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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-26.変わるセカイで僕らは
140/434

26-(1) 出奔の経緯

 それは、アズサ皇の国葬(兼レノヴィン母子披露の場)の時分に遡る。

 突然巻き起こったのは、第一皇子ジークの告白と彼の合図を待っていたかのように飛来し

た白亜の竜・リュカ達だった。

 当然、参列者達は我先にと逃げ惑い、そして“結社”への宣戦布告を叫んで空の彼方へと

飛び去っていくジーク達を唖然と見送る格好になった。

 国葬の場は、主役の一人が欠けてしまったことにより予定を繰り上げてそのままお開き。

マスコミが押し寄せ質問の嵐をぶつけてきたが、何分事前の話など一切なかった以上、シノ

達は彼らに答える言葉を持たなかった。

「くそっ……何処に行ったんだよ?」

 そう。ジークは皆にあの出奔の心算を告げることはしなかった。

 だが予兆はあった筈だ。何かを残していった筈だ。逸早くその痕跡を探し出すべく動いた

のは、ダンたち冒険者クランブルートバードの面々だった。

 妙だとは、少なからず思っていた。

 あの兄弟──団員かぞくの晴れ舞台に、自分達の内の誰よりも“親心”を以って臨んでいたで

あろう、団長イセルナの姿を見つけられなかったことが。

 皆と手分けをし、ダンは会場内の敷地や関係者控え室を虱潰しに当たっていた。

 リュカに乗って飛び去る間際、ジークは確かにアルス達に「母さんを頼む」と言った。

 つまりあの無鉄砲小僧も、あれが突拍子もない出奔だとの自覚はあった訳だ。

 ならばその前段階の時点で、相応の言伝を自分達こっちにも寄越していた可能性は十二分にある。

 そして、その相手はきっと──。

「ダンさーん! いましたっ、団長がいました!!」

「おうっ。分かった、すぐ行く!」

 やがて目的の人物は敷地内の一角、人々が行き来していた通用口からは死角になる物陰に

見つけることができた。団員の一人がその姿を発見し、ダン達一同に叫んで報せてくる。

「……。あら? 思ったより早かったわね」

「あら? じゃねぇよ。何やってんだよ……おめぇは」

 イセルナは、仮舎同士が作る路地裏に独り背を預けてぐったりと座り込んでいた。

 見渡してみれば、辺りには無数の凍りついた残骸が転がっている。

 何より彼女自身がざっくりと胸元を袈裟斬りにされるの怪我を負っている姿からも、ここ

で一戦が交わされたらしいことは容易に理解できた。

 ダンは思わず顔を顰め、彼女の前に片膝をついていた。

 シフォンやハロルド、団員達もぞろぞろと心配げに二人を囲むようにして覗き込む。

 ダンがそっと、彼女の傷口に手を伸ばしかけ──はたと手を止めた。

 塞がっていたのだ。服こそ血で汚れ、裂けたままだったが、肝心の出血は既に治まった後

であるらしい。

「……ふむ? 治癒魔導の痕跡があるね。ただかなり大雑把な印象だけども」

「うん。それに、此処だけストリームの様子が他と違う。やたらに“綺麗”というか……」

 ダンや団員達が誰からともなく振り返り、ハロルドとシフォンが目を凝らしてこの場で繰

り広げられたであろう残滓に言及する。

「……どういう事だよ? イセルナ、一体何があった?」

 少なくとも彼女に大事はない──ものの、ダメージは抜け切っていない──ようだった。

 ダン達はもう一度向き直った。そんな皆に疑問符や怪訝で見つめられ、当のイセルナ本人

はふっと静かに微笑んでいる。

 すると彼女は、一旦深呼吸をしてから視線を心なし遠くに向け、

「ちょっと団員かぞくの通過儀礼を、ね……。ジーク達が来たの」

 そう、妙に落ち着いた様子で話し始める。


『──クランを抜けたい?』

 大事な話がある。

 そうジークに呼び出されて一人やって来たイセルナを待っていたのは、サフレにマルタ、

リュカを加えた彼ら四人からのそんな申し出だった。

『ああ。俺達は“結社”を追おうと思ってる』

 式典前にも拘わらずいつもの服装に身を包み──そして腰に六華を差した姿で、ジークは

そう酷く真剣な面持ちで口を開いていた。

『……俺は見たんだ。奴らの中にいた黒い鎧騎士、ヴェルセークって呼ばれてた奴の顔を。

すっかり正気を失ってたけど、あれは間違いなく父さんだった』

『お父さんって……コーダスさん? でも彼は確か──』

『はい。確かに昔、魔獣の襲撃を食い止めるのと引き換えに命を落としたのだとばかり思っ

ていました。でもそれは、どうやら私達村人の思い込みだったようなんです』

『俺もずっと、てっきり魔獣に喰われたって思ってた。でも“死体は見つかってなかった”

