28-(1) 史の騎士団
「ど、どうぞ」
「ん……。ありがとよ」
小振りのテーブルの上に、コトンと二人分の紅茶が置かれた。
お盆を胸元に当ておずおずとしているレナに、今宵突然の来訪者・リカルドはフッと気安
くも何処か荒削りな笑みを返す。
ハロルド達は一先ず、彼ら一団をクラン宿舎の端にある応接間へと通していた。
樹液のような艶がコーディングされた木製のテーブル。
それを挟んでハロルドと後ろの団員達数名、リカルドと彼の背後で微動だにせず待機して
いる同じく黒法衣を纏った神官らしき面々が互いに向き合う形。
妙な緊張感が、場に鎮座していた。
レナにも名乗った通り、彼はハロルドの弟──義理の叔父でもある。親戚との再会は多く
の場合、和やかであると連想するかもしれない。
だが……この兄弟はそうではなかった。
部屋に通されてから暫し、二人(実質はリカルドの方がよく口を開いていたが)は思い出
話に花を咲かせていた。レナも含め、それは懐かしい記憶でもあった筈だ。
「……」
それでも、ハロルドは眼鏡の奥の眼に静かな険しさを宿したままだ。
リカルドも時折レナに話を振ったりしているものの、何処か胡散臭い──先ずは話術で相
手を解そうとする魂胆があるようにも思える。
(……ふーむ? ハロルドの弟、かあ)
(そうみたいだね。でも確かハロルドさん達って、随分と前に教団を抜けてるんでしょ?
今になってその弟さんが一体、何の用なんだろう……?)
(さぁ? さっきからずっと昔話ばっかりみたいだしねえ……)
その会談の様子に、アルスとエトナはこっそりと扉の外から聞き耳を立てていた。
極力小さなひそひそ声で言葉を交わす二人の背後左右には、同じくリカルドの来訪を聞き
つけ様子を見に来た団員達が数名、一緒になって耳をそばだてている。
「随分と馴れ馴れしいじゃないか。私は教団からみれば“裏切り者”の筈なんだけどね」
それまで言葉少なげだったハロルドが口を開いたのは、ちょうどそんな最中だった。
ビリッと、場の空気が軋むような心地さえした。レナが思わず目を見開き、怯えたように
お盆を掻き抱いたまま数歩後退る。
「一体、何のつもりで会いに来た? まさか上が今更私達を咎めようとしているのか?」
「違ぇよ。ま、警戒するのは分からなくはないんだけどさ」
そんな兄の身構えた心の様子に、リカルドは大きくため息をついていた。
ちらりと、怯えて立ち竦んでいるレナに「大丈夫」と微笑みを寄越し、ハロルドもまた彼
女をこのまま居させるべきではないと判断したのか「もう戻っていなさい」と告げる。
コクコクと頷き、レナは気持ち駆け足で応接間を出て行った。
流石に“本気”の父は、娘でも怖いんだな──。
場に同席していた団員達も、そう呟き合うように互いの顔を苦笑と共に見合わせている。
「……単刀直入に訊く。護皇六華は──ジーク・レノヴィンは今、何処にいる?」
彼女が出て行ったのを確認して、再び兄弟の間に静かな火花が散ったように見えた。
リカルドは眼に力を込めてそう目的を吐き出したが、対するハロルドはすぐには答えず
黙していた。
『…………』
同席の団員達も、ごくりと息を呑んで黙り込むしかなかった。
たとえ彼がハロルドの弟であったとしても、そう安易に口を割るべきことではなかったか
らだ。言わずもがな、トナン皇子ジークの消息──南回りで西方へ行く情報は今やかの国の
重要機密でもあるのだから。
「素直に答えると思ったか? 身内を刺客に放って来たとしても、私はそう簡単に“落ち”
はしないぞ。お前ならそれぐらい分かっていたろうに」
今度はハロルドが眼に力を込める番だった。
眼鏡の奥の瞳を細め、心持ち身を乗り出して。
「……だろう? “史の騎士団”一行君?」
ピクッと、リカルドの片眉が上がっていた。
暫しじっと見つめ──もとい睨み合っていた視線がはたと逸れ、彼は自身の黒法衣と胸元
の三柱円架な装飾を無言のまま一瞥する。
「……なぁ、史の騎士団って」
「ああ。確かクリシェンヌ教の……」
「はい……。教団傘下の神兵団の一つです」
聞き耳を立てていたアルス達は、ひそひそ声のやり取りの途中で咄嗟に身を引いていた。
カチャリと開いた扉。その中から出てきたレナは、彼らが養父らの会話を聴いていたのだ
と分かった上でそう補足を加えてくれる。
