25-(4) 竜の心傷(トラウマ)
「──やれやれ。強情とはスマートじゃないねえ」
映像の向こうでこちらかの申し出を突っ撥ねたジーヴァ達から視線を戻し、フェイアンは
フッと笑いながらも目を細めた。
その隣には魔性を纏う、魔性を駆る、バトナスとエクリレーヌの姿がある。
『……ッ』
彼らと対峙するアルス達──共同軍の面々はじりじりと追い詰められていた。
それでもシノを護ろうとする意思だけは挫けることなく、たとえ仲間達が倒れてゆき小さ
くなってしまっても、その円陣だけはびっちりと解かずに組んで。
「昔からあいつは無愛想だろ? それよりさっさとこいつらを──」
言って、バトナスは一気に飛び掛かろうとした。
だがその寸前になって、再度飛んできたのは魔導や銃撃。セドの“灼雷”やダンの手斧、
シフォンの弓撃など。
手斧や弓撃はバトナスの魔獣人な豪腕に軽々と弾かれ、掃射された銃撃はエクリレーヌを
庇うように、複数の巨腕を盾にした合成魔獣が何事もなかったかのように防ぐ。
「……。まだ抵抗する気かい? 君達も、とことんスマートじゃないね」
フェイアンもまた、灼雷を受けながらも、その爆熱は氷の大蛇らの頭を吹き飛ばすだけに
終わり、すぐにそれらは首下から再度凍て付くように再生する。
再びくわっと牙を剥いて威嚇する氷結の蛇らを従え纏い、彼は余裕綽々に哂って言った。
「当たり……前だっ」
その嘲笑う声に、セドが息を荒げながら噛み付いていた。
いや──彼だけではない。
シノを護り囲む場の共同軍、全ての者達が、彼と同様にダメージを負った身体を引き摺り
ながらも尚、この魔性の徒らに立ち向かおうとしていたのだ。
「どれだけ今まで、シノが戦友が苦しんできたと思ってやがる……。救うんだよ! 今度
こそ、今度こそあいつらを泣かせるものから全部、俺達がッ!!」
「……そうとも。妻と約束したんだ。『皆がもっと笑顔でいられますように』と。その遺志
の為にならば、私は悪鬼と罵られようが構わない……!」
「お前達は、酷く大きな罪を犯したんだ。殿下とアズサ殿が分かり合う──その可能性を、
長く殿下が苦しみながらも棄て切れなかった願いを、お前達は……ッ!!」
セドが、サウルが、リンファが。
かつてシノという女性と、コーダスというその後の夫と、苦楽を共にした仲間ら
が先ずよろよろと立ち上がり、絞り出すような声で叫んでいた。
『……ッ』
そんな眼前の彼らに、リュカは傍で肩を寄せ合っていたシノ当人と共に目を見開き、声を
出せずに静かな衝撃に打たれる。
「そうだな。まぁ、元からてめぇらを許す気なんざ更々ねぇがよ」
「抗うのがヒトというものだよ。……我が友達は保守閉鎖的な種族である僕に、そんなこと
を教えてくれた。とても、大切で篤いものを」
「……もう一度力を貸して、ブルート。私達の仲間を、守るの」
「ああ。言うべくもない」
そして、立ち上がらんとする仲間達は瞬く間に拡がって。
ダンやシフォン、イセルナにブルート。
レナとミアは激しい動揺が続いていたステラを両脇からそっと支え、その後ろではハロルド
が静かに眼鏡のブリッジを触っている。
団員達も、共同軍やレジスタンスの兵らと交じって気合の声を上げ、銃を剣を、それぞれ
の得物を構えて「負けてなるものか」と、己自身に言い聞かせている。
──心強かった。自棄とも取れなくもないけれど。
リュカは思う。シノさんは、ジークやアルスは、こんなにも沢山の人達に支えられて生き
てきたのだと。実際、彼女当人はまた目を潤ませて──或いはそこまで無茶を厭わない皆に
申し訳なく思って──ゴシゴシと瞼を擦っている。その儚く優しい横顔が確かにあった。
なのに……自分はどうなのだろう?