からさ……。それに実際ああやって姿を見た以上、俺は連れ帰りたい。たとえ奴らに操られ

ちまってるらしくても、それでも……ッ』

 語られたのは、王の間で目撃したというコーダス生存の報。そして彼が“結社”の手によ

り操られているのではないかという彼らの見立て。

 ジークが必死に己を激情を噛み殺そうとしているのが、イセルナには痛いほど分かった。

 本当なら式典への出席など放り出し、すぐにでも助けに行きたいのだろう。

 亡くしたとばかり思っていた父を連れ去り、あまつさえ自分達に都合の良い操り人形とし

ている。そんな“結社”への憤りは──“家族”を奪われた哀しみは、イセルナも強く共感

できる節があった。

『このこと、ダン達には? アルス君やシノさんには?』

『……言ってない。ギリギリまで黙ってようと思う。余計に心配掛けるだろうし、きっと止

めさせようとするだろうし』

 薄々勘付いていたことだったが、イセルナは問うていた。

 そして返って来た答えは、やはり予想した通り。密かに呼び出されたのが団長じぶんというのも、

これでピタリと辻褄が合う。

『……。団長、俺の籍を外しておいてくれないか? 確か団長権限なら除籍できた筈だ』

『僕もお願いします。奴らにはマルタを攫われた因縁がありますし、コーダスさんの救出に

も力を貸したいんです。迎え入れて下さった時同様、勝手ばかり言ってしまいますが……』

 ジークとサフレ、二人がそれぞれにそう懇願の言葉を向けてきた。

 深々と先ずサフレとマルタが頭を垂れる。そして傍らに立っていたジークもやや遅れて、

ぶんっとそれに倣う。

『……そうやって、また一人で背負い込むつもりなのね』

 たっぷりと置かれた間。

 だが次に口を開いたイセルナの声色は、哀しげだった。

 気持ちは、分からなくはない。何も言わずに飛び出すのを堪えて、こうして一言伝えてく

れただけでも彼という人物像からすれば中々の堪忍ではないか、進歩ではないかとは思う。

『分かっているわよね? 相手は“結社”よ。貴方達は、あのテロ組織を身体一つで敵に回

そうと考えている。それがどんなに危険なことか……』

 それでも、イセルナはすんなりとは承諾できなかった。できる訳がなかった。

 自分にとって団員達は“家族”だと思ってきた。共に戦い、寝食を共にする大切な仲間。

 それはたとえジークという皇族イレギュラーであっても変わらない、変えないつもりだった。

 出来の悪いやんちゃな子ほど可愛いとはいったもので、自分達創立メンバーは特に彼ら兄弟を見守

ってきたという自負もある。

『……分かってますよ。だからです。連中に“宣戦布告”すれば、この先奴らの矛先は俺に

向く筈だ。母さんやアルス達にはもう……あんな思いはさせたくない』

 今に始まったことではない。だが、酷く自己犠牲的だかたよっていると思った。

 苦楽を共に分かち合うからこその私達クランなのに。なのにこの子は……優し過ぎる。

『……。ここで私が止めても、往くんでしょうね』

 殆ど確認するような言い方で以って、イセルナは改めて問うた。

 ジークがこくりと、無言のまま真剣な面持ちで頷き返す。……やはり、意思は固い。

 仮舎の向こう側で人々の声や足音、物音が聞こえていた。

 だけどそれらはスッと遠くなるかのようで。

 するとやれやれと言わんばかりに一度大きく深呼吸をつくと、イセルナはやや中空に持ち

上げていた視線をジーク達に戻し、

『だったら……私を倒してみせなさい。私一人越えられないようじゃ、貴方達は“結社”に

届くことすらできない』

 ザラリと、腰に下げていたサーベルを抜き放ち、そうじっと目を細める。

 驚いたのはジーク達の方だった。

 まさか物静かな団長かのじょが、自分から剣を抜いてくるなんて……。

 ジークとサフレは互いの顔を見合わせていた。

 間違いなく、それは戸惑い。クランを抜けたいと申し出たのも、あくまでこれから自分達

