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ユーヴァンス叙事詩録-Renovin's Chronicle- 〔上〕  作者: 長岡壱月
Tale-25.凶宴(うたげ)の先に在るもの
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25-(3) ある剣将の話

 紫を帯びた大刀の唸りと狂気する奇声が響き渡る。

 癒えぬ斬撃も、当たらなければどうという事はない……。

 そんな風に思考した──そうした理性がそもそも在るのか怪しいが──のか、斬華はその

刃をジーヴァとヴェルセークに叩き込もうと、繰り返し繰り返し襲い掛かってくる。

「何をぼさっとしている、ジーク!?」

 一方で、その光景の遠近法のように炎の壁を隔てた内側では、再三に渡り襲い掛かってく

る火の使い魔らをリオが次々に斬り伏せていた。

 思わず、声を荒げて発した警句。

 だがジークは、何処か強制的な上の空に陥っているように見えて……。

「あ、ああ。悪ぃ……。そ、そうだよな。今は──」

「……? 分かっているならいい」

 ややあってようやく我に返ったのか、この青年はハッと肩を震わせおずっと振り返ると、

何やらそんな事を呟きながら改めて二刀を構え始める。

 ジーヴァ達は斬華に、ジーク達はフェニリアに、それぞれが少なからず苦戦しているよう

に見えた。

『ふむ……? ジーヴァ、そっちに加勢しようか? 僕らの方はもうすぐで片付くよ』

「……余計な真似は要らん。慢心してそこまで抵抗された者がのたまう台詞か?」

 故に、中空の映像ビジョン──空間結界の中からフェイアンはそう呼び掛けてくる。

 しかしジーヴァは斬華と鍔迫り合いを続け、ヴェルセークがそこに突っ込んできて引き離

すという武闘の中、そうきっぱりと助力を拒否した。

 加えて振り向きもせず、表情も変えずに嫌味を一つ。

 それでも当のフェイアンは、映像ビジョンの向こうでやれやれと肩を竦ませている。

(邪魔を、するな)

