27-(4) 赤毛の牙と旅の妖精
南方中東部某所。辺り一帯は見渡す限りの瑞々しい緑の丘陵が広がっていた。
こうした風景は南方において、そう珍しくはない。
盟主国サムトリアを始め、顕界南方は総じて肥沃な大地に恵まれている。
それは南方が「地」の力を強く宿す“緑の支樹”の影響を大きく受けているからなのだが、
そうした理屈を抜きしても、広大で豊かな土地は古くより安定した食糧確保を可能にしてきた。
魔導を始めとした学問が盛ん──それだけ思考面での余力があるのは、少なからずそうし
た生計的な背景も大きいが故と考えられる。
「おい、そこの肉焼けてるぞ」
「あ。ういッス」
「ちょっ!? お前肉ばっか食い過ぎだろ~」
そんな緑の風景の中に、とある一団が交じっていた。
小川の脇に集まっているのは、火を熾して食事を摂っているからであるらしい。
獣人や人族を中心に、その身なりは概して荒っぽくも活動的。間違いなく彼らは冒険者の
一団だと思われる。
「ははっ、構わねぇよ。しっかり食って体力つけとけ。まだこの先は長ぇんだからよ」
そんな面々の中にあって、そのリーダー格の男は呵々と笑いながら自身もむしゃりと肉塊
を頬張っていた。
赤い髪に褐色の肌の、がっしりとした体躯の蛮牙族の男性だった。
首周りにもふもふした毛が付いた茶色のマントを肩から引っ掛け、腰には横向きに幅広の
長剣が鞘に収められている。
「ん……美味い」
彼らは、この赤髪の男を団長とする冒険者クランの一行だった。
このように、冒険者(ないし旅人の類)が野外でキャンプを張っているのは──魔獣や野
盗に狙われるリスクがあるとはいえ──そう珍しい光景という訳ではない。
「──あの~……」
だが、少なくともこの時の彼らの選択は、期せずした出会いを呼び込むことになる。
『……??』
ふとおずおずと呼び掛けてくるような声がして、赤髪の男たちはキョロキョロと周りを見
渡した。そして気付けば、小川の向こう──雑木林の方から一人の少女が顔を覗かせている
のが分かった。
尖り耳に白い肌。間違いなく、妖精族の少女だった。
(長寿種族なので実際は分からないが)年格好は十六、七歳といった所か。鮮やかな栗色
の髪を短めのサイドポニーにし、おっかなびっくり……いや、むしろ好奇心に打たれている
かのようなあどけなさを感じるようで印象的だった。
赤髪の男は、仲間達と思わずちらりと視線を交わらせていた。
敵として警戒している訳ではない。一般に閉鎖的排他的と言われるエルフが、何よりまだ
歳若い女の子が一人でこんな所でうろついている事に、彼らは怪訝を覚えたのである。
「……何だい、お嬢ちゃん? 妖精族がこんな所でウロウロしてるなんざ珍しい」
「ああ、はい。実は私、パパとママに“お遣い”を頼まれて旅をしている最中なんです」
「ほう……?」
彼女にそう打ち明けられ、赤髪の男はつい小さく唸っていた。
可愛い子には旅をさせろとは云うが……最近の親は何を考えているのやら。
こちらに敵意がないと判断したのだろう。ややあってこのエルフ少女は、小川に点在する
岩をぴょんぴょんと飛び移りながら伝い、小走りで彼らの下へと近付いてくる。
「それで? 君は何処に用事があるってんだい?」
「はい。梟響の街という街なんですけど……知ってますか?」
しかし今度は、また別の意味で面々は目を丸くしていた。
知らぬ筈はない。今やあの北方の街は巷で知らぬ者がいないほどの──皇子留学の地とし
て一躍有名になった場所なのだから。
だが、この場においては、彼らの驚きはそんな世間一般からの感慨とは別の方向から来た
ものであったらしい。
見合わせる顔は、苦笑。或いは困惑。
ややあって、一団を代表して赤髪の男が少女に向かって──嘆息交じりに言った。
「……お嬢ちゃん。意気込んでる所に水を差すようで悪いが……“方向が真逆”だぞ?」
「ふえっ?」
そうなのだ。
ここは南方。件のアウルベルツがある北方とは、まるで方角が逆なのである。
そんな彼の一言で、仲間達もそれまで控えめにしていた苦笑を濃くしたようだった。どう
したものか? そう互いに戸惑ったように顔を見合わせている。
「ぇ……えぇぇぇぇっ!? じゃあ何? 私、ずーっと道を間違ってたんですかぁ!?」
「そう、なるな……」
「うぅ……っ。どどど、どうしよう!? 用意してきたお金も残り少ないのに、しっかり向
こうでのスケジュールも組んでたのにぃ……」
少女は大きく慌てていた。落胆していた。
とはいえ、無理もないだろう。目指していた方向とはあさっての道を行っていたと今更に
なって気付いてしまったのだ。まさに徒労である。
「つーか、どうやったらそんな盛大な間違い方するんだよ……。あっちとこっちじゃあ気候
だって全然違うだろ」
「そう言われましてもぉ……。私、古界から来ましたので……」
「ああ……」「なるほど。天上層の子なのか」
ため息をつきつつ、宥めつつ。
そうしてようやく彼らにも彼女の経緯が分かってきた。
第一に土地鑑がないのだ。天上世界の者であるのなら仕方がない。
ただそれでも、ここまで盛大に方角を間違うというのは、彼女自身の問題──間違いなく
おっちょこちょいな部分が影響したと思えるのだが……。
彼らは、暫くどうしたものかと互いの顔を見合わせていた。
そう話し込んで思案し合っていたものだから、焚き火で焼いていた肉も少なからず焼け過
ぎて黒くなり始めている。
「……ふぅむ。ま、問題ねぇさ」
木串に刺していたそれらを除けながら、やがて赤髪の男がそう口にした。多少焦げても気
にしないと言わんばかりにむしゃりと肉塊に喰らい付き、豪快に咀嚼して飲み込む。
「お前さんも俺達と来ればいい。旅費もお互い折半できるぜ?」
「えっ? いいん、ですか……?」
「ああ。今更一人二人増えようが変わりゃあしねぇさ」
それが団長としての、仲間達から向けられた視線を受けての結論だった。
少女が短く、おずおずと尋ね返してくるのを、彼は呵々を笑って受け入れていた。
バサリとマントを翻し、まだ不安そうな彼女に肩越しからその正面へと、視線と身体を向
け直してから言う。
「何たって、俺達の目的地も梟響の街なんだからよ?」