が起こそうとする行動に彼女達を巻き込まぬようにする為。……彼女ほどの人物なら、理解

していないとは思えなかった。

『……。リュカ姉、空間結界を頼む』

 つまりこれは、彼女からの“試練”なのだろう。

 故にジークは視線を彼女に遣ったまま、再び驚くサフレ達を感じ取りつつも言った。

『いいのか? イセルナさんは君にとっても──』

『だからこそだろ。何より、団長の言ってることは間違っちゃいねぇよ』

『……それは、そうだが』

 一方で以前の恩義もあってか、サフレはまだ戸惑い気味だった。

 それでも傍らのジークが六華の二刀──紅梅と蒼桜を抜くのを見てようやく腹を括ったの

か、ややあって彼も魔導具から得物の槍を展開し、ぎゅっと柄を握り締める。

『リュカ姉、マルタ。分かってるとは思うが』

『ええ。こちらからは手出ししないわ』

『うぅ……な、何でこんなことに……。マ、マスタぁ~』

『……大丈夫だ。リュカさんと一緒に避難していろ』

 肩越しにちらりと。ジークは後ろに立つリュカとマルタを見遣って促していた。

 神妙な面持ちと、不安げな戸惑い。

 彼女達はそんな各々の反応を示しつつもそっと数歩後退し、リュカが紡ぎ始める呪文の音

を引き立たせる。

『盟約の下、我に示せ──夢想の領イマジンフィールド

 彼女がバッと手を挙げ、詠唱を完成させたのは、それから程なくしてのことだった。

 次の瞬間、ジーク達三人は光に包まれ、はたと気付けば辺り一面味気のない白一色。

 雲などの自然物も一切見られず、代わりに広がっているのは呪文ルーンの羅列が延々と中空に

続いている、空間結界内の只々しんとした光景。

『…………』

 それでも、この場が設えられたのを合図にするかのように、三人は誰からともなく改めて

向き直っていた。サーベル、二刀と槍。互いに得物を逆刃に持ち替え、ぐぐっと全身のバネ

を押し縮めるかのように力を込める。

『──ッ!』

 先に動いたのは、ジークとサフレの方だった。

 二刀を握り締めて地面を蹴るジーク。そのすぐ傍らを、サフレの槍がイセルナに向かって

ぐんと勢いよく伸びてゆく。

 だがイセルナは、そんな二人の初手を冷静に注視していた。

 先ずはサフレからの槍先を刀身の腹でいなし、最低限の動きでこれを逸らす。次いでその

省いた動作の余力を、間髪入れずに飛び込んで来るジークに割り振る。

 一撃、二撃そして三撃。彼の錬氣を帯びた斬撃を、イセルナは同じく無駄のない所作で捌

いてみせた。最初の防御の手を返し、次の相手の打つ手──動線を自らの立ち位置とも併せ

て抑え、誘導する。

 そんな彼女を、サフレの伸びた槍先が再び狙おうとしたが、ちょうどジークが両者の間に

挟まるような位置取りに在ったが故にその目論見はさり気なく挫かれていた。

 中距離にいたままだったサフレはその場で小さく舌打ちをすると、内心彼女のその巧妙さ

に感心しつつ、手繰り寄せた槍を片手にジークへの加勢の為に地面を蹴る。

『ちぃ……ッ!』

 故に状況は、自然と二対一の打ち合いになった。

 しかしそれでもジークとサフレは中々イセルナに一撃を浴びせることができない。彼女は

両者に攻められても、巧みにその攻撃をいなし続けていたのだ。

 振り下ろされる剣を横から撫でて押さえ、二撃目の軌道をジークの身体ごとずらす。

 サフレが突き出してくる槍には常に左右どちらかに半身を捻り、返した刃をその刺突と水

平逆方向に──槍を引き上げ寄せる動作を封じながら──撫でて牽制の一閃を。

 それでも何とかと、二人は同時に、或いは全く別方向からの攻撃を何度も試みたが、彼女

はそうした一手すらも刀身と障壁の併用で以って凌いでみせる。

『……やっぱり、似ているわね』

 そしてもう何度目か分からなくなった、その打ち合いの中。

『凄く真っ直ぐ。火のように熱く滾るような情熱に、雷のように強く貫いた信念──』

 イセルナは必死に喰らい付き、一撃を与えようと奮戦する二人を注視しながら呟いた。

