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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-26.変わるセカイで僕らは
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26-(2) スメラギ新政権

 仮設の執務舎に響き渡るのは、臣下や官吏達の忙しないやり取りや駆け回る足音。

 先皇アズサの国葬から一週間弱。シノは「女皇代行」の肩書きを抱いたまま、今日も今日

とて彼らと共に、実質上の女皇としてこの皇国くにの政務にあくせくとしていた。

「陛下、ここに署名サインをお願いします」

「こちらにも御目通し下さいませ」

「は、はい。ええっと……」

 室内の上座に着いているのはシノ、そして下座に向かって臣下達のデスクが二列にずらり

と配置されている。

 彼女は勿論のこと、面々はそれぞれに同時多数の庶務を抱えて奮闘していた。

 その中をぱたぱたと官吏達は駆け回り、サインを要する書類や各種引継ぎに関する説明を

彼女達に廻していってくれる。

(今は人手が足りないからというもあるけど……。伯母様はこんな沢山の仕事を、何十年も

ずっとこなし続けていたのね……)

 実質上は女皇だが、政治家として見ればシノは素人も同然だった。

 強いて経験があると言い張るのならば、精々サンフェルノに居た頃の自治会に参加していた類

しかない。

 故に、シノ達は先ず確りと把握する必要があった。そこから始めなければならなかった。

 先の皇アズサ。彼女がかつてこの国で何を成そうとしていたのか、そしてこれからそれら

を如何に選別してゆくのか。

 ──単に倣うだけではなく、必要な改革を。受け継ぐものと、そうでないものを。

 しかし口では易くとも、一介の村医者が皇と為りその言葉を実行に移すには、予想以上に

多くの困難が立ちはだかっている。

 先ず何より、人手が根本的に足りなかった。

 内戦の後、シノは「敵味方を隔てず協力し合おう」と呼び掛け、実際にアズサ皇の側につ

いていた臣下や官吏、末端の兵士に至るまでを大赦、引き続き皇国の運営を手伝って欲しい

と要請した。

 しかし……彼女の想いは、必ずしも届かなかったと言わざるを得ない。

 何せ旧臣たる彼らは世間から見て“賊軍”や“敗残者”。その事実は揺るがないのだ。

 そうした内外の誹りを甘受してまで慰留に応じてくれた者は、最終的に全体の半分にも満

たなかった。

 加えてシノ新女皇が、従来の“強い皇国”に遠回しながら否定的であること──これまで

の利権が脅かされかねないと取られたことも大きかったらしい。

 個別に事業等を展開していた元家臣の多くは、既に王都から撤退を始めている。

 彼らは新政権とは一定の距離を置いた上で、それぞれの再出発を選んだのである。

「陛下。招聘用のリスト、更新分が上がりました」

 それ故に、シノ達は慰留以外にも人材の当てを求めることになった。

 一つは新規の募集。もう一つは先々代の臣下・官吏らの再招聘である。

 アズサ皇よりも以前、即ち内戦時における“先皇派”とされた者達を再び登用すること。

 当初シノは敵味方といった区分けの心理──領民の陣営対立を利用するような手は使いた

がらなかったのだが、それでも人材不足という事実は変えられない。むしろかつての為政の

姿を知る彼らが戻って来てくれれば、政務は今よりもずっと捗ることが予想された。

 渋々、だがこれも“現実”なのだと割り切って。

 あわよくば、新旧の者達がこれを機に手を取り合ってくれたらとの淡い期待も兼ねて。

 結局シノは動向調査が済んだ彼らのリストが上がり次第、順次(彼女自身の希望もあり)

