25-(6) 和解を
久しぶりに、夢を見た。酷く懐かしい光景だ。
私は生家の中にいた。
だが既に現実のそれはクーデターの後、サジ・キサラギの自宅として革命軍(当時の陛下
が率いていた一派の通称だ)に焼き討ちに遭って全焼してしまっている。
それだけでも、今私が見ているこの景色が過去の幻影であるとすぐに分かった。
届きそうで届かない、そんな眼前の風景の中に私がいた。まだ幼くか弱い、剣すら触って
いなかった頃の私だ。
その私の傍らで、母が椅子に座って編み物をしている。とても優しい笑みだった。
そんな母子の触れ合うさまを、まだ幾分若かりし頃の父が新聞を広げながら眺めていた。
母と同じく……穏やかな表情だった。
嗚呼、そうだ。まだ私達がささやかながらも幸せだった日々だ。
しかしそんな過去の景色も、はたと暗転する。
次に私の目に映ったのは、母と共に怯え、部屋の片隅で震えている私だった。
轟音が聞こえる。炎の赤が窓の外から差し込んでくるのが分かる。
あの日だ。クーデターが起こったあの日。当時幼子だった私は、母と共にじっと外で繰り
広げられる剣戟の音に銃声に、只々怯え震えていたのだ。
そう、確か母はあの時私にこう言ったっけ。
『大丈夫よ。お父さんが、すぐに助けに来てくれるからね──』
だが、結局父が家に戻ってくることはなかった。物理的に、燃やされてしまったから。
再度景色が暗転する。そして次に映ったのは、焼け出された私と母が身を寄せた避難所。
そこにひょっこりと現れた父は、私達の無事だけを確認すると、言ったのだ。
『これから先、私は亡き陛下らの為に闘う。きっとお前達にも迷惑を掛けるだろう。私の方
もできる限りお前達のことは漏らさぬようにする。だから──』
既にあの時、父は私達ではなく国家という巨像を見ていたのだ。
なのに……何故だろう?
私の記憶が正しければ、いくら昔の記憶で風化している節があるにしても、妙だった。
確かあの時、父は酷く淡々としていた筈だ。今思えば、私達に周りに悟られないよう、必
死に感情を殺して冷徹を装っていたのではなかったか。
なのに……どうして。
どうして、今私の見ているこの父は“涙をボロボロと流している”のだろう──。
「──ッ!?」
その疑問が引き金となるように、次の瞬間ユイの意識は一気に覚醒をみていた。
思わず目を見開き、最初に視界に映ったのは、天井の木目。少なくともあの頃の日々の続
きではない。
妙な汗を掻いてしまった。
ユイは心持ち荒くなった息を整えながら、ゆっくりと自身と周囲の状況を把握しようと視
線を移してみる。
独特の白壁と清潔感。どうやら、此処は病室であるらしい。
そうだ……自分はサジと戦い、そして──。
「……ぁ、うッ!?」
驚愕のあまり、変な声が出そうになった。
しかし何とか喉より出掛かったそれらを抑え込みつつ、急に動いて痛みを叫んだ身体を宥
めつつ、ユイは目を瞬いて息を呑んだ。
父がいたのだ。それも、しっかりと自分の手を握ったまま眠り込んだ格好で。
(何が、どうなってるの……?)
流石にユイは混乱していた。
自分は敗れた筈だ。事実、今も包帯を巻かれて手当てを施されているにせよ、敗軍の将で
ある自分を何故生かしているのか。
まさか……この男の情けがあったからだというのか?
冗談じゃない。武人として、とんだ屈辱だ。
でも何故……こうも私は怒りより戸惑っているのだろう。
この男の頬には、私の手には、明らかに繰り返された涙の跡が、感触が残っている……。
「……んぅ? ああ、目が覚めていたのか……。ユイ」
すると、半ば無意識に腕を引いて重ねられた手を振り解いた刺激の所為か、ふとサジが目
を覚ましてきたのだった。
酷く優しい声。穏やかな表情。……あの幻影と、そっくりなくらいに同じ。
すぐに返事をすることができずに、ユイは只々戸惑いの表情で、引いた手を胸に押し当て
て黙り込んでしまう。
「……。戦は、陛下は一体どうなったんだ?」
「ああ……。そうだな」
だから、これも状況把握の為だと己に言い聞かせ、ややあってそう口を開いていた。
サジもまた、スッと真剣な表情になり今回の顛末を我が娘に語り始める。
そこでユイはようやく大まかながら全貌を知ることができた。
陛下──いや、今は亡きアズサ皇が“結社”と裏で手を組み、先皇女シノと共に行方知れ
ずとなっていた皇器を捜し求めていたというあの喧伝は本当だったこと。
そんな彼女の“正統なる皇への欲望”を連中は利用し、あの時の青年──ジーク皇子らの
健闘も及ばず、告紫斬華という「裏の王器」を奪うとまんまと逃げ去ってしまったこと。
そして何よりも、アズサ様はその犠牲にされ、命を落とされたこと。
「戦は、終わったんだ。……もう私もお前も、敵として武器を交える必要はないんだ」
シーツをぎゅっと握り、ユイは心なし俯いていた。
一度は仕えた主君の死だ。同じ皇国の戦士として、その胸中は察せられるものがあったの
だろう。サジはそれだけを口にしただけで、暫くじっと、娘がその事実を受け止めてくれる
のを待っているかのようだった。
「……すまなかった」
だからこそ、ユイは思わず驚き、身を引いてしまっていたのだ。
やがてゆっくりと顔を上げて自分を見てきた娘に、サジは開口一番そう確かに謝罪の言葉
