26-(6) 第三種勅命
一振りの太刀を取り囲むように、複数の魔法陣が中空で文様を描いていた。
その走査を受けていたのは、濃紫の刀身を揺らめかせる大刀・告紫斬華。
護皇六華という“表”の王器により長らく封じられていた、トナン皇国の“裏”の王器。
そしてかの“剣帝シキ”が愛用した聖浄器──そんな曰くつきの代物である。
『──……』
刻一刻と色彩を変えるストリームの束が縦横無尽に交差する、仄暗い天地の底すらも窺え
ない静謐なる空間。
ジーヴァら“結社”の幹部級エージェントたる使徒達は、自分達が皇国より回収してきた
この斬華を早速ある者に献上していた。
“教主”──彼らにそう呼ばれ、結社の頂点に君臨する人物。
彼らの眼前、ストリーム内部に浮かぶのは、その顕現である巨大な淡い紫色の光球。
これまでと同じく、しかし今回ばかりは非常に神経を使っているような慎重さで以って、
暫し“教主”は自ら魔導を行使して斬華が燻らせる力と向き合っているようだった。
『……確かに。シキの聖浄器・告紫斬華、しかと受け取った』
やがて聞こえてきたのは、そんな厳粛な声色。
消える魔法陣と共に、彼は斬華を何処かへと転送したようだった。
『これでまた一歩、我々は大命成就に近付いた。大儀であった』
「……勿体無きお言葉です」
マナの残滓がふわりと立ち上る。
その中でジーヴァ達は恭しく頭を垂れ、片膝をついて彼の者に応えていた。
レノヴィン達という邪魔者こそ入ったが、こうして自分達はまた大いなる目的の為に突き
進んでいく。
『流石に疲労したであろう。次なる任まで、暫し心身を休めておくがいい。……我々の闘い
は順調だが、必ずしも平坦な道ではないのだからな』
「はっ」「お気遣い有難う御座います」
その言葉で、場の使徒達はようやく片膝から立ち上がり、静かに一息をついていた。
周囲で控えていた黒衣のオートマタ兵らもサッと薄闇の中に消えてゆき、ただでさえ静か
な空間は一層不気味にすら変化してゆく。
「やれやれ……。ほんじゃ、そーいうことで」
「休むの。私、疲れちゃった……」
「……」
早々に空間転移し、場を去ったのはリュウゼンとエクリレーヌ、ジーヴァの三人だった。
何となく場に残ったのは、バトナスとフェニリア・フェイアン姉弟、そしてルギス。
彼らは暫しその場に立ち尽くしたまま、教主が黙してストリームの中空に浮かんでいる姿
を背景に、思い思いの思惟を巡らせていたようにもみえる。
「……リュウゼンやジーヴァの愛想の悪さは慣れてるけどよ。やっぱ、エクは」
「同じ魔獣のよしみかい? 確かにある意味、僕も今回一番痛手を受けたの
はあの子だとは思うけれど」
「まったく、連中も酷なことをしやがる……。いくら魔人だっつっても、あいつはまだまだ
ガキんちょだってのによ」
最初に口を開いたのはバトナスだった。
言及したのは、しょんぼりとした背中を残して退出していったエクリレーヌへの憂慮。
強面の外見に似合わないのに? そうフェイアンが遠回しに茶化してくる言葉には敢えて
返すことはせず、彼はガシガシと頭を掻きつつぼやいていた。
魔獣・魔人はヒトの敵。討伐されて当然──それがヒトが持つ“常識”。
「つーかよぉ。あのレノヴィンの兄の方、まだ俺達を追ってくるつもりらしいじゃねぇか。
ルギス、お前の所為だぞ? もうあの鎧──ヴェルセークくらいパッパと渡しちまえよ」
「無茶を言わないでくれたまェ……。“狂化霊装”はまだまだ開発途中なのだァよ。そもそも
あれは、強力な分その狂気に耐えられるだけの素体が中々見つからないからねェ……。
今の素体ほどの、あれほどの強い魂の持ち主に出会えたことは幸運だと言って差し支えない