直筆の招聘状──助力願をしたため続けていたのである。

「ありがとう。じゃあざっと読み上げてくれる? 手元こっちの分と比較するわ」

「りょ、了解致しました。では──」

 執務室に入ってきたまだ歳若い官吏と、デスクに着いたままの女皇シノ。

 それぞれが分厚く綴じられた書類の束を手にし、二人は互いに確認作業を始めていた。

 皇の前ということもあり──臣下達の視線も受けての──緊張した様子の彼の読み上げ。

 それに合わせて一人一人赤ペンでリスト上の名前をなぞりながら、シノは丁寧に自身の記

憶も一緒に掘り起こしつつ、かつての出仕者達を照らし合わせる。

「……」

 そしてそんな彼女達の執務のさまふんとうぶりを、ユイは室内の入口横に直立不動の体勢のままじっと

見つめていた。

 皇ら重臣一同を護る任務──彼女は怪我も癒えた後、父サジと共に新生近衛隊の正・副隊

長に任じられていたのだ。

 反対側の入口横には、同じようにじっと警戒の眼を時折周囲に遣りながら立っている父の

姿がある。他にも室内の壁際や隅、或いは表に数名ずつ隊士達──かつての父の同志や自分

の部下達の一部が配置に就いている。

 政権成立早々……というのはあまり考えたくないが、この時期に侵入者など許せば、それ

こそ新女皇シノの沽券に直結することだろう。気を緩める訳には……いかない。


『──何故です? 陛下』

 最初、この任命を受けた時は、正直言って戸惑いが強かった。

 確かに彼女は“敵も味方もない”ことを願っていた。それは自分は勿論、率いていた小隊

の部下達に至るまでの“賊軍”全員に大赦が下されたことからも明らかだった。

『……? 何がかしら、ユイさん? 来てなり早々藪から棒に……』

『勿論、私の今回の処遇についてです』

 しかしそれはあくまで理想での話だ。自分が“賊軍”側にいた事実は、変えられない。

 私は辞令書を受け取ったあの日、その足で皇の執務室へと赴き、直接その真意を問い質そ

うとしていた。

『陛下の想いは我々への大赦で存じております。しかし、それと領民達や各国の向ける眼差

しまた別だとは思いませぬか? よりにもよって、私を御身の警護役に迎えるなど……これ

では皇の危機意識が疑われてしまいます』

 思えば、内心の動揺で冷静さを欠いていた、そう詰られても仕方なかっただろう。これが

シノ様でなければ、あの場で不敬として斬られていてもおかしくなかった筈だ。

 実際、乗り込んできた私の詰問に、場に居合わせていた官吏達は青ざめていた気がする。

 しかし……シノ様当人は違っていた。

 あの方は、私の焦りを──拭えない負い目をすぐに見抜かれたように、酷く優しい微笑み

を寄越されたのだった。

『……皆さん、ちょっと席を外して貰えますか? すぐに終わりますので』

 言われて、一旦場にいた官吏達が戸惑いつつもそそくさと退出してゆく。

 そんな彼らの後ろ姿を、シノ様は暫し見守っているようだった。

 いや、その僅かな時間を利用して、私に落ち着くよう仕向けていたのかもしれない。

『……ユイさん。いえ、キサラギ副隊長』

 そしてデスクの上のシノ様は、フッと私に向き直ると口を開いた。

『最初にこれは、家臣団の皆さんにもまだ話していないことです。ですので、これから話す

ことはくれぐれも貴女の頭の片隅に置いておいて下さい』

『……。はい』

 穏やかな佇まいはそのままだったが、纏う雰囲気は真剣そのものだった。

 机上で両手を組み、私をじっと見据えた状態で、シノ様は言った。

『知っての通り、私は王──為政者としては素人です。精々村の自治会に参加していた程度

だから、伯母様に比べればその手腕は天地ほどの差があると思います』

 そうはっきりと。皆が表立って言えない、その突き所を。

『だから……今は“官軍”である私も、何かの切欠で王の道を踏み外すかもしれない』

『そっ、そんなことは』

『どうかしらね。貴女も苦しいほどに味わったでしょう? 誰が正しいかなんて実際は割と

曖昧で流動的だと思うの。私は、今回たまたま“大義”を得た側だっただけ』

『……』

 私は、虚を衝かれたように黙り込んでいた。

 本音を言えば、この新しい皇は世俗に長く染まった理想論者ではないか? そう思ってい

た節があったからだ。だが……そんな私の推測は、巷説レベルの邪推は、この方の内なる苦