『貴方達は……やっぱり根っこは似た者同士なのよね』

『誰がっ!』

 すると彼らから返って来たのは、想いとは裏腹の息ぴったりな同じ台詞。

 同時に放たれ、突き出された剣と槍。

 だがイセルナはその動きを予見していたかのようにひらりと跳び上がったか思うと、次の

瞬間には二人の得物を踏み台に大きく中空でバック転、そのままマントを揺らして彼らから

大きめに距離を取り、スマートに着地していた。

『……ふふっ』

 それは愛しい者らを見るような眼差し。

 イセルナは妙な指摘をされて眉間に皺を寄せる二人に、フッと穏やかに微笑んでいた。

 だがそれも束の間。すぐにその表情は真剣な戦士のそれに戻り、

『さて……。打ち合いばかりじゃ埒が明かないわね。そろそろ準備運動ウォームアップは終わりにしましょう

か? ブルート』

 そうサーベルを揺らしながら言った次の瞬間には、それまで傍観を決め込んで姿を消して

いたブルートが顕現してくる。

『やれやれ……汝も物好きだな。まぁ我もその眼差し、嫌いではないが』

 そして二言三言、ブルートがぼやきながらその翼を広げると、次の瞬間、彼女達はマナの

奔流を撒き散らす風圧を放った。

 思わずジークとサフレは手で庇を作り、両脚を踏ん張る。

 ややあって二人が見たのは、イセルナとブルートの融合だった。蒼い光を帯びる翼と衣が

彼女を包み、その様はさながら翼人のようで。

『……。飛翔態だんちょうのほんき

 ジークもサフレも、それまで以上に得物を握る手に力を込めていた。

 空を飛び、巻き込むもの全てを凍り付かせる彼女達の高起動の戦闘形態。

 これまでその力には何度となく助けられてきたが、いざそれらが自分達に向けられる状況

になったとなると、流石に(物理的にも精神的に)寒気がする。

『さぁ──。本番よ!』

 刹那、くわっとイセルナからの覇気が伝わってきたような気がした。

 大きく開かれた蒼い翼。それらに纏う魔力ある冷気が轟と渦を巻いて二人に襲い掛かろう

とする。

『……ッ! 弾けしスパイラル──』

 その予備動作を見て、最初に動いたのはサフレだった。

 携行する焔系の魔導具。それを彼女に向けて発動させようとしたのだが……。

『ぐぅ!?』

『サフレっ!』

 威力は、イセルナ達の圧勝だった。

 ぶつかり合う冷気の渦と連射される火炎弾。だがその衝突は一瞬のことで、すぐにサフレ

側の魔導は彼女達の冷風に押されて吹き消されていってしまう。

 咄嗟にジークを庇うように前に出ていたサフレ、その背中を見ることになったジーク。

 二人を、せり合いに勝った冷気の渦が通り過ぎてゆく。

『……ッ!? サフレ!』

『あ、はは……。僕の導力じゃあ、イセルナさん達には叶わなかった、か……』

 出来上がっていたのは、片腕を突き出したまま身体の半分以上が凍り付いたサフレの姿。

ジークも少なからず冷気に蹂躙されていたが、幸か不幸か彼が盾になる位置にあったために

こちらは行動不能なまでには至っていない。

 それでも、ジークはギリッと悔しさに歯を食い縛らざるを得なかった。

 ──私一人越えられないようじゃ、貴方達は“結社”に届くことすらできない。

 団長イセルナが口にした言葉が蘇る。

 今までずっと、彼女達クランの幹部メンバーに守られてきた事実が、胸の奥を鋭く抉る。

 ぶわっと、地面を蹴る音と冷気のうねりが五感を刺激した。

 はたと見上げてみれば、飛翔態のイセルナが中空へ飛び上がっていた。行動不能になって

しまったサフレと自分を見下ろし、そっとサーベルにマナを込め始めている。

『──ッ!』

 振られた斬撃が魔力ある冷気を伝い、ジーク達に襲い掛かったのは次の瞬間だった。

 無味とした白地と羅列ルーンの景色に、濛々と蒼い冷気の残滓が広く舞い上がる。

 イセルナは暫し、目を凝らして効果の程を傍観していた。

 これで終わっただろうか? それとも──。

『……?』

 だがピクリと、彼女は眉間を顰めた。