を吐き出すと、深々と頭を下げてきたのである。
「私が間違っていた。守るべきものはずっと近くにあったのに……。私は、お前達を……」
それは強い悔恨だったのだろう。故に精一杯の謝罪だったのだろう。
ユイは暫く目を瞬いた後、引いた身を元に戻した。
自分でも不思議なくらい……心が、フワッと軽くなったような気がした。
「……もういいよ。父さん」
だから、そう言った。ビクッと父がその呼ばれ方に身体を震わせたのが分かった。
「こっちこそ、意地を張って……ごめん」
「……。ユイ……」
そうだった。何も彼を本当に殺したかった訳では、一番の目的ではなかったのだ。
ただ謝って欲しかった。それだけ、ほんのそれだけの事だったのに……。
暫しの間、そうして父娘は見つめ合っていた。
どちらともなく、手持ち無沙汰だった互いの手が重なって握り合われる。
主君は、確かに失くしてしまったかもしれない。だがあの戦いは終わったのだ。もっと別
なよりベストな結末があったかもしれないが、それでも、もう満足は──。
「……でも」
だが次の瞬間、ユイは反動のように自分の中の暗雲に気付いてしまった。
たとえ父娘の和解を得られても、自分は敗軍の将であることに変わりはない。
「私は、いつ処刑されるの? それとも流罪か何か?」
「……? ああ、そうか。そのことなら大丈夫。心配要らないさ」
しかしそんな彼女の心配は、すぐに溶け消えることになった。
対する父がフッとまた穏やかな笑みを取り戻すと、彼はそう言っておもむろに顔を上げ、
視線を奥──間取り的には病室の入り口へと向けたのだ。
「……えっと」
「た、隊長」
「ご無事ですか?」
そこに、物陰に隠れコソコソとこちらを窺っていたのは、よく見知った顔ぶれだった。
サジがいるからなのかおっかなびっくりな様子だが、間違いようもない。ユイが率いてい
た小隊の部下達だった。各々に包帯を巻いていたり松葉杖を突いていたりしていたが、ざっ
と見る限り、全員命に別状はないようだ。
「貴方達……どうして」
「どうしてって。そりゃあ心配だったからに決まってるじゃないですか」
「それにシノ殿──いや、女皇代行から赦されたんです。俺達、処刑されないんですよ!」
「俺達だけじゃないんです。アズサ様の側にいた皆、全員が恩赦だって……」
思わずユイは目を丸くして言葉を詰まらせていた。
断片的な彼らの報告を纏めると、どうやらシノ皇女──もとい新女皇は自分達敗軍の者ら
全てに大赦を執り行なったのだという。
『敵も味方もありません。これからは皆さんと一緒に、この国を作ってゆきたいのです』
故に、彼女は先の内戦における所属に関わらず、意欲と意思のある者を今後の官吏として
採用していきたい。そんな方針だったのだ。
「そういう訳だ。殿下は、何よりも皆が手を取り合うことを望まれていたのだからな」
「……そう、なんだ」
常識からすれば甘言極まりないとは思ったが、ユイの胸の奥にはそれ以上にそんな刺々し
さを解すような温かさを感じていた。
勿論、これで全くの“罪人扱い”がなくなる訳ではないだろうが、きっと自分も部下達も
救われるだろう。少なくとも敗けたが故に自害する必要は、無くなったらしい。
「あ、いたいた。サジさ~ん」
「おいこら。今はキサラギ隊長だろ? 新・近衛隊長」
「新って……元から隊長だったじゃんよ」
すると、また病室に来客があった。
ユイ達が視線を向け直してみるとそこには、めいめいに軽防具を引っ掛けた男達の姿。
「まぁ、そう細かいことはまだいい。正式な着任式も経ていないからな」
反皇勢力──であった者達だった。
サジがそうフッと苦笑して応えてやると、彼らは同じように苦笑いで明るく返してくる。
その最中でユイの部下達と視線が合っていたが、もうお互い争う必要がないと分かっている
が故だったのだろう、既に以前のような険悪な空気は感じられなくなっていた。
「それで、何だって?」
「あ、はい……」
「そろそろ時間だそうです。会場に急いで下さい、と」
「む……。もうそんな時間か」
そして気を取り直して問い、返ってきた返事にサジは傍目からも名残惜しそうに見えた。
懐から時計を取り出し時刻を確認。やれやれと小さく息をつきつつ、彼はすっくとその場
から立ち上がる。
「会場? 何があるの?」
「……アズサ殿の国葬だよ。同時に殿下──シノ・スメラギ女皇代行の御披露目でもある」
ベッドの上でユイが問うと、サジはその足元を通り過ぎながら言った。
国葬。その言葉に、正直ユイは驚いた様子で目を開いていた。
どうやら自分が意識を失っている間に、周囲の時間は随分と足早に走り去ってしまって
いるらしい。
「……あの方達ならきっと大丈夫さ。私達が支える。支えてみせる。だからお前は、今は怪
我の治療に専念してくれ」
虚しいような、寂しいような。だが身体はまだまだ怪我のダメージで動けそうにない。
そんな娘の表情を見遣って、サジは静かに優しく微笑んでくれた。
ユイは、少し間を置いてから頷いていた。
そしてその首肯にサジは満足げに頷き返し、出入口の皆を伴いながら立ち去ってゆく。
「じゃあ、行ってくるよ」
「うん……。行ってらっしゃい」
たったそれだけ。きっとそれは平凡なやり取りだけど。
確かに彼らは、取り戻しつつある。