悩を一掬いも捉えていなかったことに気付かされる。

『何も私は、ただ仲良くして欲しいからというだけで貴女達親子を隊長・副隊長に宛がった

訳じゃないの。仮にサジさんが「盾」なら、貴女は「剣」だと言うべきなのかしら』

 私は、半ば無意識に片眉を吊り上げていた。

 槍と剣ではなく、盾と槍? それはどういう──。

『これは村でお世話になっていた人からの受け売りだけどね。“剣は所詮、誰かを殺す道具

でしかない”って。……だから、もし私が皇として“間違った”道を進んでいこうとした時

には、剣という貴女が諌めて欲しいの。場合によっては……刃を突き立てても、構わない』

『──ッ!?』

 むしろ私の方が、鋭い刃で突き刺されたかのような心地だったと記憶している。

 最初に内密にと言ったのはこの為だったのだ。

 この方は……私を文字通り「剣」として据えたのだ。自身を含めた“民の敵”となりうる

全ての者を斬り伏せる刃に為れと。

 私はすぐに言葉が出なかった。出せる筈もなかった。

 “場合によっては、私を殺してでも政を正してくれ”。

 それはつまり、私という人間に密かに凶器を握らせることに等しくて……。

『貴女達、伯母様についていた人達の苦しみは想像するに余りあるもの。どれだけ奇麗事を

並べたって、私達があの内乱でやったのは“相手を倒した”ことに変わりはない。長年の溝

がこれですぐに消えるなんて、そんな都合の良い考えは流石に持っていないわ』

 嗚呼、私は何という吐き違いをしていたのだろう。

 ただの“甘ちゃん”などでは、決してなかったのだ。そうだ、何も二十年前の戦火で辛酸

を舐めたのは私達だけではない。この方も、皇族の当事者として長らく苦悩してきたのだ。

 私“だけ”が被害者だと視界を閉じて喚くのは……酷い自惚れなのだ。

『だから、これは伯母様達や貴女達への償いでもある。そのつもりよ。この素人王に、ビシ

バシ意見を頂戴? それぐらいの罵声も辛い現実も、私は受け入れなきゃいけない……』

 償い、ひいてはアズサ皇との和解を果たせず逝かせてしまった負い目か。

 だが私には……この方の言葉は“覚悟”だと思えた。

 何より突然押しかけてきた私に、胸襟を開いて本心を打ち明けてくれた誠がある。

 確かに皇としての実績は未だゼロだ。だがこの方には……間違いなく“器”がある。

『……御見逸れ致しました。陛下』

 だから私は。

『その“剣”たる任、わたくしで良ければ、謹んで引き受けさせて頂きます』

 あの瞬間ときから、この御方に心からの臣下の礼を尽くそうと決めたのだ──。


「──ソラウ・ファイロン、ソラト・タツシマ、ナダ・カシワギ……」

「ッ……!? ストップ、ちょっと待って!」

 はたとシノが読み上げの声を止めさせたのは、ちょうどユイがそんな当初を思い出してい

た最中のことだった。

 止められた官吏は勿論、ユイやサジ、場の面々が一斉に何事かと顔を上げている。

 しかし当のシノは、何故か興奮気味でデスクから身を乗り出し掛けていた。そんな様子に

流石の彼も目を点にして心持ち仰け反っている。

「ねぇ、さっきナダ・カシワギって……。更新分の中にあるの?」

「は……はい。ええっと、最終経歴は医務官。現在は……スラム街にいるようですね」

「そうなの……。そう、あの方が……」

 思わず、ユイは怪訝に眉を寄せていた。

 シノは青年官吏から詳しい情報を聞いて、何故か安堵。はたとよくよく見渡してみれば、

そうした反応は何も彼女だけではないことが分かる。

 どうやら父を含めて、それは所謂“古参”の面々で占められているようだった。

「父さ──隊長。一体何なのですか?」

「ん? ああ、そうか……。お前はアズサ殿の頃に出仕を始めたから知らないんだな」

 思わず父と呼びそうになり、気恥ずかしくて修正。ユイはついと顔を上げて訊いてみる。

 するとサジはようやくそこで、娘達頭に疑問符を浮かべている側に思い至ったらしい。

 厳粛な戦士の顔がふっと綻んでいた。ややってその視線は古参の臣下らを経由し、上座の

シノ新女皇へと向く。

「ナダ・カシワギ──通称“御婆おばばさま”。私が生まれるよりも前からずっと王宮に仕えてくれ

ていた、王宮医務長だった方よ」

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