 徐々に晴れてくる蒼い靄。そこから姿をみせたのは……透き通った翠色の結界に包まれた

ジーク達の姿で。

『貴方、それは……』

緑柳りょくやなぎ──防御用の六華ッスよ。脇差の方こっちはまだ、団長達には見せてませんでしたよね』

 ジークが右手の紅梅を地面に刺し、代わりに抜いていたのは一本の脇差だった。

 護皇六華の一つ、緑柳。発動者を守る結界をその特性とする、六角形の柄を持つ短刀。

『……そう。そうね。そう簡単にやられてしまうなら、私達も甲斐がないってものよ!』

 イセルナはうんうんと、何処か嬉しそうに頷いていた。

 しかしてすぐに戻った表情かおはやはり戦士のそれ。次の瞬間には冷気の翼から今度は無数の

氷弾を放ってくる。

 ジークはサフレのこともあり、暫く緑柳を展開したままそれに耐えた。

 だがこのままでは消耗戦。どだいピーキーな代物である聖浄器を用いている自分では分が

悪過ぎる。

 ややあってジークはタイミングを見計らって結界を解いて短刀をしまい、紅梅を地面から

抜き放つと、一気にその場から駆け出していた。

 勿論その動きをイセルナも見逃す筈はない。再三の氷弾がジークの後を追って次々と撃ち

込まれては蒼い靄を白地の風景に残していった。ジークもまた、サフレを巻き込まないよう

大きく弧を描くように動線を形作っていくように見える。

『ぬぅ……、らぁッ!!』

 それでも追撃の氷弾の雨霰は堪らなかったのか、やがてジークは振り向きざまに紅梅の力

を解放、その増幅する斬撃で以って自分を襲ってくる一連の攻撃を紅い軌跡と共に叩き落し

てみせた。

 また濛と、蒼い靄がジークを包んだ。

 イセルナは一旦射撃を止め、様子を見る。

 これはおそらく煙幕のつもりなのだろう。ただでさえ消耗の激しい六華を使ったのだ。

 何か、あの子は仕掛けてくる……。

『──……』

 少なくとも、イセルナのそんな読みは当たっていた。

 ややあって彼女が中空から目にしたもの。それは靄に隠れ、ジークが今度は蒼く光る刀身

を振ろうとしている姿だった。

 蒼い六華──蒼桜、飛ぶ斬撃。

 飛んでいる相手には飛び道具という発想か。イセルナは心なし身体を縮めて回避の体勢を

取ろうとした。

 確かに撃ち落されれれば、飛ぶ者にとって痛手にはなる。

 だがその射撃さえかわしてしまえば、むしろ隙は彼の方にできる。次で、決まるか。

 しかし当たっていたのは──それだけだったのだ。

 イセルナが身を屈めたそのタイミングとほぼ同時、ジークが取った行動は同じ飛ぶ斬撃で

も“こちらに飛ばす”のではなく、こちらに“背を向けた”状態であったのである。

 ジークが放ったのは、自身の足元に向けて放った全力全開の飛ぶ斬撃。

 そうなると穿ったのは地面だけで、肝心のジーク自身はその反動で大きく“跳ぶ”ことに

なる。イセルナが「えっ?」と目を見開いた時には既に遅かった。ジークの身体は、ものの

一瞬にして彼女のすぐ頭上にまで飛んできていたのである。

『ぬぅっ? こんな使い方を……』

『でも、抜かったわね。空中じゃあ身動きなんて──』

 それでもイセルナ達は対応しようとした。むしろこちらには翼があり、ジークにはない。

 このまま魔導で撃ち落せば、勝てる。

 そう思って、頭上を取った彼に手をかざそうとした。

『──言ったッスよね? “脇差の方こっちはまだ、団長達には見せてないって』

 だが、ジークはむしろにんまりと笑っていた。思わず怪訝で、イセルナの動きが止まる。

 その間もこの青年は重力に従って落ちようとしていた。

 見ればあの時手にしていた紅梅が、今は鞘に納まっている。左手にはつい先程文字通りの

飛ぶ斬撃を放った蒼桜が。……つまり、右手は空いていたのだ。

『拒み消せ、白菊ッ!』

 重力に落ちる、それに任せたまま、ジークは素早く新たに短刀を抜き放っていた。

 文様を刀身に刻んだだけのシンプルな意匠。そして、反魔導アンチスペルという癖の強いその特性。

『……ぐッ!?』