 鈍色と紫色、時折漆黒の刃が交わり、火花を散らす。

 ジーヴァは胸の内で、強くそう思っていた。

 何もこの戦いは“結社”の一員として、任務としてのものだけではない。

 斬華シキとの対面。

 それは一人の剣客として、自身が長く待ち望んできた瞬間ときでもあったから──。


『──……ッう!?』

 時は、今から約千年前に遡る。

 かつては史上空前の大乱期を収めたゴルガニア帝国も、勃興以来の強固な開拓路線の歪み

は鬱積した人々の憎しみを一手に引き受け、そのうねりは「解放軍」という名の物理的暴力

となって今や帝都を落とさんとする勢いまでに膨らんでいる。

『ははっ……。勝負、あったな』 

 あの日、私は帝国軍の将として最後の防衛戦に加わっていた。

 そしてそんな私達の前に現れた男。それが、シキだった。

 後世“剣帝”の二つ名で語れることとなる当時のトナン皇。彼は自ら、解放軍より与えら

れた聖浄器・告紫斬華を片手に帝国軍本隊の猛者達を次々に倒していった。

 その中には、当然ながら私自身も含まれていて。

 激しい剣戟の打ち合い、最後の切り結びの末、私は遂に彼の刃の前に敗れたのである。

『しょ、将軍ッ!!』

『な、なんてこった……。あの“剣将”が、負けた……?』

 強い。恐ろしく強かった。

 当時から女傑族アマゾネスは卓越した武芸の民として知られていたが、その皇たる者はここまでの域

なのかと。

 私はざっくりと斬られた脇腹を押さえ溢れる血を手の感触に、その赤を目に映しながら、

ぐわんと揺らぎ出す意識に引っ張られるようにその場へと倒れ込んでいた。  

 これで、私も遂に武人として最期を迎えるのか……。

 それは即ち紛れもない死を意味する筈だったが、実際は不思議と酷くホッとする気持ちが

強かったのを覚えている。

 自分達の一騎打ちを見守っていた部下達が、悲壮な声で叫んでいるのが聞こえる。

 だが……斬華を片手に肩で息を整えながら近付いて来たシキは、言ったのだ。

『おい雑兵ザコども、お前らの大将は倒したぞ。さっさと戦場ここから離れろ』

 私も、言われた当の部下達も驚き、困惑していた。

 今更情をかけようというのか? 散々錦の御旗を掲げて戦乱の火を点けて回ってきた者ど

もの将が何を……。

『行けよ。別に俺はお前らを“皆殺しにしろ”とは頼まれてねぇ。あくまで“帝都制圧”を

依頼された傭兵だ。必要以外の戦いをする気はねぇんだ。……それでも俺の刀の錆になりた

いってんなら、話は別だがな?』

 狂気の妖刀をギラつかせ、ぺろりと舌を舐めずる。

 それでも暫く部下達は躊躇って顔を見合わせていたが、他でもない私の、倒れたままの姿

勢からの頷きを切欠に動き出した。おたおたと、蜘蛛の子を散らすように彼らは城下の奥へ

と紛れ、その姿を消してゆく。

 己が大将を見捨てるような逃走は武人の恥──。

 そんな帝国軍人としての矜持が、ギリギリまで皆の後ろ髪を引いたのだろう。

 しかしシキが手に下げる斬華の刃とその言葉、何よりも自身に叩き込まれた決め手の一閃

を密かに検めてみる限り、もしかしたらと……私は思ったのだ。

『──トナン皇! 其方の首尾は如何でありますかっ?』

『おう、ちょうど片付いた所だ。お前らは先に行ってろ。すぐに追いつく!』

 不意に通りの向こうから解放軍の一団が顔を覗かせたが、シキは肩越しに振り返りそう返

事をすると、すぐに彼らを立ち去らせていた。

 遠退く足音と気配。交戦の音は今も帝都城下のあちこちで断続的に聞こえてくるが、少な

くとも自分達のいるこの付近では、敵味方とも人は捌けた後であるらしい。

『……一体、何のつもりだ?』

『ん? なんだよ、お前人の話を聞いてなかったのか? 俺は別にお前らを皆殺しにする為

に此処に来たんじゃねぇんだっつーの』

 私は地面に倒れたままの格好で問うていたが、シキはさも当然とばかりに言葉を繰り返す

だけだった。

 やはり……そうなのか。本当にこの男は、敵軍の将を見逃すつもりなのだ。

 その言葉と、事実。他ならぬ私の身に叩き込まれた斬撃がそれを証明している。

 斬華の“癒えない斬撃”であれば、既に私はこうして会話することもままならぬ負傷者で

あっただろう。しかし実際は違う。手負いという点では同じだが、奴は斬華の持つ能力を私

に使わなかったのだ。試しに身体のマナを込めて止血をしてみたのだが、拙いながらも効果

は確かにこの身に発揮されている。

『それによ? お前はこの俺をここまで手こずらせたんだ。そんな実力の持ち主を、こんな

戦でみすみす消しちまうのは勿体無ぇだろ』

 私は思わず眉を顰め、少々無理に身を捩り、自分を打ち負かしたこの男を見遣っていた。

 先刻からの不思議な気分の正体は、この意思が故だったのかもしれないと思った。

 間違いない。この男は……愉しんでいる。戦いという名のぶつかり合いを、心の底から。

『なぁお前。ええっと……』

『……ジーヴァ・エルバウト。帝国軍本部二番隊隊長だ』

『おう。俺はシキ・スメラギ──って、それはもう知ってるか』

 呵々と笑い、彼は斬華を肩に担いでふと空を見上げていた。

 いや、厳密に言うと天をではない。遠くに映っている帝都の中枢・ゴルガニア王宮を眺め

始めていたのだ。

 だが今やその巨大権力の象徴も、解放軍によって火を放たれ落ちるのだろう。

 暫く彼は血生臭い微風に吹かれていたが、ふと真剣な声色になって私にごちる。