「古代遺物の保護とか歴史の研究とか。そういった仕事を専門にしている神兵さん達の部署
……だったと思います」
後ろ手にそっと扉が閉められ、二人のやり取りが再び遠くになる。
語るレナの表情は、間違いなく不安そうだった。
教団から脱退した過去を思い出しているからのか、実の兄弟だというのに不穏な空気が居
た堪れなかったのか、アルス達には知る由もなかった。しかしかといってずけずけと訊くの
も躊躇われ、面々はただ「なるほど」の代わりに小さく頷くに留まる。
「──基本的に自衛組織である各種神兵団の中でも、その任務の為なら積極的な攻撃行動も
厭わない特異点……よね?」
すると今度はレナとは反対方向から声がし、アルス達は振り向いていた。
廊下の向こうから近付いて来たのは、そう確認するかのように言葉を向けてきたイセルナ
と団長である彼女を呼びに行っていたリンファの姿。
無言のまま、レナは小さく頷いていた。
聖職者でありながら、戦闘能力も重視される教団傘下の“異質”者たち。
その一員に──血が繋がっている訳ではないものの──叔父が為っていたことに、彼女は
強い戸惑いの感情を、少なからぬショックを抱いているらしい。
「イセルナさん……」
「レナちゃん。ハロルド達はジークの事、まだ話してないわよね?」
「はい。機密……ですもんね」
「そうなるわね」
そんな白い翼の彼女に、イセルナは優しく微笑みながらそっと頭を撫でてあげていた。
質問は、それだけ。
突然の叔父の来訪と変貌に不安であることは、既に聞き及んで想像できていたのだろう。
「大丈夫。後は私達が上手くかわしておくから」
ややあってから上着を翻し、彼女はレナ達に小さくウインクを遣ると、扉の前に立つ。
「……やっと来たね」
軽くノックの音がしたすぐ後、イセルナが入ってくるのを見てハロルドは若干眼鏡の奥の
眼光を緩めたようにも見えた。
「お待たせしました。ブルートバード代表、イセルナ・カートンです。話は軽く団員達から
聞きました。ハロルドの弟さんのようで」
「ええ。弟のリカルドです。……ほほう、こいつあ映像器で観たよりもべっぴんさんだ」
「リカルド」
「はは、分かってるって。いい加減兄貴もそう硬くなるなっての」
入室しながら挨拶し、ハロルドの横の空席に着くイセルナに、リカルドはそうごく自然な
素振りで口を開いていた。
ハロルドは変わらず実の弟に厳しく──警戒・用心の眼で当たっていたが、当の彼は神官
らしからぬ飄々さで受け流し、むしろ生真面目な兄に苦笑とため息をついてみせる。
直立不動なままの黒法衣達を背後に、リカルドと彼に向き合うイセルナ・ハロルド達は、
再びプツッと糸を切るように黙り込んだ。イセルナもまた、このリカルドという男──クリシェンヌ
教団及び史の騎士団が、今宵彼らを送り込んで来た意図を探っているかのようだった。
「……参ったね。団長さんも一緒にだんまり、か……」
一方で、当のリカルド本人はそんな警戒心にげんなりしつつあった。
「まぁ予想はしてたけどさ。弟だから口を滑らせてくれるほど、兄貴も団長さんも脇は甘く
ねぇだろうからなあ……」
たっぷりとそんな沈黙の中に沈んでから。
ふぅと場の空気を切り替えるように息をつき、彼はぐぐっと座るソファに背を預けて伸び
をし始める。
「──時司の領」
異変が起きたのは、次の瞬間だった。
ぼそっとリカルドがソファに背を預けたまま呟いた刹那、突如として周囲の色彩が失われ
モノクロの世界が広がったのである。
「!? これは……」
「刻魔導──異相結界か」
イセルナは足元に立て掛けていた剣の鞘を取り、ハロルドも再び眼鏡の奥の眼光を静かに
鋭くする。この事態にそれまで顕現を解いていたブルートも姿を現し、目の前の黒服神官が
一瞬にして結界を──周囲の時間を遮断する結界を張ったさまを認めていた。
「……そう怖い顔をするなって。真面目な話をしようにも、何処に聞き耳があるか分かった
もんじゃないからな」
そんな力場の中で、モノクロに染められず自らの“時”を保てていたのはほんの数人。
術者本人であるリカルドと会談の相手であるイセルナ・ハロルドの二人、そして彼と共に
今宵訪れた黒法衣の神兵達である。
「長く持たないから手短に話すぜ。……今回俺達は、教皇エイテル・フォン・ティアナ三世