『なっ! 融合が──解けた!?』

 故に、白く輝いたその刃が冷気の衣に触れた次の瞬間、彼女達を結び付けていた飛翔態は

強制的に引き剥がされていた。

 マナの融合を解かれ、弾かれたように仰け反るブルート。そして翼を失ったイセルナ。

『う……、おぉぉぉぉぉーッ!!』

 そしてジークは、そんな彼女の隙を逃さず決定打たる一撃を叩き込む。

 中空で逆手に持ち替えた左手の蒼桜。その刃を絶叫の下、彼女の胸元へと袈裟懸けに放っ

たのである。

『が──……ッ!?』

 ぐらっと意識が強烈に遠くなるのを、イセルナは感じた。

 ブルートが遠くで叫んでいるらしかったが、最早応答する余力はなかった。

 只々、自分の身体はもうこの団員むすこの殆ど捨て身に近い一撃の下に沈むばかりになったのだと。

 そう、悟り始めていて……。

『──絡めろ! 一繋ぎの槍パイルドランス!』

 だが結界内とはいえ地面に激突──という惨状には至らなかった。

 寸前の所で、ようやく凍り付けから解放されつつあったサフレの機転──彼の伸縮自在の

槍が二人を中空で縛り捉え、そんなエンドマークを回避させてくれたのだった。

 ゆっくりと槍を操って、サフレがジーク達を降ろしてくれる。

 ブルートが、そして結界を解いたリュカやマルタが駆け寄って来て、イセルナとジーク、

勝敗こそついたものの互いにぐったりと疲弊した両者を面々が心配そうに取り囲んでいた。

『だ、大丈夫ですかっ!? お怪我の程は……』

『……。一応死にはしてないから大丈夫よ。ありがと』

『つーか、最初っから逆刃で遣り合ってたろーよ。少なくとも致命傷にはなんねーよ』

『だからって……ねぇ?』

『ええ。全く、君は毎度毎度無茶をし過ぎだ』

『同感だ。寿命が縮まる思いだったぞ』

『……精霊に寿命ってあんのかよ』

 イセルナをそっと壁際にもたれさせてあげて、ジークはそんな減らず口を呟きながらのそ

りと立ち上がった。

『本当、強くなったわね……』

『……そんなことはないッスよ。全部、六華こいつらの力です』

『そうかしら? 少なくとも貴方はその六振りの主なんでしょう? だったら──』

 イセルナのように目に見えた負傷こそしてないが、それでも立て続けに六華を使ったこと

による消耗は間違いなく身体に悲鳴を上げさせている。

『……。団長、ちょっとじっとしてて下さい』

『?』

 だがそれでも、ジークはもう一度力を使う以外の選択肢を持っていなかった。

 よろりと彼女に歩み寄り、その言葉を遮りつつ腰から抜いたのは、柄先に白糸の房が下が

った脇差。

 ジークはその短刀の切っ先をはたと彼女に向けると、

『──拭い取れ、金菫きんずみれ

 突然、その刃を一気に発動と共に突き刺してくる。

『ジーク! お前っ──』

『待ってブルート。これは、まさか……』

 だがそれは“攻撃”ではなかった。ブルートが一瞬慌てた様子を見せたが、当のイセルナ

が自分の身に起こり始めたその変化に気付き、サッと制止する。

 輝く刃の色は、豊かな金色。

 その光は柄先の白糸らにまで伝播し、マナの揺らめきに同調してそよぐその様はまるで金

色の稲穂であるかのようだ。チリチリと、そんな房からは赤黒い靄が噴いては霧散する。

『ええ。こいつは金菫──治癒用の六華です。普段はレナやハロルドさんもいるし、あまり

使う機会はなかったんですけど』

 ジークはイセルナの前に屈んだまま、この短刀・金菫を握り締めて彼女に叩き込んだ傷の

程に目を凝らしていた。

 治癒の聖浄器。彼の言葉の通り、確かにイセルナの傷は急速に塞がり始めていた。

 周囲のマナが金色の光──聖の魔力と為って刀身を伝い、護るべき者を癒す。

 それがこの「攻撃しない六華」の特性だった。

『どう、ですかね? 傷……治りましたか?』

『……うん、大丈夫みたい。塞がってる。まぁダメージはそのままみたいだから、暫く動け

そうにはないけど』

『す、すみません……』

 ぎこちない治療は、ややあって終了した。