『……馬鹿馬鹿しいとは思わねぇか? 玉座に誰が座るか、自分達に何をしてくれるかって

だけで、こうもヒトっつーのは戦を飽きもせずに繰り返しやがる』

『……とても一国の皇が言う台詞とは思えんな』

『ははっ、そーだな。だがまぁ、俺の場合“繋ぎ”の王位だからよ。こちとら妹が存外早く

逝っちまったもんでな。で、その娘っ子がデカくなるまでの仮の皇って訳よ』

『……』

 問い掛けてきたのは、虚しさ。

 だがシキ個人は、己の置かれた権力の座の本質を嘆くというつもりではなさそうだった。

 曰く「ただ俺は死力を決した戦いが好きなんだ」と。そう言って笑った。敵軍である私に

向かって、ニカッと満面の笑みで。

『そりゃあ戦場が在るなら、俺達は食いっぱぐれねぇさ。でもよ、俺は食ってゆく為にとか

権力の云々とか、そういうもんを背負い込んで戦っても愉しくねぇと思うのさ』

 そうは思わねぇか? シキは敢えてそう付け加えて言ってみせた。

 分かっていた筈だ。私は帝国軍の将校──紛れもなく国の剣となり盾となることを是とし

て、王に忠節を誓うことで以って、武人としての矜持を維持している存在であると。

『……成る程。そんな思想が故に“最狂”の剣豪皇と呼ばれている訳か……』

 だから私は最初、そう皮肉って受け流す程度だった。

 しかし、彼は変わらず呵々と笑っていた。

 癒えぬ斬撃という、ある意味最凶の剣を繰る者であるにも拘わらず、その姿は以前より噂

に聞いていたような「気違い」とはどうにも思えず……。

『俺は、こういう戦は大っ嫌いなんだよ。騙し合って弱らせ合って、自分の有利になるまで

色んなものを滅茶苦茶にしてまで“勝ち”に拘ってさ……。無粋なんだよ。お互い磨き上げ

た技を全力で出し切れる、そんな万全の状態でぶつかり合ってこその武芸者じゃねぇのか。

勝った負けたはその後の事だろ? やたらめったら殺してたら、磨き合う好敵手ダチもできやし

ねぇってのに』

『トナン皇……』

 その嘆息だった。確かにあの時の言葉だった。

 はたと私の胸を打つもの。熱い滾り。目を見開いた私には、彼がとても輝いて見えた。

 主への忠節、人々を守るという正義。それは美しいものだと、ずっと信じてきた。

 なのに……彼はそんなものには、そう“他人を利用しなければ得られない誇り”には、全

くといっていい程に無関心だったのだ。

 だが、そんな姿こそが純粋ではなかったか?

 武人とは、商売人ではない。その己が技に力に頼り、誇りを持つ者ではなかったか……。

『だから俺は、此処でお前を殺さない。さっさとこの戦を終わらせようぜ? チカラを溜め

た後、再会するんだ。そん時こそ、本来の“死合”ができるってもんよ。……どうだ?』

『…………。ああ』

 もうこの帝国くにが長く持たないという打算もあったのだろう。

 やがて、私は彼の再戦の申し出を受けていた。そしてニカッと、また嬉しそうな笑み。

『よーしっ、決まりだな。これで好敵手たのしみが増えた』

『……もし嫌だと言ったら、斬っていたのか? 帝国軍人の誇りを穢すのかと、私が拒絶し

ていた可能性もあったというのに』

『くどいなぁお前。別に俺はそんなの気にしねぇって。お前が断っても生かすさ。それに、

反撃しようにも動けないくらいの傷は、与えた筈だろ?』

『……。それこそ弱らせ合い云々ではないのか』

『んぅ……? ははっ、かもしれねぇなあ。そこまで考えてなかったぜ』

 あくまで戦いは愉しむもの。武芸を使うべき場は争奪戦デスゲームではなく、鍛錬の形であると彼は

言う。

 笑っていた。敵同士だというのに、笑っていた。

 確かに世の民草が抱く“戦”観とは一線を画すのだろう。

『約束だ。また会って死合をしようやりあおう

『ああ……必ず。今度こそ、真に全身全霊を尽くそう』

『約束だぜ? お前はその剣に、俺は女傑族しゅぞくの誇りに誓って──』

 だが私にとっての彼は、とても清々しい偉丈夫に映っていたのだ。 


 しかしその約束は……遂に果たされることはなかった。

 大戦の後、新たな世界権力が成立するその過渡期にあって、シキは他ならぬ同胞らによっ

て討たれたのだ。謂われのない罪を詰られ、送り込まれた国内外よりの大軍に。

 聖浄器・告紫斬華と破天荒なる剣豪皇。その強大なる力を、彼らは酷く恐れたらしい。

 結局私との再会を果たせぬまま、彼は逝った。

 それでも彼は、謀略に落とされたことを怨嗟に乗せなかったという。只々最期の瞬間まで

一人の武芸者として存分に戦い、斬華をべっとりと血に濡らし、対峙した大軍を壊滅寸前ま

で追い込みながら果てたのだという。

 そんな風の噂が、私にとってせめてもの救いだったのかもしれない。

 何故なら私も時を前後して、解放軍の放った残党狩り──使い魔らからの執拗な追跡の中

で瘴気に中てられ、魔人このみと為っていたからだ。

 約束は……果たせなかった。

「ァ、オォォォォォ……ッ!!」

「──……」

 ヒトよ。お前達は只一つ、私を自害させずに留まらせた約束すらも引き裂くのか。

 とはいえ、今更その業を断じるつもりはない。所詮変わらぬ。詮無いことだ。

 ただ私も、お前達と同じように“我”の下にこの魔性を生きてやろう。そう思う。

(……待っていろ、斬華シキ。すぐに其処から、解き放ってやる……)

 だがせめて。

 かつての好敵手ともの形見くらいは、取り戻させて貰う。

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