かにいつかはほとぼりも冷めるでしょうけど。……いつになる事やら」
「そもそも学院に着くまでにもじろじろ見られてたしねぇ。まぁ、ジークも含めて街の人達
には顔が割れてるからってのもあるんだろうけど」
「いっそ、馬車を用意するべきだったかな? 警備の関係からしても、毎度ああいう人ごみ
の中にアルス君を入れ込むのはリスクを伴うからね」
「ん~……。だけど馬車で送り迎えなんて、それこそ目立っちゃわない? 連中からすれば
絶好の目印になりそうだけど……?」
「ふむ……。それも一理あるか」
「まぁ、その辺りは必要となれば侍従衆で用意しよう。ただ私個人はあまりそういう大掛かり
な手は使いたくないな。私達が陛下より託されたのは、アルス様に安心して学院生活を
送って貰える環境を整えること、だからね」
「リンファさん……」
この先が思いやられる。故にアルス自身も含め、面々は思案顔をしていた。
それでも、そんな中にあってもリンファはアルスの意向を大事にしてくれる。
身分が公になった以上、全く以前の通りというのは無理があるにせよ、できる限りあくま
でいち学生として平等に──気兼ねなく学友らと共に再び学びたいという自分の意思を彼女
はちゃんと汲み取ってくれていたのだ。
アルスは微笑み「ありがとうございます」と小さく頭を下げていた。
リンファもお安い御用ですと言わんばかりに微笑みを返し、凛とした横顔でシフォンと共
に彼の傍に仕えて歩く。
「──お待たせしました、レノヴィン君。護衛の皆さん」
そうしてややあって現れたのは、数名の職員らを伴った一人の秘書風な女性魔導師。
「お迎えに上がりました。学院長室まで案内いたします」
アルス達はちらりと軽く顔を見合わせてから、頷く。
エマ・ユーディ。学院長ミレーユの補佐役も兼務する、学院きっての才媛だ。
「お待たせしました。これが当学院の通行許可証となります。警備の者に提示して頂ければ
すぐに通してくれますよ」
「……確かに。御配慮の程、感謝致します」
エマらに案内され、アルス達は早速学院長室でミレーユとの面会に臨んだ。
何度かの挨拶と謙遜のラリーの後、リンファは彼女から金属プレートに細かいコード番号
の凸凹を彫った、一枚のカードを受け取る。
「いいえ。こちらこそ、受け入れ態勢が遅れて申し訳ありません。お詫びといっては何です
が、一つ手心を加えさせて頂きました」
「それは……この紙の方の?」
「ええ。押印を受けた当日限りになりますが、簡易の通行許可証です。必要に応じて侍従衆
やクランの方々にも分けて下さればと」
「なるほど、了解しました。ありがとうございます」
加えて他に差し出されたのは、十枚綴りの紙の許可証が五束。
おそらくは先の人ごみのような事態を想定し、こちらが人員を増やす際の助けとして別途
発行してくれたのだろう。リンファは改めて一礼し、これらを懐にしまう。
学院長室に来たのは、何も復学の挨拶だけが目的ではなかった。
シフォンからリンファへ、それまで続いていたアルスの護衛役の引継ぎと強化。それに伴
う学院側との情報交換の為でもあったのである。
(……。やっぱり平穏な学院生活って、難しいのかな……)
(う~ん……残念ながらね~。まぁ皇国の件以前も何かと色んな事があったじゃない?
あんまり気負わずに今までの延長だと思っておけばいいんじゃないかな?)
(そ、そんなのでいいのかなぁ……?)
その間、アルスは傍ら中空で漂うエトナとそんなひそひそ話を挟んでいた。
以前と全く同じというのは無理なのだろう。それは流石に分かっている。
だが、正直を言うと……怖かった。
自分自身、その力を乱用するつもりがなくても、周りの大人達は自分をあくまでトナンの
皇子として扱ってくる。彼ら個々人が利を得る為に、くわっとその目を見開いてくる……。
「……付かぬ事をお聞きしますが、その受け入れ態勢の遅れとはどのような理由があったの
ですか? もしかして……アルス君の復学に対する抵抗があったのでしょうか?」
はたとシフォンがそんな質問をミレーユ達に投げ掛けたのは、ちょうどそうした疑心暗鬼
がアルスの中で頭をもたげようとしていた最中だった。
ミレーユが、エマが黙したまま顔を上げてシフォンを見返していた。対する彼も、彼女達
も、その瞬間に関しては互いに感情を表に出さない微笑を浮かべていた。
アルスは内心焦った。
折角復学を認めてくれたのに、何故わざわざ学院長の機嫌を損ねるような真似を……?
だが結局そんなパッと沸いた言葉は口に紡げず、代わりにリンファが彼を一瞥した後、同
じく思う所があったのか、彼らは追従するようにミレーユ達に視線で返答を促し始める。
「……結論から言えば、その通りです」
ミレーユは、たっぷりと間を置いた後、学院長席の着いたまま両手をテーブルの上に組ん
だ格好でそう静かに答えた。
傍らのエマが何か制止するような小声を出したようだったが、彼女は構わず続ける。
「復学──留学の打診は早い段階からトナン本国より受けていました。なので私どもは皇子
が戻って来られることを前提に、学院内の態勢構築を始めていたのです」
「……反対意見は、その頃から?」
「ええ。理事数名が、復学要請に応じることに難色を示していましてね。なので……残念で
すが、彼らにはその職から降りて貰いました」
『えっ?』
「降り──く、クビになされたんですか!?」
「有体に言うと、そうなりますね」
アルスを含めた、四人全員が驚いていた。
特に自身の復学を巡ってそんな処分が出た事にアルスは思わず動揺し、若干声を張り上げ
てしまう。
「でも、これで良かったと思っています。覚えていませんか? この街が“結社”からの襲
撃を受けた際、貴方達兄弟を学院から追い出そうとした理事らがいました。全員ではありま
せんが、今回反対意見を最後まで曲げなかったメンバーは皆、その時にも貴方達を邪険に扱
おうとした──生徒の事よりも、自分の保身を第一に考えた者達だったのです」
しかし、ミレーユの言葉には確かな信念があるようにアルス達には思えた。
何よりも彼女はずっと覚えていてくれたのだ。あの時『学びたいと思う志を、私達は摘み
はしない』と語った言葉は、ホンモノだったのである。
「魔導学司校は後進を育てる為の場所です。そこに自身の保身を持ち込み、生徒を泣かせる
ような者は指導者にふさわしいとは考えません。少なくとも、私が当学院の責任者である
限り、そうした人材は必要としません。それに今回の人事は既に本部へ上申もし、許諾を受け
ています。そちらが心配頂くことは……もう無いのですよ」
ミレーユはそこまでを語ると、ようやく表情を柔らかく解いていた。
責任は自分が取る。貴方は望むまま、魔導の学徒としての日々を続けなさいと──。
「アルス皇子。いえ……レノヴィン君」
だからこそアルスは「……。はい」と、そんな彼女にフッと微笑みを返していた。
「長旅お疲れさま。そして、お帰りなさい」
自分達の為にその誠を貫いてくれた、この学び舎の長に。