いや、これはきっと自分だけの話だけではない。自分達竜族という種族そのものについて、
はたと思わされようとしていることなのだ。
神竜王朝。かつて、自分達の先祖らが中心となって成立した古代の王権だ。
時系列から言えば今よりおよそ七千年前。
魔導開放運動、その末の大盟約成立後、混乱を極めたセカイを収拾すべく先祖の竜の民ら
は人々により祀り上げられた。
今でも人は、私達を“最強の古種族”と称することがある。
実際、それは間違ってはいないのだろう。
マナの雲海を単身で飛行できる強靭な翼と生命力、あらゆる攻撃をものともしない鱗、仇
成す者らをその一息で以って薙ぎ払う波動息。
確かに私達竜の民は、強き種だった。
だからこそ当初、人々は私達のその威厳を以って世の混乱が収まることを期待した。
事実、代々の王(竜王という)の治世はその成果を如何なく発揮したらしい。こう言うと
自慢に聞こえるだろうが、身体も知性も、私達は日々鍛錬を怠ってこなかったから。
そして代々の竜王は、人々の安寧の為に力を尽くした。
開放された魔導を制度として整備し、種族の壁に関わらぬ共通言語を創設したり。中でも
一番有名なのは各地に建立させた「導きの塔」だろう。
彼らは信じた。誠を尽くせば、人々の豊かさを支えられれば、皆は幸せになれると。
だが……違ったのだ。竜の民と他の種族は、あまりにも……違い過ぎた。
続く治世の中で、徐々に綻んでいったのは「畏れ」。
かつて“最強の古種族”と呼び称えた彼らも、豊かさを享受できるようになるにつれ、そ
の心の中に尊敬以上の疑心が過ぎった。
『この強過ぎる者らが、一度権力と共に暴走してしまえば……恐ろしいことになる』
言い口はそんなもの。実際は王らの利権をもぎ取りたかっただけなのかもしれない。
とにかく、やがて竜王と民草の間の溝は深まっていった。
いや、彼ら当人としてみれば実に奇怪な現象だったであろう。人を信じ、その幸福の為に
力を尽くそうとすればするほど、その人々がこちらから離れてゆくのだから。
『お前達。ヒトと無闇に深くなってはならないよ。私達は、彼らに畏れられる存在。彼らと
は一線を画すさだめにある存在なのだから──』
親から子へ、子から孫へ。私達竜族に伝わる戒めの言の葉。
幼い頃はあまりその意味が分からなかった。古代の当時はともかく、今日はセカイ中で多
くの種族の人々が交わり、文明という大きな歯車を動かしている。
でも魔導を学び、その成立史も修めてゆく中で、私は知った。
哀し過ぎる痛みだったのだ。
祀り上げられ、かと思えば蹴落とされて。
何も先祖らだけではない、世の常だと言えばそうなのかもしれない。だけど当時の代々の
竜王は勿論、同胞らの受けた痛みを想う時、私はとても他人事には思えなかった。
──そして結局、神竜王朝は“竜王の王朝解散宣言”という歴史上異例中の異例という形
でその消滅の時を迎えた。
これを「逃げ」だと人は言うこともある。
だが実際の文献を紐解くに、実務上ですら既に互いに刻まれた溝はその遂行を困難にさせ
るほど、大きく深かったと記されている。
政治とはいえ、そこに介在するのはヒトなのだ。
人心が(一方的にとはいえ)離れてしまった王に、もうその資格や正当性は無いのだ。
だから……どれだけ先祖らは怨嗟を内に込めたのものなのか。
しかし彼らはそれを子孫に伝えることはしなかった。憎悪や猜疑の連鎖、それがもたらす
災禍が如何に空しいかを、彼ら自身、痛過ぎる程に身を以って知っていたから。
故に伝えられる言の葉は、厭世的となった。
力は、争いの元になる。だから生まれながらにそれらを持つ種として、自分達は謙虚な心
を忘れずにセカイに関わるべきだと。
為政者としてセカイの表舞台に立つよりも、観察者としてその変遷を見守ってゆく者に為
るべしと……。
「エトナ、もう一回……もう一回結界を!」
「えっ? わ、私はいいけど……大丈夫なの? さっきあいつらに効いてなかったじゃん」
「ダメージはね。でも、力を削ぎ取ることはちゃんと出来てた」
傍らで、アルスとエトナがそんなやり取りをしていた。
さぁトドメだと、ゆっくりとこちらに近付いて来る“結社”の三人に向かって、もう一度
群成す意糸を。アルスの五指から無数のマナの糸が延びてゆく。
「僕らは何の為に力をつけてきたの? 守るためでしょ? 大事な人達もその想いも、壊さ
れないように一緒に守って、一緒に寄り添える為じゃない。……笑っていて欲しいんだよ。
誰か一人を傷付けることで残り九人がじゃなくって、十人が十人全員が一緒に手を取って笑
い合えるように。それを哂うあいつらを……僕は許さない」
「アルス、貴方……」
私は胸の奥が熱くなる感覚に駆られた。
進もうとしている。これだけ謀られ、憎しみをぶつけられ、引き裂かれても、それでも尚
未来に進もうとしている。
確かに、その動機は“悔恨”かもしれない。
戦友を守り切れなかった。妻を喪ってしまった。自分のかつての過ちを悔い、せめて未来
では同じことを繰り返さぬようにと。ある意味で「過去に脚を置いたまま」かもしれない
動機で。
でも、それでいいのではないかと思えた。
記憶はどうしても風化するけれど、世代を越えて語り継ぐことはできる。たとえそれらを
受けた全員がそうなるとは言えなくとも、少なくとも紡いだ想いは、生き残ってゆく。
ジークは、かつて剣の修行をしている最中ごちていた。
『力が足りなかった所為で誰かを失うのは、もう厭だ』と。
リオさんも、導話越しに語っていた。
『今度こそ俺は姉者と向き合おうと思う。俺はずっと、独り善がりにこの国から逃げ続けて
きた。その過ちを……少しでも償えたらと思っている』と。
(……ご先祖様、ごめんなさい。でもやっぱり、私は、皆の温もりが好きです……)
だから私も。そう思考の群れが通り過ぎた後には意を決していた。
シノさんが私の隣でハッと目を丸くしている。私がこれから何をしようとしているのか、
逸早く気付いてくれたらしい。だから私は微笑み返して、心持ち離れて彼女を巻き込まない
ように細心の注意を払う。
うなじに在るのは私の竜石。そこにそっと指先を当てて力を込める。
そうなのだ。私達は長い時間の中で自分達からも「溝」を掘ってしまっていたのだ。
力。皆の為にある力。
一体今出し惜しんでしまって、いつ使うというの──?