のサァ。まぁそれもこれも制御式同様、今後の課題だがネェ」
「中身がもたねぇのかよ? んなモン造ってどーすんだ……」
「まぁ、それが“博士”たる所以だろう? それにしたって……因果なものだね」
バトナスは更に懸念──後の面倒を語った。
ジーク達が先日世界に向けて発した、自分達への「宣戦布告」。
何もその一部始終を見聞きしていたのは、世の人間達ばかりではない。
「面倒臭ぇ……。所詮は雑魚だろ? ヴェルセークで治まるって訳でもねぇんなら、いっそ
今すぐにでも兵力を集めて──」
「あら? これまで散々抵抗されて、邪魔された当人の言えた台詞? そんな慢心があの事
態を生んだんじゃない?」
苛立ちを多分に含んで漏れた彼の言葉。
だが次の瞬間、それを制していたのはそれまで傍観を続けていたフェニリアだった。
「そうだねェ。あの少年の力量はともかく、厄介な邪魔者には違いないだろうガ……」
バトナスの表情が深く顰めっ面になり、彼女を遠慮なく睨む。
その向かい側のルギスは、やや俯き加減になり眼鏡の奥の瞳を光らせていた。一方でフェ
イアンは、このやり取り自体を「スマートじゃないね」と言わんばかりに肩を竦め、静かに
笑ってみせている。
『……レノヴィンの件に関しては、私も使徒フェニリアに賛成する。大命への障害となるの
なら、我らは彼の者を刈り取る以外に選択肢はない。だがあくまで慎重に、確実にだ。討伐
自体は手段であって、目的ではないのだからな』
するとそれまで様子を見るように黙っていた教主が、厳粛な声色のままで言った。
態はいち意見。だがその言葉は絶対だった。
賛成されたフェニリアやルギスは勿論、傍観しかけていたフェイアンや勇み足だったバト
ナスさえもが一斉に「御意」と再び片膝をつき、この光球なる彼の意思に従順とする。
『ふむ……』
そしてまた暫く、教主は何やら考え込んでいるようだった。
ゆらゆらと、光球が放つ淡い紫色が奥底から見上げる水面のように揺らめき、世に異端者
と詰られる者らの長はややあって決断する。
次の瞬間だった。はたと彼の光が強くなったと思ったその刹那、彼から無数の糸のような
光が空間の四方八方へと伸びていったのだ。
それはストリームへの接続。この広大無辺なるセカイとの共鳴。
『──“楽園の眼”に属する全ての同志よ、聞こえるだろうか? 我は“教主”ハザンである』
その声は、まるで彼の者を信奉する者達にとっての天啓が如く。
各地の薄闇の中で身を隠し、佇んでいたセカイ中の“結社”達がはたとその名と、目の前
に現れた小さな淡い紫の光球に気付いて顔を上げていた。
『既に知ってのことであろうが、先日ジーク・レノヴィンが我々への宣戦布告を明言した。
これは即ち、我らが大命への反抗──摂理への反逆そのものである』
“教主”こと結社の長・ハザンは告げた。
厳粛を貫き、神秘性をも獲得したその一言で。
セカイの歪を知り“在るべきセカイ”を取り戻すと誓い合った同志に向けて。
『摂理の名の下、教主が命じる。今この時を以って、レノヴィン抹殺及び聖浄器・護皇六華
の回収を第三種事案へと指定する。各々大命及び任務に支障を来たさぬ限り、可及的速やか
に彼の者らを始末せよ。全ては、在るべき世界の姿を取り戻すために──』
光と声は、彼の者の勅命と共に気配を消していった。
再び“結社”達の周りには薄闇が戻る。だが彼らは、一様に静かな闘志を滾らせていた。
新たな信仰の敵を示され、戦いに勇み立つ者。
或いはまた一人、掻き乱す者が現れたかと嘆息をつく者。
しかしその反応に違いこそあれど、彼らの想いは一つだった。やがて各地で、彼らは静か
に蠢き始める。
──レノヴィンは、セカイの仇と為った。
摂理。
彼らが信ずる、その名の下に。