の命でアーティファクト・護皇六華の情報収集に来た」
団員達、そして扉の外のレナやアルス達の時間が停められたまま、リカルドは語った。
その表情は至って真剣。飄々としていた──レナやハロルドの記憶にある風来坊な部分は
なりを潜め、彼は居住まいを正して心持ちずいっと、二人を説き伏せるような口調になる。
「ただまぁ……俺の予想通りそちらさんはだんまりと来た。ただそれは別に構わない。個人
的にはな。それに護皇六華の──ジーク皇子の消息は皇国の機密情報でもある筈だ。そう
簡単に口を滑らせられないってのは百も承知さ」
しかしそうは言ったが、彼の表情は険しい気色だった。
収穫の得られぬ苛立ちか? 違う。
心配しているのだと、イセルナは思った。
史の騎士団はアーティファクト保護の為の組織。その目的故に“盗掘者との交戦”を想定
した戦闘能力を重視されている。
このまま教団を、彼ら騎士団を敵に回せば……厄介な事になるぞ? そう暗に言われてい
る気がしたのだ。
「……でもな。忠告しておくぜ、兄貴、団長さん。レノヴィン一家の動向を嗅ぎ回ってるの
は何も教団だけじゃない」
だが少なくとも、彼からはそういった敵意はあまり感じられなかった。
そこはハロルドの弟であるという点が有利に働いたのかもしれない。だがそうした安堵を
あっさりと覆すかのように、彼は警句を紡ぐ。
「連邦朝、王国、共和国、都市連合。大国は勿論、他の国も今現在進行形で間諜を向けて
来ている筈だ。どいつもこいつも自分達が得をできるように必死なんだよ」
それは、イセルナ達も重々承知の事だ。
ハウゼン王や諸侯らの協力があるとはいえ、先日からマスコミと同様にそういった影の者
らがクランやこの街の周囲をうろついている事は把握済みなのだ。遊撃隊長のシフォンを中
心に最低限そういった差し迫る脅威は密かに排除しているが、それでも彼の言うように迫り
来る各地の権力の狗らが絶える気配はない。
(間者の命を受けたのは建前で、本当はハロルドを心配して来てくれたのかしら……?)
ちらりと、感情の読めぬ──自ら押し殺した当の本人を一瞥し、イセルナは思った。
「外野が今更言うことでもないんだろうが……あんた達に向けられる眼にはくれぐれも注意
した方がいい。今このクランは、間違いなく世界で最も注目されてる集団の一つだ」
「……そうみたいね。だけど、後悔はないわ。ただ私達は仲間の嘆きに手を差し
伸べた。それだけだから」
「ご苦労な事だな。私達よりも年下だが、切れ者だぞ? 我々の団長は」
「らしいな。なるほど……。兄貴がついて行こうと決めた仲間、ねぇ……」
それでも悔やむつもりはなかった。後戻りなどできようもない。
そうした思いはハロルドもまた同じらしく、皮肉っぽい言葉選びではあったが彼は弟にそ
う自分のことを持ち上げたような発言をしている。
リカルドは、フッと笑っていた。
だが嘲笑ではない。腑に落ちたかのような、前向きな安堵のように思える。
──彼がパチンと指を鳴らし異相結界を解いたのは、その次の瞬間のことだった。
最初の時と同様に、一瞬にしてモノクロの世界が本来の色彩と姿を取り戻す。
二人の左右に控えていた団員達や扉の向こうのアルス達が、時間を止められていた──厳
密には時間の進む速度を局所的に変えているのだが──ことに気付く事なく、そのまま直前
の行動・体勢の続きを取ろうとする。
「……ま、精々踏ん張ってくれよ? 俺達も世間の連中も、まだまだあんた達から眼を離す
気配はなさそうだからな」
大きく深呼吸。リカルドはそう言うと、黒法衣を翻しておもむろに立ち上がった。
その動きに合わせ、至極自然に追随するのは、他の神兵──もとい彼が率いる隊士達。
彼はそのまま部下らを引き連れ、扉の方へと歩き始めていた。
だがはたと、その途中で足を止めると、彼は最後に肩越しに振り返って告げる。
「暫くはこの街に留まるつもりだ。……そん時には、いい返事を期待してるぜ?」
ハロルドは黙って眼鏡のブリッジを押さえただけだったが、イセルナは「お手柔らかに」
と小さく答えて苦笑を返していた。
緊迫感は……薄れたような気がする。
もう一度、リカルドはフッと口元に弧を描くと、そのまま部下達と共に宿舎を後にし、夜
の街へと消えて行ったのだった。