 一先ずの手当てといった所。ジークは大きく肩で息を整えると金菫の力を再び眠らせ、腰

へと差し直す。その様子にイセルナも、他の仲間達も彼が消耗している──そして何より当

人がそれを悟られないように必死に我慢していることに気付き始めていた。

 彼に気付かれないように、そっと互いに目配せを。

 リュカが頷く。サフレとマルタが安堵の苦笑を静かに返す。

 団長イセルナからの“試練”は、終わったのだ。

『……。約束通り、貴方達の名義はうちから外しておくわ。コーダスさんの救出、頑張って

らっしゃい』

 そしてイセルナは静かに言った。

 もう戦士のそれではない、団員かぞくの無事を願う愛しげの眼差しで。

 しかし対するジークは、表情を前髪に隠し「はい」と小さく頷くだけだった。サフレ達同

行する予定の三人も各々に立ち上がる。

 反応は薄い。それでも、

『だけどこれだけは覚えておいて? これは除名であって追放じゃない。……いつでも帰っ

てらっしゃい。貴方達は、これからもクランの団員わたしたちのかぞくなんだから』

 のそり歩き出そうと背を向け始めるジークに、イセルナはそっと言葉を残していた。

『……』

 ジークは、無言のまま立ち止まっていた。

 サフレやマルタ、リュカもこそばゆさや申し訳なさで静かに彼女に苦笑を返し、背中を見

せたまま佇んでいるジークの横顔を窺おうとする。

『……言葉は、受け取っときます』

 それは、殆ど搾り出すような声色だった。

 震えたような返事。背中こそ向けていたものの、確かに団長と団員なかまどうしの間で繋がるもの。

『……行って来ます。お世話に、なりました』

 だけど、最後までジークはこの団長おんじんに合わせる顔を持てず。

 そのまま、サフレ達を伴って場を後にしていく。


「──あんの、馬鹿野郎……」

 イセルナから一通りの経緯を聞いて、ダンは先ず開口一番にそうごちた。

 ガシガシと髪を掻き毟りながら、大きく嘆息をついて表情を歪める。

 だがそれは、単に「不快感」という表現では適切ではない。

 もっと別の──そう、彼女と同様“親心”のようなもの。それを分かっているであろうに

も拘わらず、振り払って旅立っていった彼らへの歯痒さの類。

 話の途中からはアルスやシノ、リンファなど王宮関係者も事を聞きつけ駆けつけていた。

 ミアはジーク達の出奔にショックを隠せない友人達レナやステラをそっと慰め、ハロルド以下幹部メンバー

達もまた、ダン同様に「何故知らせてくれなかったんだ」との思いに暫し悶々としているかの

ようにみえた。

「……あの子達は、行ったんでしょう? 向こうが騒がしかったから」

「ああ、行っちまったよ。まさかお前をぶっ倒してたなんて思いもしなかったからな」

 それでも、当のイセルナ自身は酷く落ち着いた様子で。

 それがまた、ダン達面々の内心の動揺を撫で回すような格好となる。

『…………』

 暫くの間、一同は誰も口を利けなかった。

 喪失感。そしてじわりと理解できてくる、ジークの自分達への気遣い。

 馬鹿野郎。ダンが思わず呟いた言葉に、団員達は似た思いと賛同を内心で重ねていた。

 だけどもう、自分達にはどうしようもできない。既にあいつらは空の向こうへと旅立って

しまった。今自分達にできることといえば、精々この事実を何とか呑み込む、それぐらいの

だったのだから。

(兄さん、リュカ先生……。サフレさん、マルタさん……)

 そしてアルスもまた、そんな皆の中にあって綯い交ぜの内心に呆然としていた。

 もがきながらも、兄は決断し決行してみせた。

 だとすれば自分も、もしかして誰かに何かに皇子としてのあたらしい自分というものを迫られている

のかもしれない──。

(僕も、決断しきめなくっちゃ……) 

 この時アルスは、そんなことを思っていたのだった。

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